ノアの小窓から

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神の国――キリストの教えの中心をやさしく語る2課(抜粋)3

2017年03月12日 | 聖書


 きょうは、2課の「神の国の始まり」の中の囲み記事の部分を、ごらんいただきます。

 「創世記」の記述に対する、大切な注解です。

 創世記は聖書の最初の文書ですので、すでにお読みになった方も多いと思います。
 初めは、ちょっと、荒唐無稽に思われるエピソードですが、

 さとうも、この文書が、読めば読むほど味わいと発見があり、聖書が楽しくなるのに驚いています。

 神の国――キリストの教えの中心をやさしく語る
        著者は、50年の歳月を宣教師として、また牧師として、
        神の言葉を宣べ伝えるためにささげて来られた、佐々木正明師です。(アッセンブリ・オブ・ゴッド教団)


 
 さとうは、無理をお願いして、まったく実績のない個人出版者(社)「本や・野の草」からの出版を了承していただいたのです。最初は、電子書籍を、追って、印刷本を出す予定です。
  目下、編集作業の真っ最中です。

  お祈りをいただければ、幸いです。

  
   
 

 囲み記事

天地創造の出来事は、聖書の一番初めに置かれている、創世記という書物の最初の部分に、物語風に記録されています。
  初めてこの部分を読む現代人は、つい、自分たちの合理主義的な考え方、つまり、自分の理論を大切にするものの見方を持ち込み、理科の教科書でも読むような、自然科学的な感覚で読んで、荒唐無稽な神話だと思い違いをしてしまいます。
  それに対して、これは文字通り事実であると考えるクリスチャンたちは、これもまた、現代的な合理主義に立つ自然科学の知識を駆使して、これが単なる神話ではなく、科学的な事実であると証明しようとしています。
  どちらも、自分たちがとんでもない誤りをおかしていることに、気づいていません。

  それは、この書物が今から3500年ほども昔、まず、その当時生きていた人々に分かりやすく、書かれているという事実です。
  21世紀の人間が、物理の知識、生物学の知識、天文学の知識、その他、関係するあらゆる科学的知識をもってこれを調べ、納得できるように書かれているのではありません。合理主義や自然科学が発生する、3000年以上も前に生きていた人々に、最も分かりやすく、最も記憶しやすく、最も要点をつかみやすく書かれているのです。

  そこに記されていることは、現代の科学知識から判断して、正しい記述であるかどうかと議論するのは、まったく的外れの愚かなことです。あらゆる科学的知識に満ち溢れ、その知識の上に世界を創造なさった神が、3500年前に生きていた人々に、最も理解されやすく、受け入れられ易い書き方をしてくださったのです。

  そのことを理解して読むと、逆にこの部分が、豊富な科学的知識を背景に書かれていることに、驚かされます。
  自然科学とは、結局、神が天地創造のときにお定めになった、自然の法則を学び、利用するものなのです。
  創世記のこの部分で、神が人間にお伝えになろうとした基本的な事柄は、多分、以下のようにまとめられることでしょう。


 神が天地の創造者であり、すべてのものは神によって発生し、神によって存在しているという事実。

 創造者である神は、またすべてのものの支配者であるという事実。

 すべての被造物は、神がお定めになった秩序(法則)によって、正しく保たれているという事実。

 人間も神の被造物のひとつに過ぎず、神の絶対の権威(けんい)のもとに生きるように定められているという事実。

 人間だけが神に似せて造られ、神との特別な関係を持つように造られている事実。