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The Lost Son ~失われた息子~

2012-11-15 18:47:54 | 翻訳

Uteさんの「11.11.12の贈り物:対立における偶然の一致」の中に出てきた、「Lost Son」の物語をネットで見つけたので訳しました。

なかなか意味深で、感慨深い内容ですね。リンク先では朗読も聴けますよ。

(※別の方の朗読も選択できます。聴き比べてみると、抑揚とか感情の入れ方がそれぞれ違っています。
なお、Luke 15の最初から読み始めるので、リスニングする際は次のリンク先を見て下さい)

http://www.biblegateway.com/passage/?search=Luke+15&version=NIV 


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http://www.biblegateway.com/passage/?search=Luke+15%3A11-32&version=NIV

Luke 15:11-32
New International Version (NIV)

The Parable of the Lost Son

失われた息子の寓話


11.ジーザス(イエス・キリスト)は続けた:二人の息子を持つ男性がいた。

12.年下の息子は父親に言った。「父さん、財産の内、私の分をください」と。それで、父親はその資産を二人に分けた。

13.その後、月日がそれほど経たない内に、彼は自分の持ち物をまとめると、遠い国へと旅立った。そして、そこで荒れた生活をして富を浪費した。

14.彼が財産の全てを使い果たした後で、その国全土に酷い飢饉があった。それで彼は困窮し始めた。

15.そこで彼は、その国の人の所へ行くと雇って貰った。雇い人は、彼を豚の飼育をするように畑へ送り出した。

16.彼は豚が食べている豆のさやで腹を満たそうと望んだが、誰も彼に何かを与えようとはしなかった。

17.彼が判断力を取り戻した時、彼は言った、「どれだけ多くの父の使用人が、残すほどの食物を持っているだろうか。それなのに、ここにいる私は死にそうなほど飢えている!

18.私は旅立って父の元に帰ろう。そしてこう言おう:父さん、私は天に対して、そして、あなたに対して罪を犯しました。

19.私はもはや、あなたの息子と呼ばれる資格はありません;あなたの他の雇われ人と同じように私を扱ってください」と。

20.それで彼は立ち上がって、父の元に向かった。しかし、彼が遠く離れた所にいる時に、父親は息子を見て、彼への憐れみで一杯になった;(そして)父親は駆け寄って彼に腕を回すと、キスをした。

21.息子は父親に言った。「父さん、私は天に対して、そして、あなたに対して罪を犯しました。私はもはや、あなたの息子と呼ばれるに値しません。」

22.しかし、彼の父は使用人に対してこう言った。「急ぐのだ! 最高のローブ(衣服)を持ってきて彼に着せなさい。彼の指に指輪をはめて、それからサンダルを履かせなさい。

23.肥えた子牛を連れてきて、屠りなさい。さあ、祝宴をもって祝おうではないか。

24.なぜなら、この私の息子は死んでいたが、再び生き返ったのだから;彼は失われていたが、また見出されたのだから。」それで彼らは祝い始めた。

25.一方、年上の息子は畑にいた。彼が家の傍まで来た時、音楽を聴き、踊りが行われているのを見た。

26.そこで彼は使用人の一人を呼んで、何が起きているのかと彼に尋ねた。

27.「あなたの御兄弟が帰って来たのです。」彼は答えた。「そして、あなたのお父上が肥えた子牛を屠ったのです。というのも、息子さんが無事に健康で戻って来たからです。」

28.年上の息子は怒って、(家に)入るのを拒んだ。だから彼の父親が出てきて、彼に嘆願した。

29.それでも彼は父親にこう答えた。「見てください! ここ何年も私は奴隷のようにあなたに仕え、決して命令に背くことはありませんでした。それなのに、あなたは私が友人達と祝えるようにと一匹の子ヤギさえ与えてはくれませんでした。

30.ところが、あなたの息子が・・・娼婦を買うためにあなたの財産を浪費した息子が帰って来た時には、あなたは肥えた子牛を彼のために屠るんですよ!」

31.「息子よ」父親は言った。「お前はいつも私と共にある。そして私が持っているもの全ては、お前のものだ。

32.だが、我々は祝って喜ばねばならなかったのだ。お前の兄弟は死んでいたのに、再び生きているのだから;彼は失われていたが、また見出されたのだから。」

- Translation : C.I.

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追記: 2013/01/25

サウル~あなたの疑いと不安は、根拠なしです 2013年1月23日 ジョン・スモールマン経由」 

 

 



2 コメント

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Unknown (まるまるまるた)
2012-11-16 07:59:22
最近、私が何度も繰り返し読んでいる本として「心身の神癒―主、再び語り給う」というM.マクドナルド.ベイン著の本があります。

私はキリスト教徒ではないのですが、この本は、とてもすばらしいと思っています(1948年?に著者にイエスが神がかりし、集まった聴衆に対して語られた講和集です)。

この中にも、「失われた息子」のたとえが、何度か出てきて、私たちが、神を見失って迷っているがゆえに神はさらにその息子を愛しているのだという感じで述べられています。

「100匹のヒツジのうち、1匹が迷えば、羊飼いは、99匹をそのままにして、その1匹を探すだろう。
その1匹を見つけた時の喜びは如何ばかりか」
というたとえも同じような意味で使われておりました。

私たちに対する神の深い愛情を示す譬えですね。
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失われた息子は、僕自身 (C.I.)
2012-11-16 18:03:02
息子であれ娘であれ、それはその物語を読む、その人自身だということですよね。

世間には、色んな過ちや失敗をしながらも、へこたれずに賢明に生きておられる方が沢山いますが、本人だけでなく周りの人間にしても、ある時点での過失にこだわって、それを責め続けたり、いつまでも偏屈な見方をしてしまうことが往々にしてあると思います。もちろんそれは他人事ではないわけですが(^^;

過去に執拗にとらわれることで、未来を奪い、今を失ってしまう。

先入観や固定観念から、その人に内在する素晴らしさに気がつかず、見ようとせず、変化を認めようとしないのでは、そうする方もされる方も、様々な形で抑制されてしまいます。

僕もキリスト教徒ではないですが、また、どの宗教とも関わりはないですが、恩赦(許し)や真の愛ということに身を委ねる(Surrender)ことの大切さを痛感します。

それはつまり、宗教というよりは、普遍的な真理だからだろうと思います。

いつも明知溢れるコメントを下さって心から感謝します。
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