しろとくまの動物病院ブログ

獣医となって四半世紀。
動物診療を通して見えてきた世相を語る。

動物依存症

2012-09-29 12:04:44 | 日記
 最近、わんこちゃんやにゃんこちゃんをお連れ下さるご家族の方々の
 多くにみられる現象がある。この仕事をはじめて四半世紀になるが、
 病気の内容と同じくご家族の様子も20数年前とは大きく様変わりしている。
 世相を反映していることは間違いない。

「先生、わたしこの子がいないと生きていけません。何とかして下さい。」
 
 心不全と腎不全を併せ持っている巨大なチワワを抱いたアラサーの女性
 である。服装は質素な感じで髪や化粧をみてもどちらかというと地味目
 だ。真面目にお仕事をし、趣味も彼氏もなく、お給料の多くをこの
 わんちゃんに費やしているであろう事は、簡単に想像できる。
 わんちゃん命のタイプだ。
 舌の色が紫色、チアノーゼになっていて、呼吸がかなり苦しそうだ。

 8歳の時に心臓が悪いことが発覚し、それ以後いろいろと手を変え品を買え
 何とかここまで持ちこたえ現在12歳である。その間生活習慣の指導を強く
 薦めたのだが、この方はそれにいっさい応えてはくれなかった。
 この子が歩きたくないのでといっていつもだっこしていた。食べたい物は
 何でも好きなだけ与えていた。特に好きだったのがわんちゃんのおやつの
 定番であるササミジャーキーとアイスクリームである。
 
 心不全と腎不全は治療が相反する。心臓の負担を軽くしたり、心不全に伴い
 肺に水が溜まる肺水腫を防ぐために身体から利尿剤をつかって水を抜くこと   
 が治療の柱となる。
 逆に腎不全は高窒素血症といって、血液が老廃物で汚れてしまうことで
 吐き気や重度の倦怠感などかなり具合が悪くなる。治療は点滴で血液の汚れ
 を洗い流してあげることである。人は血液透析があるが、動物の場合、透析
 を行うとなるとその都度全身麻酔をかけなければならず、現実には
 一般的治療にはなりにくいのである。
 心臓の治療を行えば、腎不全の症状が悪化し身体全体が辛くなる。
 腎臓の治療を行えば、肺に水が溜まって息が苦しくなる。究極のジレンマ
 なのだ。

 肺の音を聴診してみると、明らかに肺が水浸しになっている音がする。
 心臓の雑音もかなりのものだ。
「呼吸がつらそうですよね。少しでも楽な状態にしてあげるには、酸素室に
 入れてあげないと・・・・・。」

「それって入院ですか!いやです!わたしいやです!わたしこの子と離れたく
 ありません!」

「入院するかしないかはまたご相談するとして、ひとまずこの子を酸素室に
 いれてあげたいのですが、よろしいですか。」

「・・・・・・・。注射かなにかでよくなりませんか。」

「注射もおそらく必要です。でも注射だけで状態を良くすることは難しいと
 思います。」

「どうしたら治るんですか。」

「治ることは難しいです。この状態を良くしてあげるということです。」

「いやです。治してほしいんです。この子が病気はいやなんです。」
 
 完全にパニックに陥っている。
 何度も繰り返し病態についてなされた説明を、理解できる知能は充分
 お持ちであるはずの善良でやさしいこの女性を、精神学者や神経学者たち
 はどう診断するであろう。
 
 ペット依存症、コンパニオンアニマル依存症、動物依存症、僕はそう
 診断する。
 タイプは様々ではあるが、あらゆる世代でこの依存症に陥っている飼い主
 の方が年々増えてきている。みなさん善良で真面目にお仕事をされている
 方々だ。
 ではなぜこのような現象が現れてきたのであろう。
 
 ここで米国の心理学者マズローが提言した人間の5段階欲求についてお話
 する必要がある。
 人の欲求は5つの段階にわけられ、第1段階が安全の欲求である。食べ物や
 飲み水があることや戦場でないことなど、生存するための最小限必要な欲求だ。
 戦争難民はこの欲求を満たされていない。
 
 第2段階は生活の欲求で、衣食住の安定欲求である。世界各国に存在する
 スラム街に住んでいる多くの人はこの欲求を満たされていない。
 
 第3段階は所属の欲求で、家族、友達、仲間を得るために、グループの
 一員になる欲求である。引きこもりや登校拒否の子ども達はこの欲求を
 満たされていない。
 
 第4段階は承認の欲求で、地位、名誉、名声、お金、権力などの欲求である。
 越えることが非常に困難なステージでもある。権力にしがみついているひと、
 羨み、妬みの感情が強いひと達はこの欲求を満たされていない。
 経営コンサルタントは経営者達に、従業員のモチベーションを上げるために
 この欲求を刺激することを薦める。中学生や高校生まではこの欲求がその
 ひとのステージを引き上げる大きなモチュベーションになることは確かであるが、
 大人になってもこの欲求が強いひとが多いと、現代のような荒んだ世の中になってしまう。
 
 第5段階は自己追求の欲求で、自分のポテンシャルを全て引き出したい欲求である。
 芸術家、職人、アスリート、科学者、学者などがこの欲求を追い求めている。
 
 実はマズローではない心理学者が第6段階を付け加えた。自己超越の欲求である。
 自分のもてる力や愛情を全て他のために使いたいと感じられる人たちで、
 マザー・テレサやマハトマ・ガンジーなどがそうである。

 なぜマズローの前置きが必要であるかというと、先ほどの動物依存症に
 陥っている方々の共通点と関連があるからである。
 つまり動物依存症の方は、マズローの第3ステージもしくは第4ステージに
 属する方なのだ。
 第3ステージの方はご家族や職場に所属しているにもかかわらず、会話や
 心の交流がないために、常に孤独を感じている。
 例えば専業主婦でご年配のご婦人の場合、ご主人との会話や心の交流もなく、         
 お子様たちがすでに自立されていれば、かなりの孤独を感じていても
 不思議なことではない。所属の欲求を満たすために、動物が所属の対象となるのだ。
 わんちゃんはいつもおかあさんを慕ってしっぽを振って迎えてくれるし、暖かい温もりを
 与えてくれる。その状態が数年も続けば依存症になるということだ。

 第4ステージの方は、仕事において常に大きなストレスを感じていて、
 家に帰ると動物から大きな癒しを与えてもらえる為、依存症になってしまう
 パターンが多くみられる。
 
 第5ステージを越えた人達は、相対評価をすることは究めて少ない。
 ほぼ絶対評価で物事を判断する。つまり自己が確立しているため、何かに
 または誰かに依存することはほとんどない。
 
 第4ステージをクリアし、第5ステージに到達したものが、本当の成熟した大人であるといえる。
 大人であるから判断と決断ができる。決断したことからぶれたりしないし、決断に対して
 責任を取ることができる。正しく議論ができるので、建設的にものごとを進めていける。
 何とか他人に責任を押しつけることもしない。
 政治家や官僚の方々が第4ステージを突破された方々であることを切望する。
 少なくともこのことを知っておいてほしいものだ。

 先のジャイアントチワワに話しを戻す。

「僕もこの子が病気であったり、苦しむのはいやです。だからなんとか
 してあげたいと心の底から思っています。もし僕になんとかさせてもらえる
 なら、○○さんに少し我慢してもらいたいのです。」


「どんな我慢ですか。この子のためならどんな我慢もできます。」

「ありがとうございます。それでは数時間この子を酸素室に入れて様子を
 みさせて下さい。数時間この子と離ればなれになってしまいますが、
 我慢していただけますか?」

「わかりました。それくらいなら我慢できます。お願いします。」

 大急ぎで注射を数本と処置を施し、酸素室にいれて経過観察。
 それからこの方のカウンセリングを行いつつ、今晩は入院治療が必要なこと。
 入院治療を施しても、状態が改善せぬまま死亡する可能性もあること。
 もしこのまま連れて帰れば、呼吸が苦しいまま死亡してしまう可能性が究めて高いこと。
 などを理解し納得し入院治療を判断し決断するところまでお付き合いする。
 もちろん、それでも連れて帰りたいといった場合はお連れいただくのであるが、
 あまりにも苦しむわんちゃんを見ていられなくて舞い戻ってくるケースがほとんどだ。
 
 このチワワのケースは、落ち着きを取り戻した飼い主さんが、入院治療に同意してくれた
 お蔭で、なんとかクリアすることができた。
 動物の治療を成功させるために、動物と一緒に暮らす人達のメンタルをケアーすることが
 必要な時代となってしまった。
 

 

膿皮性

2012-09-28 10:09:32 | 日記
「この子の今の皮膚の状態は濃皮症といって、細菌感染を起こしています。」

  かなり肥満のミニチュアダックスフントを診察していた。
 そこそこ肥満、60前後で厚化粧、髪は茶色でパーマ、「なめたらあかん~
 なめたらあかん~人生なめずにこれな~めて~。」の演歌歌手の風体のご婦人
 がお連れになったわんちゃんである。

 皮膚の簡単な検査をし、真菌や疥癬の寄生でないことを確認した後の
 やりとりだ。

「細菌感染?でもこの子外にも出してませんし、家の中もいつもきれいにして
 いますし、なんで細菌感染なんか起こすんですか!」
 
 この方のように、診断に納得できず、非難的な反応になる場合がときどき
 ある。潔癖症の方に多い。想定内である。

「細菌感染といっても特別な菌ではないのです。常在菌といって常時どこに
 でも存在する菌なのですよ。不潔にしていたらなどということではありま
 せん。問題は負けるはずのないどこにでも存在する菌に、この子の皮膚が
 負けてしまっているということが問題なのです。」

「それはどういうことなんでしょう?」

「それは、この子の皮膚のコンディションが落ちているか、この子の全身の
 コンディションが落ちているかのどちらかということです。
 まず、皮膚のコンディションが落ちる原因として考えられることは、真菌や
 疥癬などの寄生、これらは検査でいないことを確認しました。
 あとは脂漏やアレルギーやアトピーが関連しているかどうかです。
 脂漏というのは皮膚が脂性ということです。」

「そういえばこの子最近すこしべとべとしてるような気がします。それと
 においがするようになってきたかしら。これって脂性ってことですか?」

「そうですね。体型も少しぽっちゃりですし、皮膚もしっとりな感じがします。」
 
 かなりぽっちゃりでかなりねっとりなのではあるが、こういったご婦人には
 言葉を慎重に選んで少し穏やかに導入していかないとストレスに耐えられな
 くなってしまって噴火してしまう事がある。追い詰めないように気をつけ
 ながら診療を進める。

「アトピーは、エアコンから出てくるほこりやダニやカビや室内のイエダニや
 ほこりなどを吸い込むことが原因となります。ことしの夏、エアコンを使用
 される前にエアコンのお掃除されました?業者に頼んでやってもらうと
 中からかなりどろどろした汚れがでてきます。フィルターだけではだめなの
 ですよ。エアコンの汚れは人では夏期過敏性肺炎といって咳の原因にも
 なるくらいです。」

「家のエアコンは自動で中まで洗浄してくれるタイプなので大丈夫です。
 部屋の掃除は毎日完璧にやってますから、ほこりやダニの心配は絶対に
 ありません!」
 やはり言葉には気をつけた方がよさそうだ。
 
「ではノミやダニはいかがでしょう。ノミダニに対するアレルギーなども
 あるのですが・・・・。」

「先生!うちの子はお外には一歩もでないんですよ。どうやってノミやダニ
 なんかがつくんですか。考えただけでも気持ちが悪い。」
 やばいやばい。

「わかりました。では食事のアレルギーはどうですか。食事は今何を与えて
 ますか。」

「ドックフードとフードだけだとこの子が喜んでくれないので、ササミの
 ジャーキーとかおやつをトッピングして与えてます。」

「わかりました、食事のお話はまた後からするとして、全身のコンディション
 のお話に移りましょう。身体全体のコンディション、つまり免疫力が落ちる
 原因をご説明いたします。可能性としては糖尿病や副腎皮質ホルモン異常、
 甲状腺ホルモン異常、肝臓や腎臓、膵臓などの内臓疾患、この子は女の子
 で、避妊手術をしていないので子宮の疾患、あとは腫瘍とメタボなどです。
 その他にも若干ありますが、ほとんどがこの中のどれかにあてはまります。」

「この子にこういった病気があるってことですか?」

「あくまで可能性です。このなかのどれかに絞り込んで行くためには、色々な
 検査が必要ですが、今のところ元気も食欲もありますので、その必要はあり
 ません。まずは皮膚にフォーカスをあてて治療を行いながら様子をみていく
 ことで大丈夫です。」
 
 以下のことを紙に書きながら今までの会話のおさらいを行い、治療の説明
 に入るのであるが、ここで最も困難なことが、生活習慣の改善を理解、納得
 して頂くことである。一番時間と根気が必要なところなのだが、すんなり
 受け入れられることはまずない。

膿皮症=皮膚の細菌感染=皮膚もしくは全身の免疫力低下

皮膚免疫低下の原因として考えられること
     真菌感染、疥癬感染、脂漏、アトピー、アレルギー

全身免疫低下の原因として考えられること
     糖尿病、副腎皮質ホルモン異常、甲状腺ホルモン異常
     肝臓、腎臓、膵臓疾患、子宮の疾患、腫瘍
     メタボリックシンドローム(生活習慣病)

現在の皮膚の状態
     腹部全域にわたる表皮小環(膿皮症症状)
   全身の脂漏(特に脇の下、内股、指間、肉球間、内股、耳道など) 

本日の検査
     真菌および疥癬感染がないことを確認済み

治療
     薬用シャンプーにより体表の脂の除去と消毒
     抗生剤の投与
     生活習慣の改善(食事、運動)

「先生。生活習慣の改善がなぜこの子に必要なんでしょう。値段が高い上等な
 フードをあげてますし、いつもこの子は家の中で遊んでます。どこがいけ
 ないんですか。」
 きたきたきた。もう既に地雷を踏んでしまったかも知れない。 
 なめたらあかん~系の方に生活習慣病のお話をするときにはかなりのエネル
 ギーが必要である。おそらく自分自身のことを否定されているような感覚に
 なるのではないだろうか。

 抗生剤と薬用シャンプーをカルテに処方して「次の方どうぞ。」って言って
 しまえばこんな面倒なことにはならず、このご婦人も機嫌良くお帰り
 いただくことができるのだが、どうしてもできない。もう来てもらえなく
 なるかもしれないと思いつつも挑んでしまう性分はおそらく治らないで
 あろう。結局このわんちゃんにとって最も重要な問題は、膿皮の症状では
 なく、なぜ膿皮になってしまったかである。生活習慣を改善し、メタボの
 状態から脱却しないことには、根本治療にはならない。
 膿皮は、身体全体の異常を身体の表面で我々に知らせてくれている警告
 であることに気づかなくてはならない。
 
「本来のダックスの体型は胸の幅が胴体の幅の2倍くらいあるのです。
 つまり胴体の部分がくびれているのが正常なのです。ちまたのダックスの
 ほとんどが俵型なので、みなさんお気づきにならないのです。
 この子の場合も体型からすると、50kgで正常体型の女性が、80kgあるのと
 同じような感じです。僕自身も食餌療法で15kgの減量に成功しました。
 リバウンドもありません。
 この子の生活習慣、変えてみませんか。副作用は全くありませんから。」

 ここまで言ってしまうと、完全にそっぽを向かれるか、食いついてくるか
 のどちらかだ。ちょうどいい頃合いということがなかなかできない。
 
 うちの病院は数名の獣医師がいて、指名制になっている。
 この演歌歌手はその後、僕ではない違う獣医師を指名している。でも違う
 病院にはいかない。ダイエットの方法がやはり気になっているのであろうか。
 




























しろ

2012-09-27 12:25:11 | 日記
「先生!交通事故です!」

 遅めの昼食を食べているところに、車に跳ねられた犬が担ぎ込まれて来た。
 まだ1歳にも満たない白い中型の雑種犬だ。
 ショックのあまりパニックになっている。
 極度の興奮状態で暴れているのだが、下半身が動いていない。
 上半身だけで、溺れているかのようにバタバタしている。
 腰椎が折れているらしい。

「いつ事故に遭いました。」

 診察しながら犬を連れてきた飼い主と思われる中年女性に訊ねた。

「たった今です。10分もかかってません。」

 静脈カテーテルを装着し、鎮静剤を投与して酸素をマスクでかがせる。
 血液検査とレントゲン検査を行いつつ手術の準備をする。
 看護士のTも要領よくてきぱきと仕事をこなす。
 
 救急医療は、最短コースを選んで全力疾走しなければならないのだ。
 動物の交通事故は、骨折や外傷があったほうが救命率は高い。
 外傷がほとんどなく、見た目きれいな状態のほうが死亡する確率が高くなる。
 車の衝撃を身体の中で受け止めてしまっているからである。
 我々はそれらのことを誰から教わるわけでもなく、度重なる経験から
 会得している。

 検査の結果は、やはり腰椎を骨折していた。脊髄に大きなダメージが
 あることは間違いない。
 半身麻痺になる可能性は非常に高いが、事故から時間が経っていないので
 手術をする価値はあると思われた。
 
 脊髄神経は背骨の中を通っている。背骨が折れれば当然脊髄も損傷を受ける。
 損傷を受けたところから神経が麻痺してしまうのだ。
 折れてずれてしまった背骨を元の位置に戻して固定する手術すれば、
 リハビリによって麻痺をいくらか改善できるかもしれない、という可能性
 にかけて手術をすべきだと判断していた。

 犬の名前はそのままシロであった。シロはまだ若い。
 飼い主の女性は困惑している。目の前で急に起こってしまった現実を、
 まだ受け止められてはいないのだ。
 無理もないことなのだが、起こってしまった以上、そのことに対処する
 必要が飼い主にはある。

「あの~、一生半身麻痺になりますかね~。」
 
「そうなる可能性が非常に高いです。」

「半身麻痺になったらどうやって面倒をみたらいいんですかね~。」

「排尿排便と床ずれに対するケアーが必要になります。」

「手術したらどうなるんですか。」

「手術をしたら脊髄を元の位置に戻すことが出来るので、損傷の程度に
 よりますが、リハビリをすることで、機能が回復する可能性がわずかに
 あります。シロちゃんはまだ若いので、手術をしてあげたいですね。」 

「でもリハビリも大変なんでしょう。それと手術するとなると幾らくらい
 かかるんでしょうか。」

「手術、入院、治療すべてでおおよそ○○万円くらいになります。」

「先生、やはりうちにはそれは無理です。費用もリハビリも介護も無理です。
 とても出来ません。」

「では、今後のシロちゃんはどうなりますか。」

「どうなるか、私が聞きたいです。どうしたらいいんですか。でも
 何もしてあげられないとなれば、保健所に連れて行くしかないですよね。」

 その当時、屋外で犬を飼っている飼い主が、こういった決断を下すことは
 珍しいことではなかった。バブルがはじけて数年後でもあり、世の中が
 色々な意味ですさんでいたのかもしれない。
 我々にとってみれば、なんと身勝手な考えなのかと憤りすら感じる瞬間
 ではあるが、急を要するシロのことをなんとかしなくてはならない。
 ここで飼い主と押し問答をしても、シロには何の益にもならない。
 この飼い主にシロの面倒をみる意志も能力もないことは、このような経験を
 数多くこなしてきた我々には、明らかなことであった。

「そうですか。わかりました。それではシロちゃんを僕に下さい。後は
 僕が面倒を診ます。責任を持って診ます。心配しないで下さい。実験動物
 なんかにはしませんから。僕の愛犬にします。その代わりひとつだけ約束
 して下さい。シロちゃんのような状態になっても最後までちゃんと面倒を
 診られる状況になるまで、あなたは動物を飼ってはいけない。
 人の子どもが交通事故になって半身麻痺になったとしても、その子どもを
 捨てる親はいないでしょ。飼われる動物達にとって飼い主は、親と同じ
 なのです。その親から捨てられる動物達の気持ちを理解して下さい。
 それが理解出来ないうちは、動物を飼う資格はありません。」

 かなり興奮してしまった。怒りと切なさの感情をうまく整理出来ないまま、
 一気に突っ走ってしまった。だが、後戻りも後悔もするつもりは毛頭ない。
 
 飼い主は、僕の言葉にあっけにとられてしまっている。
 そして何も言わずに立ち去ってしまった。

「 Tさん。すぐにオペするよ。準備して。」

「もうしてあります。いずれにしてもするつもりだったでしょう。」

「やるの~。さすが。」

 他の仕事をテキパキとこなしながら、僕と飼い主の会話に聞き耳を立てている。

「何言ってるんですか。先生こそ早く始めて下さい。
 シロちゃんの面倒をみるのはどうせ私なんだから、ちゃんとやって下さいよ。」

 Tは、すでにシロの母さんになってしまったようだ。

 折れた背骨を元の位置に戻して固定をする手術を行ったが、結局シロは
 半身麻痺となってしまった。一生涯、介護が必要となる。
 幸い、犬用の車椅子には慣れてくれて、自由に走り回ることはできた。
 とても幸せそうにしている。
 
 動物は人間のように悲観したり落胆したりはしない。
 半身麻痺になったとしても、そんなことお構いなしに持っている能力を
 フルに引き出してこの世を満喫する。そして完結するときには何の未練も
 残さずこの世を去る。なんと潔いことか。
 いつもそのことに感動させられる。

 しろとの始まりだった。





















ゴールデンレトリバー 2

2012-09-26 09:57:26 | 日記


「先生、これからどうすればいいのですか。」

「まず、病院で出来るモルヒネ以外の緩和治療の全てを行いましょう。
 それでもダメなときにモルヒネを使うかどうかをご相談しましょう。」

「どのような治療ですか。」

「量子力学を応用した理学療法です。もとは人の治療機器なのですが、
 もちろん動物にも有効です。効果は痛みの緩和や食欲増進、元気を出させて
 気分を良くさせます。免疫力も上がりますし、血圧が高いと下がります。
 体温が上がります。気持ちが良くなり、眠たくなることもあります。」

「すごいですね。それはどうやって行うんですか。注射ですか。」

「いえ、注射ではありません。ソファのある部屋で1時間ばかりゆっくり
 のんびり、リラックスしていただくだけです。その間その部屋に振動を
 満たすと先ほどの効果が現れます。わんちゃんのためにご家族の方も
 一緒にその部屋でくつろいでいただくのですが、ほとんどの方が気持ち
 よかったと仰っています。」

「へ~そうなんですね。なんだかすごそうですね。」

「ちっともすごくありませんよ。とても単純なことなのです。早速始め
 ましょう。はやくこの子を楽にしてあげたいですよね。」

 振動療法の部屋へワンちゃんとその飼い主さんをご案内し、機器をセット
 して開始する。20分ほどしてから、そっとその部屋に入ると、ゴールデン君
 は横になって眠っているようである。

「如何ですか。どのような感じでしょう。」


「この子はとってもリラックスしてます。なにより気持ちよさそうです。」

「嫌な感じはありませんね。」

「はい、それは全くないです。

「よかった。よかった。それでは、○○さんのご家族の構成を教えていただけ
 ますか。」

「主人と私と中学生の娘と小学生の息子です。」

「他にワンちゃんやねこちゃんはいなかったですよね。」

「はい、この子だけです。」

「それではちょっと立ち入ったことをお聞きしますが、ご家族の間でケンカ
 などはあまりありませんか。」

「主人と私の間ではしょっちゅうあります。子ども達はそうなるとあまり
 近寄らないようになります。」

「そうですか。それではこれから○○さんに頑張っていただくことを、ご説明
 いたしますね。○○さんの悲しい、切ない、悔しい、やるせないお気持ちは
 当然の感情だと思います。ですが今は少しその気持ちを我慢して抑えておい
 てほしいのです。
 といいますのは、この子は非常に感情のセンサーが敏感です。
 ○○さんのそういったネガティブな感情をすべて感じてしまって、この子も
 一緒に気持ちが落ちていくのです。気持ちが落ちますと、痛みを感じやすく
 なりますし、食欲も元気もなくなります。免疫力まで落ちてしまいます。
 なんとか頑張って、元気で明るく朗らかに過ごしていただきたいのです。
 この子のためにお願いできますか。」

「この子のためだったら頑張れます。落ち込まないようにします。」

「ありがとうございます。それとできましたらご主人との言い争いもなるべく
 我慢していただけるといいのですが、それは難しいですか。」

「難しいですけど、この子のためなら頑張れると思います。先生、もしかした
 ら、私たちがケンカばかりしてたせいで、この子がこんな病気になったん
 ですか。もしそうだとしたらわたし・・・・。」

「いやいやそこまで気になさる必要はありません。そんなことを考え始めたら
 なにからなにまで悪く思えてきて、みるみる落ちていきますから。」

「でも確かに私たちがケンカをはじめると、なんとも悲しげな表情で私を
 みていたような気がします。本当にこの子が可哀想。」

「大丈夫ですよ。この子がこの腫瘍になったのは、遺伝的素因があったからです。
 過去を振り返っても仕方がありません。振り返って後悔することでこの子の
 病気が治るのであれば、頑張って後悔したほうが良いですが、後悔することは、
 おそらくこの子の痛みを増すことになりますから止めましょう。」
 
 確かにケンカが絶えない家庭や、攻撃性が強い飼い主、潔癖症で神経質な
 飼い主などと一緒にいる動物は病気になる確立が非常に高い。
 とは言ってもそのことを告げて何も得る物がないのであれば、敢えて言わな
 いほうが得策である。

「わかりました。そのことはあとで考えることにします。
 がんばって、明るく、元気になります。」

 振動療法の他にもいろいろなホリスティック治療を施し、そのゴールデン君
 は 2ヶ月間生存してくれた。その間食欲もそれなりにあり、排便排尿も
 ちゃんと自分の足で立って歩いて行けた。抗癌剤治療も足の切断も行って
 いない。モルヒネも使用しなかった。ぐったりしているといった様子は
 全くなかった。穏やかだった。亡くなる前日までその状態でいてくれた。

 亡くなった当日は、食事には手をつけなかったが少し元気がない程度で、
 やはり辛そうな状態ではなかった。
 3日に1回の通院を2ヶ月の間続けてくれた○○さんは、大きく変わった。

「先生。2ヶ月間いろいろありがとうございました。この病院で診ていただいて
 本当に良かったと思います。あの子との最後の2ヶ月間は私にとって掛け
 替えのないものになりました。あの子がわたしに色んな事を教えてくれ
 たんです。わたし我慢しなくても主人と以前のようにケンカしなくなり
 ました。いつもいつもあの子に大丈夫よ。大丈夫よって声をかけてあげて
 たら、ほとんどのことが大丈夫なんだなって実際に思えるようになっ
 たんです。それまでは、何もかもが大丈夫かしら、大丈夫かしらって
 心配だったんですよ。子どもの事とか特にね。だから子どもたちには
 いつも頭ごなしに叱りつけていました。子どものためじゃなく、自分の
 不安を解消させるためにね。
 10年間、うちの家族でいてくれて、ずっと私たちを見守ってくれて、そして
 最後に全部おしえてくれました。
 私がもうわかったよって言ったら安心して逝っちゃったんです。
 あっ、私、ごめんなさい。泣かないってあの子と約束したのに・・・・。」

 大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちてきた。
 僕もかなり危なかったが、なんとか持ちこたえた。
「おまえ、ほんとうにえらかったな~。ごくろうさん。ありがとうな。」と
 心のなかでゴールデン君につぶやいた。


ゴールデンレトリバー

2012-09-25 15:05:19 | 日記

「先生、なにか手だてはないのでしょうか。がんセンターに行きました。
 どんなに頑張ってもひと月以上は無理だと言われました。あとは痛みを
 取り除いてあげる治療もしくは処置しか残っていないと言われました。
 モルヒネしかないと言われました。足を切り落とすしかないと言われ
 ました。どうにかならないのでしょうか。助けて下さい。先生!」

 大腿骨の骨肉腫が肺に転移し、歩くことも出来ず、食欲も元気もない
 ぐったりの状態のゴールデンレトリバーである。かなり肥満で大きい。
 西洋医学の範疇では、完全にお手上げである。痛みを取り除くには、
 腫瘍が発生している足を切断するか、モルヒネのような薬物で朦朧と
 させるより手だてがない。いずれにしても救命は無理であるし、生活の
 質、所謂QOLの維持も困難な状況なのである。
 
「がんセンターで言われたとおりの状況だと思います。西洋医学的な
 アプローチではここまででしょう。もうこれ以上がんと闘うことは
 無意味ですので、この子の痛みをいくらかでも緩和してあげて、
 残された時間を少しでも楽しく過ごさせてあげる出来る限りの努力
 をご家族の皆さんと一緒にやって行きましょう。」

「まだこの子にしてあげれることがあるんですね。少しは楽になるんですね。
 治ることが出来ないことは充分わかっています。それはもういいんです。
 ただただこの子が苦しむのを見てるのがつらいんです。かといって安楽死は
 悲しくてできないんです。」

「わかりました。ご家族の皆さんもおつらいとおもいますが、頑張って行き
 ましょう。これまでこの子と同じようなわんちゃんを診てきました。以前は
 西洋医学的なアプローチしかできなくて、ご家族のみなさんには諦めていた
 だくことしかお伝えできませんでしたが、今はいくつかのホリスティック
 医療を行うことで、わんちゃんがかなり楽になってくれています。一緒に
 頑張りましょうね。」

「ありがとうございます。おねがいいたします。」

 藁をもつかむとはこういった状況のことだ。実際、自分の親父の死に
 直面したとき、つかめる藁を探しまくった経験があるので、この方達の
 気持ちは痛いほど解る。
 
 獣医になりたてのころは、医療を武器に病気と闘う、またはねじ伏せる
 ことばかりを考えていた。強い武器をたくさん身に着けようと必死に勉強
 した。ひとが遊んでいるときも、ひとが眠っているときも仕事をして、収益
 のほとんどを、新しい機器機材に費やした。獣医医療を究めようとした。
 ひとの医学会にもひんぱんに顔を出し、米国の最先端医療もしばしば
 チェックしに行っていた。日本の専門医のほとんどとネットワークを築き
 最大限の努力をし続けた。そこまでいったある日、気づいてしまった。
 病気を治療しても治せない。痛みや苦しみさえも取り除いてあげることが
 出来ない。究めたはずなのに。全てに近い武器を手に入れたはずなのに。
 克つことが出来ない。ねじ伏せられない。
 “敗北宣言”である。「これ以上どうすることもできません。ごめんなさい。」
 という敗北宣言である。医療の側からみるとそれは仕方がないことなのかも 
 しれない。仕方がないと割り切らなければやっていけない。
 しかし、患者や家族の側からみると、それは仕方がないとはとても受け入れ
 られないのである。その家族と医療従事者との間にあるギャップが温度差
 があって当然ではあるが、あるにしてもあり過ぎると思った。
 自分の中で耐えられなくなろうとしていた。
 
 獣医を辞めようと思った。
 
 そんな時期、それこそ藁をもつかむ想いで、心理学の勉強を始めた。
 物理学の勉強を始めた。農業の勉強を始めた。仏教の勉強を始めた。
 哲学の勉強を始めた。インド、ネパール、ブータンに行き、チベット仏教
 の僧侶たちと交流した。自分を救うために。
 
 するとまだまだ先があることがみえてきた。敗北宣言しなくても大丈夫
 だということがわかってきたのである。救われた。本当に救われた。
 いままで見えなかったことが急にみえはじめてきた。
 
 物理を学んだおかげで、量子力学を応用した理学療法にも巡り会えた。
 
 最先端のがんセンターでがんを切りまくっていたが、やはり限界を感じ、
 メスをおいてホリスティック医療を究めようとしている医師と知り合えた。
 
 神道を究めようと仙人のような暮らしをしていた、歯科医師とも友達に
 なった。
 自然農法でこの世の中から病気をなくそうとしている農業のプロが師と
 なった。宇宙の原理原則に少し触れたような気がした。


 つづく