しろとくまの動物病院ブログ

獣医となって四半世紀。
動物診療を通して見えてきた世相を語る。

レンダリング

2014-04-23 16:57:50 | 日記
動物病院内で、動物用のパンを製造販売し始めてから、もうじき2年になろうとしている。

我々人間も含め、動物の身体は数十兆個の細胞で構成されており、毎日多数の
細胞が、新陳代謝によって入れ替わっている。新しい細胞が生まれ、老いた細胞が処理され排泄されるのだ。
ヒトは約6年間で、ほとんどの細胞が入れ替わるとされている。
犬や猫などは、彼らの寿命や体内時計からすると、約2年で入れ替わると推測される。
そして、それら毎日生まれてくる新しい細胞達は、体内に摂取するものを材料として作られている。
食べた物や飲んだ物や肺の中に吸い込んだものが、新しく作られる細胞の材料となるのだ。
つまり、身体は摂取したものによって作られる。

摂取したものが、細胞を作る材料としてふさわしいものか否かによって、出来上がる身体はかなり違うものとなる。

細胞を作る材料としてふさわしいものとは、一体どういったものであろう。

ふさわしい材料で作った細胞は、自ずと健全である。
健全な細胞で構成された身体は、健康である。

想像してみてほしい。
カップラーメンを材料にして作られた細胞は、健全な細胞となるであろうか。
スナック菓子は、インスタント食品は、加工食品は、食品添加物は、遺伝子組換え食品は…。

現代人の病気が増加の一途をたどっていること、低年齢化などは、紛れもなく
健全な細胞が作られていないことを示唆しているのではないだろうか。

動物の食事も然りである。
ドックフードは、インスタント食品であり、加工食品であり、食品添加物は
間違いなく添加されている。

自分は、腐るドッグフードを見たことがない。カビが生えたものもない。

どのような作り方をしたとしても、数ヶ月間、いや数年間腐敗しないものを
食べるものとして、細胞の材料として認められるだろうか。

さらに、多くのドッグフードには肉骨粉が使われている。
賭場で解体された牛や豚の肉や内臓は、いくつかの検査をパスして食用とされる。
だが脊椎や頭蓋骨は、検査もなく廃棄される。狂牛病などの神経病の元になるとされているからだ。
その廃棄される脊椎や頭蓋骨は、動物たちの食品に混入させても法的になんら問題はない。
人が食べてはいけないとされているものが、動物ではよしとされているのだ。

廃棄されるものであるから、それを材料にしてしまえば、材料費を節約するにはうってつけである。
あまり世間には知られていない、レンダリング産業である。テレビなどのマスメディアには絶対に
取り上げられない。莫大な利権がそこには存在しているからである。

ドッグフードを食べた犬をレントゲン撮影すると、胃や腸に充填されたドッグフードフードが、
はっきりわかる。骨粉がレントゲンによって映し出されるからだ。レンダリングされた材料が
使用されている事の証である。

年々、てんかん、脳炎、脳腫瘍などの神経疾患が増えていることと、肉骨粉との因果関係はあるように思える。
証明することは困難ではあるが。

イヌたちが人間から飼われる以前は、当然自ら獲物を捕らえて食べていた。
大型のイヌたちは共同でシカくらいの大きさの獲物を捕らえていたかもしれない。だが、中型のイヌたちは
そのような大型の動物を獲物にすることはなかったのである。
ウサギ、アナグマ、野ネズミのような小動物が主な獲物であったに違いない。
少なくとも、牛や豚の背骨や頭蓋骨でないことだけは確かである。
つまり、そういったものの情報は、イヌのDNAには記載されていない。
記載されていないものを摂取したとき、身体はどのような反応を示すのであろうか。
異物と見なすこともあるのではないだろうか。異物と見なせば、当然のことながらアレルギー反応が発現する。
科学物質も然りである。
今日、犬のアレルギー疾患が非常に多くみられ、年々増加していることと何ら関係がないと言えるのだろうか。

院内で製造販売をしているパンは、完全に化学物質を除去している。そして材料のすべてを陽性食材にし、
タンパク質の多くを植物由来のものにしている。
イヌのDNAに記載されているものにより近いものを、現在我々が手に入れられる食材で再現したものを
提供することが最大の目的である。

そして2年が経過した。かなり大きな成果を感じている。
アトピー性皮膚炎でステロイドや免疫抑制剤なしではまともな生活が出来なかったわんちゃんたちが、
かなりの減薬や投薬を断ち切ることが出来るようになった。
免疫力が未熟なため、頻繁に膿皮症や大腸性の下痢や膀胱炎などを発症していたわんちゃんたちが、発症しなくなってきた。
元気や活力が明らかに漲ってきたと、ご家族の方から言われることがしばしばである。

健康を維持するコツは、大きなことがふたつある。

身体を構成する細胞の材料である食べ物の質をよいものにすることと、心に負荷をかけないことだ。
動物たちの心の負荷とは、家族の人たちのストレスである。
心配性、潔癖性、攻撃性、妬み、僻み、恨み、悔やみ、悲しみなどのネガティブな人の感情は、
ダイレクトに動物たちに伝わる。
朗らかで寛容な家族と一緒にいる動物たちは、ほとんど病気をしない。

子供と親の関係も然りではないだろうか。



ステータス

2014-04-23 16:05:08 | 日記
日々の仕事や生活を、テクニックや裏技などによって上手に渡ろうとする風潮が強い気がする。
成功やステータスを手にするための、How to本や、テクニックを教えるセミナー、
ワークショップなどが巷に氾濫しすぎている。
自己実現のために、潜在意識や潜在能力を引き出し、ビジョンを引き寄せるといったものもある。
占いなどで少しでも災いを防ごうだとか、効率的に効果を引き出そうなどといった考え方が当然の
こととなっている。

自分も30代後半から40代前半の7~8年間ほど、潜在能力開発などのセミナーには頻繁に参加した。
その当時はそれらを行うことで、擬似充実感や擬似満足感を得たり、何となく感じていた焦りや不安を
誤摩化しもしていた。しかし、そういったテクニックなどを駆使して災いを回避した様にみえたり、
表面的に旨くいったとしても、それは結果的には人生の目的、目標までの道のりを、ひどく遠回り
していることに他ならない。もちろん、遠回りする経験が必要なこともあるだろうが、遠回りしている
ことに早く気付くことが大事である。

この世に生をうけた目的は、この次元で様々な経験を積み、その経験を通して魂を磨くことである。
つまり良いも悪いも、多くの経験がなくては魂を磨くことは出来ないのだ。
あの世の次元は何の変化もなく、ただひたすら浮遊しているだけの世界だ。
魂の変化も何もない。この世の感覚でいえば、退屈な世界なのかもしれない。
そして魂には段階というか上下というか階級というか、レベルが存在する。
すべての魂はこの世に産まれ出るとき、自分のレベルを高めるため自分の
ステージにあったトレーニングメニューを設定して産まれ出てくる。
自分自身で環境を設定して産まれてくるのだ。それは裕福な家庭であったり、
貧困な家庭であったり、場合によっては家庭ですらなかったり、身体に障がいを
もっていたり、家族に障がい者がいたり、様々なトレーニングメニューがあるのだが、
その中から自分の魂にとって最善の環境を自ら選んでくるのである。

この世に誕生する目的がもうひとつある。それは自分のつくったカルマを清算することだ。
先天的もしくは後天的にその魂がつくってしまったカルマを償うことで、
魂のレベルがアップするのである。

いずれにしても、日々トレーニングを積み重ねる事しか魂を磨く方法はないのであるから、
やるべきトレーニングを回避したとしても、後日またそのトレーニングは必ずや出現するはずだ。
自分自身で設定したのであるから。
その人にとって、同じような問題が繰り返し起こるということは、その問題を
クリアーしていないことに他ならない。
回避しているか、その場を取り繕っているだけなのである。

同じトレーニングを行うにしても、その取り組み方によって魂の磨き具合に
違いが出る。苦しい顔をして取り組むよりも、明るく楽しく取り組むほうが
効率的、効果的だということだ。

成功やステータスを手にしたければ、自分自身のために世のため人のために全身全霊をかけて
尽くすことである。ただ尽くすだけではない。明るく楽しく喜びをもって尽くすのだ。
辛い事や理不尽なことも、魂を磨くためには必要不可欠なことなのであるから、
それらのことも明るく楽しく喜びをもって受けとめればよいのである。
つまり嫌な事があるとそれは魂を磨くチャンスだということだ。
そして魂が磨かれ、レベルが上がれば上がるほど、成功やステータスがそれほど価値のない
ことに気付いてくる。そういった感覚を感じられるようになったとき、それはすなわち成功や
ステータスを獲得していることに他ならない。

成功やステータスなどといったものは、目に見えない感覚である。
目に見える通帳の残高や土地建物や服装や装飾品や名刺の肩書きなどで
表現したり評価したりしているうちは、本当の成功やステータスを手にしたとは
言えないし、自身も獲得したとは感じていないはずだ。

こんな友人がいる。米国人で現在58歳。男性。米国で1番優秀な大学を主席で
卒業している。運動にも優れていて、大学卒業時には有数のプロスポーツチームから
いくつもの誘いがあった。
しかし、その彼が選んだ仕事は、ベビーシッターである。
完全に両親から信頼されたベビーシッターは、幼児期から少年期に至まで子供の面倒をみる。
当然ながら幼児期から少年期までの間を、ほとんど彼と共に生活するのであるから、
彼の影響を多分に受けているはずだ。しかし彼が行った事は、その子供が持っているものを
すべて引き出すということで、彼の価値観や哲学を押し付けることではなかった。
すべて引き出すために最も大事な事は、その子供に向けて持っている最大限の愛情を注ぐことである。
そして、草花や昆虫や動物たちと触れ合い、自然の風やにおいや音や日差しを感じる事だ。

おおよそ30年の間、彼から育てられた子供たちは、現在素晴らしいポジションでリーダーとして活躍している。
おそらく彼には、もともと成功やステータスといった概念はなかったと思われる。
そういったものに価値があるなどと思った事はなかったであろう。
彼はいつも笑顔を絶やさない。大きな声で笑っている。楽しげである。
元気で健康である。病気などした事がない。見た目はとても58歳には見えない。
30代のスポーツ選手のようだ。もちろん子供たちの親のよき相談相手でもある。

彼に肩書きはない。大きな資産もない。地位も権力もそういったものは何一つ身に纏っていない。
だが彼の内面には、確固たるアイデンティティーが微塵も揺れることなく立脚していることであろう。
常に、感謝と幸せで満たされていると言っている。
子供の面倒をみることを通して自らの魂を磨き、行為、行動をもって自身と周囲のひとたちに幸せを与えた。
完璧なまでの成功例である。

成功の法則。引き寄せの法則。財力をあげる法則。人脈をつくる法則。などのような、巷に溢れている
成功本に書かれている成功とは異なる成功だが、どちらの成功をこれからの子供たちに目指してもらいたいか。

未熟な大人を成熟させることと、子供を成熟した大人にすることは、どちらが
現実的であろうか。