Half Asleep・・・

夢の国と、現実の世界を行ったり来たり・・・。

Josef Strauss - Spharenklange

2011-01-29 00:53:03 | Weblog
<「お母さん」と「おばあちゃん」>

母の没後、早くも二週間が過ぎました。年が明け1月も既に過ぎ去ろうとしています。


突然ですが、皆様は自分の母親をどのように呼んでいらっしゃいますか。「お母さん」、「おふくろさん」など

様々だと思います。また、お孫さんがいらっしゃる家では「おばあちゃん」も使い分けている事と思います。

確かに私の実家でも、孫がいるため昔から「おばあちゃん」が一般化しています。

家族内では、家族にとって言いやすい呼称(=おばあちゃん)を使う事が多く、例えば孫からみて呼び易いのは

「おばあちゃん」ですね。こうした呼称は家族関係を円滑にし、孫にとっての「お母さん」は誰であるかの区別を

つけるという意味では、良い事に違いありません。私もその事は否定しません。

ただし、孫も含め第三者がいない場所では、やはり「おばあちゃん」ではなく「お母さん」の方が私は好きです。

「おばあちゃん」だと、どこか肉親の情が薄れるような気がしませんか。

若い時はどうでも良い事と思ってましたが、自分自身の加齢が進み少しづつ考え方も変わって来たようです。

長寿化して、まだ若い「おばあちゃん」が増加している昨今、自分の子供から「おばあちゃん」呼ばわりされたら

どう感じますか?


今日は、クラシック曲の最終日としてヨーゼフ・シュトラウスの「天体の音楽」を選びました。悠久の大宇宙を

へ巡る天体を賞賛し感動を音符に移し替えたヨーゼフの最大の傑作です。緩やかに流れる旋律、時の流れが

感じられますが、天上に旅立った母もこのような美しい流れに乗っているのでしょうか。

仮に不肖の子供に未練ありと迷っているならば、ヨーゼフの力を借り魂を鎮める鎮魂歌として捧げたいと思います。

演奏は、2009年ウィーン・ニューイヤーコンサートのものでダニエル・バレンボイムさんが指揮しています。



Sibelius - Finlandia

2011-01-26 23:13:28 | Weblog
<共同生活者>

母がまだ若く(比較的に)、父とともに絶対的権力を誇っていた頃(変な言い回しですが)、子供たちに向かって

よく説いていた言葉の一つに「親子といえど共同生活者。それぞれの権利と義務をわきまえよ!」があります。

「当然、親は子供のためなら形振り構わず外敵に対し盾になり立ちはだかりもする。それが親の喜びでもあるから。

でも、庇護された子供はそれを当然のように思ってはいけない・・・」。子供の私には、母が一体何を言おうと

しているかわかりませんでした。

子供だからといって好き勝手な事を言ったり、我がままを通そうとしたり、親を含め他人を困らせ迷惑をかける

ような事は断じて許さない・・・こんな事を言いたかったのかもしれません。

この事は、子供であっても甘えを禁じ大人と同じ行動・思考を強制し、子供が持つ天真爛漫さ、純真さ、活発さ、

そして何よりも無邪気さの否定を意味します。

子供にはとても難しい事です。でも、大人社会から見て礼儀正しくもの静かで優しく、思慮深くて勉強好き、

両親思いで、手かからずの親孝行の子・・・母はきっとこんな「できた子供像」を我が子に夢見ていたのでしょう。

そんな子供いる訳ないのにね。


今日は、シベリウスの「フィンランディア」。作曲家の意図はどうあれ、今日のテーマに近く、憂鬱で沈み込む

ような暗さから始まります。勝手に我が身を写し選曲しました。でも、ハッとするくらい好きな曲でもあります。

<-- Sibelius - Finlandia -->

Bolero - Ravel

2011-01-23 12:07:48 | Weblog
<滅私奉公>

母が好きな言葉・・というか、子供たちに好んで使った言葉に「滅私奉公」があります。「メッ・シ・ホウ・コウ」。

現代ではあまり聞きなれない言葉です。広辞苑を開いてみますと、次のように簡単に記されています。

「滅私奉公」・・・まず、滅私とは「私欲・私情を捨てること。個人の利害を考えないこと」と、あります。

同じく奉公は、いくつかありますが、ここでは「公(おおやけ)のために尽くすこと」とします。

従って「滅私奉公」とは、個人の利害にとらわれず公(親・家族などの皆、取り巻く社会全体など)のために尽くす

となります。

これを実践するには気高く崇高な心と勇気が要り一定の経済力も必要ですし、強いてはそうした人間の煩悩をも

捨て去る事さえ必要になります。凡庸な私に考えられる限り、他者の為に生きるなんて出来るはずがありません。

にも拘わらず、母はそれを小学生の私に折に触れ繰り返し話しました。もちろん、そこまでを要求したわけでは

ないのですが、少なくとも精神論的にはそのようであり当然子供に理解できるはずもない事も承知で徐々に刷り

込んでいったことは間違いありません。

母の世代は、何事も公(国家が代表する)優先の時代でしたし、自らも一教育者の途を選んで進んだ人でしたから

こうした成り行きは当然だったと思います。でも、そのお陰を被ったのは近所の子も含め私達子供世代。

お腹が空いて、「おやつ」を食べようとすると「あなただけが、お腹空いている訳じゃあないのよ・・」と、また

欲しい「おもちゃ」があってねだると、「あなたがおもちゃで遊んでいる間、そのために血の汗を垂らして働いて

いる人(つまり親?)がいる事を忘れてはいけません」ときます。この程度でも、子供心には八方ふさがりです。

となると、結局「我慢しなさい」に尽き子供にとってはとても酷な話し。挙句に、「あなたは子供です、学校では

公共社会というものを学び、自分もその秩序を守るべき一員であるという事を知りなさい。親は親の、子供は子供と

しての社会的責務を負っているのです・・」と、訳わからない理屈にすり替えられてしまいます。

お腹が空いていると思えば親が与えるし、おもちゃが必要と思うなら親が適切な玩具を時期をみて選ぶ・・・こんな

ところでしょう。でも、これでは全く子供には理不尽な話しとしか写りません。当時は随分反発したようです。

現在、成人どころか当時の親の年代すら遥かに越しても、どこか口惜しいような思いが残るようで多分、その反動

かもしれませんが、自立して以来まさにしたい放題、自力で容易に手に入りそうな物はとりあえず手に入れる・・

癖がついてしまいました。まるで「何でも欲しがる子供がえり」です。

当時は、人一倍親の言いつけを守り兄弟中でも一番親孝行と可愛がられた記憶がありますが、親が期待したような

理想形には程遠い大人になってしまったようです。


今日は、誰しも知っているラヴェルの「ボレロ」。♪ダンダダダン ダンダダダン~♪で始まる勇壮(?)なリズムが

心を揺さぶり、一気にメロディの中にと引き込まれます。中盤からも息を抜かせず終わりまで駆け上がって行く

展開がとても堪らず、単品にして至極当然に大勢の「ボレロ」ファンがいます。 (指揮:アンドレ・リュウ)



Pictures At An Exhibition "Great Gate Of Kief"

2011-01-20 21:19:04 | Weblog
<かもめの水兵さん 大好き>

亡き母に対し、追悼の意を込めエピソードを幾つか・・・。

大正生まれの母は、まさに第二次世界大戦(太平洋戦争)まっただ中に青春時代を送っていました。

花も恥じらう(?)二十歳そこそこの頃だと思います。時の世界情勢や日本を取り巻く列強との確執等々に果た

して興味があったかどうか。

その辺りについては、まったく想像もつかないのですが子供の私によく話してくれた数々の語りの一つに、母の

軍人さん好きがありました。今で云うところのイケメン願望に通ずるかもしれません。それも、父がそうだった陸軍

ではなく海軍さん。そうした憧れは当時の若い女性に共通していたかもしれませんね。母はミーハーだった?

話す時は決まってきりっと姿勢を正し、当時を回想しつつ熱っぽく話す母。戦争を何にも知らない私は不思議な

ものを見るように口をあんぐり開け、見上げるようにして聞いたものです。母の「海兵さん好き」は、一体どこから

来たのでしょう。

父が、まれに陸兵当時の勇猛果敢(?)ぶりを何かの折に子供に聞かせている時なんかは、最初こそ傍にいた母が

いつの間にか座を立っていなくなっていました。後刻、母に「何故?」と問うと、決まって「お父さんは、違うから・・」と

しか言いません。「何が違うの?変なの」と云うと、ただ目顔で笑ってました。

母の弟は海兵さん。真っ白なセーラー服に身を包み背を伸ばしてカチッと敬礼する姿の写真を見る機会がありました。

そんな写真を見せる母は、およそトロけぬばかり。その弟は、終戦まじかには海軍特殊潜行艇の一員として待機

していたのですが、出撃寸前になり終戦となったそうです。そんな事もあり、母は百死に一生を得た弟を格別に

可愛がったようで、母曰く「弟は銃後にいる私達のような女子供、年寄りのために若き血潮をたぎらせ、一命を

投げ打って守ってくれた大戦士」。随分とイメージをふくらませたようですが、それだったら父のいた陸軍も同じ、

海軍の航空隊だって同じですが、母の中ではあくまでも海軍の「荒波を蹴立て、切り分けすすむ軍艦の舳先に立ち

前方を、きっと見据えて立つ勇敢な弟の像」しか見えなかったのかもしれません。このように母の尺度には極端な

偏りがあったようですが、一介の夢見る乙女に戻った時の母は、子供目にも眩しかったです。


今日は、ムソルグスキーの「展覧会の絵 キエフの大門」。展覧会に行って大作「キエフの大門」を観た作者が

驚きを持って書き上げた曲と云われています。絵画観賞は私も大好きですが、音楽として表現する才能は持ち

合わせず驚きです。感動が音符に見事に乗り移っている気がします。



Dvorak - The New World

2011-01-17 12:34:40 | Weblog
<母逝く>

十数年もの間、病床にいた母が先週末にとうとう永遠の眠りにつきました。90歳の天寿を全うしたようです。

あまりにも悲しくて言葉もありません。予てより、この事あるは覚悟していたのですが現実になってしまうと・・・。

さらに遡ること十数年前には父を失くしていますが、喪失感は父とは比べようもありません。何故でしょう。

父の時も悲しかったのですが突然だったためでしょう、不思議と涙も出ず茫然と見送った記憶があります。

まだ、母が居てくれるという甘えがあったかもしれません。

私が生家とは離れた場所に住んでいるため、父の時もそうでしたが亡くなった日、兄より連絡を受け駆けつけるも

最早手遅れ。今朝も、家族は誰も立ち会えなかったと聞きました。きっと亡くなった両親は、ともに家族が嘆き

悲しむ顔を見たくなかったのかもしれません。頑固で厳しいだけで通しても晩年には「いいお爺ちゃん」になった父、

少し気は強くとも、芯があり我慢強く時に父に従い、時には子供のためには一身を投げ打つことも厭わなかった母。

実際、厳格に過ぎた父の叱責から守るように幼かった私達子供を連れ家を出た事もありました。お父さんのところに

残るか、お母さんと出るか決めなさいと迫られ理由がわからず戸惑う私たち・・・。


亡くなった朝、母の安らかな顔を看ているとそんな何やかんやの数えきれないシーンが猛スピードで頭の中を駆け

巡りました。父の時同様に(晩年の父は好きでしたから公平に)、決して涙は流さないと心密かに決めていたの

ですが、最後に母の唇に水を一塗りしてあげた時は、もう限界でした。

目頭が異常に熱くなり、ささやくように自然と口から出た言葉は「ありがと・・ね・・・よく頑張った・・ね・・・」。

辛かったです。涙が流れました。

1月14日朝、奇しくも亡き父と同じ命日時間帯のこと。何だかんだいっても、父は母を愛していたのでしょう。

「子供たちが、今後はどうあれ自立成長するまでは見届けよ」という父の言葉に従って母は生き抜き、父は、

「そろそろこっちに来てもいいぞ・・十分よくやった。ご苦労さん 俺の傍にいよ」と、声かけたのではない

でしょうか。私はそう信じます。


新年から、暗い記事となりました。


今日は、母が遥か昔独身時代に教員生活をしていた頃、当時の子供たちと唄ったと思うのですが、ドボルザークの

「新世界」。お通夜の晩、母が好きだった唱歌が次々とCDから流れていました。クラシック曲であって、洋の東西を

問わず私達日本人の心の琴線にも触れてくる名曲は多いのですが、今日の私の気分は「新世界」です。



Grieg - Peer Gynt Morning

2011-01-12 21:46:21 | Weblog
<箱根駅伝>

今年も熱戦で興奮しっぱなしの箱根駅伝。大会関係者でもなく走者の母校出身でもないのに、何故か毎年

観戦して応援に力が入ってテーブルを叩いては時に絶叫までします。私って、変人かしらん?

往路は、予想通り柏原竜二君を擁する東洋大が制しました。でも、今年の柏原君はちょっと不調。

調子が上がらないまま大会を迎えたようで完全復調とはいかなかったようです。それでも立派な区間賞です。

同じ山登り5区を走った早稲田の猪俣英希君は大健闘でした。彼の頑張りは、柏原君に勝るとも劣らない活躍で

相手が不調な柏原君といえども、往路を27秒差2位でテープを切った功績はとても大きかったです。

結果として、トップの座を守り抜いた早大が1位でゴールを切り総合優勝しましたが、その差21秒差。やはり

猪俣君の粘りが最終的に光りました。

山登りで印象的だったのが、柏原君が東海大を追い抜いた際、東海大の選手が怪物くんの健脚に脱帽し明らかに

苦笑するしかない様が見られたこと。

山下りでは、早稲田の高野寛基君が見事なスライディング(?)を披露しつつも素早く立ち上がり、東洋大の選手に

追いつき追い越せレースを続けたこと。

最終10区では、最後の最後まで来年度シード権を争う熾烈なラストスパート競争が繰り広げられる中、國學院大の

寺田夏生君がコース間違い(おそらく中継車かなんかについて行ってしまったか)をしてしまい、あわやシード権を

逃すかと思われた場面もありました。寺田君大奮起してシード入り、良かったですね。


ローカル的に応援したのは我が信州に母校を持つ選手たちです。おわかりですね。佐久長聖高校出身者なのですが、

全走者数(往路・復路)は200人(10区間×20絞)として、佐久長聖出身は9名いました。この中で区間賞を

取った選手は早稲田大の大迫傑君、東海大の村澤明伸君、駒沢大の千葉健太君の3名でした。そうそう、早大の

山下りで名をはせた高野君も佐久長聖出身です。越境入学者も多いでしょうが、とにもかくにも我が信州です。

来年の箱根駅伝には卒業していない選手も、元旦の実業団ニューイヤー駅伝に出ているかもしれませんから、

今からとても楽しみ~。例え、変人と言われようともやっぱり駅伝観戦はやめられません。



今日は、グリーグで「ペール・ギュント 朝」。どなたも小学生の頃より、耳にして知っている名曲だと思います。

爽やかで新年を迎えるにはピッタリ。心洗われる気分になれます。



Offenbach - Orfee aux Enfers

2011-01-09 23:50:29 | Weblog
<ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート 2011>

年が明けて早くも10日経ちます。年をとった者には日の移り変わりが加速度的に早まっているようです。

それは誠に残念であり心外(?)でもあります。若い時は、時間の経過が余りにも遅くて苛立ったものです。


新年恒例、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを今年も観ました。今年は指揮を、Franz Welser- Most

(フランツ・ウェルザーメスト)さんが執りましたが、演目的にみて俄かクラシックファンの私にとってはあまり

馴染みのない曲が多く、少しがっかり。勿論、どれも超一流の曲には違いありません。

私のような素人に受け記憶に残るのは、最近では09年のダニエル・バレンボイムさん。楽しかったです。

当時の主だった曲は、「雷鳴と電光(ヨハン・シュトラウス2世)」、「天体の音楽(ヨーゼフ・シュトラウス)」

「悪魔の踊り(ヨーゼフ・ヘルメスベルガー)」など。2010年は、ジョルジュ・プレートルさんが指揮しました。

この方では、「こうもり」、「常動曲」、「ウィーンのボンボン」など私の好きな曲を数多く聴く事が出来て感激

しました。この流れで今年も、と大いに期待したのですが・・・今年はブルーレイまで残したのですよ。

興味のない方には、無駄な記述と思われるかもしれませんが、今年の演奏曲は次の通りです。

(第1部)

「騎兵行進曲(ヨハン・シュトラウス2世(以下J・S2と略記)」

「ドナウ川の乙女(J・S2)」

「アマゾン・ポルカ(J・S2)」

「カドリーユ(J・S2)」

「シェーンブルンの人々(ヨーゼフ・ランナー)」

「勇敢に進め(J・S2)」


(第2部)

「騎士パスマン」から「チャールダーシュ」(J・S2)」

「別れの叫び(J・S2)」

「狂乱のギャロップ(J・S1世)」

「メフィスト・ワルツ(フランツ・リスト)」

「遠方から(ヨーゼフ・シュトラウス)」

「スペイン行進曲(J・S2)」

「イベリアの真珠」から「ロマの踊り」(ヨーゼフ・ヘルメスベルガー)」

「カチューシャ・ギャロップ(J・S1世)」

「わが人生は愛と喜び(ヨーゼフ・シュトラウス)」


(アンコール)

「ノンストップで(エドゥアルト・シュトラウス)」

「美しく青きドナウ(J・S2)」

「ラデツキー行進曲(J・S1世)」

{なお、ヨハン・シュトラウス2世は、ヨハン・シュトラウス1世の長男、ヨーゼフ・シュトラウスは次男であり

エドゥアルト・シュトラウスは4男}


今年の指揮者のウェルザーメストさんは、真面目でほとんど笑わない方と云われているそうですが、その通り

でした。それでも時折うっすらと笑みを浮かべて指揮棒を振っている姿を、後刻に解説の方が「ご機嫌ですね」と

評してましたが、それもそのはずウェルザーメストさんは、ウィーンっ子として地元のウィーン・フィルの音楽

監督に就任したためと、団員もそんな彼を歓迎しているからのようです。


今日は、オッフェンバックの「天国と地獄」。お正月らしく賑やかでいいですよ。この曲は運動会などで必ず

使われ私達にとても馴染みがあるのですが、それとは別に私はいつもこの曲を聴くと密かにニヤリとします。

何故かって? 昔のテレビCMになりますが、カステラの宣伝でカン・カン・ラインダンスを披露する可愛らしい

5匹の仔グマがどうしても脳裏に浮かんで来るのです。

♪ カステラ一番 電話は二番 三時のおやつは○○堂~ ♪  ご存知の方、相当なCMマニアですよ。



Mozart - Eine Kleine Nachtmusik

2011-01-08 00:25:40 | Weblog
<実業団ニューイヤー駅伝>

今日はとても寒い一日でした。先日、当地では今冬初とも言える雪が、しかも積雪となって降りました。

それでも日中にはほとんど溶けたのですが日陰やタイヤで圧雪された場所は凍りつき、例え風がなくても大気は

すっかり冷え込んでいて夕方の気温は-8度。道理で寒い訳です。

帰りの電車は待ち時間があり、折よく入線していた車内で本を読んでいたのですが、車内の温かさについ居眠り

してしまいました。出発した時点の記憶がありませんから、下手をすると乗り越ししていたかもしれません。

危ない、危ない! 眼を覚まして真っ先に怯えたのが、まさかの「よだれ垂らし」。・・・幸い無事でした。


元日恒例のニューイヤー駅伝を観ました。毎年の事ながらハラハラドキドキの熱戦が今年も見られて最早病みつき。

今年は連覇に懸ける日清食品グループに注目が集まりました。ところが、蓋を開けてみると日清食品は当然に

トップ集団でしたが、終始トップ争いを続けたのは何と安川電機。意表を突かれました。他は日清食品同様に

名実とも優勝候補に目される富士通もトップグループにいましたから、安川電機の活躍は予想屋泣かせだった

事でしょう。同様に不気味だったのはトップグループの殿にいてへばり気味にも見えたトヨタ自動車。


そしてついに終盤、ゴールまで残り僅かな時点で、一気にスパートしたのがあろうことかトヨタ。この辺りの

駆け引きは実に見事でした。結局トヨタ自動車が逃げ切り優勝したのですが、2位となった富士通とはその差

僅か1秒。こんな事もあるのですね。3位には前年覇者の日清食品グループが入り、安川電機は4位。

一時は本当にどうなるかと思いました。


今日は、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。タイトルだけでは、何だか難しそうですが

実際は、とてもポピュラーな音楽ですからどなたもご存知なのではないでしょうか。

モーツァルトの傑作として、優雅で明るく活発かつおしゃれなところが私は好きです。



Vivaldi - Spring

2011-01-04 21:09:29 | Weblog
<居正月?>

「♪ もう幾つ寝ると お正月~♪ 」。

幾つになっても、お正月というものは楽しみなものです。例え私のように何十年もお正月を迎えた者にとっても

そこは同じ。違うとすれば、お休みの日数が極端に減ったこと位でしょう。

私の勤める会社では、その楽しかったはずの年末年始休業も昨日で終わりました。たった4日間だけの休み。

少ないと云って、さも自分を憐れむところですが、ちょっと待った! 世の中にはたった1日でも満足に休めず

お正月気分など味わえない方も大勢いらっしゃいます。とてもとてもそんな贅沢を言ってはいけませんね。


休み中は、さすがに「ジャージだけ生活者」にはなりませんでしたが、ほとんど同じで午前中はパジャマ姿で

駅伝観戦し、午後になりようやく一応の部屋着に着替え、夜入浴するとまたパジャマに戻る日々・・・。

外出は年賀状を出すためが唯一であり、考えてみればお隣さんとも顔合わせする事がなかったため、新年の

ご挨拶すらしていません。今朝、出勤のため家を出た途端、折よく鉢合わせしそう(?)になったのですが、

幸か不幸かお隣さんは他の用事をしていて傍を通りすぎる私に気付きませんでした。こちらからも面倒だったし。

こんな事続けていたら、友達失くすよ・・・ホント!


さて、今日は恐らく大多数の方がこの時期にこの曲を聴くと納得してもらえると思うのですが、ヴィヴァルディの

「春」。季節感からすれば「冬」が最適ですし私自身「冬」が好きですが、年明けとは新春であり迎春である

日本の習慣に沿ってこの曲にしました。



Johann Strauss - The Blue Danube Waltz

2011-01-01 01:11:07 | Weblog
<迎春>

明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い申し上げます。

年末年始は大寒波襲来により日本中が震えあがりました(否!震えあがっています)。殊に驚くのが豪雪。

我が信州では、当たり前の降雪ですが年末にはまさかの南国での大雪ニュース。必ずしも備えは十分ではない

地域でしょうから、まさに不意打ち。さぞかしお困りの事と思います。どうぞ事故等には十分ご注意ください。

九州一帯、しかも鹿児島でも積雪とは思いもよりませんでした。他人事のように書いていますが、驚く事に信州は

北部豪雪地帯を除けば今のところさしたる降雪がないまま越年しました。(もっとも、今時点でですが)

ただ、一旦降れば根雪となってなかなか溶けませんから南国の雪とは大違い。春の雪解け期までしつこく残るのが

通例です。今年の年明け(元旦)はどうなるやら・・・(今は夜半ですから、空模様はわかりません)。

そうそう、年末のTVで「元旦」と「元日」の違いを云ってました。ご存知でしたか?

「元旦」とは、年初に初めて地平線(水平線)の上に日が昇る様、「元日」はその日中を指すらしいですよ。

従って、「元旦」は、おおむね午前中の早い時間帯で、それ以降は「元日」となるようです。(知りませんでした)


新春恒例、ヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」で、今年も開幕します。やはりヨハン・シュトラウスは

いいです。私は好きです。