常陸國總社宮を参拝した後は、国指定特別史跡「常陸国分寺跡」へ行った。
常陸国分寺跡の遺構の上には、後継寺院である真言宗の国分寺が建っている。 2016.01.24
「常陸国分寺」は、741年(天平13年)聖武天皇の勅願によって、鎮護国家を祈るため、国ごとに置かれた寺院の一つである。
中門跡。 七重塔の心礎(境内に移設保存されている)
(現地解説板)
国指定特別史跡 常陸国分寺跡
所在地 石岡市府中五丁目一番
特別史跡指定年月日 昭和二十七年三月二十九日
国分寺・国分尼寺は、天平十三年(七四一)聖武天皇の勅願により、鎮護国家を祈るため、国ごとに置かれた寺院である。
国分寺は、金光明四天王護国之寺といい、金字金光明最勝王経一部を安置した七重塔を設け、常住の僧二〇名と、最勝王経一〇部を置いた。寺院の財政は、封戸五〇戸、水田一〇町によってまかなわれた。
常陸国分寺跡は、昭和五十二年の発掘調査により、現本堂西側に鐘楼基壇(鐘つき堂の基礎)が発見され、次いで、昭和五十六年から二次にわたる発掘調査では、各伽藍(主要建造物)の基壇の規模が明らかにされた。特に金堂跡については、現在残されている基壇の約四倍の規模をもつことが明らかになり、大建造物を有する寺院であった。
近年の研究では、今まで判明していなかった七重塔の位置が、寺域東側に推定されている。
寺域は、東西約二七〇メートル、南北約二四〇メートルの規模を持っていた。
常陸国分寺跡発掘調査で出土した遺物は、瓦が主体であるが、その中でも、創建瓦(複弁十葉蓮華文軒丸瓦)は、
平城京羅城門跡で発見された軒丸瓦と同系の紋様であることが注目される。これは、国分寺建立に際し、当時の政府が瓦工の派遣などを含む、技術指導をしたことを物語っている。
昭和六十年一月 石岡市教育委員会
石岡市文化財保護審議会
また、現国分寺の境内には、石岡市指定有形文化財(建造物)に指定されている「都々一坊扇歌堂」と「旧千手院の山門」がある。
「都々一坊扇歌堂」は、都々逸節の創作者として知られる都々逸坊扇歌が石岡市で没したことから、記念として建立されたお堂である。
「旧千手院の山門」は、大正8年(1919年)に国分寺と合併して廃寺となった千手院の遺構である。
都々一坊扇歌堂。 旧千手院の山門。
また、近くにあった「いしおかイベント広場」には「国分遺跡」の解説板があった。
「国分遺跡」は、常陸国分寺の寺域内に位置しており、発掘調査の結果、奈良時代の終わりから平安時代の住居跡が多く確認され、
国分寺に関連すると思われる溝状の遺構が検出されている。
国分遺跡。 普通の広場である。
【文化財データ】
名称:国指定特別史跡「常陸国分寺跡」
所在地:茨城県石岡市府中5-1
時代区分:奈良時代
形態:寺院跡
駐車場:近隣に無料駐車場有
常陸国分寺跡の遺構の上には、後継寺院である真言宗の国分寺が建っている。 2016.01.24
「常陸国分寺」は、741年(天平13年)聖武天皇の勅願によって、鎮護国家を祈るため、国ごとに置かれた寺院の一つである。
中門跡。 七重塔の心礎(境内に移設保存されている)
(現地解説板)
国指定特別史跡 常陸国分寺跡
所在地 石岡市府中五丁目一番
特別史跡指定年月日 昭和二十七年三月二十九日
国分寺・国分尼寺は、天平十三年(七四一)聖武天皇の勅願により、鎮護国家を祈るため、国ごとに置かれた寺院である。
国分寺は、金光明四天王護国之寺といい、金字金光明最勝王経一部を安置した七重塔を設け、常住の僧二〇名と、最勝王経一〇部を置いた。寺院の財政は、封戸五〇戸、水田一〇町によってまかなわれた。
常陸国分寺跡は、昭和五十二年の発掘調査により、現本堂西側に鐘楼基壇(鐘つき堂の基礎)が発見され、次いで、昭和五十六年から二次にわたる発掘調査では、各伽藍(主要建造物)の基壇の規模が明らかにされた。特に金堂跡については、現在残されている基壇の約四倍の規模をもつことが明らかになり、大建造物を有する寺院であった。
近年の研究では、今まで判明していなかった七重塔の位置が、寺域東側に推定されている。
寺域は、東西約二七〇メートル、南北約二四〇メートルの規模を持っていた。
常陸国分寺跡発掘調査で出土した遺物は、瓦が主体であるが、その中でも、創建瓦(複弁十葉蓮華文軒丸瓦)は、
平城京羅城門跡で発見された軒丸瓦と同系の紋様であることが注目される。これは、国分寺建立に際し、当時の政府が瓦工の派遣などを含む、技術指導をしたことを物語っている。
昭和六十年一月 石岡市教育委員会
石岡市文化財保護審議会
また、現国分寺の境内には、石岡市指定有形文化財(建造物)に指定されている「都々一坊扇歌堂」と「旧千手院の山門」がある。
「都々一坊扇歌堂」は、都々逸節の創作者として知られる都々逸坊扇歌が石岡市で没したことから、記念として建立されたお堂である。
「旧千手院の山門」は、大正8年(1919年)に国分寺と合併して廃寺となった千手院の遺構である。
都々一坊扇歌堂。 旧千手院の山門。
また、近くにあった「いしおかイベント広場」には「国分遺跡」の解説板があった。
「国分遺跡」は、常陸国分寺の寺域内に位置しており、発掘調査の結果、奈良時代の終わりから平安時代の住居跡が多く確認され、
国分寺に関連すると思われる溝状の遺構が検出されている。
国分遺跡。 普通の広場である。
【文化財データ】
名称:国指定特別史跡「常陸国分寺跡」
所在地:茨城県石岡市府中5-1
時代区分:奈良時代
形態:寺院跡
駐車場:近隣に無料駐車場有