今回は、バス釣行の途中に史跡散策をした。
「大生古墳群」は、茨城県潮来市大生周辺の大生原台地に位置し、110余基の古墳からなる茨城県下でも最大規模を誇る古墳群である。古墳の集中状態から大生東部古墳群、大生西部古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群の4つに大別される。
なかでも、大生西部古墳群は、県指定史跡の前方後円墳「鹿見塚古墳」をはじめ、「子子舞塚古墳祉」「天神塚古墳」「白旗八幡古墳」など20数基の古墳が存在する古墳群で8.8haの面積をもつ。
また、この古墳群は、古墳時代中期の築造と推定され、被葬者は鹿島神宮と密接な関係のあった「オフ氏」一族であったことが判明している。
「鹿見塚古墳」 全長約58m。後円部が高く突き出している。 「子子舞塚古墳址」 前方部を一部残して半壊している。
「白旗八幡古墳」 現地周辺にあった解説板。
周辺には小さな古墳が点在している。
大生西部古墳群は「茨城県水郷県民の森」に隣接している。 ビジターセンターには「子子舞塚古墳」から出土した装身具など数点が展示してあった。
ビジターセンターには簡単ではあったが古墳についての解説があった。 「大生神社」
大生神社は健御雷之男神(タケミカヅチノオガミ)を祭神とする元郷社で、その創祀年代は詳らかでないが、鹿島の本宮と云われ古く大和国の飯富(オフ)族の常陸移住の際氏神として奉遷し、御祀りしたのに始まるといわれている。この本殿は天正18年(1590年)の建立と伝えられる三間社流造り茅葺で、地方社殿にしては大きく荘厳にして、当地方における最古社でその時代の特徴を良く示しており貴重な存在である。(現地解説板より抜粋)
釣りもいいが、史跡散策も楽しい。
【史跡データ】
名称:茨城県指定史跡「大生古墳群」
所在地:茨城県潮来市大生
時代区分:古墳時代中期
形態:古墳群
「大生古墳群」は、茨城県潮来市大生周辺の大生原台地に位置し、110余基の古墳からなる茨城県下でも最大規模を誇る古墳群である。古墳の集中状態から大生東部古墳群、大生西部古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群の4つに大別される。
なかでも、大生西部古墳群は、県指定史跡の前方後円墳「鹿見塚古墳」をはじめ、「子子舞塚古墳祉」「天神塚古墳」「白旗八幡古墳」など20数基の古墳が存在する古墳群で8.8haの面積をもつ。
また、この古墳群は、古墳時代中期の築造と推定され、被葬者は鹿島神宮と密接な関係のあった「オフ氏」一族であったことが判明している。
「鹿見塚古墳」 全長約58m。後円部が高く突き出している。 「子子舞塚古墳址」 前方部を一部残して半壊している。
「白旗八幡古墳」 現地周辺にあった解説板。
周辺には小さな古墳が点在している。
大生西部古墳群は「茨城県水郷県民の森」に隣接している。 ビジターセンターには「子子舞塚古墳」から出土した装身具など数点が展示してあった。
ビジターセンターには簡単ではあったが古墳についての解説があった。 「大生神社」
大生神社は健御雷之男神(タケミカヅチノオガミ)を祭神とする元郷社で、その創祀年代は詳らかでないが、鹿島の本宮と云われ古く大和国の飯富(オフ)族の常陸移住の際氏神として奉遷し、御祀りしたのに始まるといわれている。この本殿は天正18年(1590年)の建立と伝えられる三間社流造り茅葺で、地方社殿にしては大きく荘厳にして、当地方における最古社でその時代の特徴を良く示しており貴重な存在である。(現地解説板より抜粋)
釣りもいいが、史跡散策も楽しい。
【史跡データ】
名称:茨城県指定史跡「大生古墳群」
所在地:茨城県潮来市大生
時代区分:古墳時代中期
形態:古墳群