セスタバジカ Cesta Basica

「基礎的なバスケット」という意味のポルトガル語。
ブラジルでは「日常生活を送るための必需品のセット」を指します。

お知らせ

2012年3月をもって食料品・日用品の配布は終了しました。これまで皆様からお寄せいただいたご支援・ご協力に対し心よりお礼申し上げます。なお今後はブログの更新も基本的には行わないつもりです。(もし活動を再開するようなことになれば、ここでお知らせします。)

立ち上げました


既に私たちの「セスタバジカ」運動を中日新聞(3/19)と毎日新聞(3/22)で取り上げていただきましたが、これからも支援の必要性をアピールし続けるため、本日ブログを立ち上げることにしました。(ブログ作るの初めてだけど大丈夫かな?)また、時には自分の思いを綴ってみたいと考えています。言い足りないことがまだまだあると感じているので(2009年3月24日記)。

この活動の目的

2009年3月15日に放送されたNHK-BS「世界のドキュメンタリー」にて南米コロンビアの "La Voz del Secuestro"(誘拐の声)というラジオ番組を紹介していました。ゲリラに誘拐された人質に向けて家族がメッセージを届けるための放送です。再会のラストシーンはちょっと言葉にならないほど心打たれましたが、アナウンサーの「この放送がなくなる日を待っています。そして、その日まであなた方とともにいます。」という言葉も強く印象に残りました。私たちの思いもこれと一緒です。

本会の概要

名称:セスタバジカの会
事務局の所在地:滋賀県彦根市八坂町2500 滋賀県立大学
代表:泉 泰弘(同大学の環境科学部生物資源管理学科に所属)


フードバンク活動をしている在京NPO法人の御厚意によるトラック便、および一般市民や各種団体から寄せられた物資を支援グループの代表者に取りに来てもらい、各家庭への配達はそちらに任せています。(個人への直接手渡しは行っていません。

これまで以下の団体に配りました。

・彦根カトリック教会(ブラジル人グループとフィリピン人グループ)
・ウィズユー(自立支援センター)
・Grupo Ipê(南米系市民をサポートしているボランティア団体)
・Assembléia de Deus(長浜のプロテスタント教会)
・サンタナ学園(愛荘町のブラジル人学校)
(外国人家庭の事情に詳しい本会メンバーにも配布をお願いしています。)

・活動再開(2010年10月)以降はペルー、ベトナム、ボリビア、および日本人の世帯にも配付しています。

これまで支援の基準は「とくに緊急を要する家庭」というやや曖昧なものでしたが、再開前に聞き取り調査を実施し、家庭の状況や支援を必要とする理由を元に判断することとしました。なお調査は支援グループの代表者にお願いし、こちらで作成したヒアリングシートに記入してもらっていますが、その目的はあくまで「限られた支援物資をなるべく緊急度の高い世帯に配付する」であり、一部で噂されているらしき「個人情報の強化」というのが全くの誤解であることを申し添えておきます。

現在必要としている物資(食料品と日用品)は以下の通りです。少量でも結構です。

、塩、砂糖、小麦粉、即席麺(袋入り&カップ)、パスタ、缶詰類、食用油、
石けん、洗剤(洗濯用&台所用)、トイレットペーパー、紙おむつ、粉ミルク、その他

なお最重要品目のについては事務局が精米機を備えていますので玄米でもOKです。籾のままでも(種もみの残りでも)何とかします。おこめ券も大歓迎です。


これらの物資は品目ごとに仕分けし、米などの基幹食糧とその他の品を組み合わせたセット(すなわちセスタバジカ)を所帯数だけ作って月に1度提供しています。


支援の受付は随時行っております。
(配布日までは施錠可能かつ清潔な場所で責任を持って保管しています。)
まずはメールアドレスcestabasica@hotmail.co.jpまでご連絡下さい。
(迷惑メール対策として@を全角表示していますので半角の@に直して下さい。)

併せて本会が作成したチラシもご覧下さい。PDFファイルをダウンロードしていただくことも可能です。

大健闘?

2016年01月23日 | 日記









今年も県大ニューイヤーマラソンに出ました。私は懇親会(&表彰式)で振る舞われる鮒鮨目当てに参加しているので順位はどうでもいいのですが、昨年に続いて壮年の部(40歳以上)で1位(全体では12位)になりました。

タイムは昨年より36秒遅くなりましたが、体重がだいぶ増えてしまったため今回初めて自己申告タイムを25分にしていたことを考えれば健闘したといえるかもしれません。(もしこれまでと同じ24分にしていたら誤差5秒ということでタイムレースと壮年の部で2冠でした。)もうすぐ来日する妻にヘルシーな料理を作ってもらって来年は減量して臨み、自己ベストの大幅更新を狙いたいと思います。

シルバーコレクター返上

2015年01月24日 | 日記
今月はついに当ブログ開設以来初の更新ゼロの月になるかと思っていたのですが(別にそれでも構わなかった訳ですが)、よやくネタができました。


先ほどまでこれに参加していました。競技中は撮影の余裕がなかったので写真は懇親会(途中に表彰式)のみです。



今日に限らず農作業のない冬季は運動不足解消のため昼休みに走っているのですが、走った後は食事が美味しくて仕方がない。今日も食べ過ぎました。これでは痩せるのはおろか体重維持ですら危うい。

私は参加4日目にして初めて壮年の部(40歳以上)1位になりました。これまでの成績は画像のように2位→3位→2位→1位なのですが、壮年の部はとにかく参加者が少なく、2位とブービー賞を同時受賞という年もあったほどです。今年も速い人が出れば良くて2位だろうと予想していたのですが、蓋を開けてみれば私だけでした。ということで今年の成績は「参考記録」扱いが妥当ですね。むしろ全体でも10番目に食い込んだタイムを評価したいです。(昨年は事情でコースが200m短かったので、おそらく自己ベストです。)

今日は

2012年01月21日 | 日記
自転車で来るか迷ったのですが、家を出た時にぱらついていたので結局車で来ました。ところが夜が明けてからは全然降らない。こんなことなら・・・・ということが最近続いていますが、私はそれを「降る降る詐欺」と呼んでいます。

さて、10分前に集合場所のグラウンド南側に向かったところ思ったより人が少ない。「あれっ、たったこんだけ?」と思いましたが、その後続々と集まってきて、最終的には参加者とスタッフ合わせて50人近くになったでしょうか。


受付用紙に名前、所属その他と目標タイムを記入します。(勝手にボケてくれたのでモザイク処理の必要はありませんでした。)

アップ中です。少しでも体力を温存したい私は見てるだけ。

スタート前の様子。優勝を狙っているのか気合いの入りかたが違う学生が複数いました。

以後は全く余裕がなかったので走行中の写真はありません。しばらくして気が付いたのは周囲の足取りの軽さ。私のドタドタとはまるで違います。あっという間に置いていかれました。

それでも折り返し地点で時計を見たら12分を切っています。悪くないペース。後半少しバテましたが無事完走。目標タイムの25分をクリアできました。前半に貯金を作る作戦が功を奏した格好です。(ゴール後に手渡された紙に25と書かれていました。順位と思われます。)

閉会(中締め)の挨拶。顔が見えているのが昨日紹介した肥田先生です。この後に少しだけ雨が降りましたが、レース中は風もほとんどなく天気には恵まれました。

環境科学部の談話室に移動して懇親会。(さらに人が増えたような。)



上から順に参加賞の豚汁、自家製ふな寿司、アメノウオご飯。これがなかったら絶対に参加しません。下はアメノウオ(ビワマス)の卵。イクラより皮がちょっと硬い感じでしたが味はまずまず。運動後ということもあって何を食べても美味しく、何度もお代わりをしました。これじゃ痩せるはずがないよ(苦笑)。


続いて表彰式。「男子壮年の部」では2番目だったということで何と私も対象者に。とはいえ3人だけでしたのでブービー賞と同時受賞だった訳ですが(笑)。ちなみに「一般の部」の優勝タイムは17分台でした。脱帽です。(なお先に載せた画像のTotal Timeの方が25秒多いですが、それは計測を止めるまでの時間が加算されているからです。)

来年も出るかと訊かれたら・・・・・参加賞次第としておきましょうか。(エサには非常に弱い人間です。)

Ogongo UNAM FC

2010年02月09日 | ナミビア
久々にサッカーの話題です。ただし今回はローカルなネタですが。

私が滞在しているナミビア大学(UNAM)オゴンゴキャンパスの学生によって構成されているOgongo UNAM Football Clubというチームがあります。一昨年に創設されたばかりの蹴球団ですが、デビュー1年目となる昨シーズンには○○新聞杯をはじめとする地元のタイトルを総なめにしたというから驚きです。

先日大学内のグランドで試合を見る機会がありましたが確かに強い。前半途中で3対0になっていました。(赤の攻めている方がそうです。サポーターもいっぱい来ていました。)チームプレーはそこそこのレベルかもしれませんが、身体能力と個人技が凄い。日本の大学チームが挑んだとして、例えば県大のサッカー部あたりでは間違いなく一蹴されてしまうでしょう。

ちなみに監督は以前紹介したCampus Administratorのカリンバさん(車のナンバーに自分の名前を付けている人)です。そういえば昨年は彼が表彰式兼祝勝会に招待してくれました。左はその模様、右は賞状です。開始が予定より2時間以上遅れ、式典も伸びまくりで閉口しましたが、パーティーは十分に楽しませてもらいました。

サッカーグラウンドの近くにはバスケットボールのコートも1面あるのですが、リングはこの有様(左)。誰かがNBAのダンクシュートを真似してぶら下がり、壊したんでしょうか? その隣のコート(右)は別にバックボードが盗まれた訳ではありません。私と同じく皆さんにも馴染みがないと思いますが、ネットボールという球技専用のゴールです。日本では競技人口が100人にも満たない超マイナースポーツながら世界60ヶ国以上で行われており、アジア選手権や世界大会なども開催されているようです。

肉、肉、肉....

2009年12月18日 | ナミビア
(ここ数日の「ひ」さんによる怒濤の勢いとでもいうべき連続投稿は全てが全て渾身の力作であり、そこに割って入るのはかなり度胸が要りますが、話題が古くならないうちに書き込ませていただきます。)

去る12月15日はナミビア大学オゴンゴキャンパスのいわゆる仕事納め(来月10日まで休みだそうで羨ましい)でしたが、その前の晩には教職員によるEnd Year Partyが開かれました。要は忘年会ですが、私も招待者として参加させてもらいました。(15時開始のはずが1時間以上遅れましたが、もう慣れっこになっていますし、そのくらいなら許容範囲です。)

上はその前に行われたセレモニーの模様で、偉いさんのスピーチやら功労者の表彰式などがありましたが、途中で飲み物(酒類含む)が振る舞われたのが面白いと思いました。

式典は1時間ほどで滞りなく終了し、待ちに待ったパーティーの開始です。特に乾杯の挨拶などはありませんでした。食事はセルフサービス方式で、各自が好きなものを好きなだけ皿に取り、あとはひたすら飲んで食って談笑するのみです。私は肉の入った鍋の多さに驚かされました。

私の取った皿がこれ(上左)です。とにかくこちらの人が食べる肉の量は半端ではありません。(人口より牛の頭数の方がはるかに多い国だからでしょう。パラグアイもそうでした。)サラダはもちろん、米も添え物扱いです。

そして画像上左が2巡目の皿です。私も負けてなるものかと妙な意地を張って肉中心に取りました。(もちろん残さず全部食べましたよ。)ところで皿の右側に乗っている白っぽい(実際には灰色の)ものはといえば・・・・・以前(7月13日の日記に)植物の写真を載せましたが、現地の主要作物であるトウジンビエ(オシワンボ語で「マハング」)の粉に熱湯を加えて練ったものです。(他にアフリカには同様の製法ながらトウモロコシ粉から作る「ウガリ」という食べ物があります。そういえば日本の蕎麦がきも一緒ですね。)今回こちらに来て初めて食べましたが、なかなかに美味です。でも最後まで大量に残っていました。せっかくの御馳走があるのに毎日のごとく食べている主食に敢えて手を伸ばす気にはならなかったのでしょう。

ちょっと惜しまれたのが肉の調理法。量こそ申し分なしでしたが網焼と塩茹しかありませんでしたので。(料理というよりは加熱処理を加えた肉塊と呼ぶべきかも。)ケチャップをタップリかけたのも味が薄かったためです。肉の質は決して悪くなかっただけに勿体ないと思いました。また酒もビール、ウォッカ(ただしソーダ割りの小瓶)、シードル(リンゴの発泡酒)、ウイスキーなど各種取り揃えながら、そこそこ飲めるワインがなかったことも心残りでした。(発泡性で甘口の白、および酸味のやたらと強い赤がありましたが、みんなは後者をコーラで割って飲んでいました。)街のスーパーにて30ナミビアドル程度(400円以下)で手に入る南アフリカ産の赤ワインでもあれば(ミディアムボディで十分)、肉がどれだけ美味しく食べられたことでしょう。まあ無い物ねだりをしても仕方がなかった訳ですが・・・・もし次があれば持ち込もうかな?

ところで先日職場の財務グループからメールの添付書類として送られてきた賞与の支給明細票を見たら、教職員懇親会の積立金として3000円が引き落とされていました。そっちの忘年会に出られるはずがないというのに。カネ返せドロボー!(←セコい)

表彰するなら○をくれ!(←米ですよ)

2009年11月05日 | 日記
3日の文化の日も朝9時頃に「にぎわい市」の様子を見に行きました。この日は武田先生&学生さんによる綿菓子や石原先生の似顔絵描きなどに加え、サンタナ学園さんも出店されることになっていました。朝方こそ雨がぱらついて心配しましたが、やがて天気は回復に向かいました。でも寒かったですね。それでシュハスコ(串焼き肉)の売り上げが伸びるのなら寒波も歓迎ですが・・・・私は予定があるので開店前に失礼させてもらいました。(追記:聞いたところによると、綿菓子だけで17000円も売れ似顔絵も大盛況。そしてシュハスコやパステル (ブラジルの揚げ餃子) も完売だったとのこと。素晴らしい! なお当日の売り上げについては昨日の日記のコメント欄をご覧下さい。)

続いて足を運んだのは長浜市民交流センター。10時から始まる「長浜市功績者表彰式」に顔を出すためです。「奉仕活動・多文化共生社会推進」部門で「アッセンブレイア・デ・デウスの有志」が表彰されることになり、イカロ牧師から私も呼ばれていたのです。牧師が代表者として賞状と記念品を受け取ってくれることになっているので、そういうのが苦手な私はカメラマンに専念することができました。(なお式典にもかかわらずラフな格好で出席したのは、前の晩に大学のゼミ学生が開いてくれた壮行会の後そのまま泊まり、帰宅することなしに駆けつけたので、一張羅が準備できなかったためです、って単なる言い訳か・・・・)

仕事と家を失った人の救済・支援という立派な活動を続けられている「ミッション・アポイオ・パトロール隊」との同時受賞です。代表のセルジオ牧師(8月の豊公園でのゴスペルコンサートで音頭を取っていた人です)はいつの間にか髭をたくわえていましたが、結構似合ってますね。(どことなくムーディー勝山っぽいような気もしますけど、彼より断然カッコいいです。)

ところで、表彰者の中に聞き覚えのある名前があったので顔をよーく見てみたところ、そちらにも憶えあり。その少し後に呼ばれた人もそうでした。で、終了後に話しかけてみたらやっぱり高校の同級生だったので、お願いして記念撮影にも入ってもらいました。右端の林さん(2年の時に同じクラス)は歯医者さん、その隣の野口さん(1年の時に同じクラス)は長浜病院のお医者さんで、ともに保健衛生・健康推進への貢献により表彰されました。(私と違って二人とも成績優秀だったなぁ。)卒業後は一度も会ってませんから、言葉を交わすのは二十数年ぶりになります。そういえば、この夏には1年の時の担任(&野球部の監督)だった西岡義夫先生が彦根総合高校に勤務されていると知り、差し入れを持って学校に伺いました。あいにく午前中でお帰りになったため再会は果たせませんでしたが、しばらく電話でお話しすることができました。(県大のグラウンドで練習することもあるそうなので、いつの日かお会いできると思います。)今年になって懐かしい人達との再会が相次いでいますが、それもこれもセスタバジカが機縁となっています。(詳しくは言えませんが、西岡先生の件も実はそうです。あと誰とは言いませんけど、そしてクラスメートになったことはないですけど、もう一人....)

帰ろうとしたら国際交流員の佐藤エバートンさん(写真右から3番目の人)から「市長と少し話し合いませんか」と呼び止められました。川島市長がMissão ApoioとAssembléia de Deusのために時間を割いて下さったのです。協働課の大音さんにも加わっていただき、今後の支援のありかたについて有意義な会談を持つことができました。とくに市民団体として公式に認定してもらう(必ずしもNPO法人にしなくても良い)という話は魅力的ですね。それだけで交付金(20万円!)が市からいただけるというのですから、帰国後なるべく早く来年度の申請手続き(毎年6月締め切り)を進めるつもりです。