親業上級講座が早くも半分も終わって折り返しに来てしまった。
最近感じたことを書いてみよう。
何からどう書いていいのか整理がついていないので、きっとハチャメチャな文章になってしまうことだろう。
読みづらかったらごめんなさい。
親業上級講座のテーマ(?)には、「自己肯定」「自己理解」というのがあるらしい。
実は私この「自己肯定感」の低い子どもだったの。
自己評価は
悪い子
ぐず
なまけもの
わがまま
いけない子
自分勝手
自分には価値がないと本気で思いこんでいた。
私の心の根底には自己否定ばかり・・・・。
それでも必死に打ち消したかったのか、中学高校のころは親に反発反抗。
愚かだったと振り返るが、その「愚かさ」があの時必要だった。
苦しかった。傷ついた。悔しかった。寂しかった。
そんな思いが蘇る。
7人兄弟の長男の父。
まさに家長である。
しかし子供は女ばかり。
年子の姉二人に年の離れた私。
男の子が欲しかったのだろうということは、簡単に想像がつく。
一方、母の妹は子どもがなく、
生まれてきた子が女子のだったら、養女に出すという約束が双方で取り交わされていたらしい。
すんでのところで、父が子どもが大きくなった時真実を知ったらかわいそうだから
という理由で取りやめになったと聞かされている。
この話を聞かされたのは、高校生だったか まだ子供だったと記憶しているが
「へえ~。そうなんだ。」と平静を装い動揺を悟られまいと必死に本心を隠した気がする。
その時の本心は・・・・。
生まれる前から捨てられたんだ。
やっぱり、生まれてくる価値がない。
世間体を気にして育てたんだ。
(↑ 受け取る側が根性曲がってるとかなり歪曲して受け取ってしまうわけですね。)
子どもの頃は祖父母に両親 姉妹が私含めて3人
それに叔父や叔母 それから工場を営んでいて住み込みで働いていた女の人が
2~3人、合計12~3人の大家族だった。
忙しい父や母にあまり構ってもらった記憶はないが、
この人数の食事から洗濯から工場の仕事まで母がやっていたのだから
子どもとの時間が取れなかったのは仕方がないことだと思う。
それに私は育てにくい子だったのだと思う。
少し変わった子どもだったのだと思う。今となってはね。
理解しにくい子ども。今となっては父や母に同情する。解らなかったんだよね。
子どもの頃の私の勝手な思いを書いちゃいますと
「理解してもらえない。共感してもらえない。」という思いがいつも付きまとっていた。
唯一、こんな私を受容し共感してくれたのは祖父だった。
私にとっては理解のある優しい祖父だったが
厳しくて怖くて頑固で真面目な人だったらしい。
明治生まれの所謂頑固おやじだ。
そんな祖父に育てられた父は、厳しくて怖くて頑固で真面目な人物だった。
特に勉強面では厳しかった。それが父の愛情だったのだろうというのに気がつくには
長い年月が必要になる。
花丸をもらった作文も、赤ペンでここがはねていない、この漢字は間違っているなど
家に帰ってから父の添削が待っていた。
愛情と情熱を持って指導に当たった父の行為は、私に届かず
ダメな子 馬鹿な子 劣った子 という 劣等感ばかり育てることになる。
中学生のころ。父にも母にも反抗を始めるころだが、
学校で私は演劇部に入り、 生徒会の副会長などを務める。
愛情不足と感じて育った子どもは自己顕示欲が強くなる傾向があると、何かで読んだことがあるが、
自己顕示欲の塊のような子どもだったなあ。
そうそう、中学のころ、カーディガン着用を認めるために校則を変えるという
取り組みに紛争したことがある。
体育館に全校生徒を集めディベートを行い
校則変更に賛成派、反対派で意見を交わしあった。
その後、全校生徒による投票を行うと、いうもの。
目立ちたがりの私は、熱弁をふるい賛成派多数により校則を変えることに成功。
満足感 達成感 多くの仲間たちを喜び合って意気揚々と家に帰った。
すると
家に帰って言われた言葉
「○○さんのお母さんに聞いたわ。恥ずかしい。顔から火が出たわよ。」
「あなたは まだわからないかもしれないけど、女の子はそういうことをするもんじゃないの。」
「みっともない。」
何をどんなに頑張っても私は理解してもらえない。
結局私は父や母にとってはお荷物。
募る劣等感。
幼児教育の短大に進み臨床心理学の授業を受けた時、衝撃を受けた。
所謂、手の焼ける子、問題行動をとる子たちの事例が教科書に載っていたのだが、
その教科書の中にまさに私がいたのだ。
劣等感や自己否定感のある子どもは その子が悪い のではない。
関わり方が 悪い のである。
私は悪い子じゃなかったんだ。
関わり方が 悪かったんだ。
救われた気がした。
自分を好きになりたかった。
自分を認めてあげたかった。
いい人になりたかった。
それでも根底にある劣等感、これはなかなか手ごわかった。
良いというものは自分に取り入れた。
自分を変えるための(自己啓発など)の本は読み漁った。
セミナーや講演会へは足しげく通った。
自分が認めるいい人になりたかった。
ポジティブな人になりたかった。
前向きで明るくて、正義感があって公平で
日常で癖付けすると思考もポジティブになっていった。
なりたい自分になれたと思っていた。
ところが・・・・・
自分自身が前向きで明るくなればなるほど、他人のネガティブな発言が気になる。
正義感を持った人間になればなるほど、他人の不正が許せなくなる。
他人のずるさが目につく。他人の嘘に嫌悪感を抱く。
私には信念がある。嘘つきや不正を働く人とは付き合えない。
そう言って周りの人を排除するようになる。
ん?
何か変。
なぜこんなに心の狭い人間になってるんだ?
自己実現の講座を受けたのはこのころ。
そうか、自分の中にもあるじゃない狡さ。
自分の中にもあるじゃない劣等感。
少しずつ
少しずつ
自己理解を深めたが
嘘
だけは しぶとい。
自分の中の本当の気持ちを隠すことは嘘をつくことと大して変わらない。
やっと少しずつ
父のことも受容していた心算だった。
ただ自己理解が深まり自分自身を冷静に見つめたら観えてきた。
必死になって自分を変えて
自分自身が前向きで明るくなればなるほど、他人のネガティブな発言が気になる。
正義感を持った人間になればなるほど、他人の不正が許せなくなる。
他人のずるさが目につく。他人の嘘に嫌悪感を抱く。
そうその後
私がとったその態度
子どもの頃
私が最も嫌で憎んで恨んだ
父の態度そのものだった。
物知り顔で他人を見下し
そんなことも解らないのかと説教を垂れる教訓を垂れる
ああああ。
恥ずかしさと後悔が混ぜ合わさった感情を持つ一方で
父に対する実感を伴った理解と受容 そして共感。
一生懸命真剣に取り組んで身に付けた知識や見識
それって人に話したくなっちゃうよね。
あの時は解らなかったけど、あなたからの愛は感じています。
辛い思いもいっぱいしたけど、それがあるから、他人の痛みがわかるようになった。
だから、その全てが私には必要だった。
自分の物の見方や感じ方
これが解ると、昔は矯正することばかり考えていた。
それはそれで必要だったのかもしれない。
さあ。やっとスタート地点に立てた気がする。
自己理解が深まると相手への受容が広がる。
謙虚になれる自分が嬉しい。