神と悪魔 その2

 
 私を「悪魔」と呼んだ人もいれば、「神」と呼んだ人もいる。亡き友人は、「神」と呼んだ一人だった。

 彼は神という存在をあまり信じずにいた。神の愛、「汎愛」を、信じていなかったからだった。誰かれ構わず平等に愛情を分け与える神は、自分しか愛さない親父のような人間と表裏だというのが、彼の言い分だった。彼は父親のことを憎んでいたのだ。
 私は幼かった。彼の言葉に反撥を感じて、私は、
「でも、自分以外の誰にも愛されない人だったら、せめて神さまの愛情が必要でしょう?」と言ってみた。

「君のことを言ってるの?」
「ううん、地の底に溺れてる人のことよ」
「地の底か」……

 その頃私は、神と呼ぶべき霊的な存在を信じていた。夜毎、眠りに就く前に、私はその日一日の出来事と、感謝したことと、祈願とを、その不思議な存在に語っていた。私の願いは常に聞き入れられた。
 クラス替えのとき、同じクラスになりたい人とそうでない人とを、数人ずつリストアップして祈ったら、その通りに聞き遂げられた。そのことを彼に話すと、彼は、彼本来の天真爛漫な笑顔で、「我儘な人だなあ」と、けらけら笑ったものだ。

「深淵に溺れている人を救うのは、確かに必要かも知れない。でも、どうやって? 自分もそのなかに飛び込んでかい? 溺れる人間が一人増えるだけさ。手を差し伸べてみるかい? 反対に引きずり込まれるよ。何もしないで放っておくのが一番さ」
  喋りながら彼は、なじるような私の眼に吹き出し、それから声をあげて笑った。
「ちょっと待って、そんなに睨むなよ。もっといい方法はね、水を掻い出してやることだ。それとも、地の底に光を照らしてやればいい」
「光を照らすにはどうすればいいの?」
「自分のなかに太陽を持っている人が、その太陽をずっと大事に持ち続ければいい。太陽が照れば塵だって輝くんだ」
 
 そう言えば、彼はゲーテが好きだった。

 To be continued...

 画像は、クラウス「川辺の午後」。
  エミール・クラウス(Emile Claus, 1849-1924, Belgian)

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