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自分の仕事のあり方や将来について、きちんと向き合ってみたくなった

   第55期文演11/5/21~7/30アンケートです。

 2011-07-24どのようなスコアもまだいくらでも伸ばせそうな気がしているのMさんです。

 Mさんは出版社に勤務する編集者です。



 
    
Mさんの文演アンケート


 
Q.1 当講座をどんな目的で受講しましたか?
  A.1 編集という仕事柄、著者やライターの書いた文章を読んで直す機会が多く、自分が文章を書く機会も少なくない。ただ、その際に文章の善し悪しを判断するための拠りどころといえば、学生時代までに読んだ本をもとに自分なりに作り上げた浅薄な文章観と、文章や校正に関するハウツー書から得た知識くらいしかなかった。そんな、今書いていても恥ずかしくなるような自己流の判断基準のみを頼りにして他人の文章をチェックしていることに、いつも不安を感じていた。
 文演が不安解消の手立てになるかもしれないと思った。
 
その後、クリエイトのHPをぼんやりと見ているとき、とある文演体験記を見つけた。これほど強烈に文章との出会いを体験した人がいるのかと驚き、もう仕事上の不安解消などはそっちのけで、とにかくそんな環境に自分も身を置いてみたいと、衝動的に受講することに決めた。   


  
Q.2 「文演」を受講して文章への印象で変わったことがありますか?
  A.2
文中のひとつひとつの言葉が決して何気なく使われたものではなく、著者がほかではないその言葉を選んだ意図や理由が必ずあるということ。著者の言いたかったことは、その言葉を使ってこそ表現できたということ。文演を通じて、それらのことを初めて明確に意識しながら文章を読むことができた。結果、自分がそれまでいかに安易に、きちんと読んだつもり、理解したつもりになっていたかを考えさせられた。
 
また、良質な文章の場合、著者の考えや思いが文中の言葉のひとつひとつに丁寧に、いきいきと込められていて、無駄な言葉はまったく使われていないことが、回を重ねるごとに実感できるようになっていった。受講前は、読後にほとんど何の印象も残っていないことが少なくなかった。それが文演受講後は一転、文中のひとつひとつの言葉に対して神経を研ぎ澄ますようになった。文章に向かう姿勢の中によい意味での緊張感が生まれたことで、受講前に比べて、文章の内容やその面白さを格段に深く理解できるようになった。 


 
Q.3 宿題の「要約」はどうでしたか?
  A.3-1 「授業前」
 要約の宿題が出されたときは怖気づいてしまい、なかなか取り組む気持ちになれなかった。仕事でいつも文章と接していながら、自分の中に文章に対する確固とした判断基準がまったくないことに、改めて気づかされた。
   締め切り日が迫ってきたので観念して取り組み始めたものの、ひとつひとつの言葉に対して著者がどのような意味を込めて使ったのか、
この一文、この一言を削ることで、著者の意図するところを大きく損ねてしまうのではないか、見当はずれな私見を知らず知らずのうちに入れてしまっているのではないか……と、迷いは尽きなかった。
   締め切り日になってもまだ迷い、今すぐに家を出ないと文演に間に合わない、という時間までパソコンに向かって唸っていた。自分では入念に原文のエッセンスを汲み取ったつもりが、できあがった要約を見てみると原文が伝えようとしたこととは明らかに違うように感じられて、提出することがためらわれた。かといってどこがどう原文と違うのかもわからない。結局、八方ふさがりな気分で宿題を送信した。   
 

  
A.3-2 「授業後」 限られた字数の中で、いかに原文のエッセンスをもれなく、損ねることなく収めるか。要約の作成中は、常にそのことに注意を払い、独りよがりにならないように気をつけたつもりが、結局は自分の視野なり知識なりの及ぶごく狭い範囲だけで考え、原文の言葉や内容を軽々しく取捨選択していたことに気づかされた。ほかの方に対する松田さんの講評を聞いただけでも、自分に足りない部分が次々に見えてきて、内心で何度もうめいてしまった。
  私がこれまで触れたことのなかったさまざまな世界で活躍している受講生の方たちと知り合うことができ、その「作品」を読むことができたのも、文演ならではの本当に幸せな経験だったと思う。受講生の方のそれぞれに異なるバックボーンによってか、同じ原文、同じ条件での要約であるにもかかわらず、作品がそれぞれまったく異なるものになっていることが非常に面白く、自分の知っている世界が想像以上に狭いことに気づかされた。また、それぞれの作品から伺える、理解の深さや思考の柔軟さに驚かされ、ここでもまた、自分に何が足りないかを知る機会を得た。  
 
ほかの方の作品の中で、著者の言葉を完全に自分の言葉に置き換えているものがいくつかあり、第8回の文演前にそれらを読んだときには、正直なところ、これでは原文のよさを壊してしまうのではないか、と感じていた。私自身は、原文で著者が用いた言葉を要約の中でもなるべく生かそうと心がけた。要約の作法としても、一応はそれで間違っていなかったと思う。
   ただ、文演を終えてから、改めて自分の作品を読み直し、ほかの方の作品も読み直してみるうちに、考えが少し変わってきた。
著者の言葉を自分の言葉に置き換えてみるということが、原文に対しての自分の理解を深めるとともに、要約の読み手に向けて、よりわかりやすく原文のエッセンスを伝えるための努力だとしたら、原文とその著者への対し方としては、むしろ非常に誠実なことではないか。壊しかねないほどの勢いで原文にぶつかってみて、その内容を自分のものとして消化する努力をしてこそ、著者が本当に言いたかったことにも迫ることができるのではないか(もちろん、言葉の置き換えがそれで本当に正しいのかという検証や、それが誤っていた場合に、原文どおりの言葉に戻すなどの修正は必要だが)次第に、そんなふうに考えるようになっていた。
 とくに今回は、間違うことが許される受講生という立場だったので、間違いを恐れずに私ももっと思い切って宿題の文章にぶつかっていけばよかったと思った。読めば読むほど、ほかの方の作品に比べて自分の作品は、本質を捉えていないどころか、向き合おうとすらしていないように見え、それも含めて、今の自分の力量なのだと痛感させられた。

 

   Q.4 全体的な感想をお聞かせください。
  A.4 
受講前に、松田さんから「あなたのようなプロの編集者が文演を受けても、知っていることばかりです」と言われたときは、自分はたいした編集者ではないからと慌てて否定したが、正直なところ、自分の心の中に文章に対する自負がまったくないとはいえなかったと思う。
 でも、なけなしの経験からくる自負はすぐに引っ込めざるを得なくなった。それまでの自分は、私見を交えたごく表面的な読み方、上っ面を飾るだけの書き方しかできていなかったということに、すぐに気づかされたからだ。文章について私があらかじめ知っていることがあったとすれば、句読点の使い方など、ちょっとハウツー書をかじれば誰でも身につけられるような、体裁の整え方くらいのことに過ぎなかった。
 文演では、表面的な読み方ではなく、
神経を細やかに行き渡らせて文章に向き合う読み方、著者の言わんとすることを歪めず、もらさず、著者の意図どおりに文章を理解するための読み方を教えていただいた。書くことについては、今の段階で文演を生かしてどうこうとは言うことができないが(書く以前にもっと読むこと、「常識」を身につけることが必要だと痛感したので)、まずは、文演で学んだ読み方を念頭に置いて、今後読む文章に向き合ってみたい。そうすることでいつかは、文中のひとつひとつの言葉に著者が込めた考えや思いを繊細に汲み取れる読み手になりたいと思う。
 優秀な同期生に囲まれて、強い刺激を受けると同時に、たとえ端くれにしても自分が編集者を名乗っていることに恥ずかしさを覚えた。以前から、出版社でやっていくには、自分の能力も志も中途半端であることをおぼろげには感じていた。そんな中で今回、目標とするものは別のところにあるにもかかわらず、文章の読み手としての能力も驚くほどに高い受講生の皆さんと接したことで、自分自身の中途半端さがますます浮き彫りになって見えた。
 
また、松田さんの講義を通じて、文章の世界はきっとどこまでも奥の深いものであり、とことんまで突き詰めるだけの能力も志もないのなら、少なくとも本を制作する側に立っていてはよくない、と強く考えるようになった。それならどうするのかという結論はもちろんすぐには出せそうにないが、今回の文演をきっかけに、自分の仕事のあり方や将来について、きちんと向き合ってみたくなった。
 最後になりましたが、文演では本当にお世話になり、ありがとうございました。文演で学ぶことができたこと、そこでたくさんの方たちに出会えたことは、私にとってとても大きな財産になりました。と同時に、先にも書いたとおり、自分の能力不足に対する悩みも大きくなりました。でも、その悩みを克服しようともがくことがまた、いずれは自分にとっての財産になるのだと思っています。
 もがきの手はじめに、速読のペースを前よりも上げて、週3回以上は通おうと思っています(生活の中で、速読は楽しみになってしまっているので、「もがき」には当たらないかもしれませんが……。ただそれはそれで問題といいますか、速読に対する態度として、いつまでも「楽しい」とばかり言っていては甘いような気が近頃はしています)
 今後とも、よろしくご指導のほど、お願いいたします。 


 Mさんの宿題は、基本部分、問題のないものでした。

  それならなぜこれほどに、自身の「作品」をまだまだと断定しているのでしょうか。

 欲張りだからに決まっています

 たとえ、750字の文章であっても完璧を目指したからこそ、いささかの瑕瑾も容赦できないという姿勢があったからという気がします。

 「もっと思い切って宿題の文章にぶつかっていけばよかったなどと書いていますが、十分すぎるほど一所懸命な「要約」でした。

 そして、これから先を真剣に考えているからこその本アンケートですー  
                           






                      ※クリエイト速読スクールHP   

 

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