2012.5.20 「チー」のブログを再スタートします! ー 235



すずめ「チー」のブログへようこそ! アン、クロは12歳、ミミとチビは4歳になりました。クロは2009年1月4日に白い布に包まれた箱に姿を変わってしまいましたが、これまで残してくれた写真と記事を少しずつ紹介しています。これからも我が家の家族をよろしくお願いします。

「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。


*文章は「チーの過去日記」を紹介しています。「ホームページ1」の日記を少しずつ紹介しています。

*「チー」についてのメモも、少しずつ紹介しています。


すずめ「チー」のアルバム1

すずめ「チー」のスライド写真集

すずめ関連サイトの紹介




チーは私に色々なことを教えてくれました。命には大きい、小さいの違いはないこと、命のある限り、精一杯生きること、命がけで愛すること、心から信頼すること、命は死を越え存在すること、死も命の一部であること、永遠に存在する愛があること、お互いの言葉を越え、理解し合える言葉が存在すること。私たちは、お互い何も言わなくても、一緒に居るだけで幸せでした。今もそれは変わりません。

Chie taught me many things. There is no size, large and small, about life. We have to live as hard as possible, as long as there is a life. Even if we run the risk of our lives, we have to love each other. We have to trust each other from the bottom of our heart. Death is a part of life. There is love which exists forever. The language which can understand each other exist. We were very happy when we were together, even if we did not mutually say anything. It is the same now.


Sparrow Chie00-1.jpg

1999年5月20日(木)
チーが我が家へやって来る。
昨日朝8時20分頃、コピーをするため、一階の事務室へ入ろうとしたところへ、1年4組の女生徒が4~5人やって来て、「学校へ来る途中、すずめが落ちていたので、よろしくお願いします。」とのこと。

昨年、学校が空調機の設備が整ったと同時に、学校内の煙突が消えた。当然、すす落としの穴もふさがれてしまった。と言うことは、すずめが巣を作る場所がなくなったので、今年から、巣から落ちるすずめがいないため、「自分の所へひなが運ばれて来て、育てる必要はなくなった」と感じていたのである。


Sparrow Chie00-2.jpg

でもそれが、また復活したのである。ハンカチに包んであったので、それごと受け取り、のぞいて見た。まだ口の両側が黄色である。羽もまだ十分に生えそろってはいない。

でも朝、すぐ生徒たちが見つけて連れて来たためか、衰弱はしていない。まだ、巣から落ちたばかりである。体は小さい。とにかく引き取って、更衣室の自分のロッカーから、運搬用のかご、ティッシュ、餌皿、へらを取り出した。運良くホカロンも入っていた。


Sparrow Chie00-3.jpg

牛乳は職員室の冷蔵庫にあった。あと残るは主食のパンである。職員室の後ろのテーブルに黒パンはあったが、念のため、誰か白いパンを持っていないか聞いたところ、ひとりいた。時間は8時25分、急いで準備を始める。いつものように餌を作り、へらで食べさせたが、意外と手がかからず、すぐに食べてくれた。

右足を痛めているようで、歩くこともできない。昨日は、かわいそうなので、無理をさせてはいけないと思い、すぐかごへ戻した。今朝、外へ出し、様子を見ると、目は開いており、足も使えるようである。


Sparrow Chie00-4.jpg

しかし、羽はまだ痛めたままのようである。でも昨日よりは回復しているようだ。日数はかかるが、きっと治ると思う。神に祈る。

昨日ホカロンが残り一つとなってしまい、スーパーを数軒探してみたが、冬でないためかどこにも売っていない。


Sparrow Chie00-5.jpg

やむなく、今日夜、東急ハンズへ行ってみると、キャンプ用具売場に別の名前のものが売っていたので、とりあえず2袋購入して帰って来た。

帰宅は9時、すずめを起こし、餌を与え、再度寝かせた。明日は6時に起こす予定。今日一日で、雀は僕を親と思い始めていることが分かった。生徒は「スー」と名前を付けたが、「チーチー」と鳴いているので、家では「チー」と呼ぶことにする。

*神奈川県大和市で中学英語教員(音楽も担当)をしていた。


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チーについてのメモ チーを僕の記憶から消え去らせないために

1 2004.5.27 チーは朝、夕方、食事をしてお腹が一杯になると、「もう、結構」と顔を背ける。

2 2004.5.27 僕が外出して部屋にいない時は、テーブルの上のツィター用譜面台の裏に置いてある小さい竹製のかご(小さい時、中に入って育った)と譜面台を支える板の間に居ることが多い。テーブルの譜面台の後ろにチーのうんちが数個落ちているので分かる。僕が外出から帰って来ると、テーブルの上の塩土の上で「ピーピー」と嬉しそうに迎えてくれた。

3 2004.5.27 相模大野に住んで居た時は、中央洋間から玄関へ行く場所で、郡山の部屋では南和室から台所へ行く所で、天井目指して飛び上がり、着地を繰り返していた。

4 2004.5.27 アンは、以前、僕の肩で遊んでいた時、僕のひげを抜いたことがあったが、チーも今年になって、アンと同じようにひげをつついていた。抜くことはなかったのでそのままにさせていた。

5 2004.5.27 台所へ行こうとすると、「行かないで」と必死で止めにかかる。戻って来ないと思っているようだ。必死で左肩に乗ろうとする。時々、肩に乗っかって離れるのをいやがり、激しく泣き叫ぶ。台所へは、戸が開いていても絶対行こうとしない。


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放射能汚染を知らずにすずめ達はひなを育て生きています。

福島県郡山市内の集合住宅の7階にある我が家は、大震災でほとんどの家具が移動倒壊、天井、壁にあるもの、コンピュータも落下。4つの部屋を移動するのも困難でした。その後も大きな余震が続き、なんとか生活できる状態までは整理できましたが、まだまだです。

私の大切なヴァイオリンは震災後半年間、本棚の下敷きになっていました。何とか無事でホッとしましたが、まだ練習再開に至っていません。このブログの投稿が正常にできる頃には私の演奏も公開できるようになると思います。

我が家のベランダから見ると阿武隈の山々が新緑におおわれ、すずめ達の元気な声も聞こえて来ます。電動自転車で外へ出ると、今年生まれたばかりのすずめたちの姿があちらこちらで見かけます。震災前なら、笑顔で見ていましたが、今は違います。涙が出てきます。

人間は自分たちのことばかりを考え、原発事故で汚染された環境の中で生きている生き物たちのことなど何も考えていません。人間も自然の中に生きていることを忘れているのです。

交通事故、大震災、原発事故に遭っても生き延びている自分、神さまは私に「おまえは果たさなければならないことをまだしてないのだから、私の所へ来てはダメ!」と言っているようです。




               
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Tさんからの「夢二君」の写真・近況報告(2012年4月8日)はこちらです。

               

*MIDIにつきましては、ホームページの「クラシック音楽」「チロルの音楽」「音楽素材MIDI曲集」の各ページをご利用下さい。このブログでも「MIDIダウンロード専用ページ」を用意しています。

*私自身のバイオリン演奏71曲を紹介しています
シュトラウスの「春の声」

東日本大震災・原発事故後の情報記録


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激しい風と雨が続いた次の朝、私の学校の生徒が「助けて!」と言って私の所へ一羽のすずめのひなをハンカチに包んで持って来ました。登校途中、道に横たわっていたそうです。右目は開かず、右の翼に怪我をしていました。しかし、怪我もすっかり治り、私の手の中でスヤスヤ眠っています。




相模大野の伊勢丹前の公団住宅14階が、チーの育った家である。ベランダには、ウィーンから持ち帰った種を蒔き育てたカスタニアの木が大きな葉を茂らせている。一昨年、この木から2羽のヒヨドリのひなが育って行った。今年もそのヒヨドリがやって来て、木の状態を点検しているようである。後日、日記にも写真を載せてあるが、2羽のひなが育って行った。チーにとってはヒヨドリは初めて、びっくりして、大きな生き物がカスタニアの木の枝に居るのを、私に知らせようとしている。私にとって、貴重な映像のひとつである。




チーと私の初めてのツーショット。5年間一緒にいて、これが一緒に映した唯一の映像なのである。赤ん坊の時は、好奇心旺盛で、カメラも全然気にしなかったが、成長するに連れて、カメラを向けると逃げ回っている。このホームページの写真はそのような状態で写したものである。チーは写真が嫌いなのである。また、チーは食事をする時、水を飲む時以外は、朝起きて、寝る時までいつも私と一緒なのである。いつも私の腕や肩の上、時にはお腹や首のくぼみに居て、スヤスヤ寝ている。カメラをかまえることなどなかなかできない。まして、一緒に写真を撮るなど夢また夢。でも、ある日、大決心をし、この映像を映した。三脚を使い、ビデオカメラをチーに分からないようにハンカチでカモフラージュし、リモコンを使い、左手で操作しながら撮影したのである。そのため、どうしても、距離を置いての映像になってしまった。チーは私と一緒に居る時は、ほとんど声を出さない。声を出す必要がないのである。何も言わなくても、お互い、分かっているからである。


すずめ「チー」のことば
すずめ「チー」は日本語の「はーい!」を大きな声で言うことができます。私との会話の中で覚えたようです。この「はーい」には、色々な感情が込められ、彼女は色々な場面、色々な意味を含めて使っています。「すずめ「チー」のことば」をクリックして下さい。



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2011.08.29 福島県のすずめ達、生き物達の命を救って下さい! ー 234



すずめ「チー」のブログへようこそ! アン、クロは11歳になりました。ミミとチビはまだ3歳になったばかりです。クロは一昨年1月4日に白い布に包まれた箱に姿を変わってしまいましたが、これまで残してくれた写真と記事を少しずつ紹介しています。これからも我が家の家族をよろしくお願いします。

「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。


*文章は「チーの過去日記」を紹介しています。「ホームページ1」の日記を少しずつ紹介しています。

*「チー」についてのメモも、少しずつ紹介しています。


すずめ「チー」のアルバム1

ならわまさおスライド写真集

すずめ関連サイトの紹介

今日の投稿写真(紹介していない写真も含め)をスライドで紹介しています。


Chie20110829-1.jpg

1999年5月22日(土)
チーのビデオを撮る。

1999年5月23日(日)
チー、体全快する。チーのビデオを撮る。


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1999年5月24日(月)
チー、餌(粟玉)を少し自分で食べる。チーが我が家の一員になってから、今日で5日、右目、右足、右の翼もすっかり治り、活発に動き回るようになった。昨日は、日中、ベッドの上で、私から離れ少し遠出をしたが、またすぐに戻って来て、ピーピー鳴いていた。


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チュン(前の学校で、チーと同じように、生徒ではないが、教務に「朝、外の水たまりに落ちていた。助けてやってくれ。」と頼まれ、その後2年間、我が家の一員だったすずめ)の時の後悔(写真を数枚しか撮ってなかった)から、ビデオと日記を付けることにした。


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チュンと同じく、私から決して離れようとはしない。チュンが生まれ変わって来てくれた。何か当然のように、お互い振る舞っている。今日夕方、6時頃、寝る前に、卵の粟玉を小さな容器に入れ、「もしかして」と思い、チーの目の前に置いたら、しばらくして、つつき始めた。


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つつくのは今日からの行為である。「つつくだけかな。」と思ったら、少し食べ始めた。嬉しかった。神に感謝した。あと10日程で修学旅行である。修学旅行には連れて行けない。その前にひとり立ちし、餌と水を自分でとってくれなければ・・・。明日は小田原へ出張の予定だが、電話をし、欠席することにする。とにかくチーの命を守らなければ・・・。


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今日、昼食時にいやなことがあった。教頭から「すずめを職員室で飼うのはまずい。すずめの嫌いな職員もいるのだから。」そういえば、この学校の職員は冷たい。すずめの様子を見に来たのは数人、あとは迷惑顔である。みな言葉では「命の大切さ」を言うが、心の中は違う。それが今日の教頭の言葉に表れている。


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でも、もともと分かっていたことでもあるので、気にせず行こう。昼休み、音楽室(この学校では英語の他に1年の音楽も担当している)へ移動した。結果、誰も「すずめはどうしたの。」の一言もない。皆がいやな感じで見ていたのだろう。


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今日はチーのことですばらしいことが多かったが、職員の心の中を見たようで、愕然とし疲れて帰宅したが、これから数日のチーの保温のことが気になり、頑張って歩いて東急ハンズまで出かけ、この前と同じ品を3パック購入し、ついでに餌入れに良いと思い、小さい桐箱を買って相模大野駅まで戻った。


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今日は夕食を自分で作る予定でカツオのたたき、野菜を少々買ってあったが、あまりにも疲れていたので、定食屋に寄り、さば定食、おひたし、しらすおろし、納豆、豆腐とビールを注文し帰宅した。9時過ぎ、チーを起こし、うんちをさせ(夜は一回は巣の中でやってしまっているが)餌を二口与え、再度寝かせた。明日は6時少し前に起こしてやる予定。


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1999年5月29日(土)
このところ、左腕に留まり、その後、手の中でよく寝ている。つついて餌の催促までする。左手の小さなほくろをつつき赤くされた。午後、水浴びをする。


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チーについてのメモ チーを僕の記憶から消え去らせないために

6. 2004.5.28 麻の実の食べ方 - 麻の実を見つけると、得意げに「アー」(口に麻の実をくわえているので)と叫びながら、僕の所へやって来て、麻の実を口の中で転がし、皮を取り去り、舌を上手に使い、中身を食べる。ちなみに、麻の実を食べられるようになったのは、チーが僕の所へ来て間もなくである。初めは、麻の実を見つけても、固い皮を破ることができず、あきらめていたが、数日後、食べられるようになり嬉しそうにしていた。

7. 2004.5.28 チーがリラックスしている時は、時々、じゅうたんの上のこぼれ落ちた餌を探しながら、小さな声で、人間が鼻歌を歌うように、歌を歌っていた。

8. 2004.5.28 アンが豆苗(とうみょう)の茎をちぎると、時々、その葉をちぎって食べていた。チーはサラダ菜が一番好きである。

9. 2004.5.28 チーが病気になってから、寝させるためにかごに入れる直前、ベッドの枕の上に乗り、背伸びをして窓の外を見ていたことがある。この姿はめずらしいことで、「何見てるの」と声をかけると、こちらを振り向いていた。

10. 2004.5.28 チーはクロにも別れをしていた。チーは体調を悪くし、あまり飛べなくなってから、うさぎのクロに寄り添うようにして、一緒に居たがっていた。私は「チーちゃん、どうしたの。」と言って見ていたが、本当に親しそうに体をすり寄せるようにしていた。クロもいやがることなく、ジッとしていた。実を言えば、クロはチーの数十倍、いや、数百倍の大きさ、体の弱っているチー、クロが「動いたら」と心配だった。でも、今思うと、チーはクロに「最後のあいさつ」をしていたように思える。


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福島県のすずめ達、生き物達の命を救って下さい!

今日(8月29日)、野田新代表が選ばれた。この時期(8月27日)に管総理は福島県へやって来て、佐藤知事に、「浪江町は20年間住めない。さらに放射能物質で汚染された土壌は福島県で管理してほしい。」と突然言いだし、知事、県民を怒らせた。何の予告もなくである。国民のことなど、全く考えていない。考えているのは自分のことだけである。3月11日の震災後、宮城県、岩手県、福島県、茨城県で多くの人が亡くなり、福島県は原発事故もあり、多くの人が苦しんでいる。放射能を恐れ、県外へ越す家族が増えている。管総理の下での国の対応は皆無。原発事故も管総理の対応が悪かったため起きたのだ。

このブログ記事の下の方にも東日本大震災・原発事故後の情報記録を掲載しています。郡山もかなりセシウム137で汚染されています。半減期が30年、我々人間・家畜もそうですが、自然の中で生活している生物たちはこれからどうなるのか、心配で、心配で・・・。

猛暑も去り、いつもの夏が戻って来ました。昨日はミンミンゼミ、今日はヒグラシの声が聞こえて来ました。これまであまり見られなかった月見草の花も昔のようにあちらこちらで見られるようになりました。子供のすずめ達の姿も今年は例年になくたくさん見られるようになりました。放射能汚染の中で・・・。毎日大小の余震が続いています。私も含め、皆精一杯生きています。命のある限り!





               
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Film03Baby Sparrow ChieFilm03Baby Sparrow Chie
激しい風と雨が続いた次の朝、私の学校の生徒が「助けて!」と言って私の所へ一羽のすずめのひなをハンカチに包んで持って来ました。登校途中、道に横たわっていたそうです。右目は開かず、右の翼に怪我をしていました。しかし、怪我もすっかり治り、私の手の中でスヤスヤ眠っています。

Film01 Young Sparrow ChieFilm01 Young Sparrow Chie
相模大野の伊勢丹前の公団住宅14階が、チーの育った家である。ベランダには、ウィーンから持ち帰った種を蒔き育てたカスタニアの木が大きな葉を茂らせている。一昨年、この木から2羽のヒヨドリのひなが育って行った。今年もそのヒヨドリがやって来て、木の状態を点検しているようである。後日、日記にも写真を載せてあるが、2羽のひなが育って行った。チーにとってはヒヨドリは初めて、びっくりして、大きな生き物がカスタニアの木の枝に居るのを、私に知らせようとしている。私にとって、貴重な映像のひとつである。

Film02 Sparrow Chie on My ArmFilm02 Sparrow Chie on My Arm
チーと私の初めてのツーショット。5年間一緒にいて、これが一緒に映した唯一の映像なのである。赤ん坊の時は、好奇心旺盛で、カメラも全然気にしなかったが、成長するに連れて、カメラを向けると逃げ回っている。このホームページの写真はそのような状態で写したものである。チーは写真が嫌いなのである。また、チーは食事をする時、水を飲む時以外は、朝起きて、寝る時までいつも私と一緒なのである。いつも私の腕や肩の上、時にはお腹や首のくぼみに居て、スヤスヤ寝ている。カメラをかまえることなどなかなかできない。まして、一緒に写真を撮るなど夢また夢。でも、ある日、大決心をし、この映像を映した。三脚を使い、ビデオカメラをチーに分からないようにハンカチでカモフラージュし、リモコンを使い、左手で操作しながら撮影したのである。そのため、どうしても、距離を置いての映像になってしまった。チーは私と一緒に居る時は、ほとんど声を出さない。声を出す必要がないのである。何も言わなくても、お互い、分かっているからである。


すずめ「チー」のことば
すずめ「チー」は日本語の「はーい!」を大きな声で言うことができます。私との会話の中で覚えたようです。この「はーい」には、色々な感情が込められ、彼女は色々な場面、色々な意味を含めて使っています。「すずめ「チー」のことば」をクリックして下さい。


Chie taught me many things. There is no size, large and small, about life. We have to live as hard as possible, as long as there is a life. Even if we run the risk of our lives, we have to love each other. We have to trust each other from the bottom of our heart. Death is a part of life. There is love which exists forever. The language which can understand each other exist. We were very happy when we were together, even if we did not mutually say anything. It is the same now.

チーは私に色々なことを教えてくれました。命には大きい、小さいの違いはないこと、命のある限り、精一杯生きること、命がけで愛すること、心から信頼すること、命は死を越え存在すること、死も命の一部であること、永遠に存在する愛があること、お互いの言葉を越え、理解し合える言葉が存在すること。私たちは、お互い何も言わなくても、一緒に居るだけで幸せでした。今もそれは変わりません。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

2011.08.23 昨年9月以来の投稿です ー 233



すずめ「チー」のブログへようこそ! アン、クロは11歳になりました。ミミとチビはまだ3歳になったばかりです。クロは一昨年1月4日に白い布に包まれた箱に姿を変わってしまいましたが、これまで残してくれた写真と記事を少しずつ紹介しています。これからも我が家の家族をよろしくお願いします。

「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。


*文章は「チーの過去日記」を紹介しています。「ホームページ1」の日記を少しずつ紹介しています。

*「チー」についてのメモも、少しずつ紹介しています。


すずめ「チー」のアルバム1

ならわまさおスライド写真集

すずめ関連サイトの紹介



Chie29.jpg

1999年5月20日(木)
チーが我が家へやって来る。
昨日朝8時20分頃、コピーをするため、一階の事務室へ入ろうとしたところへ、1年4組の女生徒が4~5人やって来て、「学校へ来る途中、すずめが落ちていたので、よろしくお願いします。」とのこと。


Chie59.jpg

昨年、学校が空調機の設備が整ったと同時に、学校内の煙突が消えた。当然、すす落としの穴もふさがれてしまった。と言うことは、すずめが巣を作る場所がなくなったので、今年から、巣から落ちるすずめがいないため、「自分の所へひなが運ばれて来て、育てる必要はなくなった」と感じていたのである。


Chie86.jpg

でもそれが、また復活したのである。ハンカチに包んであったので、それごと受け取り、のぞいて見た。まだ口の両側が黄色である。羽もまだ十分に生えそろってはいない。


Chie100.jpg

でも朝、すぐ生徒たちが見つけて連れて来たためか、衰弱はしていない。まだ、巣から落ちたばかりである。体は小さい。とにかく引き取って、更衣室の自分のロッカーから、運搬用のかご、ティッシュ、餌皿、へらを取り出した。運良くホカロンも入っていた。


Chie115.jpg

牛乳は職員室の冷蔵庫にあった。あと残るは主食のパンである。職員室の後ろのテーブルに黒パンはあったが、念のため、誰か白いパンを持っていないか聞いたところ、ひとりいた。時間は8時25分、急いで準備を始める。いつものように餌を作り、へらで食べさせたが、意外と手がかからず、すぐに食べてくれた。


Chie116.jpg

右足を痛めているようで、歩くこともできない。昨日は、かわいそうなので、無理をさせてはいけないと思い、すぐかごへ戻した。今朝、外へ出し、様子を見ると、目は開いており、足も使えるようである。


Chie119.jpg

しかし、羽はまだ痛めたままのようである。でも昨日よりは回復しているようだ。日数はかかるが、きっと治ると思う。神に祈る。


Chie127.jpg

昨日ホカロンが残り一つとなってしまい、スーパーを数軒探してみたが、冬でないためかどこにも売っていない。


Chie129.jpg

やむなく、今日夜、東急ハンズへ行ってみると、キャンプ用具売場に別の名前のものが売っていたので、とりあえず2袋購入して帰って来た。


Chie130.jpg

帰宅は9時、すずめを起こし、餌を与え、再度寝かせた。明日は6時に起こす予定。今日一日で、雀は僕を親と思い始めていることが分かった。生徒は「スー」と名前を付けたが、「チーチー」と鳴いているので、家では「チー」と呼ぶことにする。

*神奈川県大和市で中学英語教員(音楽も担当)をしていた。


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チーについてのメモ チーを僕の記憶から消え去らせないために

1. 2004.5.27 チーは朝、夕方、食事をしてお腹が一杯になると、「もう、結構」と顔を背ける。

2. 2004.5.27 僕が外出して部屋にいない時は、テーブルの上のツィター用譜面台の裏に置いてある小さい竹製のかご(小さい時、中に入って育った)と譜面台を支える板の間に居ることが多い。テーブルの譜面台の後ろにチーのうんちが数個落ちているので分かる。僕が外出から帰って来ると、テーブルの上の塩土の上で「ピーピー」と嬉しそうに迎えてくれた。

3. 2004.5.27 相模大野に住んで居た時は、中央洋間から玄関へ行く場所で、郡山の部屋では南和室から台所へ行く所で、天井目指して飛び上がり、着地を繰り返していた。

4. 2004.5.27 アンは、以前、僕の肩で遊んでいた時、僕のひげを抜いたことがあったが、チーも今年になって、アンと同じようにひげをつついていた。抜くことはなかったのでそのままにさせていた。

5. 2004.5.27 台所へ行こうとすると、「行かないで」と必死で止めにかかる。戻って来ないと思っているようだ。必死で左肩に乗ろうとする。時々、肩に乗っかって離れるのをいやがり、激しく泣き叫ぶ。台所へは、戸が開いていても絶対行こうとしない。


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チーと私はいつも一緒!

すでにブログには文章だけですが、投稿しお知らせしましたが、昨年の9月12日、家の近くのイオンタウンの中にある「Big」でその日の食べ物を買い、小雨の降る中、自転車で帰宅途中、自転車もろとも車にひかれてしまいました。

信号の無い所ですが、ここを通らないと遠回りをして帰らなければなりません。いつも気をつけていたのですが、2台の自動車が停車して、私に手で「渡って!」と合図をしてくれたので、頭を下げてお礼を言い、渡ろうとした途端、もう一台の車が走って来て自転車に乗っている私をひいたらしいです。

(今、文章を書くのを中断、地震がありました。震度2のようです。19日午後2時頃、郡山も震度5弱の地震があったばかり、その前は震度4二回。これまでにも毎日大小の地震はあったのですが、しばらくしたらまた震度5弱級の地震がたびたびありそうな気配。7階に住んでいる我が家族は今も毎日恐怖の中で生活をしています。テレビで見ていると、震災は終わり、原発事故も終わり、猛暑も終わり・・・。でも、私のお腹の中は煮えくりかえっています。震災は続いているのです。あと何年続くかわかりません。特に福島県は放射能ですべての生物が命を落とそうとしているのです。

セシウム137は30年経っても半減するだけです。私はもう生きてはいません。我々福島県民は東京電力、管総理の無能力のためにすべてを失ってしまったのです。

前から東京電力の原発は度々事故を起こしていました。ほとんど不注意のためです。でもその都度、言い訳をして逃れていました。私はこの頃から心配していたのです。人間には「完全」と言うものは存在しません。原発事故は人災です。)

話を前に戻します。私には事故の記憶は全くありません。私が気が付いたのは事故後3日目、ベッドに寝ているので、驚きました。左脚複雑骨折、骨盤骨折、左胸肋骨骨折、左耳から多量の出血、そして首の骨(頸椎けいつい)の骨折。多くの人は即死で亡くなっていると聞かされました。入院中もたくさんの「奇跡」が起こりました。すべてすずめ「チー」のおかげと分かりました。


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Film03Baby Sparrow ChieFilm03Baby Sparrow Chie
激しい風と雨が続いた次の朝、私の学校の生徒が「助けて!」と言って私の所へ一羽のすずめのひなをハンカチに包んで持って来ました。登校途中、道に横たわっていたそうです。右目は開かず、右の翼に怪我をしていました。しかし、怪我もすっかり治り、私の手の中でスヤスヤ眠っています。

Film01 Young Sparrow ChieFilm01 Young Sparrow Chie
相模大野の伊勢丹前の公団住宅14階が、チーの育った家である。ベランダには、ウィーンから持ち帰った種を蒔き育てたカスタニアの木が大きな葉を茂らせている。一昨年、この木から2羽のヒヨドリのひなが育って行った。今年もそのヒヨドリがやって来て、木の状態を点検しているようである。後日、日記にも写真を載せてあるが、2羽のひなが育って行った。チーにとってはヒヨドリは初めて、びっくりして、大きな生き物がカスタニアの木の枝に居るのを、私に知らせようとしている。私にとって、貴重な映像のひとつである。

Film02 Sparrow Chie on My ArmFilm02 Sparrow Chie on My Arm
チーと私の初めてのツーショット。5年間一緒にいて、これが一緒に映した唯一の映像なのである。赤ん坊の時は、好奇心旺盛で、カメラも全然気にしなかったが、成長するに連れて、カメラを向けると逃げ回っている。このホームページの写真はそのような状態で写したものである。チーは写真が嫌いなのである。また、チーは食事をする時、水を飲む時以外は、朝起きて、寝る時までいつも私と一緒なのである。いつも私の腕や肩の上、時にはお腹や首のくぼみに居て、スヤスヤ寝ている。カメラをかまえることなどなかなかできない。まして、一緒に写真を撮るなど夢また夢。でも、ある日、大決心をし、この映像を映した。三脚を使い、ビデオカメラをチーに分からないようにハンカチでカモフラージュし、リモコンを使い、左手で操作しながら撮影したのである。そのため、どうしても、距離を置いての映像になってしまった。チーは私と一緒に居る時は、ほとんど声を出さない。声を出す必要がないのである。何も言わなくても、お互い、分かっているからである。


すずめ「チー」のことば
すずめ「チー」は日本語の「はーい!」を大きな声で言うことができます。私との会話の中で覚えたようです。この「はーい」には、色々な感情が込められ、彼女は色々な場面、色々な意味を含めて使っています。「すずめ「チー」のことば」をクリックして下さい。


Chie taught me many things. There is no size, large and small, about life. We have to live as hard as possible, as long as there is a life. Even if we run the risk of our lives, we have to love each other. We have to trust each other from the bottom of our heart. Death is a part of life. There is love which exists forever. The language which can understand each other exist. We were very happy when we were together, even if we did not mutually say anything. It is the same now.

チーは私に色々なことを教えてくれました。命には大きい、小さいの違いはないこと、命のある限り、精一杯生きること、命がけで愛すること、心から信頼すること、命は死を越え存在すること、死も命の一部であること、永遠に存在する愛があること、お互いの言葉を越え、理解し合える言葉が存在すること。私たちは、お互い何も言わなくても、一緒に居るだけで幸せでした。今もそれは変わりません。


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2011.08.19 3月11日の大地震後2回目の投稿です ー 1

スライド写真集、 アルバム ~ ぜひ、お立ち寄り下さい!


               
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音楽のホームページ ~ 約100曲の自作MIDI、私自身のヴァイオリン演奏(MP3) 71曲、その他「You Tube」などを紹介しています。自由にダウンロード可能です。

シュトラウスの「春の声」



            おかめ「アン」01-朝のあいさつ

*アンの映像は「朝のあいさつ」です。いつもは、私の口笛と一緒なのですが、一緒だと、どちらの声か分からなくなるので、今回は私は遠慮しています。

*初めて訪問された方へ~おかめ「アン」、うさぎ「クロ」は、11歳になりました。アンは元気そのものですが、クロは、2006年、下の歯2本を喪失し、さらに、2007年10月に右前足を骨折、その時のショックで、食事もできず、体力を消耗し、後ろ両足で立つこともできず、一時、危篤状態にまで落ち込みました。でも、以前食べていた餌をあげたところ、食べ始め、体力も回復し、現在に至っています。餌は「特別食」を食べ、右前足は少し不自由ですが、元気に毎日を過ごしていました。
しかし、2009年1月14日(日)午後1時30分、クロは突然、息を引き取ってしまいました。うさぎには「腫瘍」と同じぐらい怖い「膿瘍」が原因でした。2年間の介護生活は、クロも私も大変でしたが、充実した生活を送ることができました。これからも、これまで撮影した写真(未公開も含め)を紹介し、ブログは続けて行きます。

我が家に来て1年目のクロの動画です。すずめ「チー」の声も聞こえます。




2008年12月初旬に生まれた赤ちゃんうさぎのピーター・ラビット「ミミ」です。女の子です。食べ物より「穴掘り」が大好きで、新しい牧草を入れてやると、大喜びをして「穴掘り」を始めます。




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3月11日の大地震後、2回目の投稿です。前回はベランダを中心に我が家の家族の状況を報告しましたが、今回は家(南部屋)を中心に報告します。

5ヶ月が経つのに、我が家の部屋の状態はほとんどそのままです。家具転倒防止器具、釘と針金、そしてガムテープ。先日も、震度5に近い震度4の地震があり、北の部屋の家具転倒防止器具がはずれそうになり、本棚の本が20冊ほど落ち、南部屋にある大型のテレビを支えている針金が根本で切れていました。震度5弱の「揺れ」です。震度4には強弱の区別がないのです。小さき余震は今でも毎日数回続いています。


01Ann1.jpg

写真ではアンの表情は元気そのものですが、人間以上にストレスを感じています。以前は、羽が抜け換える時期になっても、気になるのは羽毛だけで、時々羽が落ちますが、その為に部屋を飛び回るのに異常はありませんでした。

でも1ヶ月あまり、羽が毎日のように抜け、抜ける時に痛みを感じ、鳴きながら部屋を飛び回っていました。それも、しばらくして、飛ぶ為の長い羽が減り自由に飛べなくなってしまいました。以前にはなかった状態です。

飛んでテーブルに戻ることを恐れ、私が使用しているベッドに居る日が続きました。ベッドの上にポリ袋を広げ、その上に新聞紙を敷いて、餌入れ、水の容器、果物、豆苗、チンゲンサイ、ブロッコリーをテーブルから移動。夜もベッドで寝る状態。朝には何とか私の手を借りて、テーブルに戻りますが、しばらくしてその日の内にまた・・・。この繰り返しの毎日でした。

ベッドを占領された私は、ミミ、チビ用のサークルの中に枕を持って行って寝る日が続きました。


02Ann2.jpg

でも、この数日、羽毛は少し落ちますが、羽が抜け落ちることもなくなり、部屋を飛び回れることが分かったのか、時々、羽が抜ける時の痛みは無くても何かに驚いて泣き叫び、部屋を飛び回り、私、ミミ、チビを驚かせることはありますが、何も無いことが分かると、ベッドから直ぐにテーブルに戻るようになりました。


03Ann3.jpg

テーブルのアンです。電気スタンドは地震で転倒しないようにガムテープで固定してあります。日中は南部屋の中で、このスタンドだけ電気をつけています。夜はテレビの上のスタンド、ミミのケージの上のスタンドの電気をつけ、このテーブルのスタンドは豆電球に変わります。豆電球になるとアンの「寝る時間」です。以前からの習慣です。


04Cage1.jpg

昨年9月12日私が交通事故で入院し、今年1月22日に退院。3月9日、10日に預かり先から引き取った次の日の11日に大震災。ベランダの樹木達は震災前に全滅、長い間、アン・ミミ・チビに苦労のさせ続けです。

このミミのケージも11日には転倒してミミの命も危機状態でした。昨年夏は10年以上前から使っていたエアコンも正常に働かなくなり、今年退院1ヶ月後に、エアコンを取り替え今年の夏に備えていました。

今年の夏は全国的な猛暑続き、多数の死者も出ています。エアコンを新しいのに取り替えていて幸いでした。消費電力も少なく、「27度」にセットしているのですが、常に25度から26度を維持してくれています。エアコンはもう一台、北の部屋のウインドファン。郡山に越して直ぐ取り付けた冷房専用の500ワットのウインドファンです。今でも良く働いてくれます、北の部屋を25度に維持し、台所のある中央の部屋も27度に維持してくれています。


05Cage2.jpg

エアコンの一番近くにあるのがチビのケージです。ミミのケージは少し離れていますが、いずれもエアコンの風が直接あたります。その為、ケージを「プチプチ」でガードしています。ケージの底に敷いてあるヒーター(ミミ、チビとも2枚)は冬同様つけたままです。夕方から朝まで、ミミの入り口台の下のヒーターもつけます。


06Chibi1.jpg

チビのケージです。食事の準備が終わるまで蛍光灯をつけます。ミミ・チビとの約束です。右側はエアコンの風が直接中に入らないように、「プチプチ」でガードしています。数日前、チビの水容器の水がいつもよりかなり量が減っているので驚きました。放射能汚染で野菜以外、生ものはほとんど食べさせられなくなってしまったので、水を飲む量が増えました。牧草(2種類)は大好きでよく食べてくれます。いずれも北海道産です。


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チビは食べ物の好き嫌いが激しかったのですが、今は私が与える食べ物はすべて食べ尽くしています。毎日1時間半ケージで運動はしているのですが、肥満にならないように気を付けています。


08Chibi3.jpg

以前はケージの中でオシッコ、ウンチをしていたのですが、今はオシッコをする量が少なくなりました。タンポポやアカツメクサ、イネ科の植物を与えられなくなったからかも知れません。ウンチはたくさんします。

ミミはケージの中ではほとんどウンチもオシッコもしません。

(今文章を書くのを中断。足下に「ズズ」っと地震が来るのを感じ(この感じは大地震、小地震の区別がないので、毎日怖い思いをしています。)、「地震が来るよ!」と声をかけると、アンは目を覚まし、テーブルの上にあるシャンデリアのガラス玉が動いているのを見ていました。アンもシャンデリアが動くと地震と分かっています。震度4でカウベルが鳴り出します。今の地震は震度2のようです。アンは譜面台の上に乗っかりしばらく身繕いをしていましたが、テーブルに戻り、再び寝始めました。)

ミミの話に戻します。ミミはサークルに移動する前にウンチ、オシッコを済ませます。1時間半後に掃除を済ませ、新しい牧草を追加し、新しい水・餌を準備完了のケージに戻ると餌を食べ、トイレ(ケージの右奥)に移動。ミミはサークルも、ケージもほとんど汚しません。


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2011.08.19 3月11日の大地震後2回目の投稿です ー 2



09Kuro.jpg

クロの遺骨の入った小箱です。今はミミ・チビより量は少しですが、同じものをあげています。すずめ「チー」同様、クロも、今も我が家の家族の一員なのです。震災後、すずめ「チー」を以前のように面倒をみてやれなくなっていますが、部屋の状態がもう少し良い状態に戻せるようになれば、今よりは前の状態に戻してやれると思います。


10Mac.jpg

右が今このブログの元を作成しているマックです。ご覧のように今でもこの状態です。ガムテープ、針金で固定してあります。左はウインドウズですが、使用しているのはディスクトップだけ、テレビを見るのに使用しています。この周辺後ろは震災当時のままです。音楽器機、その他の器機の配線がゴチャゴチャ、あと半年はかかりそうです。

先日2週間ほどマックが本体・ハードディスク共、使えなくなってしまいました。直ぐフリーズ、再起動の要求が出てしまうのです。原因が分からず、ネットで同機種購入も考えましたが、その後ようやく原因が分かり、今は正常に動いています。

今使っている機種はPower Mac G4。Mac OS X 10.4.11とMac OS 9.22を同機種で使える最終の機種なのです。これ以後の新しい機種ではMac OS 9.22は使えません。音楽関係その他の重要なソフト(計100万円相当)が使えなくなってしまいます。

だだ、このPower Mac G4は騒音がうるさく、Mac OS 9.22に切り替えるとものすごい騒音を出します。それでも夏場以外は心配なく使えるのですが、室温が高くなると1時間以上は使えなくなってしまいます。

その騒音を和らげるファンがあるのを前から知っていたので、昨年の交通事故少し前にネットで購入してありました。先日そのファンと交換、確かに音は静かになりましたが。しかし、どうもこのファンが原因と分かりました。もとのファンに戻すと快調そのもの、音はうるさいのですが・・・。

現在はエアコンのお陰で室温が26以上には上昇することがなく、少しうるさいですが、これで満足することにしています。エアコンさまさまです。


11Mimi1.jpg

サークルの中で休憩しているミミです。ミミは私の気持ちをすずめ「チー」のように分かっています。ミミの言葉は嬉しい時も怒っている時も「ウ、ウ」だけですが、体全体で、対応してくれます。仕事が一段落して「さあ、ミミ遊ぼう!」とサークルに入ると、飛び跳ねて私の足下をグルグル回り、サークルの中にあるキャリング・バッグにバスタオルを押し入れたり出したりして遊び開始です。

夜は以前のように入り口の台の上で寝ていることはなくなりました。震災後長い間、危険を感じ、台に出て来ることはありませんでしたが、最近、台の上に乗り、前足をそろえて立ち続け、ジッと私の方を見ているようになりました。「何時地震が来ても大丈夫!」と言っているようです。中・大の地震が来ると直ぐに中に移動し、私の方を見続けます。「大丈夫!大丈夫!」と手を振り合図、頭を撫で撫でしてやると、しばらく立ったままですが、安心して横になって寝始めます。ミミもチビも、いつもケージの入り口は開けたままです。


12Mimi2.jpg

只今、ミミは休憩中、ミミはチビより体を動かすのが激しいです。サークル一杯に駆け回り、色々遊び方も考えています。


13Mimi3.jpg

キャリング・バックからバスタオルを出しているミミ、それを私が元に戻すとミミは前足を使い直ぐに出してしまいます。これの繰り返し、毎日のお遊びのひとつです。


14Mimi4.jpg

台の上に乗るのはミミだけ、チビは台に乗ることはありません。ミミは高いところが大好きですが、チビは正反対。この台は「かじり台」として置いたのですが、今はほとんどかじることはありません。


15Room.jpg

我が家の自慢だった飾り棚、今はこの状態です。倒れることはありませんでしたが、左の棚は15センチほど前に移動し、左右の棚ともガラス戸が開き、中の物が転落、大切にしていたウイーンで購入した食器「ローゼンタール」一式のカップ数個が割れてしまいました。その他、ベネチアで購入した陶器、ガラス製品がどうなっているか心配ですが、3月11日の震災後、中のものがこれ以上壊れないようにすべてガムテープで固定し、外も家具転倒防止支柱、固定器具、釘、針金、ガムテープで今もそのままにしています。まだまだ大きな地震が来るからです。もとの我が家に戻れるのは何時なのか分かりません。7階なのでどうしようもありません。


16Saint.jpg

熱帯魚ケースを利用して育てていたミニ・セントポーリアですが、ひと株だけ生き残ってくれました。葉だけの小さな状態でしたが、地震が来るたびに鉢が横倒しになり、この株以外は生き残ることができませんでした。この株だけ今は花も咲かせていますが、先日の強い震度4の揺れで再び転倒してしまい、横倒しになりました。直ぐ気が付き、ガムテープで固定し直しました。ガラスを拭いてきれいにしたいのですが、生きる状態を維持してやるので精一杯!


17TV.jpg

テレビの状態です。テレビも針金と釘を使い前に倒れないようにしていましたが、先日の強い震度4の地震で針金が元から切れていました。上にある器機、電気スタンドはガムテープで固定してあります。転倒防止は何とかなっています。ガムテープさまさまです。

このブログを投稿し終えたら、すずめ「チー」のブログの投稿(昨年の9月以来初めての投稿となります。)の準備を始めようと思っています。

その次は、音楽のホームページに、合唱を指導していた時、録音した演奏曲を紹介する予定です。20曲近くあります。この演奏曲を紹介するには「音楽著作権」の手続きが必要で、毎年1万円(ダウンロードなしで、聴かせるだけ)支払はなければなりません。年々少なくなる年金生活をしている現在、悩みましたが、私の残された命もわずか、当時厳しく合唱を指導していた自分、その反省の心もあり、紹介することにしました。合唱曲以外にも、音楽著作権の関係で私のヴァイオリンの演奏紹介から除外していた約20曲も追加紹介する予定です。

そして、私の音楽活動の再開、ヴァイオリンの練習を始める、市民オケ参加。MIDI器機の整理が完了したら、可能になります。

少しずつだけど、頑張ろう!!

嬉しいしニュース:今年10月20日にエステーより「エアカウンター」が発売されるとのこと。家庭用放射線測定器です。これまで原発事故で高価な放射線測定器が出回り、金儲けをしている状態。腹が立っていました。被害者である我々にはとても手が出せない価格。しかし我々の状態を理解してくれ、発明し発売。税込み価格が15750円。ようやく自分で阿武隈の土手の植物(タンポポ、アカツメクサ、イネ科植物)の放射能状態を知ることができます。自分で確認して行動開始です。ありがたいことです。

今日(17日)午後、猛暑日ながら曇っていたので、雨が降られるのを覚悟で、阿武隈自転車道路を通り、ビバホーム、マツモトキヨシ、ヨークベニマルへ買い出しに出かけました。途中、ヒバリが鳴いているのを耳にしました。放射能汚染の中、「頑張って生きて!」と叫んでいました。

阿武隈川周辺の農地は、荒れ地のままです。東京電力を恨みます。管総理を恨みます。

今年は夏なのに蝉(せみ)の声が全くありません。地震が大きく影響しているのだと思います。我が家の近くの空き地、阿武隈川の土手の草もこれまで1度だけ刈られただけで、草は伸び放題、絶滅状態だった月見草もあちこちでたくさん咲いています。嬉しい一面でもあります。



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Tさんからの「夢二君」の写真・近況報告(2011年7月10日)はこちらです。

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2011.06.06 東日本大震災後初めての投稿です



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            おかめ「アン」01-朝のあいさつ

*アンの映像は「朝のあいさつ」です。いつもは、私の口笛と一緒なのですが、一緒だと、どちらの声か分からなくなるので、今回は私は遠慮しています。

*初めて訪問された方へ~おかめ「アン」、うさぎ「クロ」は、11歳になりました。アンは元気そのものですが、クロは、2006年、下の歯2本を喪失し、さらに、2007年10月に右前足を骨折、その時のショックで、食事もできず、体力を消耗し、後ろ両足で立つこともできず、一時、危篤状態にまで落ち込みました。でも、以前食べていた餌をあげたところ、食べ始め、体力も回復し、現在に至っています。餌は「特別食」を食べ、右前足は少し不自由ですが、元気に毎日を過ごしていました。
しかし、2009年1月14日(日)午後1時30分、クロは突然、息を引き取ってしまいました。うさぎには「腫瘍」と同じぐらい怖い「膿瘍」が原因でした。2年間の介護生活は、クロも私も大変でしたが、充実した生活を送ることができました。これからも、これまで撮影した写真(未公開も含め)を紹介し、ブログは続けて行きます。

我が家に来て1年目のクロの動画です。すずめ「チー」の声も聞こえます。




2008年12月初旬に生まれた赤ちゃんうさぎのピーター・ラビット「ミミ」です。女の子です。食べ物より「穴掘り」が大好きで、新しい牧草を入れてやると、大喜びをして「穴掘り」を始めます。




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*約1年ぶりの写真投稿です。昨年2010年9月12日(日)の午後、家の近くにある「イオンタウン」で買い物をして自転車で帰宅途中、自転車と一緒に車にひかれてしまいました。2台の車が停車してくれ、2台の運転手さんに頭をさげ、渡ろうとした途端、2台の車で見えなかったもう1台の車が走って来て、私をひいたようです。

私は、私が事故に遭ったことも、事故の様子も全く分かりません。私が気が付いたのは3日後病院のベッドの上です。救急車で運ばれる途中、「助からないかも知れない」と言われたそうです。2日間意識無し、葬式の話もあったようです。

3日目に「何故、ここに居るの?」と意識を取り戻しものの、しばらく言葉を思い出せず、周りの人に聞くことも返事することもできませんでした。首は固定され、左脚は動かせず、腰も金属で固定され、左肺で呼吸することができず、左耳は全く聞こえませんでした。天井を見ると、一面にたくさん渦を巻いてうごめいているのが見えました。後で分かったのですが、脳にも少し損傷があったようで、寝たっきりの約3ヶ月間、自分が崖っぷちのベッドで寝かされ、生死をさまよっていました。主治医、看護師さんが来るのも下の方から登ってやって来ました。恐怖で、ベッドを崖っぷちから離してくれるよう毎日のようにお願いしました。

しばらくして自分の状態を知らされました。左脚複雑骨折、骨盤骨折、左胸の肋骨骨折、左耳からの多量の出血、それに首の骨の骨折。一番驚いたのが、首の骨、頸椎(けいつい)の骨折です。首の骨が折れてしまったのです。ご存じのように、頸椎の中を神経、血管、呼吸組織が通っています。呼吸困難で即死する人が多いそうです。助かっても神経麻痺で寝たっきりになる人が多いそうです。運良く退院できても首(頸椎)を固定している「フィラデルフィア」次の「ブルーカラー」をはずすには長い期間かかり、治るには1年から1年半はかかると主治医に言われました。とにかく、命が助かっただけでも幸せだと分かりました。

私の体はこの事故を除いても、今生きているのが不思議なくらいです。大学時代、下宿の人にうつされた肺結核、教員時代、文部省「週3回の英語授業」研究発表の為、2年間研究主任をしていて運動不足やストレスによる心臓肥大・胆嚢炎、スキー場で後ろから追突され転倒し肺に血液が溜まり緊急入院、脳梗塞、ヘルニア(左右)など。

今度の事故で入院して、たくさんの「奇跡」を経験しました。約3ヶ月間ベッドで自分では体を右にも左にも動かすことができませんでしたが、両手に損傷無くホッとしました。自分は中学2年の時からヴァイオリンを弾き(ほとんど独学で)、色々な場面で演奏しているからです。福島県郡山市へ引っ越し里帰りしてから、郡山市民オーケストラに所属しています。

左耳が聞こえず、左脚は治っても、もう以前のような行動はできない。首はカラーで固定され動かすことができない。「もうヴァイオリンを持つことはできないかも知れない」と主治医にも言われていました。でも、両手が使える。神さまは私に「新しい命」を与えてくれた。ヴァイオリンを弾く両手を残してくれた。すずめ「チー」が大切なことを私に教えてくれました。命のある限り、精一杯生きる。

毎朝毎晩私を励ましてくれた若くて美人のNM主治医、K看護婦さん・たくさんの看護師さん達、K(2人)リハビリ担当の先生(2人とも女性)・たくさんのリハビリ担当の先生達、昨年9月から今年3月11日震災直前までお世話になっていたヘルパーさん、入院中に知り合ったたくさんの患者さん達。

私の努力が始まりました。体を治し、ヴァイオリンを弾き、市民オーケストラに戻る。命が助かったのは、私以外の「生き物」のため。今では、鼓膜が無事だったため、左耳も三分の一ほど聞こえるようになりました。

自分でベッドから車椅子に乗り移るのも簡単ではありませんでした。3ヶ月間の身動き出来ない生活。体全体の体重も減り、筋力も衰え、想像したこともない状態でした。筋力を取り戻すには、本人の長期の努力が必要と知らされました。筋力が衰えるのは簡単、でも回復させるには何倍もの期間と努力が必要なのです。車椅子が使えるようになっても、腕、肩の筋力が衰えていて、大変でした。車椅子に乗っている人の苦労が初めて分かりました。腕、肩の筋力をつけるため「ピッキング」と言う器具を使うことになりました。この器具を使って右足だけの歩行のリハビリが始まりました。左脚、左肺の呼吸はK先生により入院して直ぐに丁寧に、しかし厳しくリハビリをしてもらていました。もしNM主治医、Kリハビリ担当の先生に会えなかったら、今の私は無かったかも知れません。

リハビリの時間は日曜を除いて毎日あります。私は車椅子に乗るようになってから、一日2回二人の先生によるリハビリになりました。この時間だけではなく、自分でも病院内の廊下で練習を続けました。使えるのは右足だけ、長時間の練習はできず、休み休み。後で分かったのですが、この「ピッキング」器具のリハビリで左肩の骨が折れ、3センチほど高くなってしまいました。手術はできるが治っても左腕を上に上げることができなくなる人が多いと聞き、それではヴァイオリン弾くことができなくなると思い、手術はしないで行くことにしました。このままでも生活には支障はないと聞いたからです。でも、これが原因で、今でも両肩に約2キロの重さを感じ、鎧(よろい)を着ているようです。この状態が死ぬまで続くのです。自分の頭の重さを直接両肩に受けているのです。

車椅子にも自由に乗れるようになりました。でも首はカラーで固定されているため自由に動かすことはできません。同時に「松葉杖」を2本使うリハビリも始まりました。これも肩と腕の筋力が必要でした。でも、K先生の的確な指導があって、「院内を自由に松葉杖で使って行動しても良い」と言われてから3日後のリハビリの時間に、「杖無しで歩いてみて!」と言われ、2本の松葉杖を先生に手渡し、恐る恐る骨折している左足を前に出してみました。そして右足も・・・。少しして松葉杖無しで自分で歩いている私の姿を見た周りのたくさんのリハビリの先生達も驚き、大きな歓声をあげていました。一番驚いたのが自分自身です。今自分の足で歩いている。

自分が退院できても、松葉杖か杖を使用するようになる。もう自分の足だけでは行動出来ないと思っていました。でも、松葉杖のリハビリの時間に、思うように練習ができない私に、K先生が「楢和さんは松葉杖を使うのが目的ではない。自分の足で歩くのが最終目的なんだよ」と言っていたのを思い出しました。K先生の言う通りになったのです。

昨年12月にNM主治医が夕方、腕に長い紙の箱を持って、いつもの笑顔で病室に入って来ました。「さあ、新しいカラーにするよ」と、入院してからこれまで着けていた「フィラデルフィア」と言う堅いカラーを私の首からはずし、新しい柔らかいブルーのカラーに換えてくれました。思わず涙が出て止まりませんでした。「ブルーカラー」ならかなり楽になるからです。この時のことはこれからも忘れることはありません。

今年1月その「ブルーカラー」もはずしてもらい、1月22日退院することができました。自分の足で歩き、首の「カラー」もとれての退院です。その後1ヶ月1回の外来、今は2ヶ月に1回の外来診察に通っています。

こんなに早く自分の足で歩き退院できたのも、以前から使用していたカルシウム、グルコサミン、コンドロイチン硫酸、ヒアルロン酸その他のサプリメントのお陰と分かりました。左脚を手術しても骨折部分の骨が新しい骨を形成し始めなければ治りません。頸椎骨折はカラーで固定し、新しい骨を形成してくれるのを待つのみです。私の場合、長年のサプリメント使用のお陰で、他の人より新しい骨が早く形成されたのです。

退院するのは嬉しいのですが、11歳になるオカメインコと2匹のうさぎ、ベランダには長年種から育てて来たたくさんの樹木、自分のことよりこの子達が心配でした。他の人にお願いはしてあったのですが・・・。何とか今回投稿した写真のアン、ミミ、チビの命は助かりましたが、ベランダのたくさんの樹木達は、ウイーンから種を持ってきた育てた「野ばら」・「カスタニア(三分の二の枝は枯れてしまいましたが、何とか生きていてくれました)」以外は死なせてしまいました。私が交通事故に遭ったことで多くの命を失ってしまったのです。

1月22日に退院して後、部屋を元の状態に戻すのに約1ヶ月かかりました。そして3月9日にミミとチビを引き取り、10日にアンを引き取り再会して喜びました。半年ぶりの再会です。入院中、ベランダの樹木達のことは、少しは期待していましたが、アン、ミミ、チビが生きていてくれることを願うばかりでした。みんな私の姿を見て喜びを体で見せてくれました。アンは歌をすっかり忘れていました。どれだけ苦労をかけてしまったか、みんなの姿をみて一目で分かりました。でも、生きていてくれた。私はアン、ミミ、チビの命を守るために退院して来たことを悟りました。

次の3月11日午後3時少し前、あの巨大地震(今は「東日本大震災」と呼ばれていますが)が
我が家をも襲ったのです。

7階にある我が家は1階が駐車場になっている為、郡山に越して直ぐに、宮城沖地震に遭い震度4を経験し、飾り棚の皿(マイセン2枚10万円)と本棚に置いてあった物が3分の2落としてしまいました。その後、釘と針金で家具・本棚を固定し、それから地震があっても震度4までは何も落ちることがありませんでした。

でも、今回の地震は郡山は震度6強、6弱、5強と命が助かっただけでも幸せだったのです。突然、部屋が上下前後左右に揺れ、これまでにない長い激しい揺れでした。家具は移動し、コンピューター、壁に飾ってある物ほとんどが落下、大きなシャンデリアも垂れ下がってしまいました。台所の茶ダンスは30センチほど移動、中のガラスと瀬戸物類は入り口が開き、落下大部分は割れてしまいました。すべての部屋が落下物で足場もない状態でした。大きな余震はおさまることなく、2~3分おきに続きました。ミミとチビの居るケージは2つ共、台の上に置いてありました。チビのケージは落ちる寸前、手で止めることができましたが、今日のアンの後ろに写っているミミのケージは下に落ち、もしこの場に私が居なければミミは死んでいたかも知れません。直ぐに元に戻し、ガムテープでしっかりと固定しました。アンは大きな声で鳴きながら部屋を飛び回っていました。アンはこれまでにも地震は経験済みですが、こんな恐ろしい地震は初めてだったのです。ガス・水道は一時止まりましたが、電気は停電することはありませんでした。

日が経つにつれ、余震も小さくなってきたので、部屋を少しずつ片づけようと始めて間もなく4月11日に再び震度5強の地震に襲われました。3月11日に落ちる物はすべて落ちてしまったので、茶ダンスの茶碗以外はあまり落ちることはありませんでしたが、この時の「恐怖心」が今でも残っています。これまでの地震とは違い、余震が小さくなっても決して安心はできない。今でも時々震度5強の余震があちらこちらで起こっているからです。今も連日1日10回以上の大小の余震が続いています。椅子に座ると体が揺れ、地震で揺れているのか体だけ揺れているのか分からなくなってしまいました。震度1でもミミとチビは、サッと立ち私の方を見続けます。「大丈夫!」と手を振り合図したり、「撫で撫で」をしてやると落ち着いてくれます。アンもミミもチビも私だけを頼りにしているのです。

地震だけでも大変なのに、東電の原発事故で、地震どころではなくなってしまいました。「避難勧告」が出たらどうしようと心配でした。郡山市も福島市同様盆地です。放射線測定値が高いのです。でも、勧告が出されても、これまで苦労させて来たアン、チビ、ミミを置いて自分だけ避難することはできません。アン、チビ、ミミを死なせるなら、自分もここに残り死ぬと心に決めていました。

人間だけの問題ではないのです。人間以外の動物、植物、その他すべての生き物達の問題なのです。今回の東日本大震災、津波で多くの人の命を無くしました。私達が住んでいる福島県はこれに加え、原発事故でこれからの安全も奪われています。管総理は何をやっているのでしょうか。国会は何をしているのでしょうか。

私達家族(アン、ミミ、チビ)も今大変な状態の中を過ごしていますが、でも、命があるだけでも幸せな状態なのが分かります。被災地全体のことを考えれば・・・。

春も真っ盛り、家の周辺の空き地、阿武隈の土手にはこれまで見たこともない風景があります。これまで絶滅状態でほとんど見ることができなかった(白)クローバーの花の群生が至るところで見られるのです。これまではすべて人の手で刈り取られていたのです。今は草を刈る余裕さえないのです。阿武隈の土手も同じ状態です。自然な状態と言って良いのかも知れません。すずめの子供達もたくさん育っています。人間以外、放射線のことなど知りません。でも、すべての生き物の命を脅かしているのです。地震同様、いつまで続くのか分かりません。



Ann20110601-1.jpg
(久しぶりのアンの写真です。11歳になりました。)

昨年7月投稿以来のアンの写真です。震災でカメラは無事でしたが、コンピューターがWindows、Macとも他の器機と共に転倒してしまい、4月11日再度の大地震が静まり、片付けを始めるまで、使えるかどうかも確認出来ませんでした。5月に入って使えることが分かり、少しずつ Mac を使うようになりました。Windowsと他の器機も無事なようですが、まだそのままの状態です。

アンは昨年9月以前のアンとは違っていました。今は私の姿が見えないと大声で鳴き叫ぶようになりました。長い間私が姿を見せなかった為です。すずめ「チー」と全く同じ状態です。部屋に居ても私から離れようとはしません。今は羽の生え換え期です。もう少しで終わるようです。昨日も4本の羽が抜け落ちました。抜け落ちる時はやはりかなり痛いようで、時々鳴きながら部屋を飛び回ることがあります。アンも私と同じ、年をとっています。11歳になりました。


Chibi20110601-1.jpg
(チビです。3歳になりました。)

ミミもチビもアンとは違い、2年ほどの付き合い、私のことを忘れているか心配でしたが、3月9日私の姿を見ると体で喜びを表していました。私のことを忘れてはいなかったのです。

1月22日退院して直ぐに、阿武隈川の土手の牧草地に電動自転車で行ってみました。やっと歩ける状態でした。雪の残る牧草地を往復約2キロゆっくりと歩きました。ミミとチビを引き取った時、できるだけ早くタンポポやアカツメクサ(赤クローバー)、イネ科の植物を食べさせたかったからです。イネ科の植物は冬でもほぼ毎日採ってきて食べさせていました。春になればタンポポ、アカツメクサともたくさん食べさせることができると確認できました。

でも、原発事故で放射能の問題、今、たくさんのおいしそうなタンポポ、クローバー、イネ科の植物が育っているのに食べさせることができません。何時になったら食べさせられるようになるのか、悔しくてたまりません。


Mimi20110601-1.jpg
(ミミです。3歳になりました。)

3月9日と10日に準備していたサークルでそれぞれ1時間遊ばせてやりました。最初確認していましたが、以前のサークルと分かりミミもチビも大喜びしていました。ミミは他の人には見せたことのないお腹を私に見せるようにして寝そべり、私に撫で撫でしてもらい大喜びをしていました。

阿武隈から食草を採ってきて食べさせられない今、野菜をあげるしかありません。勿論、乾燥のオオバコ、タンポポ、乾燥野菜などは以前から与えているのですが・・・。

今安心出来ることはミミ、チビとも、以前から使用している北海道の2種類の牧草が大好きで、良く食べてくれます。スーパーにある野菜より牧草の方が好きなようです。勿論、生のタンポポ、クローバー、イネ科植物をあげるとそちらを先に食べることは分かっているのですが・・・。通販で生牧草を取り寄せようとも考えましたが止めました。

3月11日の震災後6月に入るまでは毎日の地震が心配でサークルで遊ばせることができませんでした。ミミ、チビも一日10回以上続いている大小の余震におびえていることもあります。でも以前のように毎朝1時間ずつサークルで遊ばせることにしました。初め数日間は用心している様子でしたが、今は以前のように元気に走り回っています。勿論、サークルで遊んでいる時にも地震があります。でも、「大丈夫!」と腕を振ってやると安心し、遊びを再開しています。


Nobara20110601-1.jpg
(シューベルトの「野ばら」です。花はこれからです。)

鉢の中央にある太い木の切り株はオーストリアのアルプスから松ぼっくりを持ち帰り、種を採って長年育ててきたアルプスの松の木ですが、私が入院して面倒を見られなくなり、他の人が水をあげていましたが、以前のように毎日夏は2回、冬でも1回水をやることは不可能で、枯れてしまいました。あんなに青々と元気だったのに、私が車にひかれてしまったために死なせてしまいました。

でも、うれしいことにその松の木の幹の近くに、これもウイーンの森から採取して来た種を持ち帰り育ててきた「野ばら」の枝に花が咲き、できた実(種)がこの鉢に落ちで芽を出し大きくなり、松の木に邪魔だったので、上の部分は枝が伸びないように切っていました。それが他の「野ばら」はほとんど全滅だったのに、生き残っていてくれたのです。手荒く扱っていたのに・・・。今は大切に育てています。


Nobara20110601-2.jpg
(今年芽を出した野ばらです。)

鉢の右端に見える枝の一部は、これまでに右にある2つの鉢と共に、長年きれいな花を咲かせていた「野ばら」です。全滅でした。でも、一昨年たくさん実が採れ、その実を枝の根本に埋めておいたのが昨年たくさん芽を出し、残った種が今年になって芽を出してくれたのです。「野ばら」は1年で芽を出すとは限りません。入院中、これに期待をしていました。思っていた通りたくさん芽を出し、元気に育っています。嬉しいことです。


Kastania20110601-1.jpg
(生き残っていてくれた「カスタニア」です。)

これがウイーンから種を持ち帰り、長年育ててきた「カスタニア」です。種と言っても栗に似た形をしていて、大きいです。1個だけ植えたのですが、それが元気に芽を出し今まで我が家のシンボルのひとつになったいました。オーストリアでは「ホイリゲ(居酒屋)」の庭に有り、家をすっぽりおおうような大木になるため、その下で多くの人がテーブルを囲みワインを飲み料理を食べています。勿論、道路の両側にも植えられ、赤や白の花を咲かせ、栗のような実が街路樹の下にたくさん落ちている光景を目にします。日本の栗と違って食べられません。人も他の動物達も口にしません。


Kastania20110601-2.jpg
(「カスタニア」の根元です。)

我が家のこの「カスタニア」はまだ花を咲かせたことがありません。ベランダで育てているため、枝を毎年切らなければなりません。葉を茂らせ、新しい枝を伸ばし始めると直ぐに天井に届いてしまいます。幹もご覧のよに太くなっています。この鉢はもう限界です。

入院中、ベランダの樹木達に水をやってもらっていたのですが、昨年の12月頃、頼んでいた人に「「カスタニア」は枯れているかも知れない。切ってもいいか」と言われたので、もし、切るなら、そのまま幹を切って捨てないで、幹の一部分を記念に残しておいてほしいと言いました。

退院後、ベランダを確認すると、「カスタニア」はそのままになっていました。長年育ててきた経験で、枝先を見ると、新しい芽は生きているようでした。今年の1月22日の退院後、ベランダの残された「山桜」を初めすべての樹木達に以前と同じく毎日水をやっていました。

でも、日本の樹木達はすべて枯れてしまい、オーストリアから種を持ってきて育てた多くの樹木達も枯れてしまいました。悔しくて涙も出ませんでした。「野ばら」の一部とこの「カスタニア」だけは何とか生き残ってくれたのです。「カスタニア」は上の写真の通り、枝の三分の二は枯れてしまいました。残り三分の一は枝から元気に葉を茂らせ、ご覧のように根元からも新しい芽を出し、必死で生き延びようとしているのが分かります。感謝の気持ちで一杯です。写真に見える凧糸の紐は台風の為、鉢を針金で固定しているのは地震の為です。今年は枯れ枝以外は切ることをせず、そのまま伸ばしてやることにします。天井に着くことはないので・・・。花を咲かせてくれるかも知れません。

阿武隈の土手に育っている日本の「野バラ」は今白い小さな花で満開です。以前なら、我が家の「野ばら」も今が花盛りなのですが、今年はまだ花の姿はありません。「野ばら」は今年伸びた枝には花芽を付けず、昨年伸びた枝に花芽を付けます。今年は花は見られないかも知れません。



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Tさんからの「夢二君」の写真・近況報告(2010年12月27日)はこちらです。

*「3つの名前を持つ猫ちゃんの記録写真集」は、ここをクリックすれば「写真集」にジャンプします。ぜひ、訪問して、ご覧下さい。



Tさん宅の「夢二君」です。会話をしながらの撮影のため、音声は消してあります。


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東北関東巨大地震に逢ってしまいました

2011年3月11日午後3時少し前突然7階にある我が家が今までに経験したことのない激しい上下左右の揺れに襲われ、すべてものが倒壊してしまいました。1月22日に退院し、1ヶ月かかって部屋の整理をし、今月9日と10日にアン、ミミ、チビを引き取り、嬉しい再会を果たしたばかりです。これから幸せになれる、そう感じた直後のことです。アンは部屋を飛び回っていましたが、チビのケージは転倒寸前、ミミの大きなケージは転倒してしまいました。

我が家は前の宮城沖地震の経験から、転倒した家具その他を針金とガムテープで補強し、震度4までの地震に耐えて来ました。しかし今回の震度は震度6強、補強していたお陰で転倒を防げた家具もありましたが、中のものはすべて落ち、割れてしまいました。

北の部屋はこれまで全く被害がなかった部屋ですが、ものすごい状況、入り口も半開き、中ダンスの上に乗り、大きな余震が3分おきに来る中をオイルヒーター、チーとアン用の寝室のヒーターその他の電気器具のコードをはずし、アン、ミミ、チビの居る南の部屋に戻りました。

中部屋の台所が一番ひどい状態で、数百のビデオテープの棚が転倒し、今もそのまま。幸い冷蔵庫は転倒を避けられ、その前の20センチ程のすき間を通って、トイレ、玄関に行っています。バイオリンは転倒した棚の下にあります。どうなっているか。

余震は一週間経った今も続いています。大きな余震もあり、心配ですが、今日から少しづつ片付けを始める予定です。私の住んでいる所は郡山市駅の近く、一時水道が出なくなりましたが、今は電気、水道、ガスは使えます。沢山の死者、避難民の居るのを知り、我が家は幸せです。多くの人達の幸せを祈るのみです。

福島県は地震より、原発事故を恐れています。このブログの投稿を楽しみにしていましたが、当分できそうにありません。コンピュータも転倒したしたまま、これは携帯を使って投稿しています。

また会える日を楽しみにしています。
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2011.02.13 あともう少しでブログを再開します


先月1月22日(土)に退院してから約3週間経ちますが、左耳、首(頸椎けいつい)、左脚を保護しながら忙しく動き回っています。これに加え左肩に骨折箇所があるため、両肩にかなりの重さ(約2キロ)の鎧(よろい)を着ての行動です。

部屋、ベランダは、あともう少しで整理完了です。思ったよりたくさんの日数を要しました。私が居なかった為、家の中ばかりでなく、ベランダの多くの樹木達の命を失ってしまいました。オーストリアから種を持ち帰り、約20年近く大切に育ててきた樹木達です。自分の命は助かったものの、やはり悔しく、申し訳なく感じています。いつもの春はもうやって来ないのです。

勿論、私が20年あまり、大切に乗っていた自転車もメチャメチャの状態です。まもなく処分しなければなりません。

長年使ってきたエアコンが昨年の猛暑に対応出来ないため、事故前に新しいエアコンを購入し取り替えようと思っていました。今年の夏に備え、今月中に設置する予定です。

遅くても3月には、アン、ミミ、チビの元気な写真をブログで紹介したいと思っています。

今月15日は初めての整形外科外来診察の日、21日は耳鼻咽喉科外来診察の日です。
私の体はもう以前のような体ではありません。でも、新しく与えられた命を大切に生きる決心です。

今年の冬は今までになく雪が多く、寒い日が続いています。大雪で路面が凍結している時はあきらめなければなりませんが、晴れた日には、電動自転車で、阿武隈自転車道路を通り買い出しに出かけています。

先日は、阿武隈川の土手にある牧草地を往復2キロ、ミミ、チビの食草がどうなっているか確認しながら歩きました。両肩にかなりの重量を感じながら・・・。

一昨日、ヴァイオリンの4本の弦が、珍しくゆるんでいたので調弦し、その後、ヴァイオリンを乗せる左肩が骨折しているため、持てるかどうか心配で、持ってみました。驚いたことに、首には何の悪影響も感じないで、持てたのです。それに音階、簡単な曲を弾くことができました。勿論、ヴァイオリンは少なくても半年経ってから弾くことにしています。安全の為に。その間、チロルの楽器、チターを本格的に練習しようと思っています。

今年の冬は例年になく大雪が続いているため、たくさんの交通事故が起こっています。多くの命も失われています。このブログを見てくださっている皆さまも、どうか気を付けて行動して下さい。

                   ならわまさお



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2011.01.15 新年おめでとうございます!

昨年9月12日交通事故に遭いました!

昨年9月12日(日)自転車で帰宅途中、車にひかれてしまいました。気が付いたのは病院に運ばれて3日目、事故のこと、病院に運ばれた2日間の記憶は全くありませんでした。救急車で運ばれる時は「助からないかも知れない。」と言われていたそうです。入院3日目、自分が病院に居るのでビックリしてしまいました。「なぜ、こんな所にいるの?」
気が付いても、勿論、首も体も動かせない寝たきりのままでした。約3ヶ月間、恐ろしい幻覚に襲われていました。脳にも傷害があったようです。左耳からもたくさんの血が出て左耳は全く聞こえませんでした。現在は三分の一程度に聞こえるようになりましたが。左脚が複雑骨折、骨盤骨折、左胸の肋骨骨折、それに一番危険だった頸椎骨折(けいつい)、死んで当然の私でしたが、来週1月22日に退院することになりました。担当医、たくさんのリハビリ担当者、たくさんの看護師、たくさんの人たち、それに一番驚いたのが自分ですが、たくさんの奇跡が起こりました。

脚、耳、頸椎はまだ完治していませんが、首のフィラデルフィア、ブルーのカラーにもさよならすることができ、両足で歩くこともできるようになりました。今日は退院前の外泊の日です。明日夕方、病院に帰らなければなりません。退院しても、通院しなければなりません。まだしばらく投稿できませんが、できるだけは早く投稿したいと思っています。これからもよろしくお願いします。
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2010.07.08 生きるために餌を探さなければなりません! ー 232



すずめ「チー」のブログへようこそ! アン、クロは9歳になりました。ミミとチビはまだ1歳になったばかりです。クロは昨年1月4日に白い布に包まれた箱に姿を変わってしまいましたが、これまで残してくれた写真と記事を少しずつ紹介しています。これからも我が家の家族をよろしくお願いします。

「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。


*文章は「チーの過去日記」を紹介しています。「ホームページ1」の日記を少しずつ紹介しています。

*「チー」についてのメモも、少しずつ紹介しています。


すずめ「チー」のアルバム1

ならわまさおスライド写真集

すずめ関連サイトの紹介





2001年8月10日(金)
右耳が、突然聞こえなくなり、ぼう然とする。




               
           「レビン」のブログへジャンプします。

              

Tさんからの「夢二君」の近況報告(3月23日)はこちらです。

               


「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。


*MIDIにつきましては、ホームページの「クラシック音楽」「チロルの音楽」「音楽素材MIDI曲集」の各ページをご利用下さい。このブログでも「MIDIダウンロード専用ページ」を用意しています。

*私自身のバイオリン演奏35曲を紹介しています
シュトラウスの「春の声」

チーちゃんのリンク集






2001年8月11日(土)
アンが自由に飛べるようになる。




2001年8月17日(金)
午前、北里大病院(耳鼻科)へ行き、検査を受け、薬をもらう。治ると分かり、ホッとする。聞こえなくなった原因は、汚れた耳栓を、長い間使用し、菌が耳の中で繁殖した為と分かった。何も聞こえない世界を覗いたような気がした。ベートーベンの気持ちが少し分かった。

*北里大学病院~だいぶ前から、血圧が高いため、月に1回通院し、薬をもらっていた。





2001年8月20日(月)
耳が前のように聞こえるようになる。

2001年8月23日(木)
夕方、クロが風呂の浴槽に入り込み出られなくなり、出してやる。



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チーについてのメモ チーを僕の記憶から消え去らせないために

7. 2004.5.28 チーがリラックスしている時は、時々、じゅうたんの上のこぼれ落ちた餌を探しながら、小さな声で、人間が鼻歌を歌うように、歌を歌っていた。

8. 2004.5.28 アンが豆苗(とうみょう)の茎をちぎると、時々、その葉をちぎって食べていた。チーはサラダ菜が一番好きである。

9. 2004.5.28 チーが病気になってから、寝させるためにかごに入れる直前、ベッドの枕の上に乗り、背伸びをして窓の外を見ていたことがある。この姿はめずらしいことで、「何見てるの」と声をかけると、こちらを振り向いていた。


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チー関係の、数少ない写真をランダムに紹介しています。





デジタルカメラで撮った写真です。少し露出を明るくし修正してみました。上の写真と同じく見違えるように良くなりました。うぬぼれかも知れませんが・・・。


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生きるために餌を探さなければなりません!

我が家のベランダのぶどう棚やカスタニアの木の枝で夜を過ごしているすずめさん。もう1ヶ月になります。

これまでは午後7時少し前にベランダにやって来たのですが、最近は6時半頃になりました。どんなに雨が降っていてもやって来ます。そして朝4時過ぎるとしばらく元気に鳴いて4時半には出かけて行きます。

昨日、すずめさんがやって来てすぐに、郡山はゲリラ豪雨に襲われ、郡山中心部でかなりの被害がでました。雨は我が家のベランダを通り越し、開けてあるガラス戸から室内に入り込み、あわてて閉めました。すずめさんのことが気になり、朝を待ちました。朝4時過ぎ、いつものように元気な声が聞こえたのでホッとしました。

小さな小さなすずめさん、雨が降っていても4時過ぎには出かけます。自分で餌を探さなければ生きて行けないのです。懸命にその日その日を生きているすずめさん。チーの姿そのものです。





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Film03Baby Sparrow ChieFilm03Baby Sparrow Chie
激しい風と雨が続いた次の朝、私の学校の生徒が「助けて!」と言って私の所へ一羽のすずめのひなをハンカチに包んで持って来ました。登校途中、道に横たわっていたそうです。右目は開かず、右の翼に怪我をしていました。しかし、怪我もすっかり治り、私の手の中でスヤスヤ眠っています。

Film01 Young Sparrow ChieFilm01 Young Sparrow Chie
相模大野の伊勢丹前の公団住宅14階が、チーの育った家である。ベランダには、ウィーンから持ち帰った種を蒔き育てたカスタニアの木が大きな葉を茂らせている。一昨年、この木から2羽のヒヨドリのひなが育って行った。今年もそのヒヨドリがやって来て、木の状態を点検しているようである。後日、日記にも写真を載せてあるが、2羽のひなが育って行った。チーにとってはヒヨドリは初めて、びっくりして、大きな生き物がカスタニアの木の枝に居るのを、私に知らせようとしている。私にとって、貴重な映像のひとつである。

Film02 Sparrow Chie on My ArmFilm02 Sparrow Chie on My Arm
チーと私の初めてのツーショット。5年間一緒にいて、これが一緒に映した唯一の映像なのである。赤ん坊の時は、好奇心旺盛で、カメラも全然気にしなかったが、成長するに連れて、カメラを向けると逃げ回っている。このホームページの写真はそのような状態で写したものである。チーは写真が嫌いなのである。また、チーは食事をする時、水を飲む時以外は、朝起きて、寝る時までいつも私と一緒なのである。いつも私の腕や肩の上、時にはお腹や首のくぼみに居て、スヤスヤ寝ている。カメラをかまえることなどなかなかできない。まして、一緒に写真を撮るなど夢また夢。でも、ある日、大決心をし、この映像を映した。三脚を使い、ビデオカメラをチーに分からないようにハンカチでカモフラージュし、リモコンを使い、左手で操作しながら撮影したのである。そのため、どうしても、距離を置いての映像になってしまった。チーは私と一緒に居る時は、ほとんど声を出さない。声を出す必要がないのである。何も言わなくても、お互い、分かっているからである。


すずめ「チー」のことば GooClipLife
すずめ「チー」は日本語の「はーい!」を大きな声で言うことができます。私との会話の中で覚えたようです。この「はーい」には、色々な感情が込められ、彼女は色々な場面、色々な意味を含めて使っています。「すずめ「チー」のことば」をクリックして下さい。


Chie taught me many things. There is no size, large and small, about life. We have to live as hard as possible, as long as there is a life. Even if we run the risk of our lives, we have to love each other. We have to trust each other from the bottom of our heart. Death is a part of life. There is love which exists forever. The language which can understand each other exist. We were very happy when we were together, even if we did not mutually say anything. It is the same now.

チーは私に色々なことを教えてくれました。命には大きい、小さいの違いはないこと、命のある限り、精一杯生きること、命がけで愛すること、心から信頼すること、命は死を越え存在すること、死も命の一部であること、永遠に存在する愛があること、お互いの言葉を越え、理解し合える言葉が存在すること。私たちは、お互い何も言わなくても、一緒に居るだけで幸せでした。今もそれは変わりません。




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