M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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東京エクスカーション(遠足)5泊5日

2014-05-28 | エッセイ

 横浜に住んでいるのだから東京には何時でいける…とそのままにしておいた懐かしいところを、はからずも再訪できた。理由は住んでいるアパートを、リノベーションのために5日は空けなくてはならなかったからだ。心臓の悪い僕には、エレベーターの昼夜連続停止からは逃げるしかなかった。

 はじめは浅間のふもと、信濃追分と八ヶ岳へ、のんびりと行ってみようと計画していたのだけれど、雨の山はどうしようもない。ずっと天気予報を気にして見ていたのだけれど、予定の週は晴れる日は期待できない。がっかりしながら、「あさま」の指定券と、宿をキャンセルしたのは、キャンセル・チャージの発生する直前。

 アパートはどちらにしても空けなくてはならないから、急きょ思いついたのは、東京エクスカーション、遠足だ。

 僕のカスケットリスト(棺桶リスト)には、東京で訪ねておきたい場所はリストアップしてあった。宿題をやっつけておく時間が、向こうから強制的にやって来たわけだ。

 東京スカイツリーには、行ってみたい気持ちと、混雑した中に身を置くことを嫌がる気持ちがせめぎあって、今まで行ったことがなかった。今になったら少しは落ち着いただろうから、行ってみる気になった。

 本当の目的は、いつもテレビに映る白い東京ドームの先に見えるはずの大学のタワーを確認したかったからだ。スカイツリーからのテレビ映像を見ると、よく分からなくて欲求不満だった。

 幸い、好天。さらに、余り混んでいなかった。富士山も見えて、目標の大学のタワーも確認できて、まぁ、目的は果たした。



 かすんで見える大学のタワー

 浅草に行ったら、煮込み横丁のなじみの店のおばちゃんの顔も見たかった。おばちゃんは元気だし、タンとハツの焼きものも、煮込みも、良心的な生レモンのレモンサワーも変わらずおいしい。おばちゃんのそっけなさも変わらない。

 新装開店となった並木の藪にも行ってみたかった。が、藪にはがっかり。蕎麦の質が落ちたようだ。感激がない。もう行かないだろうなと思った。
 
 

 東京スカイツリー

 代官山ヒルサイドテラスは、僕が大学を卒業して間もなく第一期をオープンした東京では珍しくマスタープランに従って、30年も掛かって開発されたすばらしい街だ。丘陵の地形を生かし、さらには自然を生かすために、高さ制限を付けた都市開発で、住居と店舗、建物と町が一体化してプランされ、数期にわたって、開発された町。

 何時だったか、友達とその中のレストランで飯を食っていた時、ジュディオングの美しい姿に見とれた思い出もある。古くから親しんだ街だ。

 今回発見したのは、この土地を元々持っていた大地主、朝倉邸の建物、庭に入り込むことが出来たことだ。朝倉家は、最初からヒルサイドテラス・プロジェクトに貢献した家でもある。美しい庭には風が通り、広い縁側からは、額縁で切り取ったような景色が新緑の中にあった。美しい白人の女性の姿が、その庭の一部になって溶け込んでいた。



 朝倉邸庭園

 代官山の散策の狙いは、もう一つあった。それは元同潤会代官山アパートの近くに30年くらい前にあった、気にいっていたカフェを探すことだった。

 同潤会アパートは取り壊されて、高層マンションになっていた。小川軒の方に坂を登っていくと右側にあるはずなのに、見つからない。もう時が経ったからなぁとあきらめて踵を返したら、そこに、オープンテラスがあった。店は改築されていたけれど、基本は変わらず。軽いランチを食べて、ご機嫌になった。

 後は、元の勤め先I社の箱崎ビルの近くにあった汚い店で、僕が初めて食った「カツ煮」をもう一度食べることだった。この店以外では見たことのないメニューだった。

 カツドンは、僕は嫌いだ。白いご飯が汚れてしまうからだ。しかし、カツ煮は、煮込んで柔らかくなった豚カツに、程よく火の通った卵とじを乗っけたシンプルな一皿。それに、ごはん、お味噌汁と一緒に出てくる。いい匂いの湯気。

 30年前にこれを見つけた時は、汚い店で、昼飯のあわただしい中で急いで食って出てくる店だったけれど、今回、改築されてさまになっていた。調理人は前と変わらずだとおかみさんらしい人が教えてくれた。

 久しぶりのカツ煮を食べて満足。このために、日本橋箱崎町まで足を運んだのだから。うれしいことに、I社の若い連中もお客としてきているとか…。

 I社の箱崎ビルの下の隅田川の河岸は美しい。つつじが咲き、スズメが餌をねだり、疲れたSEが昼寝をする懐かしい風景に、時々水上バスが通る。豊海橋も変わらぬまま、すてきな構築物として存在感を見せていた。



 スズメ



 水上バス

 田園調布の鳥のモモ焼きの店も、訪ねてみた。僕がI社に勤め始めたころ、先輩が連れて行ってくれた、備長炭で鳥モモを塩焼きにするすばらしい味。40年以上も前の店だが、健在だった。巨人軍の長嶋さんがひいきにしていた店だ。

 店はきれいになっていたけど、相変わらず親父の機嫌は良くなく、店員に対するどなり声が聞こえた。でも味は秀逸。鳥皮は、炭火でパリパリ。モモ肉は柔らかく肉汁がしみ出てくる。

 残念だったのは、六本木のサテンドール。数少ない昔からのジャズ・ライブの店だけど、店は手入れが悪くてボロボロ。しかも、狭いステージにクインテット+1で、せせこましく混雑。しかし、客はまばら。熱気が全くない。

 昔、よく通った、この近くに在ったミスティーが懐かしい。しかし、もうない。ジャズは、ほかの店を探すしかないかと、宿題を貰った感じだ。



 サテンドール

 他にも美術館を2か所とか、新宿の古い飲み屋街を歩いたり、渋谷の博多ラーメン屋を訪ねたり、シュナウザーのなじみの店を訪ねたりと、僕の足は悲鳴を上げた。

 予定通りアパートのリノベーションは終了して、ホッとしている。自分んちが一番いいと実感した東京への旅。一泊朝食付き5千円の連泊でした。


香港と言えば潮州…

2014-05-11 | エッセイ

 香港と聞くと、カンズメ教育の6週間を思い出す。楽しかったし、苦しかった時間だ。香港のベストシーズンと言われている12月の4週間と、日本の梅雨よりもっとダイナミックな大雨の4月の2週間。

 今は中華人民共和国の支配下になってしまったが、1990年代の初めまではイギリスの植民地だった香港。イギリスの文化(ヨーロッパの文化を一緒に連れてきた)と、中国文化をないまぜにした多国籍の街だったと思う。

 その頃は九龍城のスラムも健在で、まさに細い汚いビルが身を寄せ合って、狭い地域に密集して立つ、その怪しげな姿をカイタック空港から香港に向かうバスの窓から見たのを思い出す。見ただけで、すえたような、汗臭いような空気を鼻は感じた。カオルーン(九龍サイド)は、その頃から中国色が強くて、香港島へ渡るスターフェリーくらいからイギリスの雰囲気が現れると言った感じだった。

 カンズメになっていたのは、香港島の中環(セントラル)にあるJWマリオット。



 写真① マリオットのロビー

 マネジメント・コンサルタントの適格性検定コースで、世界中の有名な現役コンサルタントがサブジェクト毎に、入れ替わり立ち代わりでやって来て、コンサルに必要なありとあらゆる分野の専門的な教育を行っていた。このコースを通過できれば、コンサルタントになるみちがひらく。

 問題の発見方法、マネジメントの対話の方法、問題の本質を見定める仮説の立て方、その仮説の証明方法などなど、最後にはプレゼンテーション・ペーパーの書き方等に至るまで、厳しく、目いっぱいにスケジュールが組まれていた。グループ活動もあって、他の複数のグループたちと競って、練習課題をこなしたりする。当然、真夜中まで勉強しなくてはならなかった。

 朝、昼、晩の食事はすべてホテルのレストラン。さらに午前10時と午後3時には、イギリス式のティータイムがある。ここでも、ケーキや果物が飲み物と一緒にサーブされる。生きるためには、ホテルの外に出る必要が全くないのだ。

 参ったのは、英語の本読み。講義はすべて英語。会話はディスカッションでも問題は無いのだけれど、課題として出された宿題の本読みには手古摺った。1ページを理解しながら読むと、僕には5分はかかる。150頁のペンギンブックでも、12時間かかってしまう。英語がネイティブの奴らにはかなわない。しかし、その本を読んでいないと、宿題ができないのだ。こんなに勉強したのは、生涯でこの時だったかもしれない。

 自由時間は、週末だけ。だから、自由な空気を吸えるのはこの時だけだった。

 一番、中国っぽいカオルーンに出かけるのもこんな時。

 その頃、羨ましかったコルムの腕時計を探して、サムサッュアイの街をウロウロしたのを覚えている。しかし、高い。

 では二番目に興味があったポルシェ・デザインの時計を見てみようと、店に入った。素晴らしいデザインの時計を眺めていたら、店の人が声をかけてきて、安くするよと言う。買おうと思ってキャッシュを出したら、店の人がぽかんとしている。よく見ると僕が思った値段にゼロが一つ多くついていた。ゴメンと言って、店を逃げ出した。慌てた。

 食べ物も、外で食べるとおいしい気がする。マリオットの食事がまずいわけはないのだけれど、やはり厭きてくるのだ。

 ホテルからすぐのところに大きなモール、ワン・パシフィック・プレースがあって、そこでは日本食も、その材料も、僕の好きなイタリアンも、何でも揃っていた。イタリアンの店では、陽気なイタリア人の女性ウエイトレスと話すのを楽しみに通った。

 もっと下町っぽいものを食べたいときは、地下鉄でコーズウエイベイまで出かけて、屋台のビーフンの麺をすする。汚いところだけれど、安くて、美味いのだ。



 写真② コーズウエイベイ

 しつこい広東料理がほとんどの香港で、発見したのが潮州料理だった。



 写真③ 潮州料理


 他の中華に比べて地味だけれど、日本人の僕にはぴったりだった。ほかの料理のように、油濃さとか、辛さとか、グロテスクさだとかはない。味は塩味。もともとフカヒレはここの料理だったようだけれど、今は広東料理として有名になってしまったようだ。

 乾かした海産物からとった味の深い、すっきりとした味付けで気に入った。薄味の炒め物が基本だ。麺類も米粉で作った麺でさっぱりしている。潮州炒麺は僕の大好物になった。しかも高くはない。

 日本に帰ってきて、横浜の中華街や、神戸の南京町で訊いてみたけれど、日本では潮州料理は出していないようだ。日本では、まだ出会ったことがない。野菜のスープ、小海老の茹でたて、炒麺、深い塩味の炒め物などを見つけたいと思っている。潮州料理を出す店、知っている人がいたら教えてください。

 お願いします。




<借用した写真のクレジット>

① “マリオット香港”HPから
② flickrから、Pawel Loj さんの“Hong Kong”です。
③ flickrから、Yussufさんの “Teochew”です

②と③のライセンスは、Creative Commonsの2.0です
Creative Commons License
This work is licensed under a Creative Commons Attribution 2.0 Generic License.

イタリア映画祭 2014年『ようこそ、大統領!』をみて

2014-05-01 | エッセイ

  2001年のイタリア年から始まったこの映画祭、毎回楽しみにして見ている。今年は昨年の作品選びの教訓から、最初からコメディーを選んで見てきた。



 作品:
『ようこそ、大統領!』:原題:Benvenuto Presidente ! 2013年制作
 監督:リッカルド・ミラーニ Riccardo Milani
 主演は、コメディー映画の常連、クラウディオ・ビジオ。



 下記は、「イタリア映画祭2014」のブローシャーより抜粋。

 抜粋の始まり

 政治という題材を巧みに笑いに昇華させた痛快なヒット作。山奥の村で図書館員として働き、釣りを愛する中年のジュゼッペ・ガリバルディは、穏やかな生活を送っていた。
 … 中略 …
 偶然の一致でジュゼッペが大統領に選ばれてしまう。政治家たちは辞任を望むが、その期待を裏切り、ジュゼッペの快進撃が始まる。

 抜粋の終わり

 イタリアの政治の現状をシニカルに、またコミカルに描き出した映画で、上映中、会場全体に笑いが絶えない鑑賞になった。楽しかった。笑った。

 物語を少し説明すると、

 ジュゼッペ・ガリバルディという名前の人を、イタリア議会が大統領に指名したことから物語は始まる。イタリア全土に4人しか存在しないジュゼッペ。その一人、ピエモンテ州の田舎の村に住む50歳のジュゼッペ・ガリバルディがイタリアの大統領に選ばれてしまう。

 愛称ペッピーノ。大統領にふさわしい人物ではないのは明らか。儀礼も知らず、法律も知らない一般の気の良い、陽気なおやじ。ローマ・クイリナーレ宮殿の大統領官邸に連れてこられ、副秘書官長の美女、ジャニスの叱咤激励を受けながら大統領の仕事に入り込んでいく。

 彼は、常識的な日常感覚のある50歳の正直者。その人間味、素朴さが発揮されて、危機に瀕していたイタリア国の債務の処理を、ブラジル大統領や中国の主席と個人的な人間性を武器に親交を深め、解決。

 一般的な国民の熱い支持を受けて、次々とリーダーシップを発揮して、問題を解決していく。同時に、イタリア人の男性らしく、美女のジャニスとの親交も、同時進行で深まっていく。

 国民の高い支持を受けて、悪を暴き、既成の政治家をとことんやっつける。

 最終的には議会を解散し、自分も辞任する。その辞任演説で、「今の間違ったこの世界(イタリア)を子供たちに、このまま引き継いでいくのか」と国民に訴える。名演説だ。

 引退してペッピーノとジャニスは結婚する。ジャニスのお腹にはもう子供がいる。ピエモンテの山の中の小さな村で結婚式を挙げたペッピーノに、電話がかかってくる。ヴァチカンかららしく、「法王」という言葉に、驚くペッピーノで映画は終る。


 こんな物語から見えてくるのは、EUから国の財務状態を改善するように強制されているイタリア。多数の政党がが、入り乱れて、国としてのリーダーシップを取れる人がいないイタリアの政治の現実。素朴な良い人の国民たち。裏社会(マフィア)の存在も、汚れた政治もあり、政治的には閉塞感に満ちたイタリア。

 しかし、人々は明るい。まさに一般人が、本当の改革をなすことが出来ると訴えかけているようだ。

 監督が表現したかったのは、
  ・イタリアの政治の現状に対する強いアイロニー
  ・一般人が大統領を務めるという、想像できない事が起こるコメディー
  ・一般人も、これだけやればヴァチカンの法王にだってなれるというパロディー
  ・イタリア人の素朴なヒューマニティー
 だった…と受けとめた。

 とにかく楽しい映画だった。チャンスがあれば、ご覧になることをお勧めします。

 この映画祭を見ると、いつも思うのだけれど、劇画やアニメからの日本の映画、暴力とサスペンスとデズニーのアメリカ映画からは距離を置いた、楽しい映画。

 しかし政治に対しても、喜劇性を持ち込んで注文をつけるアクティブなイタリア映画が、どっこい生きていると感じさせられた。羨ましい。