舞踊批評家協会

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インドネシアで踊る:国際アートフェスティバルと鈴木一琥

2006-09-22 16:10:07 | 舞踊、ダンス、舞踏、バレエ、日舞
インドネシアで踊る:国際アートフェスティバルと鈴木一琥
                 カワチキララ(美術家)

 8月8日から11日までの4日間、インドネシア・ロンボク島で国際アートフェスティバルが行われました。インドネシア一観光客の多いバリ島のとなりにあるためか、ロンボク島はこれまでその美しい自然以外に特記されることがなかったようですが、今回、インドネシア若手振付家としても注目されてきたラル・スリャというロンボク島出身のダンサーと、ダプル・シアター・ロンボクという劇団を率いるサルマン2人の企画により、ロンボク島で初めて国際現代美術・舞踊のフェスティバルが実現できたのです。オーストラリア、マレーシア、そして日本と、アジア各国のアーティストが招待されました。

 現代の舞踊をはじめて見る観客の反応は、こちらにとっても新鮮でした。40分ほどのオープニングパフォーマンス・鈴木一琥の「鬼」は、常に拍手と笑い(爆笑!)という日本ではあまり体験できないリアクションに包まれました。クライマックスで舞台中央の草の山に火が投じられ、一琥が照らし出されたときは、熱狂的な拍手が続きました。伝統芸能を見慣れている観客には、次に何が起こるかわからないパフォーマンスは不思議だったようです。特に、舞台中央のわらの山が火に包まれ、一琥が照らし出されたときの観客の歓声と拍手は、ものすごかった。能の竜笛やチェロ、世界各国の打楽器をアレンジした、音楽家星衛と「くどうげんた」による音も、好評でした。
 鈴木一琥はすっかり人気者になり、スキンヘッドで目立つこともあって、その後の公演に友情出演するたびに、頭がピョコッと出ただけで「イッコ!?イッコ!」と声援が送られていました。特に子供たちはゆらゆらと揺れながら一琥を見つめていました。

 このフェスティバルはロンボク島の公共施設を使い、政府援助を受けたため、無料で見られます。そのおかげで近くの村から毎晩、山のように子供たちが見に来てくれたことは、とても印象に残りました。最初は叫んだり、「つまらない」とさわいだりしていた子供たちが、最終日には大人に「静かに!」というまでに観客のプロとなりつつあったのは、おかしいような頼もしいような……。図々しく、そして元気いっぱいに跳ね回る、愛すべき子供たちでした。

 他にもメルボルンで活動をしているトニー・ヤップがクロージングに踊りました。そのダンス・パートナーの女性は元大駱駝鑑にいた方だそうですが、今回は彼女は不参加でした。残念! また、マレーシア出身のジャネット・ホーによる、中国系としての自分のアイデンティティについての作品も、面白かった。インドネシアからも、ミロト・ダンス・カンパニーで中心的な役割を担っているアグーン・グナワンが、オランダ人振付家によるダンスを再演しました。彼の鞭のようにしなやかな体を生かした踊りは、とても美しかった。また、鈴木一琥はワークショップを行い、後に選抜されたダンサーと作品を完成させ、発表しました。

 ロンボクの人たちにとって初めての現代舞踊ワークショップは、刺激になったようです。こちらにとっても、伝統舞踊の人たちの独特のストレッチ方法などは勉強になりました。
 インドネシアのダンスシーンで印象的だったのは、自国の伝統舞踊と現代の舞踊が矛盾せずに存在しているところです。他国の伝統舞踊への関心も大きく、日本で神楽を研究している鈴木一琥が「三番叟」を披露すると、スタッフたちが、「秋に国際伝統芸能フェスティバルがあるけれどそっちにも来ない?」と誘うのも面白かった。韓国やオーストラリアの国際舞踊フェスティバルで出会った仲間が、第一歩として集まったフェスティバルでしたが、「今後、公募できるようにしていきたい」と主催者は語っていました。
 インドネシアという国の舞踊への姿勢は、日本にぜひ植えつけたいと思いました。いつか、このような国際交流を日本でできたらいいと思います。本当に素晴らしい体験でした。

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山海塾「金柑少年」

2006-05-09 12:35:01 | Weblog

山海塾「金柑少年」
                         吉田悠樹彦

 天児牛大は28歳に作った作品と再び向かい合った。最初の頃の作品はどの作家でも自身の全体像が見えていない。荒削りだが強靭な個性の原点がそこにはあった。
 壁いっぱいに鮪の尾鰭(模型)が貼り付けられている。その為、初演当時は異臭が劇場に漂ったという。舞台前面に置かれた透明な板には赤い円が描かれている。闇の中から戦時下のような出で立ちの青年が現れる。青年の口をあけた表情と赤丸がかさなる。ゆっくりと手を動かせ、前に歩み、床に崩れ落ちる。戦時下のアイデンティティの中で悩む青年の姿だ。空襲警報のサイレンが鳴り響く中で、少年は舞台を右往左往する。自我と社会の狭間で揺れ動く少年の心を描く。やがて舞台の傍らから、顔を瘡蓋で覆われたような異形の男達があらわれる。腕の動きを中心にからだをしならせるように動く。大駱駝艦のような荒々しい愚行と異なる丹精な彫刻のような世界だ。中西夏之の美術が彼らの揺れる自我と、顔面がつぶされている人々という奇怪なシーンを演出する。と、男が手に孔雀を携え登場する。孔雀は古今東西で珍重されてきた鳥である。不死鳥にも喩えられる。男が手に抱いたまま腰を動かし身を痙攣させる。同性愛の隠喩とも捉えられるシーンだ。男が下肢をがっちり踏みしめ、手を広げて飛ぶように動くと手の中から鳥は羽ばたきだす。鳥が舞台を歩き回る中で、男は筋肉質な肉体を見せつけながら表面の美しさを丹精に見せるように動いていく。鳥はやがて舞台にかけられた透明な板の上に止まってしまう。その下で舞踏手達が肉体美を見せつるように踊ったり、おおらかな表情で動いていく。人々の苦しみや悲しみがダイレクトではなく、演技と肉体の表情を通じて間接的に描かれる。それを包みだすのが壁に貼り付けられた無数の鮪の尾だ。丸顔の童子が登場するとしゃがみながらえっちらおっちら歩きまわり砂の上に倒れかかる。抑圧をされた人々の感情が足元に広がる中で、孔雀は中空にとまり宙を見て前後に揺れ続ける。頭に金属片がささったような男達が登場するとおおがらに動き、エネルギーを空間いっぱいにぶちまける。最後は舞台にさかさまにぶらさがる男を中心に、一列に並び蠢く。ライブ感あふれるラストシーンだ。
 ラテン系のような社会の豊穣さの表出でも、情報豊かな社会の中のセンスの良さでもなく、彼らが日本人が1つの精神風景を描いたとすれば、世俗のうめきと断末魔を封じ込めたこのような情景なのだろう。天児は実際には戦争体験を持っていない。しかし風景の中から沸き立つうめき声や踊り手のもがくような表情はこの世俗を青木繁の「海の幸」(明治37年)のような労働の中にある詩情と生活の風景へと観客を誘うのだ。もがき続ける肉体を鮪の尻尾が無数に板に貼り付けられたというセノグラフィーが包み込む。評論家の芝山幹朗は横須賀出身の天児を横須賀キッドと喩えている。目前に広がる港町の中でキッドが見出したのはかくのごとき風景か。
 本作はリクリエーションをすることで若手が天児の世界を引き受けた。ちょうど彼らが生まれてきたころにこの作品が登場してきたのだろう。舞踏は共に見てきた世代が社会の中堅層以上になってきている。現代的なコンテクストの中で舞踏の意味合いは問われるべきだろう。
 (4月1日 世田谷パブリックシアター)
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☆第37回舞踊批評家協会賞決定☆

2006-02-27 13:38:59 | 舞踊、ダンス、舞踏、バレエ、日舞

■…………………………………………………………………………■
         ☆第37回舞踊批評家協会賞決定☆
■…………………………………………………………………………■
★2月18日の選考会議によって、以下の通り決定しました
みなさん、おめでとうございます。4月15日に授章式を行います。

 本 賞
  森下洋子「シンデレラ」
  室伏鴻「quick silver」
  金森穣・黒田育世「ラストパイ」
  内田香「なみだ」
  花柳扇蔵「衣川弁慶」
 新人賞
  菊地研「ピンクフロイド・バレエ」
  向雲太郎「2001年壺中の旅」
  白井剛「禁色」
  花柳せいら・西川扇重郎・花柳貴代人・若柳里次朗「冒険と記憶」
昨年および過去35年間の受賞者は下記のサイトをご覧下さい。
http://dcsjp.hp.infoseek.co.jp/index.htm
http://dcsjp.hp.infoseek.co.jp/listaward.htm
■…………………………………………………………………………■
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キーロフバレエ「愛の伝説」

2006-02-23 17:13:05 | 舞踊、ダンス、舞踏、バレエ、日舞
キーロフバレエ「愛の伝説」
Ballet report from Russia vol.2
                   高橋匠美

 2006年2月17日、キーロフバレエ「愛の伝説」を観た。私はこのロシアならではの作品が大好きだ。グリゴローヴィチ振付なので、ボリショイ劇場で初演されたとおもわれているが、実際は1961年にここマリンスキー劇場、当時のキーロフ劇場で初演された。このバレエは一人の男性をめぐって姉妹の葛藤が描かれているが、独特のアームスの動きは趣があり、壮大な作品に仕上がっている。
 主役のシリンは小柄な若手エフゲニー・オブラスツォーワ、その姉役をベテランのイルマ・二オラーゼが演じた。二人を悩ませるフェルハド役は、すでに日本公演でもおなじみのイーゴリ・コルプが初演した。オブラスツォーワは登場した瞬間から、とにかく愛らしい。情感がとても豊かで、それをストレートに表現するダンサーだ。このようにあたたかい雰囲気に包みこまれているダンサーは稀である。それだけではなく、彼女の脚力はとても強い。グランジュッテは男性並みに飛びあがるので驚いてしまった。しかし、あまりにも安定感がありすぎて、どのテクニックもそつなくこなしてしまうので、おもしろみに欠けて少々もの足りなさも感じた。若手ダンサーの魅力のひとつに、多少の不安定さや未完成さもふくまれることもあるだろう。
 ここキーロフバレエでは現在、若手ダンサーが主役を踊る機会を与えられているので、プリンシパルとコールドの中間ソリストダンサーが作品によって両方のパートを踊っているので、かなり肉体的にきついらしい。当然競争も激しくなってくる。このような制度は、おなじロシアでもバレエ団によって違うらしい。
 以前、ペルミバレエからキーロフにリハーサルをしにきた友人が驚いていたが、ペルミバレエでは、プリマとコールドのパートははっきりとわけられているそうだ。そういうことなのでキーロフの公演では、先日主役を踊っていたダンサーが、今日はコールドを踊るということがあるので、コールドダンサーも見逃すことができない。それに友人は、ここキーロフでは上体のつけ方がペルミよりも随分と大きいと話していた。それなので、一言でロシアバレエと言ってもバレエ団によって、システムや踊り方までさまざまなのだ。
 オブラスツォーワは、長身で線の細い他のキーロフメンバーに囲まれると、けしてスタイルが良い方ではない。以前「ジゼル」一幕のコールドを踊っていた時は、腕の長いとなりのダンサーと比較すると、少々違和感を感じたが、ソロになると彼女の個性が発揮される。ワガノワ時代から、彼女は練習の鬼として知られていた。その成果が彼女の完璧なアンディオールからうかがえた。コルプの軽やかで、キレのある跳躍には驚嘆させられた。長身で力強く、逆三角形の鍛え上げられた身体の持ち主なので、この役をもっと早くに初演していてもおかしくはないはずだ。彼は空中をあやつることができる数少ないダンサーの一人だ。少々そりぎみに踊るクセがあるので、人によって好き嫌いがあるかもしれないが。ただ、彼は「愛の伝説」を演じるには冷淡すぎた。
 そういえば、ウラジーミル・シショフが順調に腰が回復して、レッスンとリハーサルをこなしているということなので、早く彼の「愛の伝説」を観たいものだ。おそらく、大人の雰囲気がある彼なら熱く表現してくれることだろう。
 今回フェルハドの四人の友人役の一人が転倒し、そのまま舞台袖に去ってしまうというハプニングがあった。残った三人は少々動揺したようだが、なにごともなくさわやかに踊り続けていた。傾斜があり、滑りやすいマリンスキー劇場ならこういう事態も起こるだろう。
 しかし、それにしても今回の配役はアンバランスだ。オブラスツォーワはかわいいが、この物語のなかでは子供にみえてしまう。大柄のコルプと組むとまるで親子のようだ。姉役のニオラーゼとは、実際の年齢もかなりはなれている。衣装は鍛え上げられた体のラインが表われる総タイツだが、乳首の部分についている印が滑稽だ。おそらく、女性の象徴としてこのデザインにしたのだろうが、冷静にみると笑えた。だが、このコスチュームはシンプルだが、神秘的で美しい。
 この日は金曜の夜のせいか、観客がいつもに増して多かった。劇場は正装客で熱気ムンムンだった。アリフ・メリコフの音楽にも酔いしれて、みごたえがあり、ドラマティックな一夜となった。
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「キーロフバレエ「放蕩息子」「Reverence」「エチュード」

2006-01-30 13:41:45 | 舞踊、ダンス、舞踏、バレエ、日舞
「キーロフバレエ「放蕩息子」「Reverence」「エチュード」
 Ballet report from Russia vol.1
                       高橋匠美

 2006年1月20日氷点下30度近くの極寒の中、ロシアサンクトペテルブルグのマリンスキー劇場でキーロフバレエの「放蕩息子」「Reverence」「エチュード」を観た。クラシックバレエの総本山と呼ばれているキーロフバレエだが、近年はフォーサイスなどのコンテンポラリー作品も次々と上演されており世界中で反響を呼んでいる。
 バランシン振り付けの一幕物バレエ「放蕩息子」は若手ソリストのミハイル・ロブーヒンが演じた。彼の力強いキャラクターと終盤での憐れみを誘う演技に観客もこの物語に陶酔していた。
 この作品では、前半はエネルギッシュで高い跳躍などの技術力が要求され、後半では身も心もぼろぼろになり尽きてゆく青年を演じなければならないので演技力がかなり必要となる。しかしそれだけではなく、会場にいるマダムたちの母性愛から生み出る青年への同情を得るためにはそれなりの端麗な容姿、または多少のキュートさが必要となってくる。ロブーヒンは実際良く演じてはいたが、残念ながらキュートとは言い難く、強そうで常に英雄のような印象が残ってしまう。例えば甘いマスクと光る才能でワガノワバレエ学校時代から日本公演でも注目を集めていて、今回は「エチュード」を披露したウラジミール・シクリャロフの「放蕩息子」なら、会場からまた違った空気が漂うことだろう。最近幼さが抜け、踊りに力強さが増した彼の「放蕩息子」ぶりを想像してみて、このキャストに入ってくれることを祈った。
 女王を演じたエカテリーナ・コンダウロワはワガノワ時代からの変わらない美しい容姿と気品、それに加え長身の恵まれた肢体の持ち主なので、この役は彼女にとって当たり役のはずだが、若すぎるせいかやや威厳に欠けた。あるいはいつもはベテランのダリア・パブレンコが踊っているのでその印象が強すぎたせいかもしれない。
 次はデビッド・ドーソンの「Reverence」。この作品はドーソンがこのバレエ団のために振り付けをし、昨年3月に初演されたものである。生粋のキーロフのダンサーたちがエネルギッシュかつスムーズにコンテンポラリーをこなし観客たちをうならせていた。
 この作品を観終わった後、キーロフのソリストで、バジルやコンラッドが持ち役のウラジミール・シショフにひさしぶりに会ったので話をした。彼は先日の「愛の伝説」のキャストに入ってなかったので、もしやと思いきや、案の定ケガで現在休養中だったのだ。「愛の伝説」を踊る予定だったが腰を痛めてしまい、この二カ月間踊っていないということだった。二週間後にレッスンを再開すると言っていたが、少々意気消沈していた。彼は二年前にルジマートフと共に招かれて大阪で踊ったことを想い出し、また日本で踊りたいなと語ってくれた。どんなに能力のあるダンサーでさえ、怪我をしてしまうと少なからず気が滅入ってしまうものだ。だがこの劇場の公演回数とレパートリーの多さ、それに加え毎月の海外公演のハードスケジュールぶりからすると、主要ダンサーほど怪我の危険性に常に悩まされることだろう。
 さてお待ちかねの「エチュード」が始まった。このバレエはハラリド・ランジェルの作品で1948年にコペンハーゲンで初演された。ここマリンスキー劇場では2003年に初演されて以来観客たちに親しまれている作品で、真っ白なクラシックチュチュの世界で幕が開ける。初めに一人の若手バレリーナが、バットマン・タンデュとレヴェランスで「エチュード」の世界へとナビゲートしてくれる。美しいつま先としなる甲で、たった一つのアラセゴン・タンデュだけで拍手喝采だ。そしてバーレッスンから舞台は繰り広げられていく。それにしてもロシア人ダンサーの脚のラインは見事な美しさなので、バーレッスンだけでもうっとりとしてしまう。それからどんどんセンターへと踊りは展開してい、き回転やジャンプなど複雑なテクニックが披露されていく。その後ソリストたちが登場し次々と技が繰り広げられ、ますます会場は盛り上がっていく。
 芯となったバレリーナは、キーロフ入団直後に日本の新国立劇場に招かれ「白鳥の湖」を披露したことで知られている、愛らしいアリーナ・サモワである。アリーナは妖精のような華奢な肢体に初々しい表情で、彼女がパを披露するだけで目尻が下がってしまう。若干弱々しさが残るが、彼女を見ているとそんなことはどうでもよくなって、華麗な世界に誘い込まれてしまう。
 そして三人の男性ソリスト。まずは日本公演でもお馴染みのベテラン、イリヤ・クズネツォフ。しかしこの作品でのイリヤのソロは一瞬にして終わってしまったので、彼が何のために登場したのかよくわからなかったが、ロシアの固定ファンは彼が出てきただけで大きな拍手を送っていた。終演後に彼は同僚たちから祝福の言葉を受けていたので、この作品には今日が初めての出演だったのだろう。だが「カルメン」のホセやロッドバルトなど濃いキャラクターが持ち役の彼は、白タイツで正統派クラシックを踊るには少々がたいが良すぎる。他の演目ではいつも凄みのある演技で良い味を出しており舞台を引き締めているのだが。
 そして現在キーロフが売り出し中の若手シクリャロフ。柔らかな足先、鍛え上げられた筋肉、軽やかなジャンプ、そして高度なテクニックに裏付けされた正確なポジション。彼が次から次へと繰り広げるジャンプや回転には目が釘付けになった。まだ未完成だが彼はとても輝いており、未知の可能性を感じさせた。この作品は彼のためといってもいいほど、見せ場をうまくこなしていた。実際バレエマスターが彼のために少し振り付けを手直ししたであろう。半年前にこの作品を観たときは、今回よりも彼のソロは少なかったし、長身のバレリーナをサポートするシーンではうまく支えられずバレリーナが崩れてしまっていた。後でバレエマスターがそこの場面はリハーサルでも成功したことがなかったと話していた。だから今回はその場面を削り、彼の得意なテクニックをふんだんに盛り込んだソロを取り入れたのだろう。それに前回と比べると彼の体は筋肉質でダイナミックになっていたので見ごたえがあった。おかげで観客としては贅沢で、幸福感に満たされた一夜を送ることができた。
 舞台終了後、激励の言葉をかけに彼のもとへ向かった。だが長いカーテンコールの後、ディレクターやバレエマスターらが彼のもとへ行き、終演後の舞台上で稽古が始まってしまった。舞台で力を絞りきった後で、さらに完璧さを求められて一人特訓を受けていた。疲れきって彼の動きが止まると、ディレクターが「やれっ!やれっ!」とせきたてていた。その光景に私はとても衝撃を受けた。なぜなら先ほどの舞台を観て、ああやはり彼はどこか違う星から生まれてきたんだなぁと納得してしまっていたからだ。無心で打ち込む彼の姿は昔読んだキーロフが舞台になっているバレエ漫画の一場面をも思い起こさせた。彼の舞台に懸ける情熱と、溢れる程の才能に恵まれながら努力を惜しまない姿を目の当たりにして、この凍てつく氷点下の中でも出てきてよかったと心底思った。舞台装置が次々と消えていくマリンスキー劇場の中で心が解かされていくように温かくなっていった。
  一人、舞台に残された彼が稽古を終えて私を見つけると、やっと安堵の表情を見せた。そして「僕は疲れたよ」と言った。その瞬間、彼も人間なんだと理解した。

…………………
◆プロフィール
(たかはし・たくみ)
1981年北海道小樽市生まれ
1997年ロシア国立ワガノワバレエ学校でリューボフ・クナコワ、
   ナタリア・ドゥジンスカヤに師事
2004年ペテルブルグ国立ヤコブソンバレエ研修生
2005年レニングラード国立バレエに研修生
   エフゲニー・コスチレワ(クチュルク)に師事



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舞踊作家協会「伝統と創造 ~今を踊る~」芸術監督 河野潤

2005-12-05 16:24:02 | 舞踊、ダンス、舞踏、バレエ、日舞
舞踊作家協会「伝統と創造 ~今を踊る~」芸術監督 河野潤
                       吉田悠樹彦

 作家協会はラフな感覚があるのと、時折興味深い作品があることが特徴だ。機会によっては非常にマニア度が高い舞台にも接することができる。今回の公演は若手から中堅に掛けての作品がとても興味深い公演だった。今年は1年間このグループの舞台を見ることがなぜかなかったのだが、久々に接することができた。なかでも今回は特に若手の作品が興味深かった。
 「コワれた花園―私の中の砂時計―」(大栗千和)は手ごたえがある作品だった。大栗は過去にコンクールなどでも踊る姿が印象的な踊り手だった。これまでなかなか個の確立が見えなかったのだが、久々に接してみてその成長に驚かされた。白い踊り手たちが周囲を囲むなか、手に薔薇の花束を持った女(大栗)が立っている。女がゆっくりと手を動かしたかとおもうと、大きく動き、情景を描き出す。それに呼応をするように周囲の踊り手たちが動いたり、タイミングを合わせて声を上げたりする。花という寓意と時間感覚が生きた審美的な情景だ。踊り手は花束を大きくかざしたかと思うと茎を口元にあて花を食べるような仕草をみせる。藤原悦子のような現代的なタッチとも異なる、審美的な情景だ。砂時計が切れるようにふっと情景が消え去る。若干上演時間が短いようにも感じたのであるが、優れた作品である。この成長を活かしてさらに作品を出し続けてほしい。
 「age」はパフォーマンス的な作品である。踊り手(縫原寛子)はあまり動かず、少しづつ腕を動かしたり、片足を上げたりする。舞台の上を跳躍もせず、ゆっくりと歩き円状に軌跡を描いていく。素朴な発想を映えるようにしていたのは演出であり構成である。小劇場という空間だからこそ散漫な印象にならなかった作品であるといえる。
 「Several Edges」を構成・演出した神雄二は知る人ぞ知る作家。私はこの作品がはじめてだったが、ひねった感覚とヒューモアが心地良い作家である。紙袋をかぶった男女が舞台に現れる。警官、OL、サラリーマンなど様々な職業の人たちだ。紙袋には素朴な顔が描かれている。彼らは舞台を歩き回り、時折、日常生活の断片を描写する。Dadaや表現主義に多く見られるスタイルである。やがて使われている曲の中のリフにあたる“Come Out and Show”という言葉が執拗なまでに反復されるなか、彼らは紙袋を脱ぎ捨て踊り手たちが現れる。やがて80年代に流行ったテクノポップのような軽い曲調の曲に合わせてダンサーが踊り暖かい空気が流れ終演する。執拗なまでの音の反復が生む効果、そしてそのひねった表現に味わいがある。菊池直子による「感触」では作家の意外な一面を見ることができた。普段は藤原悦子作品や河野の作品でダイナミックに肉体を駆使して踊る菊池の本作は女性的で繊細なタッチだ。着物を着た菊池が下駄を片手に持ってゆらりゆらりと動く。結果として舞台いっぱいには重く歪んだ空間が形成された。菊池は洋舞の踊り手としてはベテランであるが、和の境地をさらに洗練させると作品の細部が活きてくる。
 「Deja vu」 (作・出演 村上クラーラ、神雄二、河野潤)はパフォーマンス的な作品だ。神同様にかなりひねった作品を発表する村上と神に河野が加わり3人で創作をした。舞台の上には白い箱が3つ置かれている。中央で大道芸人のような風貌の神が時にフランス語を口ずさんだり、時に言葉遊びをする横で、河野がいつもの自身の舞台で見せるようなポーズ、ピースサインなどを繰り出していく。村上はあまり踊りを見せないで、床に座り込んだりと2人にあまり絡まない。神のテイストが暖かく光景をまとめることで、この3つの異なった方向性をもつ作家達による作品を散漫にしない効果が生まれた。より焦点をフォーカスすることで、細部を際立たせることができるようにも感じた。
 公演全般を通してみて、おおらかな空気が漂っていたのは事実だが、よりシャープにまとめればさらに高い効果を生むように思う。(11月1日 ティアラこうとう小ホール)
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ニューヨーク・パブリックライブラリー・フォー・ザ・パフォーミング・アーツとその利用法

2005-11-15 19:08:23 | Weblog
ニューヨーク・パブリックライブラリー・フォー・ザ・パフォーミング・アーツとその利用法
                                檀原照和

 本年の11月9日、笠井 叡の"Gate for initiation (1975)"という作品を視聴するためニューヨーク・パブリックライブラリー・フォー・ザ・パフォーミング・アーツ(NYPLPA)を利用した。大勢のダンサーがニューヨークを訪れているにもかかわらず、このライブラリーに関する情報を目にすることがないのはどうしてだろう? 日本の舞台アーカイブ保存に関するモデルにもなりえるであろうNYPLPAに訪れるのは、絶対によい体験になるはずだ。ここに簡単な利用ガイドを記す。

・ロケーション
 NYPLPAは「世界最大の複合文化施設」といわれるリンカーン・センター(http://www.lincolncenter.org/index2.asp)内の一施設である。リンカーン・センターはメトロポリタン・オペラ・ハウスやニューヨーク・バレエ・シアターなど名だたる劇場の他に、ジュリアード音楽院なども擁している。巨大なので、予備知識がないと図書館までたどり着くのに難儀する。ややこしいことに10th Ave側にもニューヨーク・パブリックライブラリーの分館があるので間違えやすい。目指すNYPLPAは地上階からではなく、2階から入らないと行けない。
・館内
 1階(リンカーンセンター全体から見ると2階)の受付とずらっと並んだ検索用PCを通り過ぎ、突き当たりを右に折れると館外貸し出し用のビデオやCDを陳列した棚が待ちかまえている。貸し出しには当然カード(Access Card有料)が必要。しかし旅行者にもカードが作れるかどうかは不明だ。ビデオはレアなダンスや演劇からヨガや太極拳、娯楽ものまでいろいろ揃っている。もしあなたが留学生だったら絶対に利用するべきだ。この施設内には館外貸し出し用のビデオやCDを視聴するためのOA機器は存在しないので、自宅に持ち帰らないと一階の映像・音楽資料を楽しむことができない。
 2階に上がると膨大な資料が書架に収まっている。ここで資料に見入っているとあっという間に時間が過ぎてしまうだろう。このフロアにはロバート・ウィルソンの名を冠した音楽資料のコレクションもある。
 3階には広々としたビデオブース室(正式名称は Research Collection Reading Room/Jerome Robbins Dance Division, Music Division, Billy Rose Theatre Collection, Rodgers & Hammerstein Archives of Recorded Sound)がある。ここに入る前に係員に手荷物を預けよう。
 室内の検索機、あるいは自宅のPCからネット経由でNYPLPAの資料検索をしてプリントアウトしたものをカードと一緒に受付に持って行くと、ビデオを視聴することができる。ビデオはモニターの隣にあるコントロール画面で遠隔操作する。ビデオテープ自体はオペレーションルームにあるので私たちが直接触ることはない。
 ざっと書いただけだが、どうだろう。まずはNYPLPAのサイトから資料検索して、資料の充実ぶりを確かめてみることをお薦めする。

 NYPLPA公式URL:http://www.nypl.org/research/lpa/lpa.html
 リンカーンセンターの全体図 http://www.lincolncenter.org/visitor/map.asp?session=F73752B2-0C75-43F0-B116-C1DCD034DD4A&version=&ws=&bc=2
 リンカーンセンター内の図書館周辺図:添付画像
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オーケストラwithバレエ『剣の舞』

2005-11-15 18:41:07 | Weblog
オーケストラwithバレエ『剣の舞』
                              吉田悠樹彦

 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団と東京シティ・バレエ団は江東区と提携を結び、これまで芸術活動を繰り広げてきた。この企画は11回目を迎え、江東区のみならず東京という地域で生きる市民のための贅沢な催しとなった。
 今回の公演で上演された作品はいずれも現代社会でポピュラーな作品である。ヨハン・シュトラウスII世のオペレッタ『こうもり』序曲は市民からのリクエストが多かった曲。明るく透明感のあるこの楽曲の演奏で舞台は幕が明けた。続くボロディンの歌劇『イーゴリ公』より「ダッタン人の踊り」は、東欧の民族音楽が織り込まれた小さなメロディが全体を織り成す、民族音楽を活かした作品だ。有名な前曲と比べると、オーケストラファンのためのややマニアックな選曲である。
 近代日本に於いて西欧音楽が根付いたのはそれほど古いことではない。意外に感じるかもしれないが、音楽評論家の大田黒元雄やあらえびす(漢字表記は「荒夷」で本名野村胡堂。初期の代表的な音楽批評家の1人だが、一般的には本名であの「銭形平次」の生みの親として知られる)が活動をしていた大正時代は、一部の教養層の文化であった。それが次第に定着しだしたのは、昭和に入ってからである。日本のこのような近代音楽史が解明をされるのは、まだこれからである。
 この時代の代表的な音楽雑誌の1つである『音楽世界』(村松道弥編)には洋楽の譜面が多く掲載をされている。当時まだともにサイズが小さかった音楽界と舞踊界はお互いに距離が近かった。『音楽世界』には高田せい子など創生期の洋舞家も顔を見せる。冒頭の2曲や『剣の舞』は広く愛されてきた楽曲だ。その中にはモーツアルトやバッハといった大作家の曲のみならずこのような民族的な楽曲も見られる。石井漠の「アニトラの踊り」や伊藤道郎「ローテスランド」のようなオリエンタルダンスの名作を生み出してきた日本人には、このような民族的な曲調の音楽を愛する側面があるようだ。
 続くオーケストラwithバレエではハチャトゥリャンの楽曲をバレエが彩った。この作曲家は日本人の間でポピュラーな『剣の舞』の作者である。まだ日本で全幕演奏されたことはないバレエ音楽『ガイーヌ』から抜粋された内容を、石井清子が振り付けた。オリジナルは、旧ソ連のコルホーズの中の模範農夫となまけものの妻を描いた作品で、1942年にレニングラードで初演された。オリジナルでは3組曲の冒頭を飾るのが『剣の舞』である。
 初々しく「クルトの若者」が男女に分かれ、民族舞踊を披露する。若々しい踊り手たちの動きはフレッシュであり、時にはライン上の動きを織り成し、時には大きく舞台を彩る。バレエの発祥の地といわれる中央アジアの騎馬民族の世界を彷彿とさせる。続く「3人の踊り」で男性2人を相手に清楚な乙女を演じた上山千奈、「アルメンのヴァリエイション」で女性たちを背後に凛々しく表情豊かに踊る黄凱が見事だ。素朴な踊り手の表情は「ゴパック」のような民族色豊かなレパートリーで綴られる。やがて優雅で繊細な踊りの表情が印象的な志賀育恵と黄が切ないデュエットで「子守り歌」を踊る。息の合ったペアのコンビネーションと身体技能を活かしたリフトに客席が沸く。やがて女たちが現れ、タンバリンを打ち鳴らしながら「歓迎の踊り」を踊ったかと思えば、男たちの一群がそれぞれ手に手に剣を持って現れ、クライマックスの「剣の舞」がはじまる。刃と肉体がせめぎあう緊張感とスピード感のある動きが民族色の強い楽曲と融和する。この曲のスリリングな空気は明るく華やかな「バラの乙女の踊り」へと昇華され、情景は見事なバレエスペクタクルへと連なる。特に安達悦子は近年にない完成度の高い演技を見せ、朗らかで薫るような乙女のエロスを切れ味ある動きで描ききった。最後に踊り手たちが総出演で飾った「レズギンカ」と「フィナーレ」も観客を満足させるものだった。
 「ジゼル」や「白鳥の湖」の様なポピュラーなレパートリーとまた一味違うがこのバレエ音楽も日本人に愛される作品である。音楽と舞踊が融和をした休日の午後は実に贅沢なものだった。      
              (2005年10月16日、ティアラこうとう大ホール)
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「第32回ステージワン」

2005-10-11 13:13:25 | Weblog
「第32回ステージワン」
 (2005年10月1日、彩の国さいたま芸術劇場小ホール)
              吉田悠樹彦

 埼玉舞踊協会の主催するステージワンは今年で第32回を数える。埼玉という広大な地域の踊り手たちが作品を持ち寄り、場内はほぼ満席状態と盛り上がりを見せた。
 全体として、慣例化された振付にとらわれない構成に工夫をしたような作品が多かった。特に印象的だったのは次の作品である。空中から白いヴェールがかかっている中で、白い踊り手たちが光景を綴ったのが「きのうみた夢」(振付:吉田久美子)。踊り手たちは四肢を走らせ幻想世界を描いたかと思えば、それぞれが手に玉を取り、舞い走る。踊りのみならず舞台装置や演出が活きた明確な作品だ。舞台全体を1つの芸術として考えている姿勢に共感できる。「Opening night」(振付:若野信子)では、ドレスアップをした踊り手たちがリズミカルにダンススペクタクルを描いた。慣例化されたパターンに頼らず、細部まで丁寧に作られた群舞構成が良い。明るく空間に広がりがある群舞はダンスならではのものである。
 若手はそれぞれ経験が必要だが、フレッシュな作品を上演した。初めてのソロだが健闘を見せたのは小島弘子「真夜中の神曲」(振付:すずきよこ)だ。ドラマティックな作風だが若々しい感性が見える。渋谷佳奈・小宮夕佳「Re・born―再生―」では2人の踊り手たちが組み合わさり、別れ、共に踊る。詩的な作風はダンススペクタクルならではの美しい世界だ。いずれも舞台経験を積み、感性を磨きだすことが重要となるだろう。「眠れぬ夜」(振付:田中ひとみ)はエンターテイメント的な持ち味もある明るい群舞である。「月光の鯨」では抽象的な動きを使って幻想的な世界を描いた。「道しるべ」(監修:窪内絹子)もまたパターン化された群舞構成にとらわれない作品である。いずれも細部をさらに磨きこむことがポイントである。
 現代でもあまりない独創的な作品が杉山千鶴「詩をつくる李白」(振付:藤井公・利子)だ。月が輝く中、李白が自身の変遷してきた世界を顧みるように動きゆっくりと詩作をする。幻想的で伸びやかな東洋的な空気を持った作品だ。戦前の現代舞踊に見られる持ち味を感じた。
 ユーモラスな作風が活きていたのが「おめでたき人」(振付:藤井香)と「夜明け前」(振付:藤井公・利子)である。前者ではハワイアン、後者ではトランペットが奏でる民謡に合せて、踊り手たちがアブストラクトなテイストを持った群舞を披露する。戦後の現代舞踊の空気を感じさせる、よい意味で隙間のある、洒落た振付である。現代作家の精密すぎる振付世界にないゆとりとユーモアには愛すべき世界がある。
 特別出演の作品として、「雨の木」(振付:上田仁美)が上演された。暗闇の中から芭蕉のような巨大な樹木が現れる。アブストラクトなスチール性の大樹の下、踊り手たちが描くのは抽象的なムーブメントだ。関口淳子の躍動感あふれるしなやかな動きが心地よい。ピアノの音が鳴り止むと、木からいっせいに葉が床に向かって舞い落ちていく。大きな葉が落ちると空気が揺れる。踊り手は緊張感を引きずりながらも踊り続け、情景をはっきりと明確に観客の記憶に焼き付けていく。なにより明確な美意識を持った作家の作品である。彫刻の存在感と対比するような舞台空間に踊り手の肉体達がおかれている。相互の緊張感を高めることで、舞台という三次元を異次元に変容させることができるのではないか。肉体が織り出す情景で空間をしっとりと描くか、彫刻と肉体の対比から舞台全体の強度をいっそう上げることで、さらに効果が出るように感じた。
 終演後開かれたレセプションでは、1人1人の作家が批評家と話し合い、熱意のある場となった。埼玉は東京と隣接している地域の中で神奈川、茨城(特に水戸)と並んでダンスが盛んな地域だ。地域性を活かした舞踊文化の創出ということが1つのキーワードとなるだろう。例えば妻木律子は宇都宮でコミュニュティ・ダンスを追及している。伝統と現代ダンスのコンテクストの相互を活かした活動といえる。独自な活動の萌芽が生まれてくればしめたのものだ。
 脚注:すずきよこさんのお名前は「々の文字に濁点」ですが、フォントの問題でひらがなとさせて頂きました。
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ジャズダンス世界大会(シカゴ)参観

2005-09-13 14:42:58 | Weblog
Dance Report in the world
ジャズダンス世界大会(シカゴ)参観
                伊藤喜一郎

 アメリカジャズダンス界のゴッドファーザーといわれるガス・ジョルダーノ氏が主催する「ジャズダンス世界大会」が8月3日から7日まで、シカゴで開催された。
 1990年に始まり毎年8月米国や世界各地で行われ、日本でも1995年に名古屋で行われている。今回はジャズダンスの本場アメリカでの開催なので、劇場公演では国内から13団体が集まり、外国勢はローマと名古屋からの2団体だけだった。
 大会はダンス講習会、パネルディスカッション、振付コンクール、劇場でのプロの公演などがあり、大会本部のパーマーハウス・ヒルトンホテルの大広間3部屋での講習会、はジャズダンスやジャズバレエ、ヒップホップなどのレッスンで連日、朝から賑わっていた。広間の近くの廊下を歩くと、ジャズやロックのリズムが聞こえてきて楽しい気分になった。
 大会の眼目はハリス劇場でのプロの公演で、毎夜7団体が出演、4日とも別の作品が上演された。内容は多種多様で定番の伝統的な楽しいジャズダンスやタップダンスのほか、エスニックな音楽を使用するもの、日本の太鼓集団「鼓童」の音楽も2作品で踊られていた。スティーブ・ライヒのミニマルミュージックを用いた作品も2本あり、これなどはジャズダンスというよりモダンダンスじゃないかと思った。
 特に印象に残った作品あげると、インドの言葉に合せてソロでユーモラスに踊るニューヨークのRobert Battle振付のもの。それから男女2人だけのデュオ、小柄の女性を鞠でも扱うように自由自在にリフトしたり転がしたりと、今まで見たこともないリフトの連続で驚いたソルトレークのOdyssey Dance Theatreなど。
 日本から参加した名古屋の「Masasi Action Machine」三代真史ジャズ舞踊団は3作品を提供。「郡青」「響き」の題名でアメリカのジャズダンスとはひと味違った様式にアクロバットが加わりユニークな上演。アクロバットや倒立のポーズではキャーという驚声と大拍手。それと「ジャパニーズ・ビジネスマン」は全員黒のスーツに眼鏡(女性も男装)で猛烈社員を皮肉に描いたコミックダンスが笑いを呼んだ。このほか、三代氏は主催者の信用が厚く、ダンス講習会の指導、パネルディスカッションのパネラーなどにも起用され大忙しの毎日だった。サンタイムス(シカゴ)、ニューヨークタイムスからも取材を受け、注目される人物だった。
 パネルディスカッションには三代の師フランク・ハチェットなどアメリカのトップクラスの振付家や教師が参加した。三代のダンス講習会は満員、レッスンはアメリカンスタイルと違って東洋的と、教師投票No.1になった由。取材を受けたニューヨークタイムスの記事でも、西洋のダンステクニックに日本の精神を表現した「和魂洋才」の記述があった。
 舞台公演はいずれもレベルの高い作品で娯楽的要素より芸術的なものが多く、第1回から見ている人の話では近年、一層芸術的なものが多くなってきているそうである。例えばアフリカ系男性8名の力強くハイテクニックなダンスは、アルビン・エイリーを思わせるようで、音楽も坂本龍一とスティーブ・ライヒを用いていた。これはフィラデルフィアのPhiladancoの作品。娯楽的な楽しい作品としては、映画やミュージカルのヒットナンバーを使ったソルトレークのOdyssey Dance Theatre。レゲエの曲を使ったシカゴのHubbart Street 2、これは今流行のサルサなど新しいダンススタイルを取り入れ、腰をくねらせておどる新感覚のもの。ブルースの曲で、往年のジーン、ケリーのような粋な振りのJump Rhythm Jazz Project Cicagoなどがあった。
 どの舞踊団も個性的なのだが、シカゴのJoel Hall Dancersは日本の三代氏のスタイルによく似ていて、おまけに「鼓童」の太鼓の音楽を使用しており、三代氏に「よく似てますね」と聞いたら、昨年の大会の講習会の教師の時、教えた振りがそっくり使われているとのこと、これには参った。 技術的レベルが高い一例では、女性16名が一斉にピルエット3回転、空中ジャンプ1回転(トール・アン・レール)を一糸乱れず、そろってきれいに回ったのは見事だった。これはカリフォルニアの Tremaine Performance Companyである。主宰のJoe Tremaine氏はパネルディスカッションにも出席していた。
 大会の主催者ガス・ジョルダーノのGiordano Jazz Dance Chicagoの作品、「Giordano Moves」は氏の娘アンの振付で、長年培ったジョルダーノスタイルが踊られ、終わると、客席にいるガス氏に挨拶を送り、観客も全員が立ち上がって熱い拍手のエールを送った。

http://www.jazzdanceworldcongress.org/
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タナトスでコスプレ

2005-09-05 09:49:53 | Weblog
 9月3日のタナトス6のオープニングダンスアクト、本当に多くのお客さんに来ていただきました。ありがとうございます。
 40名のスペースに55以上という状況だったのと、残暑厳しい日だったので、みなさん、暑くてすみませんでした。
 企画協力者としては、小林嵯峨、岡田智代、JOU、目黒大路、譱戝大輔という人選はベストだったと思いました。というのはそれぞれが違ったタイプの舞台でありながら、身体をしっかり感じさせるものだったと思えるからです。
 舞台リポートなどは自分のサイトに書く予定です。
 踊って頂いた人たち、協力してくれた人たち、そして何より観客のみなさんに深く感謝いたします。
 写真は終ったパーティでポーズを撮るJOUさんです。
                                 志賀信夫
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公演情報など、自由に書き込んでください

2005-08-23 14:19:24 | Weblog
公演情報などあれば、ここにコメントの形で、自由に書き込んでください
よろしくお願いします
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舞踊批評家協会の公式サイト、始動しました

2005-08-22 14:51:37 | Weblog
舞踊批評家協会の公式サイト始動しました
http://dcsjp.hp.infoseek.co.jp/index.htm
このブログとリンクして、展開する予定です
よろしくお願いします

なおmixiに加入されている方には、そちらにも広報サイトをおいています
http://mixi.jp/view_community.pl?id=220050
mixiに参加を希望される方、当方宛にメールをお願いします

             志賀信夫
     shiga-nobuo@jicp.co.jp
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管理人です

2005-07-05 19:51:17 | Weblog
管理人は他にこのサイトを作っています
よろしくお願いします
http://www.geocities.jp/butohart/
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第36回舞踊批評家協会賞授賞式

2005-06-02 21:11:20 | 舞踊、ダンス、舞踏、バレエ、日舞
2005年4月23日、舞踊批評賞授賞式がNHK青山荘で開かれました。バレエ、日舞、コンテンポラリー、ジャズダンス、舞踏などから大賞、新人賞8人が受賞しました。
  この賞は2004年に行われた日本舞踊、バレエ、ダンス、民族舞踊などすべての舞踊の舞台を対象としています。これまで36年間には土方巽、大野一雄などの舞踏家、森下洋子などのバレエダンサーや日舞の人間国宝の方々など、多くが受賞、また近年は新人賞をもうけています。
 受賞されたみなさま、おめでとうございます。

【舞踊批評家協会賞】
・NBAバレエ団
・五井輝
・名倉加代子ジャズダンス・スタジオ
・バレエ シャンブルウエスト
・山村楽正
【舞踊批評家協会新人賞】
・岩淵多喜子
・上村なおか
・工藤丈輝
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