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原発反対運動、説得力を/増沢 隆太

2011年04月15日 18時06分26秒 | コラム・ルポ

原発反対運動、説得力を/増沢 隆太(INSIGHT NOW!) - goo ニュース

2011年4月14日(木)11:40

チェルノブイリに匹敵するレベル7との評価がされた福島原発。東電、政府、関係者への責任追及だけでなく、「原発いらない」運動も起きています。反原発を訴えるタレントブログにも讃賞コメントが殺到しているとのこと。難しい問題ですが、どうしたら反原発の主張は通るかコミュニケーションの視点から考えます。

真の原発反対

チェルノブイリに匹敵するレベル7との評価がされた福島原発。東電、政府、関係者への責任追及だけでなく、「原発いらない」運動も起きています。反原発を訴えるタレントブログにも讃賞コメントが殺到しているとのこと。難しい問題ですが、どうしたら反原発の主張は通るかコミュニケーションの視点から考えます。

私が子供の頃、スリーマイル島さらにチェルノブイリと、大事故が起きました。しかし当時は冷戦のさ中。結局「原発反対」は一定の政治メッセージとなってしまい、原子力発電そのものから離れて行きました。結果として原子力は日本の発電量の1/3とまで言われる規模に至っています。
同時に原子力発電の脆弱性やコスト性についても、今回の福島事故で初めて明らかになったような、リスクコストが計算されていなかったこと等、不明朗な部分は大きいことが見えてきました。

原子力発電が危険であることは間違いないと思います。ではタレントがブログで全否定したように、原発は廃止したとして、その後どうしましょう?もちろん原子力専門家や政治家の決断が無ければ進まないことではありますが、「反原発」メッセージに、私は何か不足感を覚えます。何だろうと思ったのですが、これはかつてのチャイナ・シンドローム時代の原発反対運動時に一番違和感を感じた、照明と音響ガンガンに響かせた反原発ロックコンサートでした。

原発はこのような危険性から存在否定をよく理解できます。で、原発無しでどうする?という答えをここに盛ったら私の納得感が出ると思うのです。かつてもあったかと思いますが、電気ギンギンの反原発ロックコンサートではなく、ギター一本、屋外で合唱、みたいな、少なくとも「自分たちは危険な原発を使ってまで電気いらない。24時間営業もいらない、ネット通販もいらない。テレビもCS/BSもいらない。」というメッセージを送ってはどうでしょう。

インターネットのブログで原発反対を書くのではなく、街に出て、ストリートパフォーマンスとか、全く電気を使わない方法で「自分は原発反対です」というメッセージを伝えたら、訴求力が増すと思うのですが。
今回街中のネオンや看板が消え、私は悪くないと思いました。店が早じまいして不便だなとは思いましたが、別に生活は出来ました。

消費税アップは誰もが困ります。しかし福祉原資が無いのであれば何らかの税収アップをするしかありません。税金では歳出カットという手がありますが、「具体的にどうする」がないとこれまた画餅です。
一方的な「危険なものはいらない、しかし電気は使う」と受け取られないためにはメッセージに説得力を持たせるべきだと思います。コミュニケーションは一方的な主張では成り立ちません。今出来る、説得力あるムーブメントは「電気いらない(いらないは無理なんで)・電気半分で良い」運動ではないでしょうか。エアコンも使わないしパチンコもしない、等、自ら身を切ることで現実感を増すのではと感じました。

これだけ発電量に対する原発の比重が高い現状では、深い議論を伴った主張でなければ、軽い発言となってしまいますよね。
だから現状では、私は反原発とは明確に言うことができませんし、各自が省エネをするとしても、原発が仮に無くなった分までの節電は無理なんじゃないですか? 

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