すずめ「チー」の写真集 - Blog

すずめ「チー」の5年間の記録を日記、写真で紹介しています。ホームページ「すずめ写真集(検索で)」も公開しています。

2011.08.29 福島県のすずめ達、生き物達の命を救って下さい! ー 234

2011-08-29 22:15:28 | チーの写真


すずめ「チー」のブログへようこそ! アン、クロは11歳になりました。ミミとチビはまだ3歳になったばかりです。クロは一昨年1月4日に白い布に包まれた箱に姿を変わってしまいましたが、これまで残してくれた写真と記事を少しずつ紹介しています。これからも我が家の家族をよろしくお願いします。

「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。


*文章は「チーの過去日記」を紹介しています。「ホームページ1」の日記を少しずつ紹介しています。

*「チー」についてのメモも、少しずつ紹介しています。


すずめ「チー」のアルバム1

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今日の投稿写真(紹介していない写真も含め)をスライドで紹介しています。


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1999年5月22日(土)
チーのビデオを撮る。

1999年5月23日(日)
チー、体全快する。チーのビデオを撮る。


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1999年5月24日(月)
チー、餌(粟玉)を少し自分で食べる。チーが我が家の一員になってから、今日で5日、右目、右足、右の翼もすっかり治り、活発に動き回るようになった。昨日は、日中、ベッドの上で、私から離れ少し遠出をしたが、またすぐに戻って来て、ピーピー鳴いていた。


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チュン(前の学校で、チーと同じように、生徒ではないが、教務に「朝、外の水たまりに落ちていた。助けてやってくれ。」と頼まれ、その後2年間、我が家の一員だったすずめ)の時の後悔(写真を数枚しか撮ってなかった)から、ビデオと日記を付けることにした。


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チュンと同じく、私から決して離れようとはしない。チュンが生まれ変わって来てくれた。何か当然のように、お互い振る舞っている。今日夕方、6時頃、寝る前に、卵の粟玉を小さな容器に入れ、「もしかして」と思い、チーの目の前に置いたら、しばらくして、つつき始めた。


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つつくのは今日からの行為である。「つつくだけかな。」と思ったら、少し食べ始めた。嬉しかった。神に感謝した。あと10日程で修学旅行である。修学旅行には連れて行けない。その前にひとり立ちし、餌と水を自分でとってくれなければ・・・。明日は小田原へ出張の予定だが、電話をし、欠席することにする。とにかくチーの命を守らなければ・・・。


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今日、昼食時にいやなことがあった。教頭から「すずめを職員室で飼うのはまずい。すずめの嫌いな職員もいるのだから。」そういえば、この学校の職員は冷たい。すずめの様子を見に来たのは数人、あとは迷惑顔である。みな言葉では「命の大切さ」を言うが、心の中は違う。それが今日の教頭の言葉に表れている。


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でも、もともと分かっていたことでもあるので、気にせず行こう。昼休み、音楽室(この学校では英語の他に1年の音楽も担当している)へ移動した。結果、誰も「すずめはどうしたの。」の一言もない。皆がいやな感じで見ていたのだろう。


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今日はチーのことですばらしいことが多かったが、職員の心の中を見たようで、愕然とし疲れて帰宅したが、これから数日のチーの保温のことが気になり、頑張って歩いて東急ハンズまで出かけ、この前と同じ品を3パック購入し、ついでに餌入れに良いと思い、小さい桐箱を買って相模大野駅まで戻った。


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今日は夕食を自分で作る予定でカツオのたたき、野菜を少々買ってあったが、あまりにも疲れていたので、定食屋に寄り、さば定食、おひたし、しらすおろし、納豆、豆腐とビールを注文し帰宅した。9時過ぎ、チーを起こし、うんちをさせ(夜は一回は巣の中でやってしまっているが)餌を二口与え、再度寝かせた。明日は6時少し前に起こしてやる予定。


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1999年5月29日(土)
このところ、左腕に留まり、その後、手の中でよく寝ている。つついて餌の催促までする。左手の小さなほくろをつつき赤くされた。午後、水浴びをする。


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チーについてのメモ チーを僕の記憶から消え去らせないために

6. 2004.5.28 麻の実の食べ方 - 麻の実を見つけると、得意げに「アー」(口に麻の実をくわえているので)と叫びながら、僕の所へやって来て、麻の実を口の中で転がし、皮を取り去り、舌を上手に使い、中身を食べる。ちなみに、麻の実を食べられるようになったのは、チーが僕の所へ来て間もなくである。初めは、麻の実を見つけても、固い皮を破ることができず、あきらめていたが、数日後、食べられるようになり嬉しそうにしていた。

7. 2004.5.28 チーがリラックスしている時は、時々、じゅうたんの上のこぼれ落ちた餌を探しながら、小さな声で、人間が鼻歌を歌うように、歌を歌っていた。

8. 2004.5.28 アンが豆苗(とうみょう)の茎をちぎると、時々、その葉をちぎって食べていた。チーはサラダ菜が一番好きである。

9. 2004.5.28 チーが病気になってから、寝させるためにかごに入れる直前、ベッドの枕の上に乗り、背伸びをして窓の外を見ていたことがある。この姿はめずらしいことで、「何見てるの」と声をかけると、こちらを振り向いていた。

10. 2004.5.28 チーはクロにも別れをしていた。チーは体調を悪くし、あまり飛べなくなってから、うさぎのクロに寄り添うようにして、一緒に居たがっていた。私は「チーちゃん、どうしたの。」と言って見ていたが、本当に親しそうに体をすり寄せるようにしていた。クロもいやがることなく、ジッとしていた。実を言えば、クロはチーの数十倍、いや、数百倍の大きさ、体の弱っているチー、クロが「動いたら」と心配だった。でも、今思うと、チーはクロに「最後のあいさつ」をしていたように思える。


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福島県のすずめ達、生き物達の命を救って下さい!

今日(8月29日)、野田新代表が選ばれた。この時期(8月27日)に管総理は福島県へやって来て、佐藤知事に、「浪江町は20年間住めない。さらに放射能物質で汚染された土壌は福島県で管理してほしい。」と突然言いだし、知事、県民を怒らせた。何の予告もなくである。国民のことなど、全く考えていない。考えているのは自分のことだけである。3月11日の震災後、宮城県、岩手県、福島県、茨城県で多くの人が亡くなり、福島県は原発事故もあり、多くの人が苦しんでいる。放射能を恐れ、県外へ越す家族が増えている。管総理の下での国の対応は皆無。原発事故も管総理の対応が悪かったため起きたのだ。

このブログ記事の下の方にも東日本大震災・原発事故後の情報記録を掲載しています。郡山もかなりセシウム137で汚染されています。半減期が30年、我々人間・家畜もそうですが、自然の中で生活している生物たちはこれからどうなるのか、心配で、心配で・・・。

猛暑も去り、いつもの夏が戻って来ました。昨日はミンミンゼミ、今日はヒグラシの声が聞こえて来ました。これまであまり見られなかった月見草の花も昔のようにあちらこちらで見られるようになりました。子供のすずめ達の姿も今年は例年になくたくさん見られるようになりました。放射能汚染の中で・・・。毎日大小の余震が続いています。私も含め、皆精一杯生きています。命のある限り!





               
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Tさんからの「夢二君」の写真・近況報告(2011年7月10日)はこちらです。

               

*MIDIにつきましては、ホームページの「クラシック音楽」「チロルの音楽」「音楽素材MIDI曲集」の各ページをご利用下さい。このブログでも「MIDIダウンロード専用ページ」を用意しています。

*私自身のバイオリン演奏71曲を紹介しています
シュトラウスの「春の声」

東日本大震災・原発事故後の情報記録


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Film03Baby Sparrow ChieFilm03Baby Sparrow Chie
激しい風と雨が続いた次の朝、私の学校の生徒が「助けて!」と言って私の所へ一羽のすずめのひなをハンカチに包んで持って来ました。登校途中、道に横たわっていたそうです。右目は開かず、右の翼に怪我をしていました。しかし、怪我もすっかり治り、私の手の中でスヤスヤ眠っています。

Film01 Young Sparrow ChieFilm01 Young Sparrow Chie
相模大野の伊勢丹前の公団住宅14階が、チーの育った家である。ベランダには、ウィーンから持ち帰った種を蒔き育てたカスタニアの木が大きな葉を茂らせている。一昨年、この木から2羽のヒヨドリのひなが育って行った。今年もそのヒヨドリがやって来て、木の状態を点検しているようである。後日、日記にも写真を載せてあるが、2羽のひなが育って行った。チーにとってはヒヨドリは初めて、びっくりして、大きな生き物がカスタニアの木の枝に居るのを、私に知らせようとしている。私にとって、貴重な映像のひとつである。

Film02 Sparrow Chie on My ArmFilm02 Sparrow Chie on My Arm
チーと私の初めてのツーショット。5年間一緒にいて、これが一緒に映した唯一の映像なのである。赤ん坊の時は、好奇心旺盛で、カメラも全然気にしなかったが、成長するに連れて、カメラを向けると逃げ回っている。このホームページの写真はそのような状態で写したものである。チーは写真が嫌いなのである。また、チーは食事をする時、水を飲む時以外は、朝起きて、寝る時までいつも私と一緒なのである。いつも私の腕や肩の上、時にはお腹や首のくぼみに居て、スヤスヤ寝ている。カメラをかまえることなどなかなかできない。まして、一緒に写真を撮るなど夢また夢。でも、ある日、大決心をし、この映像を映した。三脚を使い、ビデオカメラをチーに分からないようにハンカチでカモフラージュし、リモコンを使い、左手で操作しながら撮影したのである。そのため、どうしても、距離を置いての映像になってしまった。チーは私と一緒に居る時は、ほとんど声を出さない。声を出す必要がないのである。何も言わなくても、お互い、分かっているからである。


すずめ「チー」のことば
すずめ「チー」は日本語の「はーい!」を大きな声で言うことができます。私との会話の中で覚えたようです。この「はーい」には、色々な感情が込められ、彼女は色々な場面、色々な意味を含めて使っています。「すずめ「チー」のことば」をクリックして下さい。


Chie taught me many things. There is no size, large and small, about life. We have to live as hard as possible, as long as there is a life. Even if we run the risk of our lives, we have to love each other. We have to trust each other from the bottom of our heart. Death is a part of life. There is love which exists forever. The language which can understand each other exist. We were very happy when we were together, even if we did not mutually say anything. It is the same now.

チーは私に色々なことを教えてくれました。命には大きい、小さいの違いはないこと、命のある限り、精一杯生きること、命がけで愛すること、心から信頼すること、命は死を越え存在すること、死も命の一部であること、永遠に存在する愛があること、お互いの言葉を越え、理解し合える言葉が存在すること。私たちは、お互い何も言わなくても、一緒に居るだけで幸せでした。今もそれは変わりません。



2011.08.23 昨年9月以来の投稿です ー 233

2011-08-23 15:27:55 | チーの写真


すずめ「チー」のブログへようこそ! アン、クロは11歳になりました。ミミとチビはまだ3歳になったばかりです。クロは一昨年1月4日に白い布に包まれた箱に姿を変わってしまいましたが、これまで残してくれた写真と記事を少しずつ紹介しています。これからも我が家の家族をよろしくお願いします。

「すずめのひな」への緊急対処法 ~ このページを参考にして下さい。


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*「チー」についてのメモも、少しずつ紹介しています。


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1999年5月20日(木)
チーが我が家へやって来る。
昨日朝8時20分頃、コピーをするため、一階の事務室へ入ろうとしたところへ、1年4組の女生徒が4~5人やって来て、「学校へ来る途中、すずめが落ちていたので、よろしくお願いします。」とのこと。


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昨年、学校が空調機の設備が整ったと同時に、学校内の煙突が消えた。当然、すす落としの穴もふさがれてしまった。と言うことは、すずめが巣を作る場所がなくなったので、今年から、巣から落ちるすずめがいないため、「自分の所へひなが運ばれて来て、育てる必要はなくなった」と感じていたのである。


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でもそれが、また復活したのである。ハンカチに包んであったので、それごと受け取り、のぞいて見た。まだ口の両側が黄色である。羽もまだ十分に生えそろってはいない。


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でも朝、すぐ生徒たちが見つけて連れて来たためか、衰弱はしていない。まだ、巣から落ちたばかりである。体は小さい。とにかく引き取って、更衣室の自分のロッカーから、運搬用のかご、ティッシュ、餌皿、へらを取り出した。運良くホカロンも入っていた。


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牛乳は職員室の冷蔵庫にあった。あと残るは主食のパンである。職員室の後ろのテーブルに黒パンはあったが、念のため、誰か白いパンを持っていないか聞いたところ、ひとりいた。時間は8時25分、急いで準備を始める。いつものように餌を作り、へらで食べさせたが、意外と手がかからず、すぐに食べてくれた。


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右足を痛めているようで、歩くこともできない。昨日は、かわいそうなので、無理をさせてはいけないと思い、すぐかごへ戻した。今朝、外へ出し、様子を見ると、目は開いており、足も使えるようである。


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しかし、羽はまだ痛めたままのようである。でも昨日よりは回復しているようだ。日数はかかるが、きっと治ると思う。神に祈る。


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昨日ホカロンが残り一つとなってしまい、スーパーを数軒探してみたが、冬でないためかどこにも売っていない。


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やむなく、今日夜、東急ハンズへ行ってみると、キャンプ用具売場に別の名前のものが売っていたので、とりあえず2袋購入して帰って来た。


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帰宅は9時、すずめを起こし、餌を与え、再度寝かせた。明日は6時に起こす予定。今日一日で、雀は僕を親と思い始めていることが分かった。生徒は「スー」と名前を付けたが、「チーチー」と鳴いているので、家では「チー」と呼ぶことにする。

*神奈川県大和市で中学英語教員(音楽も担当)をしていた。


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チーについてのメモ チーを僕の記憶から消え去らせないために

1. 2004.5.27 チーは朝、夕方、食事をしてお腹が一杯になると、「もう、結構」と顔を背ける。

2. 2004.5.27 僕が外出して部屋にいない時は、テーブルの上のツィター用譜面台の裏に置いてある小さい竹製のかご(小さい時、中に入って育った)と譜面台を支える板の間に居ることが多い。テーブルの譜面台の後ろにチーのうんちが数個落ちているので分かる。僕が外出から帰って来ると、テーブルの上の塩土の上で「ピーピー」と嬉しそうに迎えてくれた。

3. 2004.5.27 相模大野に住んで居た時は、中央洋間から玄関へ行く場所で、郡山の部屋では南和室から台所へ行く所で、天井目指して飛び上がり、着地を繰り返していた。

4. 2004.5.27 アンは、以前、僕の肩で遊んでいた時、僕のひげを抜いたことがあったが、チーも今年になって、アンと同じようにひげをつついていた。抜くことはなかったのでそのままにさせていた。

5. 2004.5.27 台所へ行こうとすると、「行かないで」と必死で止めにかかる。戻って来ないと思っているようだ。必死で左肩に乗ろうとする。時々、肩に乗っかって離れるのをいやがり、激しく泣き叫ぶ。台所へは、戸が開いていても絶対行こうとしない。


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チーと私はいつも一緒!

すでにブログには文章だけですが、投稿しお知らせしましたが、昨年の9月12日、家の近くのイオンタウンの中にある「Big」でその日の食べ物を買い、小雨の降る中、自転車で帰宅途中、自転車もろとも車にひかれてしまいました。

信号の無い所ですが、ここを通らないと遠回りをして帰らなければなりません。いつも気をつけていたのですが、2台の自動車が停車して、私に手で「渡って!」と合図をしてくれたので、頭を下げてお礼を言い、渡ろうとした途端、もう一台の車が走って来て自転車に乗っている私をひいたらしいです。

(今、文章を書くのを中断、地震がありました。震度2のようです。19日午後2時頃、郡山も震度5弱の地震があったばかり、その前は震度4二回。これまでにも毎日大小の地震はあったのですが、しばらくしたらまた震度5弱級の地震がたびたびありそうな気配。7階に住んでいる我が家族は今も毎日恐怖の中で生活をしています。テレビで見ていると、震災は終わり、原発事故も終わり、猛暑も終わり・・・。でも、私のお腹の中は煮えくりかえっています。震災は続いているのです。あと何年続くかわかりません。特に福島県は放射能ですべての生物が命を落とそうとしているのです。

セシウム137は30年経っても半減するだけです。私はもう生きてはいません。我々福島県民は東京電力、管総理の無能力のためにすべてを失ってしまったのです。

前から東京電力の原発は度々事故を起こしていました。ほとんど不注意のためです。でもその都度、言い訳をして逃れていました。私はこの頃から心配していたのです。人間には「完全」と言うものは存在しません。原発事故は人災です。)

話を前に戻します。私には事故の記憶は全くありません。私が気が付いたのは事故後3日目、ベッドに寝ているので、驚きました。左脚複雑骨折、骨盤骨折、左胸肋骨骨折、左耳から多量の出血、そして首の骨(頸椎けいつい)の骨折。多くの人は即死で亡くなっていると聞かされました。入院中もたくさんの「奇跡」が起こりました。すべてすずめ「チー」のおかげと分かりました。


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激しい風と雨が続いた次の朝、私の学校の生徒が「助けて!」と言って私の所へ一羽のすずめのひなをハンカチに包んで持って来ました。登校途中、道に横たわっていたそうです。右目は開かず、右の翼に怪我をしていました。しかし、怪我もすっかり治り、私の手の中でスヤスヤ眠っています。

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相模大野の伊勢丹前の公団住宅14階が、チーの育った家である。ベランダには、ウィーンから持ち帰った種を蒔き育てたカスタニアの木が大きな葉を茂らせている。一昨年、この木から2羽のヒヨドリのひなが育って行った。今年もそのヒヨドリがやって来て、木の状態を点検しているようである。後日、日記にも写真を載せてあるが、2羽のひなが育って行った。チーにとってはヒヨドリは初めて、びっくりして、大きな生き物がカスタニアの木の枝に居るのを、私に知らせようとしている。私にとって、貴重な映像のひとつである。

Film02 Sparrow Chie on My ArmFilm02 Sparrow Chie on My Arm
チーと私の初めてのツーショット。5年間一緒にいて、これが一緒に映した唯一の映像なのである。赤ん坊の時は、好奇心旺盛で、カメラも全然気にしなかったが、成長するに連れて、カメラを向けると逃げ回っている。このホームページの写真はそのような状態で写したものである。チーは写真が嫌いなのである。また、チーは食事をする時、水を飲む時以外は、朝起きて、寝る時までいつも私と一緒なのである。いつも私の腕や肩の上、時にはお腹や首のくぼみに居て、スヤスヤ寝ている。カメラをかまえることなどなかなかできない。まして、一緒に写真を撮るなど夢また夢。でも、ある日、大決心をし、この映像を映した。三脚を使い、ビデオカメラをチーに分からないようにハンカチでカモフラージュし、リモコンを使い、左手で操作しながら撮影したのである。そのため、どうしても、距離を置いての映像になってしまった。チーは私と一緒に居る時は、ほとんど声を出さない。声を出す必要がないのである。何も言わなくても、お互い、分かっているからである。


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チーは私に色々なことを教えてくれました。命には大きい、小さいの違いはないこと、命のある限り、精一杯生きること、命がけで愛すること、心から信頼すること、命は死を越え存在すること、死も命の一部であること、永遠に存在する愛があること、お互いの言葉を越え、理解し合える言葉が存在すること。私たちは、お互い何も言わなくても、一緒に居るだけで幸せでした。今もそれは変わりません。



2011.08.19 3月11日の大地震後2回目の投稿です ー 1

2011-08-19 07:35:20 | 我が家の家族
スライド写真集、 アルバム ~ ぜひ、お立ち寄り下さい!


               
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音楽のホームページ ~ 約100曲の自作MIDI、私自身のヴァイオリン演奏(MP3) 71曲、その他「You Tube」などを紹介しています。自由にダウンロード可能です。

シュトラウスの「春の声」



            おかめ「アン」01-朝のあいさつ

*アンの映像は「朝のあいさつ」です。いつもは、私の口笛と一緒なのですが、一緒だと、どちらの声か分からなくなるので、今回は私は遠慮しています。

*初めて訪問された方へ~おかめ「アン」、うさぎ「クロ」は、11歳になりました。アンは元気そのものですが、クロは、2006年、下の歯2本を喪失し、さらに、2007年10月に右前足を骨折、その時のショックで、食事もできず、体力を消耗し、後ろ両足で立つこともできず、一時、危篤状態にまで落ち込みました。でも、以前食べていた餌をあげたところ、食べ始め、体力も回復し、現在に至っています。餌は「特別食」を食べ、右前足は少し不自由ですが、元気に毎日を過ごしていました。
しかし、2009年1月14日(日)午後1時30分、クロは突然、息を引き取ってしまいました。うさぎには「腫瘍」と同じぐらい怖い「膿瘍」が原因でした。2年間の介護生活は、クロも私も大変でしたが、充実した生活を送ることができました。これからも、これまで撮影した写真(未公開も含め)を紹介し、ブログは続けて行きます。

我が家に来て1年目のクロの動画です。すずめ「チー」の声も聞こえます。




2008年12月初旬に生まれた赤ちゃんうさぎのピーター・ラビット「ミミ」です。女の子です。食べ物より「穴掘り」が大好きで、新しい牧草を入れてやると、大喜びをして「穴掘り」を始めます。




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3月11日の大地震後、2回目の投稿です。前回はベランダを中心に我が家の家族の状況を報告しましたが、今回は家(南部屋)を中心に報告します。

5ヶ月が経つのに、我が家の部屋の状態はほとんどそのままです。家具転倒防止器具、釘と針金、そしてガムテープ。先日も、震度5に近い震度4の地震があり、北の部屋の家具転倒防止器具がはずれそうになり、本棚の本が20冊ほど落ち、南部屋にある大型のテレビを支えている針金が根本で切れていました。震度5弱の「揺れ」です。震度4には強弱の区別がないのです。小さき余震は今でも毎日数回続いています。


01Ann1.jpg

写真ではアンの表情は元気そのものですが、人間以上にストレスを感じています。以前は、羽が抜け換える時期になっても、気になるのは羽毛だけで、時々羽が落ちますが、その為に部屋を飛び回るのに異常はありませんでした。

でも1ヶ月あまり、羽が毎日のように抜け、抜ける時に痛みを感じ、鳴きながら部屋を飛び回っていました。それも、しばらくして、飛ぶ為の長い羽が減り自由に飛べなくなってしまいました。以前にはなかった状態です。

飛んでテーブルに戻ることを恐れ、私が使用しているベッドに居る日が続きました。ベッドの上にポリ袋を広げ、その上に新聞紙を敷いて、餌入れ、水の容器、果物、豆苗、チンゲンサイ、ブロッコリーをテーブルから移動。夜もベッドで寝る状態。朝には何とか私の手を借りて、テーブルに戻りますが、しばらくしてその日の内にまた・・・。この繰り返しの毎日でした。

ベッドを占領された私は、ミミ、チビ用のサークルの中に枕を持って行って寝る日が続きました。


02Ann2.jpg

でも、この数日、羽毛は少し落ちますが、羽が抜け落ちることもなくなり、部屋を飛び回れることが分かったのか、時々、羽が抜ける時の痛みは無くても何かに驚いて泣き叫び、部屋を飛び回り、私、ミミ、チビを驚かせることはありますが、何も無いことが分かると、ベッドから直ぐにテーブルに戻るようになりました。


03Ann3.jpg

テーブルのアンです。電気スタンドは地震で転倒しないようにガムテープで固定してあります。日中は南部屋の中で、このスタンドだけ電気をつけています。夜はテレビの上のスタンド、ミミのケージの上のスタンドの電気をつけ、このテーブルのスタンドは豆電球に変わります。豆電球になるとアンの「寝る時間」です。以前からの習慣です。


04Cage1.jpg

昨年9月12日私が交通事故で入院し、今年1月22日に退院。3月9日、10日に預かり先から引き取った次の日の11日に大震災。ベランダの樹木達は震災前に全滅、長い間、アン・ミミ・チビに苦労のさせ続けです。

このミミのケージも11日には転倒してミミの命も危機状態でした。昨年夏は10年以上前から使っていたエアコンも正常に働かなくなり、今年退院1ヶ月後に、エアコンを取り替え今年の夏に備えていました。

今年の夏は全国的な猛暑続き、多数の死者も出ています。エアコンを新しいのに取り替えていて幸いでした。消費電力も少なく、「27度」にセットしているのですが、常に25度から26度を維持してくれています。エアコンはもう一台、北の部屋のウインドファン。郡山に越して直ぐ取り付けた冷房専用の500ワットのウインドファンです。今でも良く働いてくれます、北の部屋を25度に維持し、台所のある中央の部屋も27度に維持してくれています。


05Cage2.jpg

エアコンの一番近くにあるのがチビのケージです。ミミのケージは少し離れていますが、いずれもエアコンの風が直接あたります。その為、ケージを「プチプチ」でガードしています。ケージの底に敷いてあるヒーター(ミミ、チビとも2枚)は冬同様つけたままです。夕方から朝まで、ミミの入り口台の下のヒーターもつけます。


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チビのケージです。食事の準備が終わるまで蛍光灯をつけます。ミミ・チビとの約束です。右側はエアコンの風が直接中に入らないように、「プチプチ」でガードしています。数日前、チビの水容器の水がいつもよりかなり量が減っているので驚きました。放射能汚染で野菜以外、生ものはほとんど食べさせられなくなってしまったので、水を飲む量が増えました。牧草(2種類)は大好きでよく食べてくれます。いずれも北海道産です。


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チビは食べ物の好き嫌いが激しかったのですが、今は私が与える食べ物はすべて食べ尽くしています。毎日1時間半ケージで運動はしているのですが、肥満にならないように気を付けています。


08Chibi3.jpg

以前はケージの中でオシッコ、ウンチをしていたのですが、今はオシッコをする量が少なくなりました。タンポポやアカツメクサ、イネ科の植物を与えられなくなったからかも知れません。ウンチはたくさんします。

ミミはケージの中ではほとんどウンチもオシッコもしません。

(今文章を書くのを中断。足下に「ズズ」っと地震が来るのを感じ(この感じは大地震、小地震の区別がないので、毎日怖い思いをしています。)、「地震が来るよ!」と声をかけると、アンは目を覚まし、テーブルの上にあるシャンデリアのガラス玉が動いているのを見ていました。アンもシャンデリアが動くと地震と分かっています。震度4でカウベルが鳴り出します。今の地震は震度2のようです。アンは譜面台の上に乗っかりしばらく身繕いをしていましたが、テーブルに戻り、再び寝始めました。)

ミミの話に戻します。ミミはサークルに移動する前にウンチ、オシッコを済ませます。1時間半後に掃除を済ませ、新しい牧草を追加し、新しい水・餌を準備完了のケージに戻ると餌を食べ、トイレ(ケージの右奥)に移動。ミミはサークルも、ケージもほとんど汚しません。



2011.08.19 3月11日の大地震後2回目の投稿です ー 2

2011-08-19 07:32:28 | 我が家の家族


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クロの遺骨の入った小箱です。今はミミ・チビより量は少しですが、同じものをあげています。すずめ「チー」同様、クロも、今も我が家の家族の一員なのです。震災後、すずめ「チー」を以前のように面倒をみてやれなくなっていますが、部屋の状態がもう少し良い状態に戻せるようになれば、今よりは前の状態に戻してやれると思います。


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右が今このブログの元を作成しているマックです。ご覧のように今でもこの状態です。ガムテープ、針金で固定してあります。左はウインドウズですが、使用しているのはディスクトップだけ、テレビを見るのに使用しています。この周辺後ろは震災当時のままです。音楽器機、その他の器機の配線がゴチャゴチャ、あと半年はかかりそうです。

先日2週間ほどマックが本体・ハードディスク共、使えなくなってしまいました。直ぐフリーズ、再起動の要求が出てしまうのです。原因が分からず、ネットで同機種購入も考えましたが、その後ようやく原因が分かり、今は正常に動いています。

今使っている機種はPower Mac G4。Mac OS X 10.4.11とMac OS 9.22を同機種で使える最終の機種なのです。これ以後の新しい機種ではMac OS 9.22は使えません。音楽関係その他の重要なソフト(計100万円相当)が使えなくなってしまいます。

だだ、このPower Mac G4は騒音がうるさく、Mac OS 9.22に切り替えるとものすごい騒音を出します。それでも夏場以外は心配なく使えるのですが、室温が高くなると1時間以上は使えなくなってしまいます。

その騒音を和らげるファンがあるのを前から知っていたので、昨年の交通事故少し前にネットで購入してありました。先日そのファンと交換、確かに音は静かになりましたが。しかし、どうもこのファンが原因と分かりました。もとのファンに戻すと快調そのもの、音はうるさいのですが・・・。

現在はエアコンのお陰で室温が26以上には上昇することがなく、少しうるさいですが、これで満足することにしています。エアコンさまさまです。


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サークルの中で休憩しているミミです。ミミは私の気持ちをすずめ「チー」のように分かっています。ミミの言葉は嬉しい時も怒っている時も「ウ、ウ」だけですが、体全体で、対応してくれます。仕事が一段落して「さあ、ミミ遊ぼう!」とサークルに入ると、飛び跳ねて私の足下をグルグル回り、サークルの中にあるキャリング・バッグにバスタオルを押し入れたり出したりして遊び開始です。

夜は以前のように入り口の台の上で寝ていることはなくなりました。震災後長い間、危険を感じ、台に出て来ることはありませんでしたが、最近、台の上に乗り、前足をそろえて立ち続け、ジッと私の方を見ているようになりました。「何時地震が来ても大丈夫!」と言っているようです。中・大の地震が来ると直ぐに中に移動し、私の方を見続けます。「大丈夫!大丈夫!」と手を振り合図、頭を撫で撫でしてやると、しばらく立ったままですが、安心して横になって寝始めます。ミミもチビも、いつもケージの入り口は開けたままです。


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只今、ミミは休憩中、ミミはチビより体を動かすのが激しいです。サークル一杯に駆け回り、色々遊び方も考えています。


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キャリング・バックからバスタオルを出しているミミ、それを私が元に戻すとミミは前足を使い直ぐに出してしまいます。これの繰り返し、毎日のお遊びのひとつです。


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台の上に乗るのはミミだけ、チビは台に乗ることはありません。ミミは高いところが大好きですが、チビは正反対。この台は「かじり台」として置いたのですが、今はほとんどかじることはありません。


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我が家の自慢だった飾り棚、今はこの状態です。倒れることはありませんでしたが、左の棚は15センチほど前に移動し、左右の棚ともガラス戸が開き、中の物が転落、大切にしていたウイーンで購入した食器「ローゼンタール」一式のカップ数個が割れてしまいました。その他、ベネチアで購入した陶器、ガラス製品がどうなっているか心配ですが、3月11日の震災後、中のものがこれ以上壊れないようにすべてガムテープで固定し、外も家具転倒防止支柱、固定器具、釘、針金、ガムテープで今もそのままにしています。まだまだ大きな地震が来るからです。もとの我が家に戻れるのは何時なのか分かりません。7階なのでどうしようもありません。


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熱帯魚ケースを利用して育てていたミニ・セントポーリアですが、ひと株だけ生き残ってくれました。葉だけの小さな状態でしたが、地震が来るたびに鉢が横倒しになり、この株以外は生き残ることができませんでした。この株だけ今は花も咲かせていますが、先日の強い震度4の揺れで再び転倒してしまい、横倒しになりました。直ぐ気が付き、ガムテープで固定し直しました。ガラスを拭いてきれいにしたいのですが、生きる状態を維持してやるので精一杯!


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テレビの状態です。テレビも針金と釘を使い前に倒れないようにしていましたが、先日の強い震度4の地震で針金が元から切れていました。上にある器機、電気スタンドはガムテープで固定してあります。転倒防止は何とかなっています。ガムテープさまさまです。

このブログを投稿し終えたら、すずめ「チー」のブログの投稿(昨年の9月以来初めての投稿となります。)の準備を始めようと思っています。

その次は、音楽のホームページに、合唱を指導していた時、録音した演奏曲を紹介する予定です。20曲近くあります。この演奏曲を紹介するには「音楽著作権」の手続きが必要で、毎年1万円(ダウンロードなしで、聴かせるだけ)支払はなければなりません。年々少なくなる年金生活をしている現在、悩みましたが、私の残された命もわずか、当時厳しく合唱を指導していた自分、その反省の心もあり、紹介することにしました。合唱曲以外にも、音楽著作権の関係で私のヴァイオリンの演奏紹介から除外していた約20曲も追加紹介する予定です。

そして、私の音楽活動の再開、ヴァイオリンの練習を始める、市民オケ参加。MIDI器機の整理が完了したら、可能になります。

少しずつだけど、頑張ろう!!

嬉しいしニュース:今年10月20日にエステーより「エアカウンター」が発売されるとのこと。家庭用放射線測定器です。これまで原発事故で高価な放射線測定器が出回り、金儲けをしている状態。腹が立っていました。被害者である我々にはとても手が出せない価格。しかし我々の状態を理解してくれ、発明し発売。税込み価格が15750円。ようやく自分で阿武隈の土手の植物(タンポポ、アカツメクサ、イネ科植物)の放射能状態を知ることができます。自分で確認して行動開始です。ありがたいことです。

今日(17日)午後、猛暑日ながら曇っていたので、雨が降られるのを覚悟で、阿武隈自転車道路を通り、ビバホーム、マツモトキヨシ、ヨークベニマルへ買い出しに出かけました。途中、ヒバリが鳴いているのを耳にしました。放射能汚染の中、「頑張って生きて!」と叫んでいました。

阿武隈川周辺の農地は、荒れ地のままです。東京電力を恨みます。管総理を恨みます。

今年は夏なのに蝉(せみ)の声が全くありません。地震が大きく影響しているのだと思います。我が家の近くの空き地、阿武隈川の土手の草もこれまで1度だけ刈られただけで、草は伸び放題、絶滅状態だった月見草もあちこちでたくさん咲いています。嬉しい一面でもあります。



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Tさんからの「夢二君」の写真・近況報告(2011年7月10日)はこちらです。

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Tさん宅の「夢二君」です。会話をしながらの撮影のため、音声は消してあります。


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