知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

民俗学者 小泉八雲(小泉凡著)

2012年08月04日 17時10分43秒 | 民俗学
副題 ~日本時代の活動から~
恒文社、1995年発行。

民俗学関係の書籍を読んでいると、小泉八雲(=ラフカディオ・ハーン)の存在が気になってきます。
そう、英語の教科書に載ってた「KWAIDAN」の著者ですね。

ギリシャに生まれ、アイルランド~フランス~イギリス~アメリカと世界を渡り歩いたジャーナリストが、日本人と結婚して定住し、その視点から日本の失われつつある伝統・習俗を記録して残した・・・というのが私の予備知識。
彼が活動した明治20~30年代の日本は帝国主義まっしぐらで、古来の習俗を切り捨てさる風潮が蔓延していました。その時にフィールドワークを行い、消えゆく日本の民俗事象を残してくれた小泉八雲に感謝する次第です。

さて、この本は彼の曾孫(ひまご)に当たる凡氏が、彼の足跡・仕事を分析して民俗学の中で位置づけるという内容です。
・・・でも、ただ「位置づける」だけなんです。
私の知りたい、あるいは期待した民俗学的事象そのものの記載がありません。彼の採集したわらべ歌を見たかったのに、ガッカリ。

著者の分析によると、小泉八雲は一時期文学を目指していたこともあり、新聞記者としての特ダネを見つける視点(本来の民俗学が重視する庶民の日常生活よりも、奇異な伝承や習慣を重視)と、それを論文形式ではなく文学的作品として発表した点が特徴と云えるようです。

そして、何より彼は日本を愛しました。
明治時代に訪日した外国人の目から見た日本旅行記はいくつもありますが、結婚して国籍を得て生活した彼の視点・存在は貴重です。
ただ、彼が結婚したセツは士族でした。つまり、純粋な庶民・常民の生活に寄り添ったわけではありません。

残念ながら彼の仕事は学問としての評価はされませんでしたが、一方では現在まで読み継がれる著作として残り、当時ライバル視したチェンバレン氏より愛する日本にインパクトを残すことになったのでした。
論文より小説の方が、我々にはとっつきやすく、わかりやすいですからね。


メモ
 私自身のための備忘録。

小泉八雲の著作からうかがえる民俗学的特色と方法
・特色
① 民間信仰の重視
② 感性によってとらえられる民俗事象の考察
③ 口承文芸の緊急採集と再話
④ 日常的伝承の欠如
⑤ 地域差の重視
・方法
① フィールドワークと微視的調査法
② 直感的研究法
③ 比較民俗学的研究の視点
④ 文学としての作品形式

学問としての評価
・科学的研究者としての素質と収容の欠如から、民俗学を学問的に発展させるには至らなかった。
・ハーンは先駆的な民俗の採集者ではあったが、それを系統立てて歴史的発生的な研究の域に踏み込むことはできなかった。

柳田国男との比較と柳田による評価
・柳田国男の山村調査時における関心事とハーンのそれとは、共通する点を見いだすことができるが、柳田の場合は地域社会における異常性を追求することにより、逆に地域社会における「常」なるものを探らんとした目論見を推察することができるが、ハーンの場合は、その点の洞察は希薄だったと云える。
・柳田がハーンの著作の中でもっとも関心を抱き、影響を受けたものは『日本人の微笑』(「Glimpses of Unfamiliar Japan」より)であろう。
・柳田は「小泉氏以上に理解ある外国の観察者は滅多にない」と述べ、ハーンを一外国人ではあるが、日本の基層文化の理解に努めたすぐれた先人と考えたのであった。


※ 先日、「ラフカディオ・ハーン 東の国より 」(OUT OF THE EAST, LAFCADIO HEARN)1895出版
 をネットで入手しました。なんと初版本です。


  


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