漢方学習ノート

漢方医学の魅力に取りつかれた小児科医です.学会やネットで得た情報や、最近読んだ本の感想を書き留めました(本棚3)。

「未来の漢方」(津田篤太郎&森まゆみ 著)

2014年08月26日 07時58分14秒 | 漢方
未来の漢方~ユニバースとコスモスの医学~
(亜紀書房、2013年発行)

内容紹介
 「気のせい」も病気のうち。体と心の不具合には、とことん向き合う。
 漢方では人の体をどのように診るのか。どんな考え方で成り立っているのか。得意分野はなにか。マスを治すのに長ける西洋医学に対して、総合治療である漢方の再発見とこれから――。
 聞き書きの名手森まゆみさんが、NHKドクターG出演の津田医師(JR東京総合病院)に聞く。
 西洋医学と東洋医学はからだの見方が違う。つまり違った言語で人の体を見ている。そして、お互いに得意分野が違う。「なんとなく調子が悪い」とか「冷え症がなおらない」とか、病名がつかないものは、むしろ漢方のほうが得意とする。漢方の特徴と、歴史的な経緯を知れば、納得して、ゆっくりと自分の病や不具合に向き合うことができる。しかも漢方には「手の施しようがない」という考えがない。症状に合わせて治療はずっと続けられるのだ。
 2007年に免疫疾患のひとつである原田病にかかった森まゆみさんが、津田医師に教えを乞うた。西洋の体系と漢方の体系がぶつかり、ひずむ所から何が見えるのか。総合医療としての漢方のこれからを考える。



 医師が啓蒙書を書くと、患者視線とは異なるのでわかりにくくなる傾向あり。
 一方、患者が書くと、医学的な記述が甘くなる傾向あり。
 「医師 vs 患者」の対談では、うまく行けば問題点が浮き彫りになり読む価値のある書物になる可能性あり(当然、失敗の可能性も)。

 森まゆみ氏は聞き書きを得意とする作家であり、自らが「原田病」という疾患の患者でもあり、その辺の素人とは違います。
 その森氏が、主治医でもある漢方医に日頃の疑問・質問をぶつける対談集は、少々ハイレベル。

 津田先生は博識で、漢方医学に限定せず話が広がっていくのも興味深く読ませていただきました。
 一般的な疑問が氷解するのはもちろんですが、その一方で、漢方医学の歴史をストーリー性を持って詳しく述べている点が私には勉強になりました。


メモ
 自分自身のための備忘録。

西洋医学 vs 漢方医学
・西洋医学では、検査なり身体所見なりで、何か客観的に以上が出てこないと動きが取りづらい。漢方医学では、患者さんの自覚的な症状だけでも、検査の異常が出なくても、なんらかの手を差し伸べることができる。
・西洋医学で言う「健康」とは正常値ということに尽きます。漢方医学における理想の健康状態とは「バランスがとれた状態(中庸)」。
・病気の原因がハッキリ特定されていて、それを排除することが可能なものは西洋医学の方がいい場合が多い。感染症や切除可能な癌とか、外傷がこれに当たる。逆に、病気の原因が特定されていなかったり、病気の原因と、それに対する体の反応の相互関係が問題になるような場合は、漢方がよいことが多い。

ユニバースとコスモス
 ユニバースは「数学的秩序による世界像」、コスモスは「直感的認識による世界像」。

EBMとNBM
 経験や勘に頼るのではなく「証拠(エビデンス)に基づいた医療をしましょう」という運動が欧米を中心に1990年代になって起こってきた。この「証拠」とは、多数例の患者を詳細に調べた臨床データを、統計学的に分析したもの。しかし、このような統計データは素人にはわかりにくい上に、さまざまな誇張やトリックが入り込みやすいと云われている。
 そのような「証拠に基づいた医療」を批判する立場も最近あらわれ始めている。「“語り”(ナラティブ)に基づく医療」というのもそのひとつで、これは患者さんの“語り”に耳を傾けることにより、さまざまな臨床上の問題や、診断の鍵が浮かび上がるのた、という主張。
 漢方医学の長い歴史に蓄積された「口訣」というものは、先人達がさまざまな患者の訴えや言葉、所見からくみ上げられてきたドキュメント。近頃は西洋医学でも clinical pearls と呼ばれて「口訣」と同じような概念が出てきている。

森まゆみ氏の原田病を津田Drが見立てる
 目に来る前の時期の原田病は太陽病、ステロイドにより病勢が頓挫すると少陽病、ステロイドの副作用が問題になる慢性期になると太陰病と考えられる。この時期になると体が冷えてきたり、ぐったりする。さらに病気が進むと少陰病と云って下痢が始まり、厥陰病だと脈も触れない状態になる(ただし原田病だけではそこまでいかない)。

「中医学の歴史」拾い読み
①『黄帝内経』・・・鍼灸医学を中心とした生理学・病理学の書物(ユンケル黄帝液の名前の由来)
②『神農本草経』・・・薬草に関する書物
③『傷寒論』・・・漢方薬による治療論。張仲景著。
いずれも漢代(紀元前3世紀~期限世紀)に成立した書物。
古代中国は3つの文化圏に分けられ、北から、黄河文化圏・揚子江文化圏・江南文化圏となり、黄河文化圏では『黄帝内経』の鍼灸医学が、揚子江文化圏では『神農本草経』の生薬学が、江南文化圏では『傷寒論』の漢方医学が発達した。

①中国神話時代の伝説的指導者である黄帝が、名医の岐伯と問答をするスタイルで書かれている医学書。
黄帝:「いにしえの時代は、まじないや祈祷による、精神療法だけで病が治ったというが、最近は毒薬を使った内科的治療や、鍼や石を使った外科的治療までやって、しかも治ったり治らなかったり・・・というありさまなのは、なぜなのか?」
岐伯:「昔の人々は自然に近い暮らしをし欲望少なく人生を送ったので、薬物治療や外科治療の必要がなかった。いまの人々は不摂生でストレスも多いので病気が重くなりやすく、治療もまじないや祈祷では追いつかなくなりました」

②365種の生薬を上品・中品・下品の3つに分類している;
・上品:生命力を養う薬で、無毒で長期使用が可能
・中品:体力を補う薬で、使い方次第では害が出る
・下品:病気を治療する薬で、有毒なので長期服用は不可
(・・・現代薬は『神農本草経』の分類に従えば、ほとんどが下品)

③傷寒とは病気の名前で急性熱性疾患を指す。この時代の傷寒は伝染性の発熱性疾患であり、しばしば命を落とすほどの病気であった(現代医学で云うと何の病気に当たるのかハッキリしない)。『傷寒論』はそのときのパンフレットというか、病気の始まりから最後までを見届けて情報提供する行政府の発行したガイドラインのようなもの。『傷寒論』と同時に張仲景が書いた傷寒以外の雑病を扱ったのが『金匱要略』で金匱とは大事なことを金庫みたいな箱にしまってあるという意味。
・「太陽病」の意味:お日様(太陽)の病気、という意味ではなくて、急性の時期(陽病)の一番最初(太)という意味。「太」という字には一番最初という意味があり、一番最初の男の子を「太郎」と名付けるのがよい例。
 『傷寒論』以降の医師にとっては、一つの病気を研究し尽くすことにより、生体反応の「お決まりパターン」への対応を完全にマスターすれば、すべての病気に応用が利くんだ、ということになった。
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「わが子を“生食(ローフード)”で育てたい」

2014年08月24日 06時30分35秒 | 食育
NHK-BS 世界のドキュメンタリー 2014.8.10(再放送)
わが子を“生食(ローフード)”で育てたい~ある母子の選択~」(原題:Rawer)
オランダ、2012年制作



番組説明
5歳のときから生野菜、果物、ナッツなどの加熱調理していないものしか食べていない、14歳のトム。彼の母親が、肉や魚、卵、乳製品はもちろん、野菜でさえも、加熱した食べ物はすべて健康を害すると信じ、食生活を制限しているのだ。
ある医者は14歳にしては身長が低いトムにはたんぱく質やカルシウムが欠如していると指摘し、彼を栄養失調と診断。さらに児童福祉審議会は、アフリカの欠食児童たちと同じように成長が阻害されているとして、裁判所の指導をあおいだ。
トムは母親に強いられているわけではないと証言するが、裁判官はトムの処遇を児童福祉審議会に委ねるという判決を下す。
セカンド・オピニオンを求めた母親は、医師に魚を食べさせるよう勧められるが、水銀による汚染が懸念される魚を息子に食べさせるつもりはないという。
母親が息子の健康のためにと信念を貫こうとする一方で、菜食を続ければ通常の食事をした場合より12センチも身長が低くなると言われ、思春期のトムの心は揺れる。


「食育」の参考になるかな? と録画して見たフランス制作のドキュメンタリーです。
本番組で紹介された母子は、いわゆる「菜食主義者」の極端な例・・・でしょうか?

アレルギー関係の本で「人間が食物アレルギーと向き合うようになったのは火を使い調理し出した頃からだ」という文言を読んだことがあります。火を通すことにより、それまで口にしなかったものを食材にしてきた過程で、ヒトの免疫系が“異物”と認識して排除する例が出てくるという意味です。

すると、この番組内で紹介された“生食”はまだ火の使われていない狩猟採集時代の食生活に戻ったことになるのかもしれません。ただ、肉は食べないので、動物性タンパク質は摂取できておらず、やはりバランスのとれた食生活とは言いにくい。

母親は現代社会における加工食品のマイナスデータを拾い集めて「加熱・加工食品は悪」と断言します。
「○○を食べると癌になる」「魚には水銀が蓄積されている」等々。
間違いではありませんが、あまりにも極端で正しいとも言えません。
要はバランス感覚なのでしょう。

その母親を見ていると、マイナスデータばかりを集めて医療を批判する船瀬俊介氏や、新興宗教にはまり聞く耳を持たなくなってしまった人々を思い出しました。
そういうヒトって、一定の比率で社会に存在しますね。

番組内では、栄養面の問題のみではなく、児童虐待としての視点で裁判沙汰になっていることも取りあげられています。
「1年間母親の元から離しての養育が必要である。」
との判決が下されましたが、この番組が放映されたことにより賛否両論が吹き荒れ社会問題化し、結局現在も母親の元で生活しているようです。

人間にとって理想の食生活については、現在でも議論中で答えは出ていません。
■ 「ヒトはおかしな肉食動物
では、反芻胃を持たない人類は草食動物の条件を満たさず、肉食動物と言わざるを得ないと結論づけています。

最近では糖尿病患者の食生活として糖質制限食が注目を浴び、「炭水化物が人類を滅ぼす」という本まで出版されています。

<参考>
■ 「生肉・生レバーを子どもに食べさせるのはやめましょう」(日本小児科学会、2011年)
 直接の関連はありませんが“生食”つながりということで。こちらは腸管出血性大腸菌(O-157)の感染対策です。
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「和食の知られざる世界」(辻 芳樹 著)

2014年08月20日 12時44分16秒 | 食育
和食の知られざる世界」(新潮新書)



内容紹介
料理研究者として知られる辻静雄を父に持つ著者は、幼い頃から味覚の英才教育を受けてきた。そしていま、世界が賞賛する「和食」の未来に大きな希望と一抹の不安を抱いている。なぜ海外の一流シェフは和食に驚嘆したのか? 料理を最高の状態で味わうコツとは? 良い店はどこが違うのか? 歴史的変遷から、海外での成功例や最先端の取組みまで、世界の食を俯瞰的に見つめ続けてきた著者だからこそ書けた、和食の真実。


TV番組「久米書店」でこの本と著者の紹介をしているのを見て興味が沸き、読んでみました。

世界中で日本食ブーム。
しかし、それを提供しているのは非日本人が多いという現実。
現在、海外産「WAGYU」問題も話題になっており、タイムリーな本です。

信頼度の高い“日本ブランド”を利用した商売がはびこる今日、どう考え対応するべきか?
という大きなテーマの元、料理人と云うより料理研究家の家系に生まれ英才教育を受けた著者が解説を試みた、という内容です。

その昔、日本料理を守るために資格制度導入を試みたこともあるようですが、あえなく挫折。
今の世界潮流には馴染みませんでした。

著者は自問自答します。
和食は中国を中心とした外国の食文化を取り入れ、日本独自に fusion して形成してきたものではなかったか。
本道とは離れるけど、カレーライスや金平糖などは、日本化した輸入食だったはず。
ならば、日本食のエッセンスを保ちつつ、外国人の舌に合うよう変換・翻訳していく方法は“可”ではないか、と結論づけます。

和食のエッセンスとは「引き算の美学」。
料理技術でも食材の使い方でも味付けの仕方でも、削って削って、削いで削いで、素材をまるで「土の中から生まれてきたもの」のように料理する日本人独特の美学、美意識であると著者は説いています。

また、日本料理の基本中の基本「出汁」は、黒潮に乗ってやってくるカツオから作る鰹節と、親潮に乗ってやってくる昆布のコラボレーションという、日本という土地の持つ特殊性に由来することなど、目から鱗が落ちるトリビアが満載です。

この本、女性ではなく男性に売れているそうです。
女性を誘って割烹で蘊蓄を垂れる目的らしい(苦笑)。
でも、レベルの高いテキストだと思います。


メモ
 自分自身のための備忘録。

■ 最近のトレンドは、「東洋のエキゾティシズム」としてもジャパンではない。ソニーやホンダ、トヨタ等の最新工業技術や、マンガ、ニンテンドー、アニメ等の世界が憧れるサブカルチャーが生まれた「クールな」国としてもジャパンを認知する世代が生んだ「和食ブーム」なのである。

外国人には出汁(ダシ)の味はわからない。 
 あの味は生臭い味と香り(というよりは臭い)なのだ。フランス料理はフュメ・ド・ポワソンという魚の出汁があるが、これは通常ソースの土台として使われる。さまざまな食材を加えて重層的な味を作り出すものだ。ところが和食の土台となる出汁は、それ自体の味や香りを重視し、素材そのものを生かす使い方をする。だから彼らにとってみたら、まるで火の通っていない魚の香りが液体から漂ってくることになり、面食らってしまう。

西洋人はあんこが食べられない。
 小豆(レッドビーンズ)が甘いという味覚を全く受けつけない。

現在の世界の料理界の潮流は「味覚の簡素化」「量(ポーション)の少量化」「カロリーの低減化」
 その口火を切ったのは、1960年代後半からフランスの料理界を席巻した「ヌーベル・キュイジーヌ・フランセーズ」(新しいフランス料理)だった。ポール・ボキューズら当時の新世代の料理人たちは、料理の簡素化、素材の尊重、軽さの追求を推し進めた。
 そして1970年代になると、その「簡素化」の流れは米国西海岸に及ぶ。食材の生産そのものから見直し、米国に食の「革命」を起こしたといわれる女性料理人アリス・ウォーターズが先駆けとなり「カリフォルニア料理」として流行した。彼女が唱えたカリフォルニア料理の哲学は、今も食育の原点として米国国内で受け継がれている。
 もっと軽く、もっとヘルシーにという要求に答えるあまり、ついに西洋料理の既成の技法では「料理の簡素化」を追い求めるには限界が来てしまった。「味がなくなってしまう」ところまで来てしまったのである。
 そこで1980年代以降、注目を集めるようになったのが、和食のレシピ、技、食材、そしてそれらの使い方だった。

世界に出た和食の3つの変化変容
1.「ギミック和食
 「和食っぽい素材」を活用し、「和食っぽい見た目」の料理。ただし、我々から見れば和食の本質的な魅力や日本人の感覚からは外れたもの。
2.「ハイブリッド和食
 和食には見えないものの、和食の本質的な技術を活用した料理。
3.「プログレッシブ和食
 和食の素材、和食の本質的な魅力を生かしつつも、果敢に新しい素材や手法も取り入れて、異文化の中でも堂々と勝負できる料理。

日本の漁場の特徴
 山林の豊かな養分が海に流れ込み、豊穣たる漁場を近海に作り出してきた。
 四方を取り囲む海にも特徴がある。南方からは世界有数の強大な流れである黒潮(プランクトンが少なく透明度が高く、青黒色に見えることから命名された)が北上し、日本列島の南岸に沿って進む本流と、日本列島の北岸を進む対馬海流に分かれる。多くの回遊魚がこの流れに沿って日本列島の近海を北上していく。
 一方、北からは千島列島に沿って南下し、日本列島の東岸まで達する親潮(千島海流とも呼ばれる)がやってくる。この流れはプランクトンが多く「魚類や海藻類をよく育てる潮」という意味でこの名がつけられた。
 この黒潮(暖流)親潮(寒流)の大きな流れが日本列島の東岸でぶつかり、北太平洋海流(北太平洋ドリフト)となって東に向かって流れ出す。このとき、親潮は黒潮より密度が高いので、混合域では黒潮の下に沈み込む形になる。このときできる潮目では、黒潮とともに北上してきた多様な魚類が親潮のプランクトンを目指して集まり、この海域は量・種類ともに世界的に見てもきわめて豊穣な漁場となる。

一番出汁の誕生
 東北三陸海岸以北や北海道でしか採れない出汁用の昆布とその乾燥加工技術。紀州、九州や四国で盛んな鰹漁と鰹節の加工技術の発明。この二つが出会って和食の風味の基盤をなす「一番出汁」が生まれるというのも、日本の風土の多様性のなせる技だ。

日本の食の歴史を概観する
 奈良時代から水田稲作を生産基盤に据え、米を国家の主要な収入源とする国造りが行われてきた。
 さらに大陸から伝来した仏教思想の影響も大きい。支配者層による肉食の禁止や制限が和食文化の一つの傾向、特徴を作っていく。つまり米、野菜、そして川や近海で捕れる魚介類が中心となる食事の基板が作られていったのだ。
 奈良時代頃から洗練された中国の宮廷料理の体系が日本の宮中に導入され、平安期には「大饗料理」と呼ばれる饗応料理の様式が整った。大饗料理では、台盤と呼ばれた台に珍しい食材、高価な食材が、なまもの、干物、菓子類と分けてずらりと並べられた。当初は箸も匙も使われ、皿数も中国の様式にならって偶数だった。
 その後中国で使われていた匙はいつの間にか消滅し、時代が下って戦国時代の武家による「本膳料理」になると、皿数も奇数になる(箸だけの食事形式、偶数から奇数の皿へ)。
 やがて大航海時代も16世紀半ばになると、今度は大海を渡ってやってきた西洋文明の影響を受けるようになった。この時期に日本にもたらされ、多少形を変えながら根づいた食べ物としては、コンペイトウ、カステラ、天ぷら等があげられる。
 江戸時代には「本膳料理」からさらに茶の湯の発展に伴って「懐石料理」が生まれ、より広い層に浸透していった。
 寿司、天ぷら、鰻、蕎麦など、今日に繋がる和食の専門料理は、江戸時代の参勤交代で江戸住まいになった地方武士や、職を求めてやってきて江戸に住んだ職人などの「単身赴任者」用のファストフードとして登場したものだ。

江戸前寿司の成り立ち
 寿司の語源は「すっぱし」と言われ、酢という文字を当てるのが最も原義に近いと言われる。そもそもは、東南アジアから、魚を保存するために米と塩を用いて発酵させた、旨味を引き出す「発酵食品」として日本に入ってきたものだ。魚を塩だけで漬け込むとアミノ酸発酵となるが、これに炊いたご飯を混ぜ込むと乳酸発酵が起こる。
 これが「熟れズシ」で、今も琵琶湖周辺に残る鮒ズシや、吉野の釣瓶ズシ、秋田のハタハタズシ、かなざわのかぶらズシ等に、そのルーツたる技術が残っている。
 ところがこの「魚を発酵させて食べる」技術が、江戸時代末期に変化・変容して「生食」の寿司の文化をつくっていく。その分水嶺になったのは、関西の箱寿司とか押し寿司といった早鮨の登場だった。これらの寿司は、技術的には発酵させないで、酢飯をベースに、酢じめしたり炊いたりして調理した魚や野菜を加えている。京都で有名なサバ寿司も、サバに塩をきつく当てて酢でしめた、むしろマリネと云っていい。そこから今日の、魚を生で食べる寿司へと分かれていった。
 かつては魚を保存するために米を使って発酵させていたものが、いつの間にかご飯に酢を加え、それと生の魚を合わせて食べさせるものに変化し、その最終形が江戸末期に登場した「江戸前の握り寿司」になった
 こうして江戸時代に登場した寿司は、まず屋台という形式の「簡易外食」として誕生した。

懐石料理の歴史
 そのルーツの一つである「精進料理」は、5-6世紀ころ中国で生まれた。中国系の大乗仏教が肉食を強く禁じていたことから、穀類や野菜で作る料理が発達したとみられている。この時代の精進料理は、野菜を煮たり蒸したり炒めたりしながら、濃い味付けにし、動物性食品に擬したものだった。その後、唐代になると水車の普及により進んだ粉食技術を生かし、中国特有の精進料理が発達する。さらに、南宋で盛んだった禅の思想が喫茶と精進料理を結びつけたために、禅宗寺院で高度な料理法が生まれたと言われている。
 この南宋に日本人僧侶が渡海したことで、日本にも精進料理がもたらされた。日本では、小麦粉に胡麻や味噌などで味付けをして、植物性の材料で限りなく動物性に近い風味が生み出せるようになったようだ。
 南北朝以降には、北海道の昆布が流通するようになり、昆布や鰹節を味のベースとする、今日的な料理法が広まっていった。
 室町期に入ると、武家の料理も鎌倉時代より贅沢になり、将軍の饗応には多数の膳からなる「本膳料理」が今日されるようになった。この時代に、中国色の濃い大饗料理からの影響を脱して、本格的な日本料理が成立したと見なすのが一般的だ。14-16世紀のこの動きが、さらに「懐石料理」の誕生への道筋を作ることになる。
 もう一つのルーツは「茶の湯」。
 覚醒作用を持つ茶は、鎌倉時代末期には広く一般に受け入れられていて、室町時代初期には、茶会において葛切りや素麺、山海の珍味などを供していたようで、今日の懐石料理の原型ができていたと思われる。
 室町期には富裕な商人の間でも茶会が盛んになり、和漢の融合を目指した佗び茶の概念も誕生し、懐石料理は佗び茶を通じて確立されていった。
 茶の湯は禅院の茶礼(されい)を発祥とした関係から、懐石料理には精進料理の影響が見られる。この時代を代表する料理形式である精進料理には食材の制限があり、また本膳料理は儀式的な料理だったので一般には広まらなかった。そうした中で懐石料理は、茶の湯の広まりとともに一般化していった。
 儀式的な要素が強かった本膳料理から、茶の湯の「侘び寂び」の精神に裏打ちされた懐石料理へ。見た目の贅沢さではなく、温かい料理は温かい状態で食べること。つまり料理を味わいことに重きを置いた懐石料理の登場は、日本の料理史上の一大変革だった。

洋風文化を和風にアレンジした「洋食」
 日本人は押し寄せる洋風文化を和風にアレンジすることに長けていた。例えばその頃に誕生した「すき焼き」も、西洋の食文化である肉食を、和の食文化である醤油や出汁の入った割り下を使って和風に調味し、卵を付けて食べる。
 今日においても、「洋食」といわれる料理、とんかつやエビフライ、カレーライスといったメニューも、西洋の人やインドの人が食べたら「自分たちの食文化から生まれたもの」とは思わないはずだ。日本に天ぷらをもたらしたポルトガルに行っても、あんなにこんがりした色のエビフライにはお目にかかれない。

料理人の年齢による出汁の傾向
 若手の料理人の店に行くと、出汁に使う鰹節で勝負しようとしてくる場合がある。鰹節を使えば、確かに出汁は濃厚になるけれど、どこかに酸味が残ってしまうケースがある。対して熟練の料理人は、鰹節だけにこだわらずに他のさかなの厚削りなども使って、綺麗で高貴な、洗練された味を醸し出してくることもある。

著者が人と料理店へ行くときに心がけていること (・・・き、厳しい条件)
・食事中、料理が出されているにもかかわらず際限なくぺちゃくちゃ喋る人とは食べに行かない。
・料理を主役にした食事会の場合、6人以上では行かない。和食店の場合、食器は一組5客が基本であり、それ以上の人数になるとバラバラの器で出されることになる。さらにアラカルトで頼む店では、6人以上になると料理を同じタイミングで出すことが難しい。
・ケンカする可能性がある人、食事中に議論を楽しめない人とは行かない。
・料理や料理人、あるいは食材に対して敬意を持てない人ともあまり食事を共にしたくない。

一皿ごとに酒を選ぶ
 料理ごとに酒を合わせるというのは、実にフランス料理的なサービスだ。日本の料理と酒の文化では、料理に地元の良質な酒を2-3種類合わせることはあっても、フランス料理とワインのように、皿ごとの香りや味に合わせて酒を変えるという発想はない。フランスでは料理と酒の組み合わせが絶妙な場合、「マリアージュ(結婚する)」とすら表現する。

料理の「雑味」(「草喰 なかひがし」の中東久雄さんのコメント)
 「料理には必ず雑味が出ます。それがなく喉にスッと入っていくのは日本の出汁と韓国のもやしスープくらいのもんです。その雑味はアルコールで流すといい。うま味がスッと鼻に抜けて料理が三倍おいしくなります。」

大原の農家のコメント
 「わしらは野菜を作ってるんとちゃう、わしらは土を作ってるんや。野菜はええ土を作った褒美に神様がくれはるもんや。」

■ 和菓子の色彩感覚(「亀屋吉長」の藤田怜美(さとみ)さんのコメント)
 「パリではフルーツの色さえ出せばよかったんです。ところが京都の色ははんなりとしていて抑制の効いた色でなければいけません。色が違ったら違うお菓子になってしまったりもします。和の色彩感覚は奥が深いです。」
 
アメリカ人は食べてくれない「魚の焼き物」
 「ブラッシュストローク」出店の際に一番苦労した料理は魚の焼き物だった。銀ダラ、カサゴなど、アメリカで捕れる魚は水分も油分も多い。日本では魚に塩を当てたり、西京漬けなどのように味噌に漬けてその香りを付けたりしながら、魚特有の臭いと余分な水分をとって焼き、しっとりかつ凝縮した味わいを楽しむものだ。ところがアメリカ人は、この状態だとたんなるパサパサな魚としか見てくれない。ジューシーでなければとばかりに残してしまう。
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子育てハッピーアドバイス「食育」(松成容子/明橋大二著)

2014年08月14日 14時04分17秒 | 食育
子育てハッピーアドバイス「笑顔いっぱい 食育の巻」(松成容子/明橋大二著)
一万年堂出版、2014年発行



人気シリーズの最新刊です。
今回は「食育」がテーマ。

食育というと、どうしても「固い内容」「面倒くさい」「上から目線」というイメージが拭えません。
■ 文部科学省:学校における食育の推進・学校給食の充実
■ 農林水産省:食と農林水産業について知ろう、考えよう(食育の推進)
この2つのHPを開くだけで、どこから読んでいいのか途方に暮れます。
特に私が苦手なのがこのイラスト;


目にする度に目が回りそう。

さて明橋先生、今回どんなマジックを使って「食育」をかみ砕いて解説してくれたのでしょう。
NPO法人食育研究会「Mogu Mogu」代表幹事との松成容子氏を起用しての執筆。

うん、わかりやすくバランスのとれた内容だと思います。
栄養の問題のみならず、そのバックグラウンドにも言及しているところがこのシリーズの良いところ。

“食育”がうまく行かない背景には“子育て”がうまく行かない、母親の立場が追いつめられている現状が垣間見えて、「こうすると好き嫌いがなくなりますよ」程度のシンプルなアドバイスでは解決に至らないことがわかります。
サポートすべきは“親子/家庭”ではないか、と。

それから、食料があふれる今日のお母さんの悩みは「食べないこと/食べ過ぎること」など、70年前の食べるものがない食糧難だった日本では考えられなかった悩みが多いことにも注目すべきです。

・離乳食を食べてくれない
・好き嫌いはどうすれば治る?
・お菓子の食べ過ぎで困ってます
・遊び食べ/ばっかり食べにはどう対処したらいい?
・清涼飲料水は「液体キャンディー」
・水代わりにスポーツ飲料はNG
・ファストフードは「カロリー2食分」


等々、適切な食生活を送ることの困難さを訴えているようです。
大家族でテーブルを囲んで食事・・・という時代はとうの昔、近年の個食/孤食では、家庭で食習慣が身につく機会が少なくなったのでしょう。

突破口へのヒントが随所に記されています。

例えば、プロの料理人を招いての小学校の調理実習。
大根をどうおいしく食べるか、生徒に考えさせて自由にやらせた後に、プロの料理人のアドバイスの元、出しの利いた大根料理を自分たちで作り食べてみると大根嫌いの生徒まで完食!

この企画、お母さん達も参加したいのではないでしょうか。
某アンケートでは「料理に自信がない」というお母さんは40%もいるらしい。

恥を忍んで、おいしい料理を食べて好き嫌いが解決した、という我が家のエピソードを紹介します。
長男は刺身が食べられませんでした。
あるとき、仕事でよくお世話になる魚のおいしい日本料理店へ連れて行ったところ、今まで食べたことのない刺身や他の魚料理もぱくぱく食べ始めたのです(妻には申し訳ないのですが、事実です)。

食事の栄養バランスは一食ごとに考えるのではなく、2~3日のスパンで整えるよいと書かれています。
お母さん達のプレッシャーを軽減するアドバイスですね。
ただ、「栄養のバランス」というと私はまた上記のコマのようなイラストが頭に浮かび、拒否反応。

もっとわかりやすい簡単な方法はないものか、と以前からさがしてきましたが、今のところ第一候補はNHKためしてガッテンで紹介された「10食品群チェックシート」です。
元々は粗食ブームで問題になった「新型栄養失調」対策で考えられた指導法です。

粗食で「新型栄養失調」 熊谷修教授(人間総合科学大)が警鐘
 熊谷教授らの研究グループは、高齢者が避けがちな「肉類」「油脂類」などを食べる機会を増やし、食生活を改善するための「10食品群チェックシート」を作成した。使い方は、10種の食品群のうち、一日に食べたものを7日間単位で継続的にチェック。少しでもマルの数を増やすよう心掛ける。
 国内のある地域でこのチェックシートなどを使い数年間にわたり追跡調査を行った結果、利用者は10種の食品群を食べる回数がおのずと増え、血清アルブミン値が上昇。動脈硬化や筋力低下を予防する効果があったという。
 加齢による栄養状態の悪化が避けられない以上、高齢者には肉類や卵、脂肪、牛乳などを適度に摂取して補うことが健康維持のこつといえそうだ。


その使用法の実際は・・・

TAKE10!高齢になってもお金をかけずに元気でいるための運動と栄養プログラム
・・・一部を抜粋しますと・・・
 高齢者を元気にした食事指導を実践されている方がいて秋田県で14年まえからある食事法を実践し低栄養、動脈硬化が改善し、寿命が上がったということでした。
 肉 魚 卵 牛乳 大豆 海草 いも くだもの 油 緑黄色野菜
の10品目をバランスよく食べたら改善したそうです。
 食品10品目シートという管理シートを使って10日間ごとにチェックします。簡単なやり方ですよね結構、偏って食べているのがわかるようです。
<10品目シートの使い方>
 その食品群を食べたら○を書き込み、◎の数で1日10点満点、毎日の食生活を点数化していきます。量は少しでもOK!
(例:のりを一枚でも食べたら、海藻は◎)
 牛乳は乳製品(ヨーグルト・チーズなど)も含みます。
 表は10日で100点満点、なるべく満点を目指しましょう!


私は「この子の肥満を解消する方法はないでしょうか?」と相談を受けると、まじめで痩せているお母さんには病院を紹介して管理栄養士の元での食事療法を勧めますが、お母さんも同じ体型で細かい指示は守れなそうな場合は、この10食品群シートを紹介しています。

ジャンクフード(ファストフード/インスタントラーメン/スナック菓子など)の動物実験の下りは興味深く読みました。
ラットを使った動物実験では、上記食品を食べさせると依存症が生じ、体重が増加し続けたとの結果(恐ろしい・・・)。
タバコ、アルコール、麻薬と同じ脳内メカニズムだそうです。

プロの料理人のコメントが耳に痛い&重い。

「相手を思って作るのが料理。相手がわからずに作られているのが食品。」
「家族を思って作った料理がそこにあれば、家族は安心して家に帰ってくる。」
「“いただきます”とは植物・動物の命を絶ち、自分の口に入れて私たち人間は生きてゆく、だから本当の意味は、あなたの命を私の命にさせて“いただきます”。」


御意。

和食の魅力についても触れています。
メリットはいろいろありますが、注目すべきは「油脂分が少ないのに、旨味がしっかりある」ところ。
比較食文化の研究者によると、

     主食   タンパク源   保存のきくタンパク補助食品
日本:  コメ     魚       大豆製品
西洋:  コムギ    肉       乳製品


となり、たんぱく源の魚は肉と比較して飽和脂肪酸(生活習慣病の犯人)より体によい不飽和脂肪酸優位。大豆は肉と同程度のタンパク質を含むが脂質は肉より少ない、と和食のメリットを分析しています。

離乳食を食べない原因の一つに、運動不足が指摘されることがあります。
お母さんは「毎日公園へ行って遊ばせています」と云いますが、実際に観察すると、あれもダメ、これもダメ、で子どもがどろんこになって自由に遊んでいるのとはほど遠く、ちょっと汗ばむ程度。走り回って疲れ果てて汗が干からびるくらいまで遊べば、へとへとになって何でも食べそうなもの、というTV番組を見たことがあります。

少子化の現代社会では、子どもは大切に、危険のないように、嫌いなものは食べなくていいんだよ、と真綿に包んだような子育てになりがちです(自戒をこめて)。
将来子どもが成人後、その気遣いが真綿で首を絞めるようなマイナス要素にならないことを祈りたい、と考える次第です。
コメント
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