今週の表紙は婚約が発表された直後で、超話題の百恵&友和映画のTV放送から。
この週も情報誌掲載のジュリー出演番組は2つだけ、もうじき新曲「恋のバッドチューニング」が発売になる頃で、まだ本格的新曲のプロモーションにもやや早く、「TOKIO」もピークを過ぎたといった所で、ジュリーは3月からスタートしたスプリングツアーに力を注いでたのかと思います、もうじきあの事件が(汗)
オールウェイズを率いて初の80年のスプリングツアー、ある所には音源も残ってるんでしょうがどんな内容だったか聴いたことはありません。
ファンサイトなどのセットリストによると、発売前の「恋のバッドチューニング」やそのB面曲、オリジナルかカヴァーか判別不能なタイトル曲などが確認出来ます。
どうもここら辺の時代は現在みたいに1ツアー全て全国キッチリまったく同じ内容というワケではない感じで、基本線は同じながら日時により微妙な変化が色々な資料からも感じます。
特にビッグイベントになると完全にソレ専用のセットリストになってますね、今年の武道館なんかも正直なとこそんな感じで全面セットリストチェンジを期待したんですが、さすがにキビシかったか数曲のみでした・・・
ジュリーが舞台から転落~骨折した時にも後でテープを聴いたと話てるし、もっとマイナーなミュージシャンでも未発表テープというのは必ずあるもので、ましてジュリーとなればある年代以降は俗に言うサウンドボード音源とか、公式でも記録用か何かに録音されてると十分考えられます、ただ発売されることは今後もなさそうな感じでなんとも残念です。
ちなみに公式”以外”と言うのはズバリ、ある音源ではMC中にスピーカーからノイズが発生、そこにジュリーが「わかった、アレやろ、テープレコーダー!、持ち込んでるやろ」と鋭い突っ込みを入れてるのがあり、つまりはまぁそういうことです(笑)、本人も薄々ファンの不穏な動きはちゃんと気づいてるようです。
6日(日)TBS、朝7時半より「にんげんクローズアップ」という、コレまた渋~い番組に出演、早朝ジュリー。
この番組ネットで検索しても引っかかりませんでした、それ程ドマイナーな番組なのにありがたいことに現物映像があり、ビデオもあまり普及してない時代にこんな番組も逃さずジュリーファン恐るべし。
冒頭、2月の「全員集合」での「TOKIO」映像がしばらく流れ、「今朝のお客様は歌手の沢田研二さん・・・」日曜の朝らしいのどかなBGM、司会の入江徳郎との約10分ちょっとの短いトーク番組。
「TOKIO」衣装の話や「1等賞」という言葉のルーツなどが語られています、小学校の時に短距離走で1等賞を取った時に、なんとも気分が良かったとかで明快な良さがあるとのこと、その上が「特等賞」でこれは「レコード大賞」とかがそれに当たると語っています。
朝から激渋トーク番組に
ちょうどこのあたりの時期のラジオ番組に、「沢田研二のめっちゃくちゃ大入り1等賞」という冗談みたいな(?)番組もあったみたいですが、こちらも検索しても情報がサッパリ、ネットもまだまだ全てが知れるというワケではないです。
そのラジオ番組の中では「無名曲コーナー」というのがあり、B面曲やアルバムの名曲秘話がジュリー自身の言葉で語られ貴重です。
ファンに人気の高い、私自身大好きな名曲「四月の雪」についても番組内で語られ、ジュリー自身も”ファンに人気の高い”と話てて、公認の隠れ名曲です。
実はあの曲には元ネタがあり、それはズバリCSN&Yの「デ・ジャヴ」収録のニール・ヤングの有名な「ヘルプレス 」。
ジュリーはあの曲のコード進行Em→Dが大好きで、Em→Dのくり返しで曲を作りたいという明確な意図があり、そこに加瀬さんの「それだけじゃ飽きる」というアドバイスがありサビも作り出来上がったのがあの曲とのことで、4月に実際雪が降った事実とニール・ヤングへのオマージュなんですね。
こういうラジオを録音したカセットなんかも、あるとこには山ほどありそうで貴重資料ながらも、ファンをやめた方などの押入れで眠ってたり、誰にも聴かれず処分され案外そんなもんなんでしょう(涙)
同日6日(日)、今週もまた東京12チャン「ヤンヤン歌うスタジオ」にも名前がありました。
そろそろ新曲「恋のバッドチューニング」が発売になる頃で歌唱曲が気になります、果たして「TOKIO」か?それとも新曲だったのか?ひょっとして歌はナシか?、80年初頭の「ヤンヤン」への出演ラッシュの謎は今後もちょっと解けそうにないです。
他にここだけのプチ情報としては、来年ジュリーと山瀬まみ以来17年ぶりに上演されるミュージカル「DORA」主演の森山未來と、もう1人の満島ひかり。
世代的に彼女は山瀬まみはともかくとして、前回の上演時の沢田なんて男の人はTVで見かけないし、誰?知らないだろうと絶対に思われてるかと、しかし実は8年ほど前に月~金で放送してた東京MXTVの、「ゼベック・オンライン」という番組で彼女はアシスタントを担当、以下チェッカーズの曲がBGMで流れクイズをしてる場面にて↓
司会「ひかりちゃんはチェッカーズ世代じゃないよね?」
ひかり「じゃないけど、私は結構昔のは知ってるんで・・」
ひかり「私はジュリー派です♪」
司会「それ、さらに15年くらい前じゃ(笑)」
ひかり「”勝手にしやがれ”がいいですね」
司会「かっこいいもんね」
ひかり「うん!」
司会「ひかりちゃん世代でジュリーが好きって初めて聞いた」
当時彼女は18歳くらい、どこで知ったのかは謎ながらこれはホントのホントの話、ちゃっかり証拠Vもあります、これを見てた時は突然”ジュリー”なんて言い出すから驚きました。
そうです彼女はジュリーを知ってるのです、来年のミュージカル「DORA」が身近に感じられればと思います、たぶん行かないけどCSかなにかで放送しないかな。
満島ひかりはジュリー派
えっ!、「なんでそんなもん録ってるんだ」って??、いや~各方面に色々と興味が(^^ゞ
これでも90年代アイドルポップスは専門分野、古い物ばかりずっと追ってるワケではないのです(笑)、彼女は元フォルダー~フォルダー5なんで知ってました。
90年代はアーティスト系が幅をきかせ、80年代に粗製乱造されずぎたアイドルは”冬の時代”、ただ音楽的には80年代から確実に進歩がまだあっておもしろかったんですが、現在はブームながら音楽的にはこの10年くらい進歩が止まった感があります。
70~83年というジュリー全盛期を支えたマネージャーの森本さんが、85年に独立して事務所を設立、90年代初頭に送り出した「Qlair(クレア)」というアイドルグループは、商業的には成功したとは言えず終わってしまいましたが、その音楽的レベルの高さ(歌唱力ではなく)とセンスはアイドルのマニアには今も定評があり名曲ぞろい。
パフュームが成功したのを見てるともし時代がもう少し違ってたらなと思うと残念、もちろんジュリーのマネージャーうんぬんは全然知らないで当時は聴いてたんですがね・・・
ある時、アイドルミニコミ誌の森本さんのインタビューを読んでてジュリーのマネージャーと知りビックリ!でした、当時は1日の休みもなく、地方公演時はファンが入ってこないように部屋前で寝ずの番など当たり前で、それも苦にもならずジュリーに全てを捧げた10数年だったそうです。
それにしても、あの時代のジュリーとずーっといっしょだったなんて、仕事とはいえうらやましい限り、変われる物なら変わりたい(笑)
早いものでもう10日以上が過ぎてしまいました、荻窪のジュリー応援演説見に行って来ました。
東京でも別の場所ならわざわざ行かなかったと思います、ただ荻窪となると元々産まれも育ちもおとなりの区だし、今も自転車でブラリ行けてしまう個人的テリトリー内の身近な場所なのです、これは見逃すワケにもいかないと感じました。
ごく日常的な景色の中で見るジュリーというのは貴重な体験でしたが、現場は場所によってはかなりの混乱状態で怒号も飛び交い身の危険も・・・(汗)
個人的には前日に西荻窪にジュリーが下見しに来たというのも結構驚き、たださすがに身近に住んでないと位置感覚や街の雰囲気までは中々ここら辺は伝わらないと思います。
ジュリーが立ってたのはgoogleストリートビューで、URLだいたいこの辺り↓
https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=35.704783,139.621199&spn=0.006055,0.011362&t=m&z=17&brcurrent=3,0x6018edf0a01ec801:0x1e55395a7bfaf1ae,1&layer=c&cbll=35.704845,139.620961&panoid=05EjMAw6qjcHrflIuJMzOg&cbp=12,225.92,,0,0.68
ずいぶん前に撮影したのかちょっと今とは違っちゃってます、グルッと画面を回すと街の雰囲気が少しは伝わるかな??
西荻窪のとなりの吉祥寺などは最近もコンサートやってるし、荻窪も吉祥寺もかなり大きな街です。
その中間の西荻窪は普通の小さな街でちょっと雰囲気が違って、ジュリーとあの西荻窪という街がどうにも違和感がバリバリ、西荻駅前に選挙演説を聞き入るジュリーの姿があったという事実がとても想像出来ません。
年を重ねると何かが変わるのでしょうか、ここら辺は自分自身も同じ年齢になってみないとわからない領域かもしれません、私は昔に比べると家に物が増えるのがなぜかイヤになりました(笑)