ぜんちゃんの歩き方

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場末の闘鶏場は男たちの文化だ!「セブ日記その4」

2010年12月01日 | セブ日記
<セブ・マクタン島場末の闘鶏場編>
去年現地スタッフのRに連れて行ってもらった闘鶏が甚だ興味深かったので今年もまた案内してもらった。
去年見学した闘鶏場は閉鎖されたらしく今年は小規模でまさに町内会で運営されているようなトタン屋根の粗末な会場に行ってきた。

 

「掏り(スリ)に気をつけてよ」Rは流暢な日本語でボクらに言った。
骨組みだけの建築現場のような入口を進んで行くと木っ端のテーブルで数人の男たちは少し遅い朝食を摂っていた。
そんな人たちの傍らを足早に通り過ぎると男たちは充血した鋭い目でボクらを無言で追った。

リングに近づくにつれコンクリートの通路や階段にはおびただしい血痕が付着していた。
Rは支配人らしき人に促されボクらを最上段席に座らせた。
会場全体が見渡せるその場所は競馬場でいうところの指定席のような場所だった。
Rはボクらにミネラル・ウォーターを差し入れると「賭け金は100ペソからね」と言った。
円に換算するとたかだか250円程度だが集まって来る貧困層の人たちにとっては一日分の生活費に相当するのだろう。

 

まばらだった観衆も徐々に増え出し熱気を帯びてくる。
女性は悪運をもたらす者と考えられているらしく集まってくるのはほとんど男性だ。
青と赤のそれぞれのコーナーに男たちは手塩にかけた自慢の鶏を持ち寄り観衆にアピールするのだ。
鶏の足にはナイフが括り付けられ相手が完全に戦意喪失するか死ぬまで戦わせる。
どこかの動物愛護団体が観たら卒倒しそうな残酷な現場だ。
しかし誰が咎められるのか。スペインでは国技とされる華やかな闘牛に比べ闘鶏は東南アジアの民衆の裏文化に違いない。
勝利した鶏をオーナーは口元をほころばせ撫でると鶏は誇らしげに首を垂直に立てて見せた。
負けた鶏はまるでゴミの様に扱われその後どんな風に処理されるのかは知る由もない。

審判と仲介人の賭け金の捌(さば)き方がよく分からない。
観衆がどっちの鶏にどのくらい賭けているのか、その賭けのバランス、またその配当をなぜ瞬時に計算できるのだろうか。

 
今年の闘鶏場の動画
セブ・マクタン・闘鶏場2010


午前の部、最後の試合に珍しい栗毛の鶏が登場した。
普通の鶏より肉付きが良く首を真直ぐ立上げ実にカッコイイ。オーナーの身なりも良かった。
メンバーの誰もが「強そうだな。決まりじゃん。これ」と言った。
でもボクには余りにもそれは出来すぎた展開だと思った。対戦相手のみすぼらしいオーナーと血気盛んな鶏にボクは「あしたのジョー」を垣間見ていた。
しかし競技は鶏同士が地面に着いたとき数秒で勝負が付いた。
栗毛は一瞬1mほど舞い上がりジョーの首筋に降下するとジョーは泥のように地面に崩れた。
それはあまりにもあっけない幕切れだった。

民衆たちはなぜこんなに闘鶏に歓喜するのだろう。貧民層の大いなる活力の発散の現場がそこにある。
ボクらは闘鶏観戦を終えカイザノ・グランド・モールに食事に出かけた。
入口正面に早くも巨大なクリスマスツリーが設置されていた。その周りで中産階級のさっぱりした人たちが笑っていた。
ここは紛れもなくキリスト教国家、どんな人々も神様に平等に愛されているとボクは信じたい。


去年の闘鶏場の動画
セブ・マクタン・闘鶏場2009


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