ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

癒し

2015年11月30日 | 聖書



      心霊術で病気を治すといって、糖尿病の子どもの治療を引き受け
      インスリンの投与をやめさせ、医師からも遠ざけたので、結果的に子供は亡くなったという
      痛ましい話がニュースになりました。

      このような、呪術師?、心霊術師? 祈祷師?ともつかない人がいるのは、
      私も知らないわけではありません。
      しかし、このような人たちの手を借りなくても、
      奇蹟のようないやしは、誰でも(普通の人でも)、一度や二度経験することがあるかもしれません。

      私自身について告白しますと、何度か、はっきりとした「癒し」を体験しています。
      それは実に、一瞬で、変化が確かで、自分でも「信じられないほどの」奇蹟でしたが、
      それについてこういうブログで具体的に書くのは、信仰について誤解を招くので割愛します。

      ただ、自分が祈って、癒しが起こったからと言って、自分にいやしの力があるなどとは、
      夢にも思いません。いやしてくださったのは神です。
      
      もちろん、祈っても聞いてもらえないこともあって、インフルエンザで寝込むこともあり、
      食中毒で「参った」こともあります。
      何故、祈りが聞き届けられるときと、そうでないときがあるのかはわかりません。
      私たちはただ、神のなさることに対して謙遜にならなければならないと、学ぶのです。


                

      
      重い病状が奇跡のように引いたときは、
      神さまが、憐れんで下さって聞いてくださったのだと思い、そういう時は、いつにもまして
      神様をほめたたえます。
      自分の祈りが聞いていただけたからと言って、他の人に
      「癒してあげよう」などと申し出ることは、ありません。

      健全なキリスト者であれば、
      牧師であっても、ベテランの信徒であっても、「私が癒してあげましょう」などとは、
      絶対に言わないはずです。
      医術を使わず癒すことができるのは神さまだけであって、
      人間にはできないと「知って」いるからです。
      もちろん、頼まれれば、例えば
      教会の中で、また友人や知人に対して「祈って差し上げる」ことはありますが、
      それは、「とりなしの祈り」といって、願い求めている人とともに祈ることなのです。
 
      「自分には、いやす力がある」となどという人は、まずインチキではないでしょうか。


      新約聖書には、イエス・キリストによるいやしの話が目白押しです。
      けれども、聖書的には、これは、ふしぎではありません。

      「イエスは神」だからです。

      イエスの弟子たちが、イエスから権能を授けられて、「癒しを行う」場面がありますが、
      それに対して、イエスは、
      「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と命じておられます。

      神がなさったことで、「儲ける」のは、禁じられているわけです。

      まして、教祖(人間)を、神であるかのように見上げるのは、神の御心に反することです。

      オ●ム事件などもそうでしたが、いかがわしい宗教にひっかかるのは、
      本物の宗教を知らないことも、大きいと思います。


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      私自身は、もちろん、
      病気や体についても、神さまが一番よくご存じだと信じています。

      私のからだを、CTやMRIよりも、見通しておられるのが、神様です。
      私たちは、どんなにがんばっても、
      神様がごらんになるようには、物を見ることはできないのです。

      じっさいには、資格のある誠実で熱心なお医者様が、一番私たちのからだを熟知して下さるのです。
      治療を依頼できるのも、お医者様です。

      ただ、どれほどすばらしいお医者様でも、全能でないのは、
      お医者様ご自身が,一番よく知っておられるのと思うのです。

      人としての最善を尽くしながら、
      人の力の超えたところを、神に願い、
      祈るのが、人としての正しい在り方だと考えるのです。

      




         何事も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝と願いをもってささげる
         祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
         そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
         あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
                             (新約聖書・ピリピ人への手紙4章6節7節)







      
      


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