昔むかし、そのまた昔、の大昔。もっと昔の話かもしれません。
岳山という名の二つの山があったそうです。
一つは、玉ノ井村(今の大玉村)に大きな岳山(今の安達太良山)、
もう一つの岳山は、白岩村(後の白沢村 現本宮市)に小さな岳山がありました。
ある時、一人の旅人が、白岩村の方から玉ノ井村へとやってきて、
「おや、お前も岳山というのか。白岩村にも小さな岳山があったよ。」
と、いいました。
玉ノ井村の岳山は、自分だけが岳山だと思っていたのに、もう一つあると聞き、
「なんてこった。岳山とはおれ様だけのことだ。」
と、大層腹を立て怒ってしまいました。
そして、「おーい。そっちの岳山なんて、小っちゃいくせに、生意気だぞ。おれが、本当の岳山だ。」と、恕鳴りました。
すると、白岩村の小さい岳山も負けずに、
「おれ様だって、岳山だぞ。岳山とは、おれの名前だぞ。」と、言い返しました。
また、大きな岳山は、「なんだと。小さいくせに生意気なやつ。」と、言うと、
小さい岳山も、「なんだと。大きいくせに生意気に何を言っている。」と、
負けずに言い返しました。
そんなやりとりをしているうちに、とうとう、大きな岳山は頭にきて、
そばにあった硅石を、小さな岳山めがけて投げつけました。
小さな岳山も負けてはいません。
そばにあった地竹を、大きな岳山めがけて投げ返しました。
二つの山は、とうとうけんかになり、
しばらくの間、硅石と地竹の投げあいが続きました。
そんな訳で、二つの村の間にある町や村には、沢山の硅石や地竹が落ちてきたそうです。
本宮町では、硅石をさけながら、近くに落ちた地竹をたくさん拾ったので、
野菜を買わなくてもすんだほどだとの事です。
何日も何日もけんかが続き、もう投げる硅石も地竹もなくなってしまうと、
二つの岳山は疲れきってしまい、もうけんかをやる気力もなくなってしまいました。
そのうちに、玉ノ井村の岳山が、
「おーい。お前には、地竹があるで岳(嶽)山、(たけやま)うちの方は、岳山(だけやま)と呼ぶことにするがどうだ。」と、呼びかけると、
白岩村の岳山も、
「よかんべえ。」と、答えたので、けんかもおさまり、それからは、玉ノ井村の岳山を「だけやま」、白岩村の岳山を「たけやま」と、呼ぶようになたそうです。
また、そのとき、玉ノ井村の岳山で投げた硅石が、今では白岩村の岳山でとれ、白岩村の岳山で投げた地竹が、今では玉ノ井村の岳山でとれるということです。
このお話は、私が安達太良小学校の読み聞かせで児童たちにした昔話です。
安達野の昔話として、現在の大玉村と本宮市(旧白沢村)に伝わる昔話です。
今回、このお話を子供達の前でするにあたり、岳山登山を致しました。
岳山は、安達地方の南に位置し、二本松駅からは、車で40分位のところにあります。
現在は、整備されて管理棟(ふれあい実習館)が置かれ、キャンプ場・釣場もあります。
硅岩とは、主として石英の粒から成る堆積岩またはそれが変成された変成岩です。
質は緻密で硬く、色は白・灰・赤など。
ガラス・耐火レンガ、陶磁器の原料(広辞苑)とのこと。
白沢村の硅石鉱山はすでに廃坑となっています。
では、駐車場から登山開始です。
整備された舗装路から落葉の登山道へ
着きました!!!
標高413.4m 二等三角点峰、岳山山頂到 踏破です!
登山開始より15分です!
山頂となりには、麓山神社があり、祠のとなりは石碑がありました。
石碑の内容を説明します。
嶽山共有林解散記念碑
嶽山共有林は嶽山の北西部に位置する山林で、
権利者183人の共有財産として維持管理してきた。
この里山は農耕用水の供給源であり、
立木は薪 炭 とするなど里人の生活に密接な関係を持つ山林で、
古くから麓山信仰の聖地として大切に保護されて来たところである。
世話人を中心に権利者の奉仕により松杉を植林し、
下刈りに汗を流し、森林を育成してきた。
昭和に入っては、軍の要請で硅石を供出し、
戦後は産業資源として発掘するなど山容は変化したが、
共有林として今日に至った。
平成元年白沢村が、ふれあいとやすらぎの森整備事業等により、
森林公園を造成する目的で嶽山共有林を取得したい旨申し入れがあり、
世話人、地権者会を幾度も開き、村の方針に協力することに決定した。
ここに岳山共有林300有余年の歴史を閉じるに際して、
先人の遺訓を受け継ぎ伝えて後世の為にと
維持管理に尽力された多くの方々に敬意を表し感謝の意を込めて
山頂にこの碑を建てた次第である。
平成4年3月31日
建立 嶽山共有林委員会
とありました。
「岳山と岳(嶽)山のけんか」という昔話は、親しくて尊い里山を語り継ぐお話
と感じた登山でした。