久しぶりの更新。
あと6時間で第24回高崎映画祭が開幕する。
毎年のことではあるが、開幕を迎えるまでの道のりの、
何と長いことか。
今年は常見事務局長が病のため入院したことで、
いつもとはかたちを変えた開幕となる。
(常見事務局長は本日退院することになった。
常見さん、おめでとう!)
茂木さんのことも含め、
いつもそこにいた人がいない中での開幕は、
高崎映画祭そのものには定型がなく、
常にかたちを変えながら歴史を刻んできたという事実を
嫌でも浮き彫りにする。
映画作品の内容、映画を閉じ込めるメディア、そして映画を作る人たち、
映画を上映する僕ら、僕らを応援していただいている協賛団体の皆さま、
そして映画祭に集うお客様、
そのすべてが変わり続けてきた24年なんだろうと思う。
そして。
映画というジャンル、ただそれだけが変わらずにそこにある。
それがたぶん、真実だ。
失われつつあるこの映画というジャンルの灯を消さないよう…などと、
まるでその庇護者のように言われる僕ら映画祭スタッフであるが、
開幕を前にことさらに思うのは、
護られているのは映画ではなく、僕ら自身であるということだ。
たぶん、そのことに気づいている人は、それほど多くないのが現状だと思う。
もっと多くの人が気づいていれば、
いま映画は、もう少し彩りを帯びているはずだから。
また映画に護られながらの映画祭がはじまる。
お客様も、僕らスタッフも、
この映画祭での体験と、その経験に護られながら、
変化しつつも生き抜く強かさとともに、
これからの人生を歩くことになる。
一本の映画との出会いを大切に。
皆さまにいい出逢いがあることを祈って。
あと6時間で第24回高崎映画祭が開幕する。
毎年のことではあるが、開幕を迎えるまでの道のりの、
何と長いことか。
今年は常見事務局長が病のため入院したことで、
いつもとはかたちを変えた開幕となる。
(常見事務局長は本日退院することになった。
常見さん、おめでとう!)
茂木さんのことも含め、
いつもそこにいた人がいない中での開幕は、
高崎映画祭そのものには定型がなく、
常にかたちを変えながら歴史を刻んできたという事実を
嫌でも浮き彫りにする。
映画作品の内容、映画を閉じ込めるメディア、そして映画を作る人たち、
映画を上映する僕ら、僕らを応援していただいている協賛団体の皆さま、
そして映画祭に集うお客様、
そのすべてが変わり続けてきた24年なんだろうと思う。
そして。
映画というジャンル、ただそれだけが変わらずにそこにある。
それがたぶん、真実だ。
失われつつあるこの映画というジャンルの灯を消さないよう…などと、
まるでその庇護者のように言われる僕ら映画祭スタッフであるが、
開幕を前にことさらに思うのは、
護られているのは映画ではなく、僕ら自身であるということだ。
たぶん、そのことに気づいている人は、それほど多くないのが現状だと思う。
もっと多くの人が気づいていれば、
いま映画は、もう少し彩りを帯びているはずだから。
また映画に護られながらの映画祭がはじまる。
お客様も、僕らスタッフも、
この映画祭での体験と、その経験に護られながら、
変化しつつも生き抜く強かさとともに、
これからの人生を歩くことになる。
一本の映画との出会いを大切に。
皆さまにいい出逢いがあることを祈って。