夢の話:体制の恐怖(続)

 
 こうしたシチュエーションでは、瞬間移動の能力はほとんど役に立たない。私の瞬間移動は、行きたい場所を一心に念じることで達成される。が、非人間性の体制を目の当たりにした上では、必ずそこから脱却できるはずだという確信を持てずにいるせいで、瞬間移動を試みたところで、ことごとく失敗するのだ。

 反動国家のもとでの反動社会、それを構成する愚衆に向かって、馬鹿め! と罵ることができるうちは、事態はまだマシだ。つまり、罵倒する当の国家や社会の斟酌を当てにできるわけだ。だが同じ斟酌に甘えるのなら、罵倒よりも逃亡を選んでおくべきだ。
 戦時下ではPD(=人格障害)の発症率が低減するというのは最近知ったことだが、実際(と言っても、夢のなかでの話だが)、ぎりぎりの状況のなかでは、我儘も戯言も、口にすることはもちろん考える余裕も一切ない。

 愚衆どもによって、愚衆どもと無理心中させられる情けなさ! 無念さ! こうした状況に到ってからではもう遅い。
 が、そんなものをかこつ暇などない。懇願も懺悔も意味をなさない。ただ生き延びることだけを考えなければならない。
 生き延びても未来があるわけではないことは分かっている。だが、万策を尽くして生き延びなければならないのだ。……自分のためにではない。もっと大きな、何かのために。

 こうした恐怖体制に対する必死の突破を、私は何度か試みたことがある。隠れていても必ず見つかる。網のような監視の眼を逃れるのは絶望的だ。
 だが突破は、成功にも失敗にも終わらない。私は緊迫して張り詰めた神経に意識を失い、眼を醒ましてしまうから。

 To be continued...

 画像は、フュースリ「異端審問」。
  ヨハン・ハインリヒ・フュースリ(John Henry Fuseli, 1741-1825, Swiss)

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