珈琲を飲みながら

心のこと。
ハンドメイドのこと。
ミシンのこと。
子どものこと。
漢字のこと。

自他分離

2013年04月24日 | 親業訓練
失敗出来ないって思うの。
子育てに関して、ママ友が発した言葉。

お友達の失敗って言葉がどうにも心に引っ掛かる。

失敗って何だろう。
成功って何だろう。

成功したら、誰が喜ぶの?

何だか、心がザラザラするよ。

子どもの人生は、子どものものだよ。

子どもの成功は、親の手柄?

言いたいことは解るよ。

幸せを願っているってことでしょ?

子どもが悩み事を抱えてたら、子ども自身がその悩みを解決していかないと、
いつまでたっても自分で解決する力はつかないよね。

国語 算数 理科 社会
数学に英語でもいいけど

問題は子ども自身に解かせるよね。

ケースバイケースだけど。

人間力って言葉がある。

問題解決力や自己表現力、協調性なんかの
総称らしい。

お勉強だけできても、
その人間力が足りない子どもが増えてるって。

もう少し 
黙って見てあげるってのも
大切。

考えがまとまらない。

ドッグトレーナー

2013年04月11日 | 子育て

BSで放映していた「ザ.カリスマ ドッグ トレーナー」と言う番組が面白い。
問題行動を繰り返す犬に困っている飼い主。
問題解決のコツを教えたり、
犬をトレーニングして行く番組です。
以前私が見た内容で、心に残ったのはショーダンサーのカップルが飼っていた犬。


問題行動は 噛みつく 部屋中にオシッコ
糞 散歩を嫌いリードを付けると死んだふり。

そこへカリスマドッグトレーナーのシーザーが訪ねます。

飼い主に話を聞いている最中にもソファーの上で、飼い主に牙をむける

フラフィー君。

シーザーが一言

「そこで、撫でるのは犬のためになりません。」

「歯を向けるのは、ほほを叩くのと同じ。それを可愛がっています。」

家の中で支配的になって、それを表わす行動を繰り返していたのですが、

飼い主はそれに気づかず、褒めたり笑ったりしていたのですね。

笑うことも称賛の一つなので、その行動(問題行動)が正しいことだと教えていることになるのだそうです。

犬のお友達がいないというフラフィー君のために、

シーザーが社交的な犬を3匹つれて再訪問。

すると、フラフィー君。背を向けて水を飲み始める。

普通、他の犬が傍にくると、匂いで気がついて確かめるはずが・・・。

自ら気付いてほしいので、声をかけません。

結局7分間、水を飲み続けました。

これには、シーザーも失笑。

7分後、水を取り上げ、他の3匹と共に、庭へ。

ここで、ずっと水を飲み続けていた理由が明らかになります。

フラフィー君、攻撃性はないものの不安でいっぱいになっている様子。

他の犬を無視し、その場で固まって一歩も動こうとはしません。

飼い主さんたまらず声をかけます。「大丈夫だよ。」

(英語なので「It OK.」でしたが・・。)

「固まっているわ。 動きません。」

するとシーザーは

「ですが、ここで、大丈夫だと声をかけるのは逆効果です。

避けている状態が正しいことだと勘違いをしてしまいます。

危険はないので、黙って見守り、自ら乗り越えるのを待ちます。」

と、答えます。

まるで、何かに似ていませんか?

結局散歩も、数分間のリハビリで自ら歩くようになり、外でのマーキングも・・・。

運動不足とに伴う、筋肉の凝りのため体が固まっていたようです。

体を触ると、牙をむくのも、固まった筋肉が痛んだせいだと判明。

と、番組はこのように進行していきましたが

この、不安でたまらない子に

大丈夫 と声をかけるのは逆効果だって

黙って見守り、自ら乗り越えるチャンスをつぶしてはいけないって・・・。

子育てとダブりますよね~。

以前、BSで無料放送していた時に見たのですが、

現在は有料みたい。ってことで、現在は見ていませんが・・・・爆笑

 


新生活

2013年04月10日 | 子育て
三女はこの春中学二年生になりました。
同じ小学校から新入生は一名。
そのお母さまからメール。
学校生活への期待と不安が入り混ざった
ちょっぴり複雑な内容。
来週の保護者会にドキドキ!

とって食べたりませんよ。(*≧∀≦*)

偉そうに、中学生ママの心得なんて
返信しちゃいました。
『子どもを信頼して
グッと我慢 それからちょっぴりチラミ』

でも、考えてみれば9年前、長女が中学生になった頃、私も緊張してたなあ。

楽しい3年になりますように。

子どもに愛が伝わっていますか

2012年11月12日 | 親業訓練

本日、式場敬子先生の「親が楽になるワンポイントセミナー」にお邪魔いたしました。

先生の気さくなお人柄に親しみを感じ、話がとっても解りやすく、のめり込んで聞きいってしまいました。

会場には 親業関連の冊子 書籍 などが並べてあったのですが

そこへ眼をやった受講生の方が一言

「ドキッ」

それが↓「子どもに愛が伝わっていますか」というタイトルの本でした。

 

子どもに愛が伝わっていますか―心のかけ橋をきずく“親業”
クリエーター情報なし
三笠書房

 

 

そうですよね。

「ドキッ」とするタイトルですよね。

子どもを愛していますか

じゃないんですよね。

子どもを愛していますか って聞かれれば、大概の親は

自信を持って 「はい」 って答えられる・・・・。

 

ところが、

子どもに愛が伝わっていますか

ですよ。

子どもに愛を伝えていますか

でもないんですよ。

子どもに愛が伝わっていますか

ってことは、まず 子どもを愛していて、子どもに愛を伝えていて

その次の作業なんですよね。

伝わっているかどうかをちゃんと確認していますか

ってことでしょう?

まさに親業

コミュニケーション

 

改めて、このタイトルの奥の深さを感じました。

 

ちなみに 式場先生のセミナー21日にもあります。

お近くの方はどうぞご参加ください。

1. 無料セミナー

「親が楽になるワンポイントコミュニケーションセミナー」
 
 ☆自主性をもった子どもに育てるには☆

日時:11/12(月)10:00~11:30
   11/21(水)10:00~11:30(内容は2日間とも同じです)

会場:11/12(月)市川市男女共同参画センター 研修室C・D
   11/21(水)市川市八幡市民談話室 集会室1

参加費:無料

保育:ありませんが、お子様とご一緒に参加できます。

※ 市川市役所子育て支援課「市川市家族の週間」のイベントです。

 


自己理解と受容

2012年11月09日 | 親業訓練

親業上級講座が早くも半分も終わって折り返しに来てしまった。

最近感じたことを書いてみよう。

何からどう書いていいのか整理がついていないので、きっとハチャメチャな文章になってしまうことだろう。

読みづらかったらごめんなさい。

親業上級講座のテーマ(?)には、「自己肯定」「自己理解」というのがあるらしい。

実は私この「自己肯定感」の低い子どもだったの。

自己評価は

悪い子

ぐず

なまけもの

わがまま

いけない子

自分勝手

自分には価値がないと本気で思いこんでいた。

私の心の根底には自己否定ばかり・・・・。

それでも必死に打ち消したかったのか、中学高校のころは親に反発反抗。

愚かだったと振り返るが、その「愚かさ」があの時必要だった。

苦しかった。傷ついた。悔しかった。寂しかった。

そんな思いが蘇る。

7人兄弟の長男の父。

まさに家長である。

しかし子供は女ばかり。

年子の姉二人に年の離れた私。

男の子が欲しかったのだろうということは、簡単に想像がつく。

一方、母の妹は子どもがなく、

生まれてきた子が女子のだったら、養女に出すという約束が双方で取り交わされていたらしい。

すんでのところで、父が子どもが大きくなった時真実を知ったらかわいそうだから

という理由で取りやめになったと聞かされている。

この話を聞かされたのは、高校生だったか まだ子供だったと記憶しているが

「へえ~。そうなんだ。」と平静を装い動揺を悟られまいと必死に本心を隠した気がする。

その時の本心は・・・・。

生まれる前から捨てられたんだ。

やっぱり、生まれてくる価値がない。

世間体を気にして育てたんだ。

(↑ 受け取る側が根性曲がってるとかなり歪曲して受け取ってしまうわけですね。)

子どもの頃は祖父母に両親   姉妹が私含めて3人

それに叔父や叔母 それから工場を営んでいて住み込みで働いていた女の人が

2~3人、合計12~3人の大家族だった。

忙しい父や母にあまり構ってもらった記憶はないが、

この人数の食事から洗濯から工場の仕事まで母がやっていたのだから

子どもとの時間が取れなかったのは仕方がないことだと思う。

それに私は育てにくい子だったのだと思う。

少し変わった子どもだったのだと思う。今となってはね。

理解しにくい子ども。今となっては父や母に同情する。解らなかったんだよね。

子どもの頃の私の勝手な思いを書いちゃいますと

「理解してもらえない。共感してもらえない。」という思いがいつも付きまとっていた。

唯一、こんな私を受容し共感してくれたのは祖父だった。

私にとっては理解のある優しい祖父だったが

厳しくて怖くて頑固で真面目な人だったらしい。

明治生まれの所謂頑固おやじだ。

そんな祖父に育てられた父は、厳しくて怖くて頑固で真面目な人物だった。

特に勉強面では厳しかった。それが父の愛情だったのだろうというのに気がつくには

長い年月が必要になる。

花丸をもらった作文も、赤ペンでここがはねていない、この漢字は間違っているなど

家に帰ってから父の添削が待っていた。

愛情と情熱を持って指導に当たった父の行為は、私に届かず

ダメな子 馬鹿な子 劣った子 という 劣等感ばかり育てることになる。

中学生のころ。父にも母にも反抗を始めるころだが、

学校で私は演劇部に入り、 生徒会の副会長などを務める。

愛情不足と感じて育った子どもは自己顕示欲が強くなる傾向があると、何かで読んだことがあるが、

自己顕示欲の塊のような子どもだったなあ。

そうそう、中学のころ、カーディガン着用を認めるために校則を変えるという

取り組みに紛争したことがある。

体育館に全校生徒を集めディベートを行い

校則変更に賛成派、反対派で意見を交わしあった。

その後、全校生徒による投票を行うと、いうもの。

目立ちたがりの私は、熱弁をふるい賛成派多数により校則を変えることに成功。

満足感 達成感 多くの仲間たちを喜び合って意気揚々と家に帰った。

すると 

 

 

 

家に帰って言われた言葉

 

 

「○○さんのお母さんに聞いたわ。恥ずかしい。顔から火が出たわよ。」

「あなたは まだわからないかもしれないけど、女の子はそういうことをするもんじゃないの。」

「みっともない。」

 

何をどんなに頑張っても私は理解してもらえない。

結局私は父や母にとってはお荷物。

 

募る劣等感。

 

幼児教育の短大に進み臨床心理学の授業を受けた時、衝撃を受けた。

所謂、手の焼ける子、問題行動をとる子たちの事例が教科書に載っていたのだが、

その教科書の中にまさに私がいたのだ。

劣等感や自己否定感のある子どもは その子が悪い のではない。

関わり方が 悪い のである。

 

 

 

私は悪い子じゃなかったんだ。

 

 

 

関わり方が 悪かったんだ。

 

救われた気がした。

 

 

 

自分を好きになりたかった。

自分を認めてあげたかった。

いい人になりたかった。

それでも根底にある劣等感、これはなかなか手ごわかった。

良いというものは自分に取り入れた。

自分を変えるための(自己啓発など)の本は読み漁った。

セミナーや講演会へは足しげく通った。

自分が認めるいい人になりたかった。

ポジティブな人になりたかった。

前向きで明るくて、正義感があって公平で

日常で癖付けすると思考もポジティブになっていった。

なりたい自分になれたと思っていた。

 

ところが・・・・・

 

 

自分自身が前向きで明るくなればなるほど、他人のネガティブな発言が気になる。

正義感を持った人間になればなるほど、他人の不正が許せなくなる。

他人のずるさが目につく。他人の嘘に嫌悪感を抱く。

 

 

 

私には信念がある。嘘つきや不正を働く人とは付き合えない。

そう言って周りの人を排除するようになる。

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

何か変。

 

 

 

なぜこんなに心の狭い人間になってるんだ?

 

 

自己実現の講座を受けたのはこのころ。

 

そうか、自分の中にもあるじゃない狡さ。

自分の中にもあるじゃない劣等感。

 

少しずつ

 

少しずつ

 

自己理解を深めたが

 

 

 

 

だけは しぶとい。

 

自分の中の本当の気持ちを隠すことは嘘をつくことと大して変わらない。

 

やっと少しずつ

 

父のことも受容していた心算だった。

 

ただ自己理解が深まり自分自身を冷静に見つめたら観えてきた。

 

必死になって自分を変えて

自分自身が前向きで明るくなればなるほど、他人のネガティブな発言が気になる。

正義感を持った人間になればなるほど、他人の不正が許せなくなる。

他人のずるさが目につく。他人の嘘に嫌悪感を抱く。

 そうその後
 
 
私がとったその態度
 
 
子どもの頃
 
私が最も嫌で憎んで恨んだ
 
父の態度そのものだった。
 
 
物知り顔で他人を見下し
そんなことも解らないのかと説教を垂れる教訓を垂れる
 
ああああ。
 
恥ずかしさと後悔が混ぜ合わさった感情を持つ一方で
 
父に対する実感を伴った理解と受容 そして共感。
 
一生懸命真剣に取り組んで身に付けた知識や見識
 
それって人に話したくなっちゃうよね。
 
あの時は解らなかったけど、あなたからの愛は感じています。
 
辛い思いもいっぱいしたけど、それがあるから、他人の痛みがわかるようになった。
 
だから、その全てが私には必要だった。
 
自分の物の見方や感じ方
 
これが解ると、昔は矯正することばかり考えていた。
 
それはそれで必要だったのかもしれない。
 
さあ。やっとスタート地点に立てた気がする。
 
自己理解が深まると相手への受容が広がる。
 
謙虚になれる自分が嬉しい。