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祖父の戦争体験談を聞いてみた・その12(写真一覧)

2005年10月22日 | 2ch
【補足】
 画像の一覧です。鑑定(コメント)いただいた内容も併せて載せます。
 一番最後の3つは、参考文献のコピー+メモ書きになります。
 参考文献:南京事件「証拠写真」を検証する(東中野修道・小林進・福永慎次郎)



album01.jpg 昭和天皇

album02.jpg 谷第六師団長
・album02.jpgは眼鏡を外されていますが、谷寿夫第六師団長です。

album03.jpg 大谷智子様

album04.jpg 松井石根閣下
・松井石根(いわね)
 中支那方面軍司令官(南京攻略戦の陸軍側最上位指揮官)。大将。

album05.jpg 大佐2名+慰問中の写真
 ・album05.jpgの左は第47連隊長長谷川正憲大佐、右は不明確ですが大佐の肩章が見えます。
  同一旅団(第11旅団)の第13連隊(熊本)長 岡本保之大佐 ではないかと思います。

album06.jpg 柳川中將閣下+粟津兵 南京一番乗六勇士
・柳川中將
 第一〇軍司令官・柳川平助中将。第六師団の上級司令部でした。
・粟津定一等兵
 南京一番のりと言う写真は襟の連隊番号でもわかりますが
 47連隊(大分)の粟津定一等兵(当時、写真では上等兵の肩章です)ですね。
 中華門をよじ登られた三明中隊の六人のうちのおひとりです。野津町出身のようです。

album07.jpg うちのじーさんの若かりし頃(たぶん)

album08.jpg 餅つき+スナップショット

album09.jpg 九二式重機関銃

album10.jpg 日出生台での集合写真+祖父の手書きメモ
album10.jpgに興味深いことが書いてあります。右上部に
昭12.12.12/南京城外/クリーク乗船/「渡河中.ニカ./戦死./后二時/負傷ノ船中ニ/彼ノ死ヲ聞キ涙/ナキヲ得ズ.」
とあります。この戦死されたニカと読めるかたは上部左に 戦死/南京/荷川取
と書いてあるかたのことなのでしょうか。47連隊は第二中隊の陣中日誌が現存
しています。郷土部隊戦記も出版されましたが、この荷川氏の名前はまだ見つかり
ません。字を読み間違っているかもしれませんが。

album11.jpg 誰?+路上駐車お断り

album12.jpg 何かのお祭りの写真+スナップショット

album13.jpg 報國第六十九号(共同漁業号)
【2005.10.31追記】
同じ中島でも一世代前の九○式二号水上偵察機二型です。
米国製Vought O2U Corsair水上観測機の製造権を中島が購入して、それを
中島Jupiter発動機に換装して、国産化したものです。

任務は同じで、急降下爆撃とかもしていました。
上海事変~日華事変初期に掛けて艦隊に配備されました。

album14.jpg 吉岡さん(祖父の先輩らしい)

album15.jpg 胸のレントゲン写真+(日支事変)我機関銃隊の活躍 中外通信社提供■■■

album16.jpg 久邇宮妃殿下

P1010002.JPG アルバムの表面

P1010005.JPG アルバムの裏面

P1010006.JPG アルバム制作元

P1010007.JPG 見開き

P1010008.JPG 見開き拡大
P1010008.JPGを読み下しますと、
昭和十三年/二月二十五日/「熊本陸軍病院にて/慰問品として受く」と読めます。

P1010009.JPG アルバム内サンプル

P28南京追撃経路

P37中華門

P40南京城攻撃・退路図

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5 コメント

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Unknown (toumeinahito)
2005-10-23 12:08:50




貴重なお写真や記録、ありがとうございます。

ところで「album12.jpg 何かのお祭りの写真+スナップショット」

は、国際情勢を劇仕立てにして行った宣伝劇?(余興?)

シナの資源を紅毛碧眼の連中が狙ってる!

というよなものにみえますね。

見ると右側の方の藪の中に「イギリス」「ロシア」とか書いた半紙も見えます。
返信する
toumeinahitoさんへ (筆者)
2005-10-23 23:51:01
コメントありがとうございました。

確かにその写真には「ロシア」とか書かれてあって、いったい何をやってるところなんだろうかと思っています。(^^;)
返信する
Unknown (Unknown)
2005-10-30 10:22:48
同じ写真(album12.jpg)で自分が思い付いた事を述べさせていただければ

手前の柵が踏み入り難い高さに有る事、台が其々に有る事、また台毎に立て札が有る事から展示をしているように感じました。
返信する
長谷川連隊 (G)
2012-04-06 15:05:02
僕の曽祖父の歩兵47連隊の中隊長でした。

彼は保定攻略前に病気で内地に
帰ってきました。
家には日中戦争時の彼に関する
資料が少しだけあります。
長谷川連隊長と一緒に写ってる新聞の
写真もあります。

もしも私の曽祖父をあなたの
祖父が知っていたらお話を聞きたのですが。
返信する
長谷川連隊さんへ (ブログ主)
2012-04-06 19:38:10
残念ながら私の祖父は数年前に亡くなってしまいました…
ただし私が持っている歩兵47連隊に関する資料等は、
お渡しすることは可能ですよ。

また、長谷川連隊さんがお持ちの資料も是非お目にかかりたいので、
よかったら下記アドレスまでご連絡頂けると幸いです。 cars-kitahefu@mail.goo.ne.jp

よろしくお願いいたします。
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