狭山市・日高市散策の最後は、狭山市指定史跡「城山砦跡」に訪れた。
「城山砦跡」は、別名「上杉砦」とも呼ばれ戦国時代の砦跡だといわれている。
天文14年(1545)扇ヶ谷上杉朝定・関東管領山ノ内上杉憲政・古河公方足利清氏の連合軍8万の兵が、たった3千の兵が守る北条綱成の河越城を包囲した。戦況は半年ほど膠着状態であったが、天文15年(1546)北条氏康が8千の兵で夜中に奇襲をかけ、油断していた連合軍打ち破った。「河越夜戦」という。
この時、上杉憲政が陣をはったところが、柏原の城山であったといわれている。
また、鎌倉時代の武将柏原太郎の館跡ではないかとの説もある。(狭山市HPより抜粋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/08/07a4aa1b6a54cc92479a82bf433fe9b6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/df/3b60aee19f37c929c885e02097d218d6.jpg)
そろそろ、地味な古墳や城跡の散策が厳しい時期になってきた。
草木が生い茂り、古墳の形状や城跡の遺構が分からなくなってしまうからだ。
そして、藪こぎするのがとても怖いからである。
蚊や毛虫くらいならまだいいが、毒虫やマムシが出てくるかもしれないと思うと・・・。
あぁ怖い。
しばらくは、観光地化された史跡を散策することになるだろう。
【史跡データ】
名称:狭山市指定史跡 「城山砦跡」(埼玉県選定重要遺跡)
所在地:埼玉県狭山市柏原
時代区分:戦国時代(1546)
形態:城郭跡(土塁や空掘などの遺構が残っている)
「城山砦跡」は、別名「上杉砦」とも呼ばれ戦国時代の砦跡だといわれている。
天文14年(1545)扇ヶ谷上杉朝定・関東管領山ノ内上杉憲政・古河公方足利清氏の連合軍8万の兵が、たった3千の兵が守る北条綱成の河越城を包囲した。戦況は半年ほど膠着状態であったが、天文15年(1546)北条氏康が8千の兵で夜中に奇襲をかけ、油断していた連合軍打ち破った。「河越夜戦」という。
この時、上杉憲政が陣をはったところが、柏原の城山であったといわれている。
また、鎌倉時代の武将柏原太郎の館跡ではないかとの説もある。(狭山市HPより抜粋)
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そろそろ、地味な古墳や城跡の散策が厳しい時期になってきた。
草木が生い茂り、古墳の形状や城跡の遺構が分からなくなってしまうからだ。
そして、藪こぎするのがとても怖いからである。
蚊や毛虫くらいならまだいいが、毒虫やマムシが出てくるかもしれないと思うと・・・。
あぁ怖い。
しばらくは、観光地化された史跡を散策することになるだろう。
【史跡データ】
名称:狭山市指定史跡 「城山砦跡」(埼玉県選定重要遺跡)
所在地:埼玉県狭山市柏原
時代区分:戦国時代(1546)
形態:城郭跡(土塁や空掘などの遺構が残っている)