ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

神の国

2017年03月03日 | 聖書



     本や・野の草が、来月刊行予定の、キリスト教テキスト「神の国」
      最初の部分の一部を、特別に公開します。

  
          ※、実際の本では色は異なります。


第1課     
キリストの教えの中心


Ⅰ. キリストの教えの中心を探す

「キリストの教えの中心は愛である」と言われています。確かに、「愛」はキリストのお与えになった戒(いまし)めの中で、もっとも重要なものです。「愛」という主題を通して、キリストの教えの多くを理解することもできます。ただ、「愛」では解明(かいめい)できない、大きな分野もあって、これを「中心」とするには、かなり無理があります。そこで、キリストの生涯(しょうがい)と教えを実際に見直すことによって、「中心」を探し出して見ましょう。
 
キリストの生涯と教えに関しては、じつに様々な物語があり、これについて書かれた書物も、それこそ何万巻もありますが、もとはと言えば、すべて聖書という書物に基(もと)づいて書かれ たもので、それ以は、単なる想像やフィクションにすぎません。また、聖書の中でも、直接キリストの生涯と教えに言及(げんきゅう)している部分は、新約聖書の始めの4つの福音書、すなわち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと、5つ目の使徒の働きという書物の第1章の前半だけで、1日か2日もあれば読むことができます。(間接的には旧約聖書も、歴史の出来事、律法、儀式、詩歌、預言などを通して、やがてお生まれになるキリストについて語るものであり、新約聖書の他の部分も、キリストの生涯と教えを解説するものです)。ですから、キリストの生涯と教えを実際に見直すのは、比較的やさしい仕事です。


Ⅰ.A. 教えの始め キリストが実際にお教えになったのは、33年と6ケ月の生涯の内、最後の3年6ケ月だけだったと計算されています。その教えは「神の国は近づいた」という宣言(せんげん)で始まりました。(マルコ1:15、マタイ4:17、23) 

Ⅰ.B. キリストの目的 キリストは、この世界に出現した目的をご自分で説明して、「神の国の福音を宣(の)べ伝えるためである」と語っています。キリストの誕生(たんじょう)、生涯、教えは、すべて神の国に関わり、神の国の福音を宣(の)べ伝えること、すなわち、その神の国のすばらしさを人々に体験させることが、キリストの願いでした。(ルカ4:43)

Ⅰ.C. 教えの中でもっとも多く出てくる主題 キリストが一番時間を費(つい)やし、くりかえし、くりかえし強調された主題は「神の国」でした。
記録されたキリストの教えと生涯の物語の中に、「神の国」あるいは「神の国」と同じ意味の言葉が120回ほど出てきます。キリストの様々な教えのほとんどは、喩(たと)え話で語られたものですが、その大部分が「神の国」に関するものです。ですから、聖書がキリストの働きを要約(ようやく)するときには、いつも「神の国を宣ペ伝えた」という言葉で結んでいるのです。(マタイ4:23、9:35、ルカ8:1)



(中略)



Ⅱ.  神の国という言葉の意味

「神の国」という言葉自体は、だれにでも分かる単純な言葉ですが、面倒(めんどう)なことにちょっと複雑な背景があって、注意が必要です。

Ⅱ.A. 神の国と天国
「天国」という言葉は、「神の国」よりなじみがあって、キリスト教関係だけではなく、一般の言葉としても使われています。普通は、「善い人が死んだら行くところ」とか、「この世で結ばれずに心中した男女が、めでたく結ばれるところ」くらいの意味でしようか。しかし、キリストの教えの中では全然違います。じつは、「天国」と「神の国」は、まったく同じ意味で用いられているのです。

 日本のある地方には、人々の深い信仰心から、口に出すのも畏(おそ)れ多くもったいないということで、「お言わず様」と呼ばれている神があるそうですが、キリストが生活された当時のイスラエルでも神を畏(おそ)れ敬(うやま)うことから、不用意に「神」という言葉を多発することを避(さ)けていました。とくに、会話の中ではできるだけ用いないようにして、たとえば「天」という言葉で代用していたのです。

 そういうわけで、キリストの生涯と教えを記録した4つの福音書の中で、イスラエル人を第一の読者と想定(そうてい)して書かれた「マタイによる福音書」は、「神の国」の代わりに「天国」という言葉を多用しています。時にはたんに、「御国(みくに)」あるいは「天」という表現で、神の国が言い表されていることがあります。




Ⅱ.B. 「国」と訳された言葉
 「国」の難しい定義(ていぎ)は横に置いても、何となく、場所、もしくは土地を連想(れんそう)させます。ですから「天国」とは、はるか星のかなたにあるユートピァ、「神の国」とは、神が住んでいる場所、あるいは神が所有している場所と考えてしまいます。しかし「国」というのは、あくまでも翻訳された言葉で、翻訳上のいきさつと歴史があって、こうなったにすぎません。もともとの言葉(この場合はギリシヤ語)の第一の意味は、「王の支配」「王の統治」ということでした。そこから、第二義的に支配されている所、「国」という意味が生まれてきたのです。キリストの時代にも、この第一の意味と第二の意味が、しばしば混同(こんどう)して用いられていたため、ややこしくなったのです。

 日本語の聖書でも、ルカ22:29を読むと、普通、神の国と訳されている同じ言葉が、「王権」「国の支配」などと訳されています。そこで、聖書を読んでいて「神の国」という言葉が出てきた場合、「神の支配」「神の統治(とうち)」などと読み替(か)えてみると、意味がはっきりすることがよくあります。





(後略)