シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「砕け散るところを見せてあげる」(2020年 日本映画)

2021年04月28日 | 映画の感想・批評


 ライトノベルが原作の青春ラブストーリー。挑発的なタイトルに惹かれたが、映画を観終わった時にこのタイトルの意味がわかる。原作本の最後の言葉「愛には終わりがない」にふさわしく、余韻が残る作品だ。
 師走のある日、受験を間近にひかえた高校三年生の濱田清澄が、全校集会で酷いいじめにあっている一年生の蔵本玻璃に出会ったことから物語は始まる。玻璃の第一印象は強烈だ。ボサボサの長髪に顔もおおわれ、声をかけた清澄に意味不明の奇声を発する。最初はとまどう清澄だが、次第に自分を語る言葉をもつ愛らしい後輩だと気づく。やがて二人は少しずつ心の距離を縮めていく。
 ある夕方、玻璃がトイレに閉じこめられ、上からバケツの水をかけられ寒さに震えているところを清澄が助けだす。クリーニング店のおばちゃんの計らいで、制服が乾くあいだ二人は清澄の家で待つことに。温かいカップおしるこにお餅が二つ入っていて大喜びする玻璃。しかしすぐに相手のカップにお餅が入っていないと気づく。照れる清澄と大感激する玻璃。互いを思いやる微笑ましい場面に、こちらの心も和んでくる。
 配役がいい。清澄役の中川大志はヒーロー願望の強い、ちょっと痛い先輩を好演。無造作におろした前髪のその奥のまなざしに、この年頃の青年の照れがかいま見えて魅力的だ。玻璃役の石井杏奈は、見る角度によって表情が変わる能面様の顔立ちと、柔らかいが凛とした声が適役だ。また、松井愛莉・清原果耶姉妹の助詞を省略した短いセリフが、ぶっきらぼうだが暖かみを感じさせて効果的。
 清澄はしっかり者の看護師の母親との二人暮らし。玻璃の家は父親と祖母の三人家族で、母親はすでに家を出て行ったという。前半は学校が主な舞台となっているが、生徒の描写はあっても教師の姿はない。この作品には男性性として機能するものがない。後半で玻璃の父親が姿を現わすが、それは脅威以外の何者でもない。
 UFOに狙われていると訴える玻璃。了解不能な出来事をUFOのせいにすることで、自分の置かれている状況と折り合いをつけようとしていたと徐々にわかっていく。その姿は痛ましいが、ある意味たくましくもある。玻璃の家庭に清澄が介入することで、物語はサイコスリラーの様相を帯びてくる。堤真一が狂気に満ちた父親を巧みに演じていて怖い・・・。玻璃の渾身の一撃でUFOにおおわれていた世界は砕け散る。
 家庭内暴力や虐待、いじめ、殺人とシリアスな背景があるにもかかわらず、不思議と清々しさと希望の光を感じる作品だ。そういえば劇中で街灯や車のライトや木漏れ日など、点滅する光が清澄と玻璃を包みこんでいた。
 この監督の作品を観るのは初めてだが、作品にスマホを登場させなかった監督(脚本)の感覚が好きだ。(春雷)

監督:SABU
脚本:SABU  
原作:竹宮ゆゆこ
撮影:江﨑朋生
出演:中川大志、石井杏奈、井之脇海、清原果耶、松井愛莉、北村匠海、矢田亜希子、木野花、原田知世、堤真一

「騙し絵の牙」(2020年、日本)

2021年04月21日 | 映画の感想・批評
歴史ある文芸出版社薫風の創業者一族の社長(山本學)の突然の死後、次期社長を巡る権力争いに勝った専務の東松(佐藤浩市)は強引な経営手腕を発揮して、次々と「改革」。売り上げの落ちている部門を切りおとし、新たな経営戦略をうちたてようとたくらんでいる。
カルチャー雑誌「トリニティ」の編集長として中途入社の速水(大泉洋)も、新社長に無理難題を押し付けられながらも、創意工夫を凝らして生き残りを図る。
いったいどんな内容のカルチャー雑誌なのか、じっくり見せてもらう間もないまま。ただ、編集会議の様子では「面白ければ何でもあり!」と、辣腕ぶりを発揮。

作家も曲者なら、権力争いに明け暮れる役員たちも狸ぞろい。その斜め上を鮮やかにすり抜けていく、速水編集長。
モデル兼タレントの城島咲(池田エライザ)のスキャンダルも炎上覚悟の逆手に取った営業方針で完売をさらっていく。
新人作家の小説を文芸誌に横取りされたかと思えば、それも鮮やかにひっくり返す!

看板雑誌の文芸誌「小説薫風」から引き抜いた新人編集者の高野(松岡茉優)の丁寧な仕事ぶりには目を見張る思い。行方不明になっている作家の原稿を丹念に読み、過去の作品と照らし合わせて、作家の動向を見極め、所在を突き止めていく。

主人公は大泉洋演ずる速水なのだが、じつは松岡茉優演ずる新人編集者高野の成長物語と言える。
彼女こそ、大どんでん返しをやらかすのだから。
本当はその過程をじっくり見たかった。

大好きな山本學さん、あんなに走らされて。
やっぱりそうなのやね。それがスタートのお話とわかってても、一瞬の出番なのが寂しい。

「牙、KIBA」はそういう意味だったのね!

出版業界の裏話、企業経営の大変さもチラ見しつつ、小気味よく騙される。
チクチクと胸の痛みを伴うような騙しの手口もあったりで、ただ、無邪気に笑えないのだが、
総じて、とても面白かった。

町の小さな、良質の本屋さんがどんどん消えていく現状も胸に迫る。
「良いものを置いてる、ここなら売ってるだろう、ここで買いたい。そういうお客さんのために店を開けてる」
私も小さな小さな雑貨店をやっているものとして、高野のお父さんの言葉が響く。

本を読まなくなって久しい。それはとても恥ずかしいこと。
街の本屋さんに元気になってほしい。たまには本屋さんをゆっくり見て回ろう。
先ずはこの原作本を買ってこなければ!
大泉洋をイメージしてあて書きされた小説という。なんとも役者冥利に尽きるお話し。
さてさて、原作と映画とはどう違う?
気持ち良く騙されてみたい。
(アロママ)


監督:吉田大八
脚本:楠野一郎、吉田大八
原作:塩田武士
撮影:町田博
出演:大泉洋、松岡茉優、佐藤浩市、國村隼、木村佳乃、リリー・フランキー

「パーム・スプリングス」(2020年 アメリカ)

2021年04月14日 | 映画の感想・批評

 
 私にはあまり馴染みがない人だが、製作・主演のアンディ・サムバーグはもともとテレビの人気ドラマ「ブルックリン・ナイン・ナイン」でゴールデン・グローブ賞の最優秀主演男優賞をとるなど、お茶の間の人気者らしい。映画でもすでに何本か主演しているという。それで、この映画はしゃれた都会派コメディとかロマンチックコメディなどを期待すると恐らく失望するだろう。ドタバタとはいわないが、そこまで行かない程度のハチャメチャコメディといえばよいか。
 舞台はカリフォルニアの砂漠のリゾート地パーム・スプリングス。まずもって、砂漠に不可解なヤギが現れるという意表をついたオープニングに続いて、とある邸宅の寝室に場面転換し、ベッドで眠る若者ナイルズがガールフレンドのミスティに起こされ、「時間がないから早くして」と殆ど機械的な濡れ場となるのだけれど、ムードも何もあったものではないから途中で時間切れとなるという下ネタで始まる。場面は結婚式に移り、司会役のミスティが新婦の姉ながら気乗りのしないサラに祝辞をふる。なぜかもたもたしているサラ(これが後述する重要な伏線となる)を尻目に突然ナイルズがマイクを奪い取り、キザなスピーチを始めると、一同がうっとりとするというギャグはスチーヴ・マーチンを彷彿させ、すべってしまうのは致し方ないか。
 そろそろ披露宴に退屈したナイルズとサラは、誰彼かまわず浮気するミスティの淫乱ぶりに呆れて砂漠に抜け出し、さあこれからちょっとロマンチックな気分となってきわどい雰囲気になろうというそのとき、忽然と現れた黒ずくめの覆面男がナイルズに矢を向けて射る。逃げ切れなくなって射貫かれたナイルズが倒れる・・・はっと目覚めるベッドのナイルズを起こすミスティ・・・ファーストシーンの再現。
 映画はこうして時間のループを繰り返し描き、堂々巡りに陥るのである。すなわち11月9日の結婚式の朝からパーティー、その後のナイルズとサラのやりとりに終始し、そこから前には進まないのである。
 同じ話が繰り返されるが、わざと省いたエピソードがあって、何度かの時間のループの流れの中でそのエピソードを紹介することによって繰り返しのしつこさを和らげるという手法だ。つまり仕掛けられた伏線の種を明かすのである。たとえば、新郎とサラができていて新婦(妹)は知らなかったとか、結婚式に来ているサラの友人の若者(男)がナイルズと一度だけ関係を持ったことがあるとか、そういう真相やギャグめいたエピソードが描かれるのだ。
 そうして、主人公のナイルズとサラのコンビがループから脱出できるかどうかが、この映画のキモといえばいえよう。
 あることをきっけとしてナイルズに復讐しようとする初老の男に「セッション」の怪優J・K・シモンズが扮し、映画のひとつのアクセントとなっている。
 監督は長編デビュー作だというが、なかなかのお手並みである。コロナ禍の鬱陶しい日々を乗り越えるには格好のコメディだ。(健)

原題:Palm Springs
監督:マックス・バーバコウ
脚本:アンディ・シアラ
撮影:クィエン・トラン
出演:アンディ・サムバーグ、クリスティン・ミリオティ、J・K・シモンズ、ピーター・ギャラガー、メレディス・ハグナー

「レンブラントは誰の手に」(2019年 オランダ映画)

2021年04月07日 | 映画の感想・批評
 17世紀オランダ絵画の巨匠レンブラントの作品を巡る四つのエピソードをパラレル編集で描いたドキュメンタリー。貴族の家系に生まれた美術商のヤン・シックスは、ロンドンの競売会社クリスティーズに出品された「若い紳士の肖像」を安価で落札する。レンブラントの肖像画のモデルになった先祖をもつヤンは、独特の嗅覚でこの作品がレンブラントの真作だと睨んだ。美術館の学芸員や専門家に鑑定を依頼するがなかなか真正の証明は得られない。最終的にレンブラント研究の第一人者のお墨付きをもらい、44年ぶりのレンブラントの新作発見となるのだが・・・ヤンは思わぬトラブルに巻き込まれてしまう・・・監督のウケ・ホ―ヘンダイクは純粋に真正を明らかにしようとする学究の徒の姿ではなく、欲得まみれの真贋騒動をコミカルに活写している。
 ロスチャイルド家から1億6000万ユーロ(約200億円)で売りに出されたレンブラントの肖像画を巡るルーヴル美術館とアムステルダム国立美術館の争奪戦。ルーヴル美術館で自分のコレクションを得意げに披露するアメリカの大富豪・・・どのエピソードもお金がらみで、芸術の真価よりも経済的価値に重点を置いている感があるが、スコットランドのバックル―公爵の場合は少し異なる。古城でレンブラントの「読書する老婦人」と暮らす公爵は、まるで絵の中の老婦人が生きているかのように寄り添い、老婦人の側で一緒に読書をする。レンブラントへの想いはさまざまだ。この映画の原題は「私のレンブラント」。レンブラントに向き合う人々のそれぞれの心模様が伝わってくる。
 この映画はドキュメンタリーなのにフィクションのような印象を受ける。誰かが筋書きを書いたかのようにドラマチックに展開していく。映画は肖像画のディテール・ショット(大接写)で始まるが、同じようにカメラは登場人物の内面に肉薄している。レンブラントの購入を巡る疑惑でTVの真相究明番組に出演したヤンが、他の出演者から質問攻めにあうシーンがある。トラブルの発生を予期していたかのようにカメラは淡々とヤンをとらえている。被写体との距離の近さがドラマを生む。被写体がドラマを作ってくれるのだ。カメラは傍らで辛抱強く待てばいい。ドキュメンタリーの手法とはそういうものなのだろう。
 それにしても美術品の真贋とは何だろう。レンブラントの第一人者が「若い紳士の肖像」を真正だと判断した根拠の一つが襟の描き方だった。別の専門家は襟の描き方がおかしいと言い、第一人者は襟の描き方がまさにレンブラントだと主張した。何とも曖昧模糊とした判断基準だなと思う。レンブラントは工房で作品を制作しており、延べ50人以上いた弟子たちは師匠の画風を忠実に再現しようと日夜刻苦勉励していた。これら周辺画家の作品がレンブラントと酷似しているのは致し方ない。「伝レンブラント」(レンブラントが描いたと伝わっているが、断言はできないという程の意)がたくさんあると言われている所以である。
 以前、筆者はヨーロッパの古典絵画の技法を学んだ画家と真贋問題について話したことがあった。その画家はもし制作時期も画材も一致していて技術的にもレンブラントの水準に達していれば、レンブラント作とみなしていいのではないかと語っていた。実作者らしい見解だなと思う。この場合「レンブラント」とは個人名ではなく、レンブラントの技術を有する者を指すことになる。もちろん専門家は大反対するだろうが、真贋問題で泥仕合をするぐらいならすっきりしてよいかもしれない。もっとも専門家にはレンブラントの描写力を見極められる確かな審美眼が必要となるだろうが。(KOICHI)

原題:My Rembrandt
監督:ウケ・ホーヘンダイク
脚本:ウケ・ホーヘンダイク
撮影:サンダー・スヌープ  グレゴール・メールマン
出演:ヤン・シックス  エリック・ド・ロスチャイルド  エルンスト・ファン・デ・ヴェテリンク