イテオロジカル・マンマンデー「極私的映画談義」などなど

俳句もやります。ときどき発表します。あてずっぽーな批評もします。だって、おもしろいんだもん。

雁は高みを飛翔する <谷川雁スケッチ>

2017-06-19 12:10:21 | 極私的映画談義
越前ガニと雁

 入社したての、まだ青い私は、たまに見かける背の高い人が谷川雁その人だと知りつつも、何か居場所が不思議で、どういう性格の人だろうかと考えずにはいられなかった。いつも柔らかそうなマフラーを巻き、形の良いソフトをかぶっている。靴はピカピカ。ネクタイはたまに曲っていることもあるが、大事に育てられた人なのだろうなとあたりをつけた。もしかして、エピキュリアン?
 昔の外国映画に出てくるのは、部屋に取り寄せたコーヒーを嗜み、出たばかりの芝居関係の本を片端から読みとばしては屑篭に突っ込むタイプ。自慢もするし、目くらましも得意。人生の総てをエレガントにやってのけたいヒト、享楽主義者。雁さんが? いやいや、私はそういう呼び方はしなかった。会社役員と新入社員の間柄では、「谷川さん」でもいささか親しみすぎると思えた。
 そのときは、テック新入社員数名が谷川邸に招かれた。祝入社というわけだった。たしか赤堤時代だったと思う。振舞われたのは生きのいいカニ。立ち上がろうともがき、はさみを動かして威嚇しているつもりの十匹ばかりを、私たちは夢中でむさぼったものだ。谷川さんは、ことのほか上機嫌で、即席の句会に転じ、「きみも出せよ。腰折れでいいのだ」と催促。私は「越前のかに食い尽くすをのこかな」などと書き付けながら、エピキュリアンとはいいものだと思いましたね。しかし、そんな紳士がどうして、石炭をかじっても生き抜こうという労働者組合の指導をしたりするのか。そこが、わっからないのヨー。
 もうひとつ、今でも不思議なのは、会社の入社式の豪勢さ。新橋の超有名店で生バンドつき立食式で行われましたのであります。私なんて、このとき初めてナマ春巻きなるものをいただきましたですもんね。社長の榊原陽氏が、青い背広姿で祝辞を述べ、新人たちと握手して式は終わりだったが、その席に谷川さんがいた記憶がない。なぜだろう。



オッペルと雁

 月に一度配本される『校本宮澤賢治全集』を、たまたま私と谷川さんが同じ書店で予約購読していたことは、『現代詩手帖』にもう書いた。そんなある朝、「高野君、ちょっと」とお声がかかった。「おはようございます。なにか・・・?」「あのな、オッペルがいなくなったよ。」
 私は思わずニヤニヤしてしまった。賢治童話が話題になると、誰しもほっとして頬の皮がたるむ。。
「アー、ハイ、オッペルはいなくなりました。」私は何も知らずに答えていた、物語の語り手になったつもりで。すると谷川さんの顔色が変わった。「それがマチガイだったのだよ、マチガイも間違い、とんでもないミステイク。」まだ帽子をかぶったまま、説明してくれた。「校本全集では、オッペルをやめてオツベルにすることにきめたよ。」弁当箱より大きな全集の一冊を睨みつけながら、必要もないのにヒソヒソ声で。
「エエ、ハイ・・・えええーっ!?」私は心底驚いた。これまで『オッペルと象』というタイトルで知られていた作品が、初出誌にもとづく校訂の結果、『オツベルと象』になる、らしいのだ。私は、配本になったばかりらしい全集の一巻を早く見たくて身震いした。
 珍しくも分かりやすい因果応報の物語、その主人公オッペルが〈オツベル〉になる? 賢治研究の基幹テクストになる全集でそれをやられると、「参っちゃうんだよなあ」と、もう谷川さんは笑顔を取り戻しておっしゃった。子どもたちに大人も交えて開く月一回の集まりで、だったと思うが、谷川さんは〈オッペル、イコール、オペラ〉説に組した発言をされていたのだ。それなのに、谷川式説得力をもってしても相手がオツベルでは、オペラが名前の元になっているとは言えないではないか。
 同様に、私にも説があった。まだ若いころ、世に言う〈駄菓子屋〉には〈オッペシ〉と称するゲームがあった。押せば穴あく小箱を選ぶだけの、ミニ賭博だが、このネーミングが素晴らしい。島根あたりではこうは言わなかったが、花巻のほうでは使ったかもしれない。それを確かめる気力も失せた。オツベルではペシが迷子になってしまう。半濁点が濁点に変わるとどうなるか。えばっていても、お仕舞いペシっと押しつぶされてしまうつまらない男がいただけの話で、いじめられる側の象の哀しみの〈重さ〉が見えてこないではないか。
 口惜しがりの谷川さんは、ちゃっかり、ご本『賢治初期童話考』の中でオペラ説を披瀝しておられる(151ページ)。1973年の頃のお話です。



完成記念の歓声

 おそらくは、みょーに子供っぽいところがあるせいで、組合員からも好かれた、というのがホントのところだろう。自宅で英会話を勉強するときに相手になってくれる器械を貸し出してリース料を頂くー―これがテックの新商売。その心臓が「ラボ機」と呼ばれる特許マシンだ。テープも特別で、何度も繰り返す発声練習に耐えるように、並みのカセットテープの5倍も幅が広い。初代マシンが改良されて卓上に置くタイプが主力だったが、そのまた改良版、ポータブル・タイプがお目見えするときが来た。このプロジェクトは、他社との競合を恐れてか、極秘裏に進められた。谷川さんは、新ラボ機にニックネームをつけ、それを自ら宣伝するのに熱心だった。
 社員朝会でお披露目と決まった。大きめの重箱ほどのルーキーは、谷川専務の腕にすがって登場し、谷川さんはその腕を高く振り上げた。満面の笑み。拍手。しかし、新機種のニックネームが〈スリーナインズ〉だったのには驚いた。専務の案だそうだ。松本零士はオーケイしたのだろうが、いったい、なんで〈999〉なの? 社員スズメの不審顔をよそに、その人はニコニコ、ニコニコ、役員室へと戻っていった。いまだにその謎は解けていない。




高野射手男の値段

 かねて噂の組合分裂のときが来た。社長からの差し回しで、地方支社にワラジを脱いでいる成績優良社員はすべて本社勤務となり、まず争議の背骨がすらりと抜かれた。残る若手は夜毎に作戦会議と称して合宿し、女子隊の手料理を褒め称えたりしていた。「諸君、これは戦争だからな」通りがかりに谷川さんは、必要もないヒソヒソ声でささやいては、たばこをプカリとふかした。闘争を通じてこの〈戦争〉というセリフだけが、今も懐かしく思い出される。
 労働争議といっても、暴力的シーンは起こりようがなかった。組合員でも役員でもないただの平社員の私たちは、遅れていくシゴトの方が気になって、バリケードの張り巡らされたドアの陰で校正したりしていた。やがて第二組合が誕生、皆闘争に飽き飽きしてきたらしかった。
 〈戦争〉というのは本当だった。ある日突然、社長は谷川専務を解任したのだ。たちまち労働者たちは3派に割れて争った。専務派は、東大総長の高名な教授を仲介役にたててねばったが、舞台は裁判所に。当時はラボ・システムにも新しい風が吹いて、それまでは他社の出した絵本が教材だったのを、オリジナルで推進しようという専務派に対し、社長らは多言語理論を発明して旗を掲げた。「そうでないよ、せいの高いのがえらいんだよ」「だめだい、頭のつぶれたような奴がイチバンさ」などとドングリさながらの大騒ぎ。当時は賢治はまだ表舞台に現れていませんでしたので、ここはパロディだけにしておきますが。

 首になった谷川さんについて会社をオン出た〈戦友〉たちは、それぞれに今後の生きる道を決めなければいけなかった。私は、翻訳の仕事でも探すかと、あちこちへ手紙を書いてみた。ただし常磐線沿線でないといろいろ不便だ。とにかく、職は、必要なときには消えて見えなくなるものだ。いま思い返すと笑ってしまうが、新開業したホテルに履歴書を送っても見たが、返送されてきた。
 しばらく黒姫に引っ込んでいた谷川さんから「上京するので昼飯でも食おう」と言ってみえたので、マツダ映画での試写会をあきらめて、ホテルに向かった。差し向かいで食事するなんて、前代未聞のことである。このときのメニューは憶えていない。どうせ、ホテルのランチに決まっているが、谷川さんがラーメンをオーダーしたのにはビックリ魂消たことは、はっきり覚えている。
「学校出て新聞社に入ったとき、おれは奴隷に売られたのだと思ったよ。」に始まり、「いよいよ宮澤賢治をやるぞ。『銀河鉄道』もやる。」と結んだスピーチの間じゅう、私よりも谷川さんの方が興奮していたかもしれない。〈十代の会〉の構想を描いてみせてから、専務派に組した事務局員やテューターや大学生たちも読める機関紙を出そうと言った。「君は、さしづめ、工場長というところだな。」
 これ、分かりますか? 工場って何だい? 難題だなあ。
 何故〈編集長〉と言わないのだろう?
 聞きたいことがさまざまあって、コーヒーが冷めてしまった。
 と、居住まいを正した谷川さんの声がした。
「十代の会に参加するということは、自分を売るということだよ。君はいくらで売るね」
 あー、そうなのか。
 私は咄嗟に「30万円でいかがでしょうか、月にですけど。」と答えた。
 谷川さんは虚を突かれたのか、しばらくじっと固まっていたが、思い切ったように「よし。いっしょにやろうぜぃ」と、どこかベランメイな口調でけりをつけ、上着を脱いだ。

 私は知らなかったが、「十代の会」の同人、つまり根本順吉先生、C. W. ニコル氏、間宮芳生さん、高松次郎さんたちは〈身を売った〉のではなかったらしい。どなたも手弁当で励んでくださったのだった。
 私の値段は、ついに変わらなかった。それでもナントカして〈ボーナス〉を支給したいと、谷川さんは私のためのアルバイトを探してくれた。『ピーター・パン』の新訳である。ラボ版が戯曲を元に再話したものなのに対し、『ピーターとウェンディ』を読むための本を作ろうというのだ。このとき参照した本が今も私の手元にあるが、思わぬ幸運に舞い上がった私は、まるでバリ全集を編むような勢いで古本屋通いをしたものだ。このときの愉快な日々については書いたことがある。だが、反面、苦い思い出を残すハメともなった。神田の古書店で、なんと、バリ全集を見つけてしまったのだ。私は母に頭をさげて借りた10万円を、これの支払いに当てた。そして、まだ返していない。本が出来たら10万円はテューターの会に寄付してくれよ、と谷川さんに釘を打たれていたのだ。(未完)



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