草木が枯れているこの時期は、城跡散策には最適な季節である。
今回は、埼玉県坂戸市にある「大穴城跡」へ行ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/02/7d05cf9a1c9c50cf09cf263049bb4bc2.jpg)
現地解説板。 城跡(公園)の様子。
「大穴城跡」は、わずかに残る遺構などから、中世に築かれた城の跡であると考えられている。
しかし、中世にこの地を治めていた土豪などについては全く記録が残っていないので詳細は一切不明である。
北方の川越市下広谷に位置する「大堀山館跡」と関連性があると考えられている。
天正18年(1590年)以降には、江戸時代初期の旗本本多九蔵秀玄が、
中世の城を改修をして陣屋として利用したと伝えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e7/3360a454ccc577f249a8aa627a724c2f.jpg)
城跡(公園)内には高圧送電線用の鉄塔が建っている。 土塁であろうか。道路脇にある。
現在は、東坂戸団地の建設によって、周囲は一変し、遺構はわずかに残るだけになっているようだ。
案内板のある場所は、団地脇の公園として整備されている。
わざわざ訪れるような所ではない。
【城郭データ】
名称:「大穴城跡」
所在地:埼玉県坂戸市大字中小坂字大穴733
時代区分:室町時代~江戸時代
築造者:不明
主な城主:本多久蔵秀玄
形態:平城跡(公園として整備済)
遺構:土塁・空堀・曲輪
今回は、埼玉県坂戸市にある「大穴城跡」へ行ってみた。
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現地解説板。 城跡(公園)の様子。
「大穴城跡」は、わずかに残る遺構などから、中世に築かれた城の跡であると考えられている。
しかし、中世にこの地を治めていた土豪などについては全く記録が残っていないので詳細は一切不明である。
北方の川越市下広谷に位置する「大堀山館跡」と関連性があると考えられている。
天正18年(1590年)以降には、江戸時代初期の旗本本多九蔵秀玄が、
中世の城を改修をして陣屋として利用したと伝えられている。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e7/3360a454ccc577f249a8aa627a724c2f.jpg)
城跡(公園)内には高圧送電線用の鉄塔が建っている。 土塁であろうか。道路脇にある。
現在は、東坂戸団地の建設によって、周囲は一変し、遺構はわずかに残るだけになっているようだ。
案内板のある場所は、団地脇の公園として整備されている。
わざわざ訪れるような所ではない。
【城郭データ】
名称:「大穴城跡」
所在地:埼玉県坂戸市大字中小坂字大穴733
時代区分:室町時代~江戸時代
築造者:不明
主な城主:本多久蔵秀玄
形態:平城跡(公園として整備済)
遺構:土塁・空堀・曲輪