常陸国府跡を見学した後は、近くにある茨城県指定建造物「石岡の陣屋門」にも行ってみた。
江戸時代中期から幕末まで、この地を治めた府中藩松平家の陣屋の表門のようだ。
2年ほど前に石岡小学校の敷地内から、本来あった市民会館の前に再移築されたようだ。 2016.01.24
(現地解説板)
県指定建造物 石岡の陣屋門
所在地 石岡市総社一丁目四二〇番
指 定 昭和四十三年九月二十六日
この門は、江戸中期から幕末まで、およそ百七十年間にわたってこの地を治めた府中(現在の石岡市の一部)松平家
の陣屋の表門である。
府中松平家は、水戸徳川家の御連枝(分家)として定府(江戸定住)の大名だったため、領地には陣屋を置き、
郡奉行以下総勢二十余名に民政を担わせた。やがて府中の町は、穀物・肥料の集散地、また、醸造が盛んな町として発展し、
幕末期には常陸南部で最大規模の都市となった。
現存する門は一八二八年(文政11)の建築で、鏡柱と控柱との間に切妻屋根をのせる「高麗門」の形式である。
元来は土橋通り正面に建ち、明治維新後は石岡小学校の校門として用いられていたが、
交通事情等によって昭和四十四年に石岡小学校敷地内へ移築され、さらに平成二十六年、市民の要望により現在地へ移された。
平成二十七年三月 石岡市教育委員会
【文化財データ】
名称:茨城県指定有形文化財 建造物 「石岡の陣屋門」
所在地:茨城県石岡市総社1-420
時代区分:江戸時代
形態:陣屋門
駐車場:有(無料)
江戸時代中期から幕末まで、この地を治めた府中藩松平家の陣屋の表門のようだ。
2年ほど前に石岡小学校の敷地内から、本来あった市民会館の前に再移築されたようだ。 2016.01.24
(現地解説板)
県指定建造物 石岡の陣屋門
所在地 石岡市総社一丁目四二〇番
指 定 昭和四十三年九月二十六日
この門は、江戸中期から幕末まで、およそ百七十年間にわたってこの地を治めた府中(現在の石岡市の一部)松平家
の陣屋の表門である。
府中松平家は、水戸徳川家の御連枝(分家)として定府(江戸定住)の大名だったため、領地には陣屋を置き、
郡奉行以下総勢二十余名に民政を担わせた。やがて府中の町は、穀物・肥料の集散地、また、醸造が盛んな町として発展し、
幕末期には常陸南部で最大規模の都市となった。
現存する門は一八二八年(文政11)の建築で、鏡柱と控柱との間に切妻屋根をのせる「高麗門」の形式である。
元来は土橋通り正面に建ち、明治維新後は石岡小学校の校門として用いられていたが、
交通事情等によって昭和四十四年に石岡小学校敷地内へ移築され、さらに平成二十六年、市民の要望により現在地へ移された。
平成二十七年三月 石岡市教育委員会
【文化財データ】
名称:茨城県指定有形文化財 建造物 「石岡の陣屋門」
所在地:茨城県石岡市総社1-420
時代区分:江戸時代
形態:陣屋門
駐車場:有(無料)