超歴史研究会

超歴史研究会のブログへようこそ! 各地を訪れ現地調査をした報告をご紹介してまいります。

超歴史とは?

「超歴史」とは・・・

正史から黙殺されている遺跡や古史古伝や文献。 そして異端とされている人物などに着目し今一度歴史を違った角度から見直そうという趣旨からの造語です。我々「超歴史研究会」は、現在入手出来る文献や資料を手がかりに各地を訪れそれら文献の信憑性を実地調査するのが主な活動となっています。このブログでは我々が各地を訪れてそこで巡り会った素晴らしい巨石遺構や現地で知り合った人々とのお話などを交えご紹介して行こうと思っています。あなたも私たちとご一緒に真理を探究する旅へ出かけましょう。

●旧超歴史研究会のミラーを以下に置きました。(一部リンク切れがあります。ご了承下さい)

旧超歴史研究会ホームページ

諏訪イワクラツアー PART II

2009年09月13日 | イベント紹介・報告
守屋山登山で全てのツアーは、終了していたのだが諏訪大社の前宮を時間の都合で割愛していた。前宮は、諏訪大社の数ある神事の中でも「御頭祭」など諏訪にだけに伝わる神事が行われる重要な社であり諏訪を訪れたならやはりここは外せない。
またサミットで田中氏の講演の中でお話されていた「御室」を見たかったので、有志を募り茅野駅までの帰路、前宮前で降ろして頂き参拝する事にした。

■諏訪大社前宮

拝殿と御柱

御頭祭が執り行われる「十間廊」とサミットで田中氏が講演の中でお話された「御室社」
「御室社」説明看板クリックして拡大

本殿の裏手にあった気になった「敷石」ちょうど本殿の裏手中央にある。 本殿横にある御神木。ここでも絡まるねじれた樹々があった。なぜかパワースポットと言われている場所には、この様なねじれた樹々を見る機会が多い。なぜだろうか?

先ほどのツアーで「神長官守屋資料館」をせっかく訪れていながら拝観していなかったので急遽歩いて資料館まで移動した。


資料館までの道中 怪しい巨石が・・・。すり鉢状になったこの形状はイワクラとしてどこかに祀られていたものとしか思えない。

■神長官守屋資料館

昨日のサミットで基調講演をお話された地元建築家でもある藤森照信氏がデザインされた資料館外観 この奇抜な外観は、イワクラ学会 渡辺会長一押しだったとか。鳥の形状をした「薙鎌(なぎかま)」は、この地域特有のもの。普段は上がったままの2F資料庫への階段(立ち入り禁止)

■江戸中期まで行われていた「御頭祭」の復元展示物

ウサギの串刺しは、初めて見たものはゾっとする。「焼皮」鹿の皮と猪の頭皮を焼いたもの

鹿と猪の首と「脳あえ」(鹿の肉と脳をあえたもの 紅白になる事に意図があるらしい 詳細は、以前報告した諏訪ツアーレポート(下欄リンク)参照)

「耳裂鹿の再現」御頭祭には、七十五頭の鹿を奉納するのだが一頭だけ片耳が裂けている鹿を入れる。これは、神の矛にかかったことを意図する。中世には、頭部だけでなく体全部が奉納されていたとの記録がある。「御贄柱」と「サナギ鈴」どちらも重要な神器に使われた。

■ミシャグチ社

資料館裏手にある「カジノ木」と守矢家守護神「ミシャグチ社」この裏手は守屋山への尾根が続く。ミシャグチ神の対象となるものは自然のものならば岩、木々などさまざま。

(以下の写真は、2004年に訪れた際の写真)
■神長官裏古墳



内部は、積み石で岩屋構造になっている。

(説明看板クリックして拡大)

以下は、以前当会で訪れた際の調査報告です。
諏訪・茅野調査報告(皆神
諏訪調査報告(サクラ&S)

諏訪イワクラツアー PART I 

2009年09月13日 | イベント紹介・報告
二日目は、諏訪のイワクラツアーがあった。
訪れた場所は、以下のとおり。

①鳴石(蓼科牧場)ほか雨境峠祭祀遺跡群

②池ノ平御座岩遺跡

③諏訪大社上社本宮(硯石・沓石)

④小袋石(磯並社ほか)

⑤神長官守屋資料館

⑥昼食・休憩(中央構造線と糸魚川―静岡構造線が交わり、諏訪湖から八ヶ岳まで
↓      一望できる杖突峠で守屋山の湧水と地粉による手打ち蕎麦を賞味)
⑦守屋山登山 立石コース(諏訪大社上社御神体山、中腹付近の磐座群) 

⑧全行程終了後、勇士で諏訪大社上社前宮 ~ 神長官守屋資料館を再訪した。

諏訪は、以前も超歴研の現地調査や同士グループで訪れており今回も再訪した場所が多かったので特に目新しいものは無かった。
遠方から来ている研究者も多かったので、出来うるならば「尖石遺跡」や「考古館」など巨石に偏らず諏訪の縄文遺跡も堪能したかった声も聞いた。限られた時間で全てを巡るのは、やはり難しい事を改めて痛感した。

■鳴石(蓼科牧場)ほか雨境峠祭祀遺跡群

「鳴石」 祭祀遺跡としてアカデミズムが認めている貴重な遺跡 猫ばす堂さん曰く、ここもやはり太陽信仰の石配列が見られた。耳を近づけて表面を叩くと水琴窟のような美しい金属的な音色が響く(説明看板はクリックして拡大)
■池ノ平御座岩遺跡







白樺湖の畔にある「池ノ平御座岩遺跡」(説明看板はクリックして拡大)

■硯石・沓石(諏訪大社上社境内)

諏訪七石のひとつ「硯石」拝殿から見て右手側に位置している。御神体山でもある守屋山はこの方向にある。

諏訪七石のひとつ「沓石」と運試しの「天の逆矛」矛の上に硬貨を投げ留まれば運が向くと伝わる。
■小袋石(船つなぎ石)

諏訪の神事の中でも重要な意味を持つ「磯並社」

諏訪七石のひとつ「小袋石」以前は、ツルツルして光輝いていたとか。かつてはこの辺りまで諏訪湖の湖畔がきていたとか。そこから「船つなぎ石」との別名がある(説明看板はクリックして拡大)

神聖視されているはすだが割ろうとした不届き物の痕跡・写真のようにかなり大きい
■守屋山中腹巨石群 



「亀石・十文字岩・鬼ヶ城・立石」同行していたイワクラ学会重鎮N氏曰く、こんなのイワクラじゃぁない・・・。ただの巨岩だ!と、いつもの弁

実は「立石」と「鬼ヶ城」は、2004年に一度訪れており今回再訪だったのだが、なぜか再訪して違和感を覚えた。もちろん季節が違い草木が枯れ展望が開けていた事もあるが「立石」は周囲を周遊出来るようになっていたはずだが、なぜか周遊コースが判らくなっていた。「立石」は、やはり下から見上げなければその全容は判らない。
また「鬼ヶ城」だが岩屋内の様子が微妙に異なっている感じがした。前回訪れた際は「鬼が城」のドルメン構造の壁と天板部がキッチリと組み合わせられていた記憶があったのだが今回再訪してみて全体的に隙間が顕著になっていた。5年の歳月の間、地震やこの地域の地殻変動の影響で天板部がずれてしまったのかも知れない。
参考までに以前訪れた時の写真を紹介しておく。

(以下写真は、全て2004年12月訪問時の撮影のもの)

「立石」 以前は、周遊できるようになっていた


「十文字岩」

「親子岩」


「鬼が城」

岩屋内部 キッチリと隙間が無かったのが判る

前回訪問時は、岩屋の上部に登る事ができた。(今回は、いかんせん時間が欲しかった)

PART II に続く

イワクラサミットIN茅野

2009年09月09日 | イベント紹介・報告
去る9月5日~6日に、長野県茅野市の茅野市民会館で開催されたイワクラサミットIN茅野へ隊員雄志で参加してきた。
会場となった茅野市民会館は、駅から直結していて非常に便利な立地にある。
以前この地へ訪れた際には、影も形もなかった施設であるがあまりにも立派すぎてて、箱物行政で造られた感はぬぐえない感じがした。

総会終了後、我々は駅近くの信州そばを堪能しイワクラサミットの会場であるコンサートホールへ。定員300名の客席だったが、定刻にはざっと見た限り客席の8割方席がほぼ埋まっていた。
午後一時 定刻通りサミットが始まった。
まずはイワクラ学会 渡辺豊和会長の開会挨拶の後、茅野市教育長 牛山英彦氏の来賓祝辞ののち、芽野市尖石縄文考古館学芸員 小池岳史氏の「縄文集落に存在した巨石「聖石」の研究報告があった。
茅野市の北山芹ヶ沢区にある「聖石」は、実は現在の位置に存在していたのではなく、かつては「集落の中央の広場」にあった事が判明し「聖石」は、集落での何らかの祭祀儀礼に使われていた可能性が高いとの発表があった。
氏は、何かと堅苦しい考古学界アカデミズムの最前線にいる傍ら考古学界からは、少々異端とも言える今回の研究報告は、画期的なものと自ら話された。
続いて、地元のシンガーソングライターで活躍されている美咲さんのミニライブがあった。
基調講演では、藤森照信氏(建築家・東京大学生産技術研究所教授)が面白いお話をされていた。藤森氏は、茅野市出身で神長官守矢資料館のデザインをされていて、渡辺会長とは、古くからのご同輩だそうで今回の講演も会長からの要請だったとか。渡辺会長の知られざるエピソード話は面白かった。
氏は、立石(スタンディングストーン)に着目され世界の立石を数多く見てきたそうで、中でもフランスのカルナック地方に存在する列石は、8列で3Kmにも及ぶそうである。また、高さ20mにも及ぶ世界最大のスタンディングストーンもあるそうだ。氏は、これらの配石遺構は太陽信仰と大きく関わっており死者を葬る重要な遺跡でもあると説いた。
また、幼少の頃のお話も紹介され、諏訪七石のひとつ「小袋石」が、実は現在のような苔むしたものではなくピカピカに輝いていたこと。また、諏訪大社上社の神域に潜り込み神様が宿ると伝わる「イワクラ」を探した際の話で「小袋石」の様な大きなものを創造していたのに意外と小振りだった事に、がっかりしたお話などを紹介された。また諏訪に伝わる「御柱祭」にも言及され「御柱」は「イワクラ」のような神の依り代ではなくスタンディングストーンの様に、人為的に天高く木を立て「神としての太陽へ庶民の魂を届けるための手段」と持論を説かれていた。

休憩のあとパネリスト達によるシンポジウムが開催された。
パネラーは
鎌田東二氏(京都大学こころの未来研究センター教授)
田中 基氏(元季刊『どるめん』編集長/多摩大学講師)
平野貞夫氏(元参議院議員/イワクラ(磐座)学会顧問)
コーディネーター
渡辺豊和氏(建築家/イワクラ(磐座)学会会長)
荻原哲郎氏(編集者)

蒼々たるメンバーだがシンポジウムに先立ち 鎌田東二氏、田中 基氏の講演があった。
鎌田東二氏の講演の際には、例のごとく知る人ぞ知るホラ貝によるパフォーマンスがあった。また公演中にも石笛による演奏があった。(後から聞いた話だがこのホラ貝演奏で会場側からちょっとしたクレームがあったそうだ。)
鎌田氏ならではの多義に及ぶ幅広い考察力は、非常に面白かった。特に諏訪の地は、特異な地質層に位置している事に着目され中央構造線とフォッサマグナの交わるこの地は、多様性を併せ持つ重要な地域であることを色々な事例を紹介されながら報告された。

田中氏の講演では、環濠集落遺跡に見られる敷石遺構が人の胎児の形状に似ていることに着目しまた、諏訪大社上社で中世に行われていた御室(ミムロ)神事に着目され古代人の輪廻感を考察されていた。興味深かったのが、この地方の敷石遺構にも御柱を立てたような4隅の跡が見つかっている事例があるという。この地に伝わる御柱の風習は、中世までしか遡ることは出来ないがこのことが裏付けできれば新たな展開が期待できそうだ。
イワクラ学会顧問の平野氏は、鳩山民主党の新たに幹事長になった小沢一郎の知恵袋と言われており独自の政界論と古代縄文の祭政体「まつりごと」を鋭く考察されていた。
最後に、主催者側の粋なはからいで「下諏訪町木遣保存会」の方達による木遣りを披露していただいた。
大盛況のうちに閉幕し、翌日は諏訪を巡るイワクラツアーを行った。(報告は後日改めて紹介)


イワクラ学会 渡辺豊和会長 開会の挨拶

会場は、推定8割方の入りだった(300人定員)

芽野市尖石縄文考古館学芸員 小池岳史氏の講演模様

地元のシンガーソングライター 美咲さんのミニライブ

地元建築家 東京大学生産技術研究所教授 藤森照信氏の基調講演の模様

パネリストのみなさん

京都大学こころの未来研究センター教授 鎌田東二氏のホラ貝パフォーマンス 僕はホラ吹きとはいつもの弁

元季刊『どるめん』編集長/多摩大学講師 田中 基氏の講演模様

最後に、下諏訪町木遣保存会の方達により木遣りが披露された。

飯野町の巨石

2009年09月06日 | 現地調査報告
 福島県の飯野町にはUFOで有名な千貫森という山がありますが、その周りに多くの巨石遺構が存在します。その殆どが千貫森を望む地に配置されていることから、中心がまさに千貫森であることが判ります。
 「飯野町巨石マップ」が造られており、そのなかには32の巨石が紹介されていて、探訪する際に役立ちます。これは、千貫森の「UFOふれあい館」にて入手できます。そこには膨大なUFO関連資料があり、ミステリーゾーンや3Dシアターなどのアトラクションに加えて、2Fには展望風呂まである充実した施設です。展望風呂からは隣の一貫森を望むことができます。この山もピラミッド型の美しい山で、千貫森とペアになっています。
 2001年11月、この地で「イワクラサミットinいいの」が開催され、当会メンバーも参加しましたが、その際に紹介された「和台遺跡」は縄文時代中期末葉(約4000年前)の遺跡です。約200棟もの竪穴式住居跡が発掘され、そこから出土した「人体文字土器」は、縄文ではめずらしい人間の全身を描いた貴重な土器で、間もなく大英博物館に展示されるということです。縄文時代からこの地が栄えていたことが判りますが、巨石信仰がその当時からのものか、あるいはそれ以前からあったのか?今後の解明に期待したいと思います。 
 写真は「飯野町巨石マップ」には出ていない、巨大な謎の「大石」です。運が良ければ、石に呼ばれたら、見ることができるかもしれません。