ぜんちゃんの歩き方

写真とエッセイ。ボクの目線とライフ。
音楽とか映画とか本とかセブ島とか。

セブ・パンダノン島2010「理想の死に場所求めて」

2010年11月23日 | セブ日記
イチョウの葉がきれいだ。
いつの間にか好きな晩秋の頃になってしまった。
でもどうも塩梅が悪い。晩秋の山々の色彩や田んぼや畑の情景に息がつまりそうになる。

 

セブ島から戻ってくるといつもしばらくこんな調子だけど今回は少し違っている。
例えば公園のベンチとか滑り台とかイチョウの葉に木々に家並み、車道、それらは絶妙なコントラストをなして構成しているが何かが込み合っているように思うのだ。
迷路のような個人的な問題も含めて完全に頭の中はブルーにこんがらかってしまった。

 

海の風景にも変化はある。だけど基本的には水と空の構図でしかないように以前は思っていたのだ。
だからこそもっと変化がある森や林や川やその山々の風景に癒された。
そこには極私的な思考がある。つまり隠れ家なのだ。深遠なる森だったり自分の身を隠すあるいは身を潜める場所を求める性質があるからだ。

何かが多すぎて余計なことばかり考えている今日この頃だ。
だから無性にあのセブの島々に帰りたい。青い海と空と椰子の木と単純なその構図のなかに。

ボクの母は樺太出身で終戦後内地に引き揚げている。だからボクの魂は遥か北方カムチャツカあたりから来たのだと思っていた。
でもどうやら違うらしい。たまらなく血が騒ぐのは意外にスペインの風景だったりする。
民族音楽に傾倒していたのでバリ島に狂気したこともあった。
ガムランケチャにレゴンダンス、それにジェゴク、そりゃ鳥肌が立った。
だけどボクは基本的にヒンドゥー教というのが苦手なので気持ちが離れた。
フィリピンが好きなのは東南アジアで唯一のキリスト教国家だってこともあるのだろう。
それだけじゃなくやっぱり人種的にスペイン人との混血率が高いからだ。

パンダノン島はボクが一番好きな場所だ。
今年も最高の天気に恵まれた。ビーチバレーで遊ぶ子供たちや島の小さな教会で礼拝し歓談する人々にココロが和んだ。

2010・CEBU・パンダノン島(ビーチバレーで遊ぶ子供たち)


 

 

 
2010・CEBU・パンダノン島昼下がり。


こんな所で波と風の音を聞きながら死んでゆくのも悪くない。
「マッチ擦るつかの間海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」   寺山修司
生まれた故郷で死ねれば本望だがボクは最近何処で死んだって良いと思うようになった。
煩わしくなく結局たった一人で死んでゆくなら何にもない処で死にたい。
深遠なる森の奥の隠れ家で死んで数ヵ月後に発見されるより明るい青空の下で死にたい。
パンダノンは極めて天国に近いような気がする。

 

 夢見る少年には ひとすじの水平線 
 彼岸へとくり返す 未生以前のどよめき    谷川俊太郎 うつむく青年「海」より

砂に埋もれ夢見る少年のように死んでゆけたらボクはきっと伝説になるかも知れないな。たぶん。

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