ホーム・バウンド

 
 問題:371×3=?

 かつて相棒の近しい人がこんなことを言った。
「自分の家が家なのではなくて、家の外が実は自分の家だったのだ」
 相棒はこの言葉にいたく感動し、そこから真意を取り出して、以来、世界放浪を志すようになった。

 相棒が定住を否定するとき、その定住というのは大体、一つ所を安住の地として、心身ともに閉じた世界を作り上げてしまうことをいう。

 もちろん人は、生きなければならない、働かなければならない、子供を育てなければならない。だから、どこかに住まなければならない。住むとなれば、そこを快適なものにしたいと願う。
 かくして、使いやすく見目よい住居や家財を買い揃える。すると、モノへの欲求やセンスが助長される。自らエネルギーをかけ、諸種の社会関係とも関わらせて作り上げた“ホーム”には愛着、さらには執着が増し、離れがたくなる。いつしかその存在は自分の一部にまで成長し、人はその存在を含む形で自己を規定するようになる。……云々。

 それはそれで、仕方のないことなのかも知れない。けれども、そんなにまで膨れ上がった“ホーム”は、人間が本来はぐくむことのできる豊かさを制約する、あるいは歪曲する、そうした存在にはなっていないだろうか。
 くつろいで休息ができ、何かの課題を遂行すべき際には腰を落ち着けてそれに取り組むことのできる環境以上の、自己目的的なものに、なってしまってはいないだろうか。

 もし仮に、子育てや、学業や就業、通院、植物やペットの世話、等々、“場所”に制約を受けることが一切ないとして、同時に、十分に健康な肉体と健全な精神を有しているとして、ついでに、普通に生活するに足る資産や収入があるとするなら、人は、どれくらいの真実な気持ち、しかも強い気持ちで、一つ所に定住したいと思うものなのだろう。

 To be continued...

 画像は、ノルデ「子供と大きな鳥」
  エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867-1956, German)

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