竹取の翁の長歌の終わりはこうである。
(はしきやし 今日やも子らに いさとや 思はえてある) 何ともそれがまあ、今では君たちに、いやな爺と思われているのだ。(いにしへの 賢しき人も 後の世の 鑑にせむと 老人を 送りし車 持ち帰りけり) 君たちは知っているかな、昔、おじいさんを手押し車に乗せて捨てに行かされた孝行息子が、その車を持ち帰って、今度はお父さんもこの車で山に送ってあげるからねと、そう命じた父を諫めた話を。すべては他人事ではないんだよ。
憶良の「哀世間難住歌」の終わりもよく似ている。 (手束杖 腰にたがねて か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ 老よし男は かくのみならし たまきはる 命惜しけど 為むすべもなし) 杖を頼りにあっちへ行けば、人に厭われ、こっちへ行けば人に邪険にされ、年寄りなんてそんなものだ。長生きはしたいが、どうしたらよいものやら。
旅人もまた老いの繰り言のような歌を残している。
我が盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまた変若めやも(847)
わがさかり,いたくくたちぬ,くもにとぶ,くすりはむとも,またをちめやも
(雲に飛ぶ薬)は、いわば変若水であろう。こうなってはもう、今更そんなものを飲んでみてもはじまらないといっている。同時に、(雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき我が身また変若ぬべし)とも詠っているので、太宰府にいた頃のことで、六十代半ばである。もっとも旅人は都に帰って、若返るどころか、ほどなく六十七で生涯を終えている。
こうして三つ並べてみると、いずれも老いをテーマにしているものの、「竹取の翁」が一番発想がのびやかで、これが不老不死の神仙思想と一体になって、本格的な空想小説「竹取物語」に発展していったとしても不思議はない。
よく知られているかぐや姫の竹取物語は、最後に不死の仙薬が登場する、老いをテーマとした、いわば老人文学である。これは後に触れる。
竹取の翁とは対照的に、政治に未練を残した旅人や、生活者憶良の目は現実の方により多く注がれており、憶良については、その教養の柱は仏教と儒教であり、神仙思想に遊ぶ余裕はあまり感じ取れない。「竹取の翁」の作者まで憶良に比定するのは見当違いであろう。
憶良に「令反惑情情歌」(惑情を反さしむる歌)」があり、これも「或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 蓋是亡命山澤之民(一部略)」というような漢文の序がついている。父母や妻子を顧みない、鼻息ばかりの俗物で、修行と称して山野に逃れている、そんな輩の迷いを正してやりたいと言う。
父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し 世間は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は 石木より なり出し人か 汝が名告らさね 天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか(800)
ちちははを,みればたふとし,めこみれば,めぐしうつくし,よのなかは,かくぞことわり,もちどりの,かからはしもよ,ゆくへしらねば,うけぐつを,ぬきつるごとく,ふみぬきて,ゆくちふひとは,いはきより,なりでしひとか,ながなのらさね,あめへゆかば,ながまにまに,つちならば,おほきみいます,このてらす,ひつきのしたは,あまくもの,むかぶすきはみ,たにぐくの,さわたるきはみ,きこしをす,くにのまほらぞ,かにかくに,ほしきまにまに,しかにはあらじか
ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに(801)
ひさかたの,あまぢはとほし,なほなほに,いへにかへりて,なりをしまさに
優秀な官吏であり、生真面目な下級貴族の目には、律令の枠を越え、勝手に出家を志す私度僧の横行は無節操な、いかがわしいものに見えたとしても仕方がない。憶良の仏教思想はその点やはり教養の範囲に留まる。この流れがやがて大仏の建立に至る、時代を揺るがす、新たな民衆仏教のうねりであることは憶良らの理解を超えている。憶良には、領民に正業を勧める筑前国守として立場もある。
しかし、憶良の「父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し」の生活感情の健やかな響きだけは、時代を超えてどこまでも伝わって行く。この「令反惑情情歌」に続く「思子等歌」の、「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ」もまた同様であり、互いに響き合って、時代に関わりなく動かしようのない何者かに形を与えており、新しいと言えば、これ以上に新しいものは何もない。
短歌の方の(家に帰りて業を為まさに) 家に帰ってまっとうに働くことだよ、にも同様な響きがあり、これも動かしようがない。憶良から千幾百年、昨今引きこもったり、その他諸々、若きを前に、力なくそうつぶやく親の何と多いことか。
ごくどうが帰りて畑をうちこくる 小松月尚
(つづく)