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「中国 王朝の至宝」展へ。

2013年08月16日 | Art
○中国 王朝の至宝
 九州国立博物館【福岡県太宰府市】

この夏の九博は「中国 王朝の至宝」展。
日中国交正常化40周年記念の展覧会、東京から各所巡回してきて、いよいよ九州へ。
紀元前より南宋時代まで、およそ3000年にわたる王朝の変遷を、
さまざまな出土品、工芸品などを通じ年代を追って紹介しています。
年代順に6章に分けてタイトルが付けられ、
丁寧な解説とともに展示品が並んでいます。

お盆の期間だったので超混雑を覚悟しましたが、
開館直後の時間帯のせいか、予想したほどではなく、
比較的ゆっくり見学することができました。


【第1章】王朝の曙 「蜀」と「夏・殷」

紀元前2000年~、と聞いても想像がつきませんが、
そんな大昔(日本ではかろうじて「縄文時代」)に
大陸では複数の地域でこれだけの作品を残せる文化が育っていたことを思い、
一瞬ふらっとしたのは猛暑のせいだけではないでしょう。
長江上流域の四川盆地では「蜀」と呼ばれる古代王国が栄え、
もう少し北の黄河中流域(中原)には同時期、
「夏」や「殷」と呼ばれる王朝が存在したそうです。


「蜀」で特徴的な黄金の仮面です。
実物は小さくて華奢、何かに貼付ける形で使用したのでは?とのことですが、
神か人か、不思議に静かな気持ちになります。


「殷」の遺跡から出た、お酒を温めるのに使った器とのこと。
3本脚、取っ手と注ぎ口の位置も皆同じ。ということは、
右手で持ち、左側の杯に注ぐ、という作法(?)が確立していた、ということ(らしい)。
なるほど、今後そうして注ぐときには中国4000年の歴史を思うことにします。


【第2章】群雄の輝き 「楚」と「斉・魯」

まだ紀元前400年~あたり。
統一王朝はまだなく、群雄割拠する世の中、文化の面でも多様な特徴が見られます。
長江中流域では、「楚」王朝が繁栄、素朴で神秘的な信仰が存在。
中原ではいわゆる正統派の流れを汲む(と言っていいのかな)「斉」や「魯」が栄え、
孔子をはじめとする諸子百家が活躍しました。


「楚」遺跡から出土した、「羽人」と呼ばれる木(漆)製の立像です。画像はその上部。
全体像は、うずくまる動物の上に羽根を広げた鳥が立ち、
その頭にこの片足の鳥人(?)が乗っているのです。なんとも奇妙。
でも異形ながら透けて見える信仰はとても人間的な気がして、
不思議な魅力を感じる作品なのでした。


こちらは青銅製の酒器。背部分に取っ手があるのでそこからお酒を入れるのでしょう。
愛嬌のあるお顔です。安定感もばっちり。
この時代、こうした酒器は宮廷内でよく使われていたようで、
「野外で用いるのは礼にそむく」と孔子がわざわざ書き残しているんだそうです。


【第3章】初めての統一王朝 「秦」と「漢」

広大な中国全土が初めてひとつの勢力下に置かれたのは紀元前200年頃、「秦」です。
短命に終わった秦王朝のあとは、
「漢」が引き継ぐ形でのべ400年にわたる比較的安定した時代を築き、
その後も脈々と続いていく中国王朝の礎となったのです。


2頭の青銅製の龍が絡み合うこの像は、
尾の部分に残る穴から、何かの土台になっていたと考えられるそうですが、
大きさも相まって大変な迫力で、とても素通りできないインパクトでした。
解説によれば、本来はさらにあと2頭、合計4頭の像だったそうで、
見てみたいような、見るのが怖いような。


「秦」と言えば始皇帝・・生前から陵墓をつくり、
死後の自分の守護用におびただしい数の兵士や動物の人形を並べた「兵馬俑」、
ということは知っていました。兵馬俑、初めて目の当たりに。
今回、何点か展示されていましたが、ポーズや表情も個々異なるもののどれも非常に写実的で、
何千体もこのような像を造らせてしまえる権力に何とも言葉がありません。


【第4章】南北の拮抗 「北朝」と「南朝」

漢のあとは三国時代などを経て、5~6世紀は、
北は北魏などが、シルクロードからの外来文化の刺激を受け、
南には南京を首都とする文化的に安定した時代が300年近く続きました。
ここでも対照的な2つの文化です。

画像がないのですが、5世紀頃の北魏地方の出土品で、
葡萄や童子が浮き彫りになった青銅器(鍍金銀)の杯が展示されていました。
酒器にこのデザインならギリシャ神話の影響、というのは、
シルクロードの解説のまさに王道、身近な器にちょっぴり嬉しい私でした。


【第5章】世界定刻の出現 「唐」~長安と洛陽~

安定した政治のもと、国際色豊かで華麗な文化が花開いた唐は、
日本をはじめとする周辺各国からの献上品も多く、交易面でも活気あふれました。
仏教界も隆盛し、日本からも遣唐使が幾度も渡ったことが知られています。
今回は、都の長安と、副都洛陽の文物が取り上げられていました。

これは長安から出土した大理石の仏像。躍動感ありますね。


【第6章】近代の胎動 「遼」と「宋」

唐のあとの混乱を収めたのは「宋」ですが、
同じ頃北部では、遊牧民族を主とする契丹族が勢力をのばし「遼」」となりました。
宋が中国伝統の文化を踏襲しより深めていったのに対し、
遼は民族的なカラーをもつ独特な魅力ある文化を発展させていきました。

遼の仮面です。
貴族の墓から出た銀製のもので、墓の主の顔にかぶせたと考えられるそうです。
デスマスクでしょうか、非常に肉感的で臨場感があり、興味をそそられます。


今回の特別展は、あまりにも長い年代を一気に紹介しているため、
歴史的背景の解説と、たくさんの貴重な展示品の迫力に圧倒され、
実は最初のうち、私のボンヤリアタマになかなか浸透してくれなかったのです(涙)。
でも、ひとつひとつの展示品そのものが魅力的なので、
途中からは作品鑑賞と割り切って見学するようにしたら、非常に楽しめました。

個人的にはやはり古い年代のものや、北方騎馬民族系の文化により興味をもちました。
根が単純なので、素朴で多少無骨でも、解明されていない謎や不思議に惹かれます。

今回のような、巡回展覧会だと九博オリジナルカラーを出すのは難しいでしょうが、
私はやはり、テーマがはっきりした「狭く深い」企画展が好きなのかもしれません。

最後に、特別展示品が紹介されていました。

「阿育王塔」北宋時代、高さは1メートル以上もある大型の仏塔です。
珍しいのはその大きさだけではなく、豪奢な装飾、内部に納められた貴重な品々、
そして仏塔四面に彫られた精緻な図像など、どれをとっても圧倒的な「破格の仏塔」。
貴重な見学の機会を嬉しく思いました。


☆九州国立博物館「中国 王朝の至宝」展は9月16日(月・祝)まで。

※この記事はぶろぐるぽにエントリーしています。
また、記事中の写真は九州国立博物館さまよりご提供いただきました。
転載はご遠慮ください。
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