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弓削道鏡

2008年07月17日 | 【寺社と坊主の話】

弓削道鏡について

 弓削道鏡、妖僧、怪僧と言われる術師です。女帝孝謙上皇は、道鏡と密会を重ね翻弄され言いなりになったと言われています。道鏡は、天皇になりたかったのでしょうか。
 板東5番勝福寺の十一面観音(飯泉観音)は、鑑真和上が唐より持参したものです。孝謙天皇から弓削道鏡に渡りここ勝福寺に安置されたものです。北条氏の庇護の元長年繁栄してきたため、二宮尊徳や曾我兄弟、雷電為右衛門の話など多くの伝説が残っている寺でもあります。
おそらくこの十一面観音菩薩は、鑑真和上から献上されたものですから孝謙上皇の稔侍仏であったと思われます。それをいとも簡単に取り上げる程の道鏡、その増長ぶりは天皇家をも恐れさせた人物でしょう。
 良弁が祈祷に長けた道鏡を天皇家、公家に引き込んだらしく、良弁も見る目がなかったんでしょうね。高僧も人の心の中までは見れなかったんでしょう。道鏡天皇の存在すらあったでしょう。事実、聖徳太子に並ぶ法王の地位にまで上り詰めています。加持祈祷を得意とする道鏡の修行の場が、役小角が修行の場とした葛城山です。つまり、役小角と道鏡の関係は、強い結びつきであったと思われます。強い野望を持っていた役小角の意志を継いだ道鏡が密教まがいのことをし大和の国に多大な影響を与え翻弄してきたのです。
 道鏡は、失脚後に下野の国(栃木県)薬師寺の別当として東国で死亡した。地方の弓削氏に生まれた色男が、生きる術を覚え、権力者に取り入り頂点にまで上り詰めた成れの果てが何処なのか調べて訪ねてみたい気がします。栃木県西方町金井に薬師堂と言うのがありますが・・・何処なんでしょうか。
 役小角と同じく東国へ流された道鏡、山岳密教として名を残した役小角のように何らかの道鏡としての足跡を残せなかった。孝謙天皇に我が子を産ませて天皇に着かせるような男系の天皇制を変えるようなこともなく、権力を維持することもなく消滅した道鏡、所詮は単なる詐欺師、ペテン師の色男だっただけに過ぎない人物なのです。
「弓削道鏡よ 哀れなり。」

 


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