弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

ナクバ60年を問う①~「パレスチナの民族浄化と国際法」

2008年07月25日 | パレスチナ/イスラエル
 遅ればせもいいところ、もう1ヶ月も前の話なのだが、ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉の連続セミナー(共通のタイトルは<ナクバ60年を問う>)の第1回、「パレスチナの民族浄化と国際法」の参加報告を今頃書こうと思う。
 この報告がとっとと書けなかった理由はいろいろある。例によって私的な雑多な問題で頭がとっ散らかっていたというのが主たる言い訳になるのだが、それに勝るとも劣らない理由として、このセミナーで扱われたテーマがとても大きな、根本的なものであって、僕の手に余る問題が多く含まれていたから、ということもある。ズバリ言って、パレスチナ問題はなぜ「問題」なのか、という提起にも等しいくらい、根本的なのだった。
 ところで、これは僕の「ブログ」である。つまりweb上の、個人の日記に過ぎない。大学の卒論ではないし、マスコミ記者が記事を書いているわけでもない。ならば「手に余る」ことなど放っておいて、興味があるところだけつまみ食いしたって悪くはなかろう。気楽にちゃっちゃっと書いてしまえば?──と、本当にいつも思うし、実際そういう風にしか書けていないことが多いのだが、その「気楽に書く」ことにさえ相応の決断をもって臨まなければならない、そういうテーマがある。僕の場合それがパレスチナだ。いや、僕の場合というより、「パレスチナ問題」とその語られ方が辿ってきた歴史的な経緯を何となく知る者として、どうしても躊躇してしまうところがある、それは、割合誰もが感じることではないのか、という気がする。

 前置きが長くなった。要は、結局のところ「つまみ食い」であることを了承した上で読んでもらいたい、そういうことだ。
 セミナーの前半は臼杵陽・日本女子大教授による、「「民族浄化」とシオニズム─排他的ナショナリズムをめぐるポリティクス」と題された講義だった。現在臼杵教授が翻訳中のイラン・パペ『パレスチナの民族浄化』を念頭に置いたテーマである。
 ただ、「民族浄化」という概念がここで語られるのは、たまたま教授がそういう本を手がけているから、というわけではないことはもちろんだ。それは<ナクバ60年を問う>ために必然的に浮かび上がってきているテーマである。すなわち、彼の地で起こっていることを曇りのない目で見れば、イスラエル国家の「原理」は民族浄化そのものではないかということが、60年目の今にして、もはや抜き差しならぬ形で見えてきている。

「民族浄化:特定の地域・領域のエスニック的に混成の人口を均質化するために強制的に追放すること」(『ハチンソン百科事典』の定義による)

 1948年のイスラエル建国とそれに伴うアラブ住民(パレスチナ人)の大量追放は、まさにこの原理によって引き起こされた。ところが一方で、イスラエルという国の現実は多文化的で、経済はパレスチナ占領地からの大掛かりな搾取を前提に、自国内でさえアラブ系市民の雇用に依存しているという矛盾。「ユダヤ人国家」を標榜し、可能な限りアラブ人口を極小化しようという暴力装置が常に働いていながら、結局そこにあるのはアラブを従属させての植民地経営に他ならない。イスラエルの豊かさとは、一方に貧困にあえぐパレスチナ人がいることで成り立っている豊かさではないのか。

 「民族浄化」の視点から見えてくるもう一つの問題は、「ナクバ」の実相をめぐるものである。これは今まで僕自身、知ってはいたが(最近の広河隆一氏の映画『NAKBA』でも取り上げられていた)、その重大性に気づかなかったことを反省させられた問題である。
 つまりこういうこと。一般的な中東紛争史理解においては、「20世紀初頭の英国によるパレスチナ軍事統治の時代にユダヤ人移民が増え始め、緊張が高まった挙句、1948年5月15日、イスラエルの独立宣言を受けて第一次中東戦争が勃発。これによってエジプト・ヨルダン・シリアのアラブ軍を打ち破ったイスラエルが、現在認められているような国境線内の新国家を獲得した」と。
 しかし、これは実相とずれている。実際には1947年11月の段階で、ユダヤ側の軍事組織は、国連決議では「アラブ人国家」に割り当てられていた土地も含めたパレスチナ各所への侵攻を開始し、“内戦”状態を引き起こし、難民もこの時すでに発生していた。
 1948年4月には「D(ダーレット)計画」を発動させ、本格的な住民追放のための掃討戦、いわば民族浄化作戦を全土で行なう。その間、統治責任のある英国はそれらを看過していた。5月15日というのはイギリス軍が撤退し、公式に委任統治が終了した日である。アラブ諸国軍はその日に初めてパレスチナに侵攻したが、その時すでに主要部はあらかたイスラエルの手に落ちていた。
 つまり、5月15日というのはイスラエルからすれば、(司会の田浪亜央江さんが見事に言い表したように)戦争が始まった日ではなく、民族浄化作戦の一つの到達点だったのである。
 イスラエルはその後、ギネスブック級の多くの国連決議違反をくり返しながら現在に至るが、すでに最初の建国に向けての行動自体が決議違反だった。すべては違反から始まった、それが実相なのだということを、今一度確認しておく必要がある。そして、そんな違反によって手にした国土の領域を、しかし国際社会は沈黙によって追認してしまった。世界は今に至るも、その原罪を抱えている。

 後半は、国際法学者の阿部浩己・神奈川大教授による、今セミナーのタイトルである「パレスチナの民族浄化と国際法」についての講義。パレスチナについての講演は今回が初めてだという阿部教授だが、しかしそのお話は、逆に客観的にイスラエルの歪んだ姿を映し出してあまりあったように思う。それは一言で言い表せば、「多重の国際法侵害」ということになる。
 一つに、占領国の責任という視点がある。ヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ地区は、言うまでもなく国際的にはイスラエル領と認められていない。本来の領土でないこれらの地域を実効支配する(必ずしも軍事的にでなくても)国には、占領国としての責任が発生する。
 国際法においては、占領とは一時的な状態、いずれ解消されなければならない状態のことである(占領は「征服」ではない。「征服」はそもそもいかなる理由があっても認められない)。占領した側には、占領地の人口学的・社会的一切の変更は許されない。イスラエルが1967年以来延々と行なっている占領地への「入植」は、明白で重大な国際法違反である。
 占領というもの自体を善悪二元論で論じることは、国際法の範疇ではないかも知れない。学者の間でも様々に意見が分かれるところだそうだ。ただ、そうだとしてさえも、イスラエルの行なっている占領は事実上の「併合」であり、偽装された「征服」として断罪されるべき性質のものであることは、国際法の観点からほぼ明白になっている。イスラエルは違法状態を終了させる義務があり、また原状回復と賠償の義務も負っている。
 その他、占領地の「壁」の建設も、住民への数々の人権侵害も、重大な違反だらけである。肝心なことは、国際法において、締約国はこうした違法な事態を承認せず、違反国に法を遵守させる義務を負っていることだ。それとは裏腹に日本政府が進めている(イスラエルをパートナーとする)ヨルダン渓谷開発計画などは、こうした観点から国際法違反の片棒を担ぐことになる可能性が高い。少なくとも、やることの順序が違う。

 しかし、誰もが思ういつもの疑問があるだろう。そんなに明白な違反があるのに、なぜそれが裁かれ・正されないままでいるのか?という。
 アメリカを中心とした西洋諸国の、イスラエルに対するダブル・スタンダードということを、今さらここでくり返そうとは思わない。「国際法はあるが、それを利用する政治の意志がない」という言い方があるが、それだってもう聞き飽きている。もちろん、間違っているわけではない。問題は、なぜ「政治の意志がない」ままで済まされているのだろう、ということなのだ。
 パレスチナという場所を見ていると、否が応にも気がついてしまうことがある。世界はいまだに強者の論理に従っている、ということだ(日本はますますそうだ)。
 国際法にいかに弱者の論理を埋め込んでいくか。あるいは法がそうなっていなくても、その中でするべきこと・あえてしないことを選択し、暴力を緩和する部分(今でも備えている)を最大化できるか──国際法学者としてというより、国際法に関わる一市民として働きかけていきたいと阿部教授は言った。
 確かに大事なことはそういうことかも知れない。専門家として何ができるか、はもちろん大事だけれど、専門でもない人が何をできるか、によって世の中は結構大きく動いたりする。・・・と、とりたてて何が専門というわけでもない僕などは、自分を励ますように考えることが多いのだけど。

 阿部教授が言ったことの中でもう一つ心に残ったのは、「何かを記憶するということは、別の何かを忘却することでもある」というものだ。ジェノサイド条約や世界人権宣言(ともに1948年)など、国際人権保障の一連の流れは、ホロコーストの悲劇をくり返してはならないという声の高まりが成立の原動力となった。しかしその影で、同じ1948年にもう一つの巨大な悲劇が開始されていた。しかもホロコーストの手から逃れてきたユダヤ人の手によって。
 原罪、などという宗教的・文学的な表現が適当かどうか自信がないのだが・・・・これほど原罪という言葉が連想されてしまう話は、僕にとっては他に思い浮かばない。パレスチナ問題はイスラエル問題であり、それ以前にヨーロッパ問題である。

 セミナーの第二回は8月16日、「占領のノーマライゼーションと中東の分断」と題して行なわれる。詳しくはミーダーンのブログにて。


宣伝:『ビリン・闘いの村』
 以前ミーダーンの集会で観て、ここでも紹介したことのある佐藤レオ監督のドキュメンタリー『ビリン・闘いの村─パレスチナの非暴力抵抗─』が、8月2日(土)より渋谷アップリンクXにて上映される。ヨルダン川西岸地区、ビリン村の壁建設に抵抗する村人とISM(国際連帯運動)の若者達との闘いの記録。11:30と16:30の1日2回の上映。詳しくは上記サイトにて。
 また同じアップリンクXにて、現在~8月1日までは連日朝10:30からの回のみ、『パレスチナ1948・NAKBA』が上映されている。ロードショー公開を逃した方はぜひ。


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