『出世の白餅』という 「浪曲」 があります。
私もとりたてて浪曲のファンというわけでもなく、どちらかと言えばルイアームストロングの方がずっと好きですが
(ルイアームストロングと浪曲を並べて語るブログもめずらしい・・似て否なるモノ?)
しかし、この話はおもしろいです。まぁ、読んでください。
これは藤堂高虎という人の話で、お城のあった津市や、出身地である滋賀県、今治あたりでは
かなり有名な逸話らしいのですが
なにしろ弊社は伊達藩。お会いしたこともないので、藤堂さんはまったくの他人です。
時は1570年。(浪曲なのでうなりながら読んで下さいね)
姉川の合戦という、戦国時代の戦争がございまして、これに浅井側の兵士として参加していた藤堂高虎は、
いわゆる「負け組」で、逃げ惑っておりました。
逃げてるんですから、金なんぞ持ってないわけなんですが、
これが放浪している途中で、吉田屋というお餅屋さんにさしかかります。
すると、おいしそうな餅があるんですね。まぁ、お餅屋さんですから。
藤堂クン。あんまりの空腹に、これをパクパク食べ始めます。
しかも、食うわ食うわで20個をぺろりとたいらげてしまいます。
しかし「食った後に」「お金がないことに気付き」、というか、確信犯だと私は思いますが
この吉田屋さんの主に「悪い。金がない」と素直に謝ります。
その上で、「でも、俺は偉くなって城持ちの大名になる人物だから、それまでつけておいてくれ」
と無茶なことを頼みます。
もし、現代、これをデニーズあたりで言ったら、大バカ野郎ですが、そこは人情もあった時代。
主は、「いいでしょう。これほどおいしそうに食べていただき、主としてうれしい限りです
あなたが出世するまで待ちましょう」と、快く出世払いを引き受けます。
すると藤堂クン。さらに図にのりまして、
「ついでに、ここからの旅のお金を5分(ぶ)ほど貸してくれまいか」という信じがたいずーずーしーお願いをします。
まぁ、デニーズなら警察を呼ばれても仕方のないところ
吉田屋代表取締役の主は「承知しました。その程度では長旅はできません。こちらをお持ちください」と
藤堂クンに5両を渡し、「お侍様が出世される日を楽しみにしております」と、加えます。
ああ。ここまでだけでも、いい話なんですが
このお金を感涙で受け取った、「無銭飲食野郎」藤堂くん。
これだけずーずーしーやつですから、本当に出世しはじめます。
家康の時代には、20万石の大大名として取り立てられ、現在の津市に城を築き、
「無銭飲食」から30年もたったころ、本当に「城持ちの大名」に成り上がります。
出世した城持ち大名、藤堂高虎は、参勤交代の時に、今治を通りまして
この吉田屋にたちよります。
殿様が突如たずねられた吉田屋は驚きますが、そこに隠居した元代表取締役主がおられました。
藤堂大名は、主に「あなたのおかげで出世しました。これはあの時の代金と、お礼です」
と、金銀を渡し、主と涙で抱き合いました、
というお話。
どうやら根拠のない話ではないらしく、旧吉田屋さんは現在もあるとか。
なぜ、唐突に浪曲なのかと申しますと、高虎は、この恩を忘れず藤堂家の旗印に「3つの白餅」を描いているからです。
これです。
僕の会社のマークはHをもじってあるのですが、実はこのマーク、テレビ放映までされた高虎ばりの逸話があります。
時は1992年(うならず読んで下さい)。
今までも書かれてきたように、研究に膨大なお金を費やした弊社代表は、ビジネス化寸前ですっからかんになりました。
そこで出資者を探してビジネス化しよう、と考えますが、
当時CGは、かなり怪しい話だったため、鼻であしらわれる状態で、出資者が現れませんでした。
まぁ。パソコンがPC9801の時代ですから。CGなど、とんでもない眉唾話だったわけです。
なにしろ、世界中さがしても、そんなビジネス例はありません。
そこに、ただひとりだけ、この眉唾話に「出資しましょう」という方が現れました。
この人のイニシャルがHだったわけです。
感動した弊社代表は、これを自社のマークにいたしました。
違う事は、いまだに城持ちにもなっておらず、返してもいない、ということぐらいです(笑)
まぁ・・・藤堂高虎も30年かかってますから・・・。
私もとりたてて浪曲のファンというわけでもなく、どちらかと言えばルイアームストロングの方がずっと好きですが
(ルイアームストロングと浪曲を並べて語るブログもめずらしい・・似て否なるモノ?)
しかし、この話はおもしろいです。まぁ、読んでください。
これは藤堂高虎という人の話で、お城のあった津市や、出身地である滋賀県、今治あたりでは
かなり有名な逸話らしいのですが
なにしろ弊社は伊達藩。お会いしたこともないので、藤堂さんはまったくの他人です。
時は1570年。(浪曲なのでうなりながら読んで下さいね)
姉川の合戦という、戦国時代の戦争がございまして、これに浅井側の兵士として参加していた藤堂高虎は、
いわゆる「負け組」で、逃げ惑っておりました。
逃げてるんですから、金なんぞ持ってないわけなんですが、
これが放浪している途中で、吉田屋というお餅屋さんにさしかかります。
すると、おいしそうな餅があるんですね。まぁ、お餅屋さんですから。
藤堂クン。あんまりの空腹に、これをパクパク食べ始めます。
しかも、食うわ食うわで20個をぺろりとたいらげてしまいます。
しかし「食った後に」「お金がないことに気付き」、というか、確信犯だと私は思いますが
この吉田屋さんの主に「悪い。金がない」と素直に謝ります。
その上で、「でも、俺は偉くなって城持ちの大名になる人物だから、それまでつけておいてくれ」
と無茶なことを頼みます。
もし、現代、これをデニーズあたりで言ったら、大バカ野郎ですが、そこは人情もあった時代。
主は、「いいでしょう。これほどおいしそうに食べていただき、主としてうれしい限りです
あなたが出世するまで待ちましょう」と、快く出世払いを引き受けます。
すると藤堂クン。さらに図にのりまして、
「ついでに、ここからの旅のお金を5分(ぶ)ほど貸してくれまいか」という信じがたいずーずーしーお願いをします。
まぁ、デニーズなら警察を呼ばれても仕方のないところ
吉田屋代表取締役の主は「承知しました。その程度では長旅はできません。こちらをお持ちください」と
藤堂クンに5両を渡し、「お侍様が出世される日を楽しみにしております」と、加えます。
ああ。ここまでだけでも、いい話なんですが
このお金を感涙で受け取った、「無銭飲食野郎」藤堂くん。
これだけずーずーしーやつですから、本当に出世しはじめます。
家康の時代には、20万石の大大名として取り立てられ、現在の津市に城を築き、
「無銭飲食」から30年もたったころ、本当に「城持ちの大名」に成り上がります。
出世した城持ち大名、藤堂高虎は、参勤交代の時に、今治を通りまして
この吉田屋にたちよります。
殿様が突如たずねられた吉田屋は驚きますが、そこに隠居した元代表取締役主がおられました。
藤堂大名は、主に「あなたのおかげで出世しました。これはあの時の代金と、お礼です」
と、金銀を渡し、主と涙で抱き合いました、
というお話。
どうやら根拠のない話ではないらしく、旧吉田屋さんは現在もあるとか。
なぜ、唐突に浪曲なのかと申しますと、高虎は、この恩を忘れず藤堂家の旗印に「3つの白餅」を描いているからです。
これです。
僕の会社のマークはHをもじってあるのですが、実はこのマーク、テレビ放映までされた高虎ばりの逸話があります。
時は1992年(うならず読んで下さい)。
今までも書かれてきたように、研究に膨大なお金を費やした弊社代表は、ビジネス化寸前ですっからかんになりました。
そこで出資者を探してビジネス化しよう、と考えますが、
当時CGは、かなり怪しい話だったため、鼻であしらわれる状態で、出資者が現れませんでした。
まぁ。パソコンがPC9801の時代ですから。CGなど、とんでもない眉唾話だったわけです。
なにしろ、世界中さがしても、そんなビジネス例はありません。
そこに、ただひとりだけ、この眉唾話に「出資しましょう」という方が現れました。
この人のイニシャルがHだったわけです。
感動した弊社代表は、これを自社のマークにいたしました。
違う事は、いまだに城持ちにもなっておらず、返してもいない、ということぐらいです(笑)
まぁ・・・藤堂高虎も30年かかってますから・・・。
偶然に貴社のページを見つけてから、いつも楽しく拝見させていただいておりますが、浪曲とはさすがに驚きました。コンピューターからダリや面白い建材の話と、幅が広くて私のような年令のものでも本当に楽しめます。当方今年で60才を迎えました。
藤堂氏は地元なので、この話もたいへん楽しく読ませていただきました。
これからもがんばって続けてください。
とても人を引き付ける文章構成には毎回ワクワクしながら拝読しています。御社の素晴らしいCGも、「人を魅了させる」ものが伝わってきますし、それがブログにも継承されているのでしょうね。私は最先端を走るCG業界とは程遠い分野でホソボソと働いている者ですがパース画を発注する立場でしたら是非御社に!と思ってしまいます。
巷のWEBのようにCGの画像だけをホームページに載せるということではなく御社のようにBLOGや様々な企画など、新しいことをどんどんやられているというスピリットがとても魅力的でそれにより安心感や親近感(勝手に・・・)を感じさせてくれます。ご多忙のところかと思いますが、だんだんと寒い季節になってきましたのでご担当者様はじめスタッフの皆様、お体にはお気をつけてお過ごしください。
私の記憶では、主家を次々と変えて
勝つほう勝つほうに乗って行った尻軽と思ってました
まあ戦国時代ですから、真田家みたいにお家存続の為
敵味方両方にそれぞれ兄弟を遣わすみたいな事もありますけどw
なにはともあれ、ずーずーしさに加えて先を読む目があり、後世まで名を残したのは立派だと思います
でも餅屋は、明日は死ぬかという時代に返ってくるあてもない
しかも一見の男に心付けという点でとても感動ですが、
Hさんは投資なので社長さんには申し訳ないけど、大きな違いがあるかとw
でも、そのHさんに早く恩返しできると良いですね
うち(今治)にあるマンガ(小学校にありました)では、金がない告発→構わん→金をもらう→大名行列通りかかってお礼「いつぞやはありがとう」とか言う流れでした。
もらうことと要求することは雲泥の差ですね。