だいぢのEasyBassing

初めはバス釣行記のブログだったんですが…。
関東を中心に釣りや散策に出掛けていましたが…。
熊本県民になりました。

埼玉県指定史跡 「岩槻城跡」(埼玉県さいたま市岩槻区)

2010年01月12日 | 散策記
人形の町、埼玉県さいたま市岩槻区にある「岩槻城跡」へ行った。
現在は「岩槻城址公園」として、岩槻城の曲輪の一部が整備されている。
公園内には、土塁や空堀などが残っており、岩槻城の門とされる黒門、裏門も移築保存されている。
また、公園の北側には、遊具や芝生広場、からくり人形の時計塔や東武鉄道のロマンスカーが展示保存されており、
地域住民の憩いの場になっている。
その他、市民会館いわつき、野球場、テニスコート、公民館などの施設がある。
アオバズクというフクロウもいるようだ。


城址公園は曲輪の一部で、本丸があった場所は住宅地となっている。      公園の北側は、遊具のある広場になっている。

「岩槻城」は、総曲輪式の縄張りを持つ平城で、1457年に扇谷上杉氏の家臣、太田道真・太田道灌父子によって築城されたと言われている。(最近の研究では、1478年に古河公方の家臣、成田正等が築城したとされる説が有力である。)

1522年に太田資頼が岩槻城を攻め落として以降、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で落城するまでは岩槻太田氏の居城であった。江戸時代には、江戸北方面の守りの要衝として重要視され、有力な譜代大名の居城となった。


城址公園内には、岩槻城の黒門(左)と裏門(右)と伝えられる門が移築保存されている。


岩槻城は、「白鶴城」とも呼ばれている。   現存する空掘。


からくり人形時計。                東武鉄道のロマンスカー「きぬ号」

【城郭データ】
名称:埼玉県指定史跡「岩槻城跡」
所在地:埼玉県さいたま市岩槻区
時代区分:1478年(文明10年)~1871年(明治4年)
築造者:成田正等
主な城主 成田氏、太田氏、後北条氏、大岡氏他
形態:総曲輪式平城(現在は岩槻城址公園として整備済)
遺構:現存門、土塁、曲輪、空堀
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