『どくさい(独裁)』という、
日常生活の中ではあまり登場しない単語を耳にすると、
その単語の意味を再確認し、
それがどの様な意味で適用されているのか調べる癖があります。
もっとも、
「あまり日常生活に登場しない」
と思っているのは全くの僕の主観であり、
例えば、
学校や会社などの小さな集団生活の中にすら、
この単語にふさわしい事象や人物が存在するのかも知れません。
『どくさい(独裁)』
『どくさい』を冠したドラえもんの秘密道具があります。
4月29日に放映された新生『ドラえもん』の第3回6話目のエピソードです。
『どくさいスイッチ』
てんとう虫コミックス第15巻に収録。
未来の独裁者が作らせたと言われる『どくさいスイッチ』は、
《自分に反対する者》や《邪魔になる者》をスイッチを押すだけで
この世界から消し去る事が出来るという世にも恐ろしい道具です。
この悪意に満ち溢れた道具を
のび太に簡単に渡してしまうドラえもんの心情。
理解不能なまでのこのドラえもんの行為が意味するところは、
最後まで観る事によって、その真意が明らかにされます。
「邪魔者は消してしまえ。」
人間の心の奥の暗闇に潜む邪悪な炎。
皮肉たっぷりに描かれる独裁者の孤独。
僕の小学生時代を振り返ってみると、
家の近所に住むよく一緒に遊んだ友達は、みんな僕より年下でしたので
自分自身も《独裁》的に振る舞っていた事があり、少し心が痛む想いでした。
ジャイアンやスネ夫を消してしまった事による
のび太の不安定な感情は、夢の中でも脳内を駆け巡り暴走を引き起こします。
そして、
やがて訪れる絶望の淵に突き落とされる様な孤独…。
人は、誰も一人では生きていけないもの。
誰かに支えてもらう自分がいるからこそ、
他の誰かを支えてあげる事が出来るのだと思います。
シーラカンスの憂鬱:『愛すべきホイミスライム -癒し-』より引用。
この『どくさいスイッチ』にも描かれた、少年の心の成長物語。
暗くて恐ろしい
風刺の効いたこのエピソードを埋もれさせないで欲しい。
繰り返し繰り返し、
再放映して欲しいエピソードの一つです。
なぜなら、
のび太の立場に居る人、
のび太をいじめるジャイアンたちの立場に居る人、
そして、
さまざまな世代に、学ぶところの多い作品なのですから。
◆『藤子不二雄』関連のエントリー◆
◆4/15 新ドラえもん 反応リンク集◆
日常生活の中ではあまり登場しない単語を耳にすると、
その単語の意味を再確認し、
それがどの様な意味で適用されているのか調べる癖があります。
もっとも、
「あまり日常生活に登場しない」
と思っているのは全くの僕の主観であり、
例えば、
学校や会社などの小さな集団生活の中にすら、
この単語にふさわしい事象や人物が存在するのかも知れません。
『どくさい(独裁)』
『どくさい』を冠したドラえもんの秘密道具があります。
4月29日に放映された新生『ドラえもん』の第3回6話目のエピソードです。
『どくさいスイッチ』
てんとう虫コミックス第15巻に収録。
未来の独裁者が作らせたと言われる『どくさいスイッチ』は、
《自分に反対する者》や《邪魔になる者》をスイッチを押すだけで
この世界から消し去る事が出来るという世にも恐ろしい道具です。
この悪意に満ち溢れた道具を
のび太に簡単に渡してしまうドラえもんの心情。
理解不能なまでのこのドラえもんの行為が意味するところは、
最後まで観る事によって、その真意が明らかにされます。
「邪魔者は消してしまえ。」
人間の心の奥の暗闇に潜む邪悪な炎。
皮肉たっぷりに描かれる独裁者の孤独。
僕の小学生時代を振り返ってみると、
家の近所に住むよく一緒に遊んだ友達は、みんな僕より年下でしたので
自分自身も《独裁》的に振る舞っていた事があり、少し心が痛む想いでした。
ジャイアンやスネ夫を消してしまった事による
のび太の不安定な感情は、夢の中でも脳内を駆け巡り暴走を引き起こします。
そして、
やがて訪れる絶望の淵に突き落とされる様な孤独…。
人は、誰も一人では生きていけないもの。
誰かに支えてもらう自分がいるからこそ、
他の誰かを支えてあげる事が出来るのだと思います。
シーラカンスの憂鬱:『愛すべきホイミスライム -癒し-』より引用。
この『どくさいスイッチ』にも描かれた、少年の心の成長物語。
暗くて恐ろしい
風刺の効いたこのエピソードを埋もれさせないで欲しい。
繰り返し繰り返し、
再放映して欲しいエピソードの一つです。
なぜなら、
のび太の立場に居る人、
のび太をいじめるジャイアンたちの立場に居る人、
そして、
さまざまな世代に、学ぶところの多い作品なのですから。
◆『藤子不二雄』関連のエントリー◆
◆4/15 新ドラえもん 反応リンク集◆
私は自分に害を与える人に消えて欲しいと小学生の頃から思ってました。
いじめられていると言っても相手にしてくれない担任、会社で私をいじめる上司。でも消えてくれと思う私もとても辛いのです。そんな風に思ってしまう自分にも腹がたって、明日からもっと私から打ち解けて話してみよう、そんな風に思って実行しても、相手は何も変わらない。消えてくれと思うとき
―人間の心の奥の暗闇に潜む邪悪な炎―
まさにその言葉がぴったり当てはまるほど自分でも自分が怖くなりました。
ただそのような経験をしたからこそ自分は人にそんな思いをさせないようになろうと思うことができたのだと思うのです。そして「消えてくれ」なんて思う自分を排除したいとは思っていても、どうにもこうにも自分の意思の方向に進まないのが人間ですよね。
―人は、誰も一人では生きていけないもの。
誰かに支えてもらう自分がいるからこそ、
他の誰かを支えてあげる事が出来るのだと 思います。―
全くそのとおりですね。でもそのことを忘れてしまうときがあって、、、
私は仏陀の思想が好きです。そしてそれを教えてくれた大学の講師であり、医師である先生がそれをふまえて言ったのが「色々な生き物や食べ物などがあって私達が存在します。だから何かを食べるとき、何かをするとき、必ず感謝の気持ちを忘れてはいけない。」と。それは作った人、食べ物(肉なら動物に。魚なら魚に。)草や木などなど色々だと。話がそれて来ましたが、生きていると思い通りにならないことなんてたくさんありますよね。だから姉にも言われたのですが「許すことも大事だ」と。だから許す強さとか、それと自分への慈悲とか他人への慈悲とかそういうの忘れちゃいけませんね。ただ強く生きたいそう思います。何が言いたいのかわからなくなってきました-!すいませーん!(><)
coelacanth0707さんの話を見ていたら、すごくなんとも言えない気持ちになりました。藤子不二雄っていいですよね。手塚治も大好きです。あと水木しげるも好きです。漫画をバカにしちゃあいかんですね。
人を思いやる《やさしさ》という感情と
自己中心的な《わがままさ》という感情を
同時に抱え込んでは、もがきながら生きています。
そして、
のた打ち回る程の苦しみや悲しみを経験しながら、
人は、《やさしさ》を育てて成長して行くものだと思っています。
誰かが言った、「涙の数だけ人はやさしくなれる」はずですから…。
そんな人で在りたい…。
「明日からもっと私から打ち解けて話してみよう!」
「自分は人にそんな思いをさせないようになろう!」
…と感情を明日に向けられるmicco様は、
間違いなく《やさしさ》が成長しているのでしょう。
僕も過去に
「誰かに消えて欲しい!」
と思った事が何度もありました。
そして、
これからの人生のある局面でも、
また、《心の奥の暗闇に潜む邪悪な炎》が燃え始める事があるかも知れません。
その時にその《邪悪な炎》を打ち消す事が出来るような
心に満ち溢れる程の《清いやさしさ》を育てて行きたいです。
いろいろな経験を重ねて…。
【仏陀の思想】は、
手塚治虫先生の『ブッダ』で僕も感銘を受けました。
水木しげる先生の『墓場の鬼太郎』も好きですよォ。
マンガをバカにしちゃあいかんですよね☆
micco様♪
素敵なコメントありがとうございました!
「また、《心の奥の暗闇に潜む邪悪な炎》が燃え始める事があるかも知れません。
その時にその《邪悪な炎》を打ち消す事が出来るような
心に満ち溢れる程の《清いやさしさ》を育てて行きたいです。
いろいろな経験を重ねて…。」
すごく心に残りました。
ありがとうございます。
私もまた邪悪な心が目覚めてしまったとき、この言葉を思い出そうと思います。
コメントありがとうございます。
誰もの心に宿る普遍性のある感情だとは思いますが、
だからこそ
《許せる心》
《清いやさしさ》を育てて行かなければ…。
どんな時も誠意を以って人と接する事が
心を育てる事に繋がって行くのだと思っています。