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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

同量の幸福

2010-08-12 00:01:29 | 思索
年に3回、北陸の実家に帰省する。自然が豊富なのはいいが、都会暮らしの長い私にしてみれば、何かにつけ不便な田舎であり、そこに長く住めるような気がしない。実際3日もいれば田園風景にも飽きて、にわかに帰りたくなってくる。しかしこれは逆もしかりで、実家の親を都会の我が家に連れてくると、ほどなく帰りたそうな素振りを見せるようになる。まあ、これが「住めば都」ということなのだろうが、この両者共に、日ごろ暮らしている場所には存在する何かが訪問先には無く、そこに満たされないものを感じるのだろう。

都会に有って田舎には無いもの、都会には無いが田舎には有るもの。前者は分かりやすいが、後者は分かる気はするが明瞭ではない。豊富な品物と利便性によって失われていくものとは何だろう?

関連して極端な例を考えてみる。石器時代の生活を1万年以上も続けて現在に至るといわれるアマゾンのヤノマミ族を都市に連れてくると、彼らもやはりジャングルに帰りたいと思うのだろうか?これはたぶん、いや間違いなくそう思うだろう。逆に都会人も3日とジャングルにはいられないだろう。

ということは、人の幸福感はすべてが普遍的なものではなく、少なからず相対的に形成されていくもののように思える。都会人の幸福が必ずしも田舎人の幸福ではなく、田舎人の幸福は必ずしも都会人の幸福ではない。

とするなら都会に対する田舎も、文明に対する未開も対等ということになる。新たに生まれてくる子供はどこに生まれても得られる幸福に差異はない。もし実際には異なるとするなら、人ゆえの普遍的な幸福感の差異であろう。

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