With the I Ching

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水火既済初九と離為火六二

2008-09-07 19:56:29 | 易 de コラム


「英語 de コラム」を作ったので、「易 de コラム」も作りました。
テーマとかは特に設定していませんので、気の向いた時に書こうと思っています。

今日はその第一弾。

個人的なことになりますけど、昨日は何だかタイミングが悪いというのか、間の悪い感じのすることが多かったので、少しウンザリしてたんです。何かをしようとする度に一時的に邪魔が…いえ、足止めされるような状態でした。

でも、大きな問題があるわけではないので、「もうッ、間が悪いなぁ」という程度だったんですけどね。(トイレに行こうとしたら既に他の人が入っていた、とか、これからブログの更新でもしようかなって時に別の用事が入ったり、頼まれごとをされるとか。まあ、そんな感じでした。)

で、その日の夕方になって、気になったので易で日運を占ってみたら水火既済の初九。これを見て、「ああ、そうなんだ」と納得しました。

この卦爻(易占いの判断材料となる要素)には、大雑把に言って、“進もうとする狐が河で尾を濡らしたことを憂えて、当面は引き止まる”というイメージが付けられています。
易を知っている方ならご存知の通り、初九の陰陽を変化させれば水山蹇(進む際の障害・行き悩む)となるわけで、ファースト・ステップは見送れ、というのも頷けます。

例えば、トイレに行きたいのに先客がいて入れない、というのも、実際には少し待てばその人が出て自分も用を済ませられるわけなので、その間だけ辛抱していれば済む話です。無理に押し入っていくことはない。そういう感じの内容の爻です。

この水火既済は易の64卦の内の63番目。
もう後は火水未済ただ一つを残すのみということで、状況的に完成とか成就に関する内容となっています。

トイレに行って用を済ませる、ブログの更新を済ませる、仕事や宿題を済ませる、食事を済ませるetc...
身近な例から、もっと大きな事柄まで現象のサイズは様々ですが、いずれも終わりに向けての行動と、それに伴う注意点を示しています。


次いで、今日です。

今日の日運を出してみると離為火の六二でした。(易では、陽を九、陰を六としています。二番目の爻(線)が陰なので六二という)
離為火は火が二つ重なった象で、僕のイメージ的には“磁石”です。N極とS極があって、パートナー次第でくっ付いたり反発し合う性質があります。

もともと火は酸素にくっ付かなければ用を成しませんし、燃え広がろう(燃え移ろう)とするのなら、今いる場所から離れていかなければなりません。
昔から師と弟子の関係に“守・破・離”という伝統的な教えがあります。内容についての説明は「守破離」などのサイト様を参照して頂くとして、離卦にはそうした性質があると僕は考えています。

現代では、フィジカル面とメンタル面、つまり物質と精神だとか、人工(科学文明)と自然というような相対性へのアプローチも離の重要な一面にもなっていると思います。科学については、先見性を踏まえた近未来(最先端・最新)の科学技術と言っていいと思います。そしてその対極として無為自然があると思っていいでしょう。

また、単純には火の卦なので、熱さ(暑さ)や明るさを示しますし、明るければ見通しもよくなります(先見性・明知)。さらに、先見性があれば流行にも乗ることができ、時代の流れを読みつつ生きることができます。

もっとも、離卦はスポットライトや懐中電灯のような明かりなので(昔では松明や蝋燭の火、電球の灯り、月明かり、星の瞬きなどだったと思われますが)、乾卦に象徴される太陽(というより、太陽によって照らされた昼間=天空)のそれとは意味が異なるんじゃないか、という見解を僕は持っています。

例えるならば、離卦の火は満月――つまり、太陽の光を最大限に反射した月の光、といった感じだと思うのです。あるいは「夜の太陽」という表現がいいかもしれません。夜でなければ明るさや美しさが際立たないものと考えれば、花火もその一つの象意になります。

また、人物的にはスポットライトに照らされて美しく舞い踊る人たち、モデルや女優や俳優、ファッションリーダー、芸能人、有名人、著名人、一時的に脚光を浴びる人(いわゆる時の人、一発屋)などにも象徴されます。

離と坎、卦象で言えば火と水を併せ持つ水火既済と、火一色の離為火。

明かりが増大し、満月へと向かうにつれ存在力を高めていくのが離だとすれば、明かりが減少し、新月へと向かいながら自制心を強めていくのが坎という感じでしょうか。

だから、離為火などの離卦は目立った行動、表立った働きをしやすいのに対し、水火既済などの坎卦は、進み行く先が坎(水・穴・闇・冷<冷めた状況>)であるために、自己アピールよりも冷静さや自制心、慎重さを働かせる必要があるのです。


説明が長くなりましたけど、今日は気持ちよく目覚めて、朝から姪っ子を連れて一緒に堤防沿いを散歩したり、昼間は妹の子供達と広めの公園へ行って「ロングすべり台」を一緒に滑ったりして遊んできました。この離為火の二爻変には、同じ体験をすることで共感したり理解し合うという、離の中の“くっ付く系”の意味合いが出てきます。

ただ他の事例も含めて考えると、実際には同じ時・同じ場所で動作・行動をしているか、そうでないかは、あまり関係ないようです。

例えば、テレビ越しやオーディオ越しであっても臨場感に取り込まれれば、いつしか自分もその場にいるかのような錯覚を起こして、バーチャル体験をすることもできます。現代科学はその弊害も叫ばれてますが、一方では奇跡的とも思えるような凄い技術(発明・発見)も豊富に生み出しています。

それらの技術や知識と上手に付き合っていくことができれば、伝統的もしくは平凡なやり方では想像も付かないほど速く求める成果を得たり、目的を達成することも可能です。いわば、離卦は軽量かつスリム(またはビューティ)なスピード重視派、坎卦は重厚かつ多機能な性能重視派といったところでしょうか。

実際、今日は家に帰って落ち着いた頃にテレビをつけたら、ちょうど爆笑問題が司会を務める科学番組「近未来×予測テレビ ジキル&ハイド」が始まって、それに刺激を受けたということもありました。(というより、今まさにその番組がやっている最中に別室で書いているのですが^^)

最後に、こうして自分の体験や学んできた内容を皆さんにお伝えする=知識を自分から離して他人に付かせるというのも、この卦爻および離卦に対応付けられることなのです。


現在書き進めている「With the I Ching」をはじめ、これから僕の書いていく易についての記述が、皆さんにとって役立つものとなりますように。



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