イテオロジカル・マンマンデー「極私的映画談義」などなど

俳句もやります。ときどき発表します。あてずっぽーな批評もします。だって、おもしろいんだもん。

新感覚の夕べ

2017-06-11 12:56:45 | 日記
新感覚の夕べ

 朝からの雨が午後早くには止んだので、ヘルパー付きの温泉――じつは長野・野沢の湯の色と香りのする入浴剤入りの拙宅の風呂場――で「シヤワセなら手をたたコー」をひとしきり唸ったあと、買物と運動をかねて駅までの坂道を下っていったと思いなせえ―ー

 むこうから、ゆるゆる近づいてくる人影一つ・・・、女の人だ。たまげたことに、片方(左)のニューボーを全面的に、行き交う者どもの目にさらしつつ、微笑みつつ、坂を登ってくるではないか。すれ違う瞬間、ぼくは、「プヘー」と喉を鳴らしてしまった。その物体はダイレクトに外気に触れているのではない。紗のようなもので覆っているが、全体の形態は明確に見てとれる。杵き立ての、長く垂れた鏡餅に似ている。チャイナ服を思わせる水色のロングドレスに日傘を差して、徐々に離れていく。空は六月、みずあさぎ。

 ゆっくり歩いているようでも、杖が頼りの病人(?)とくらべれば急行並みだ。ぼくはいま一度振り返ってみた。もはやその顔は見えないが、いったいどこまで行くのだろうか。ぼくの耳には届いてないが、噂の種になっているのかしら? そもそも、どういうつもりなのだろう、警察は何をしておるのかっ! いやいや、法の番人は黙っていて頂戴。そろそろ下校する女子高生たちの姿はまばらになってきたが、目に止まってみなさい、さぞかしけたたましい笑い声で冷やかすのだろうな。けしからん、早く自宅へ戻りなさい!!

 きっと、深いわけがあるに違いない。いつぞや渋谷駅前の横断歩道を軍隊式の歩調でやってきた赤毛のご婦人は、打ち出されるのを待つ2発の砲弾を胸に抱えてござった。取り巻きらしい男たちが必死に止めようとしているらしいが、ミス・キャノンボール(仮の名)を止められるものは一人もいなかった。一行はそのまま改札を潜り、ホームへのエスカレーターで消えた。ぼくは、道端の新聞売り場のオバハンをつかまえて、「あれ、ナンですか」と訊いたのだった。「ブラウニーだよ」と言う。「ブラウニー?」「ああ、ブラウニーさ。」「英語で妖精ってことだけど、どうして妖精なんだろう?」「あたしにゃ、わかんないね。」

 結局ブラウニーの正体はハッキリしないまま、キャノンボールの印象ばかりが後を曳いた。ああまでドライなエロティシズムは見たことがない。今日の話に戻ると、嫣然とあゆむ空気の塊、とでも呼びたくなる画材だ。ウェットでありながら乾いている。正体不明の歩く幽霊を、このままほうっておいて良いのだろうか。いったい、それ以外に何が出来る? せいぜい下手な俳句を二つ三つ手帳に書き付けてしまえば、おわり。

   観念的バス停のオブジェ裸婦の春
   海牛の虹吐く姿浮いて来い
                
おわり。