数年前、オランダの博物館で出島の模型を見たことがある。
異国の地を旅していて この扇形がなんとも郷愁をそそる
そんな気分になった(笑)。
「出島」は明治の頃の工事で埋め立てられ「島」ではなくなっている。
1996年から長崎市によって復元事業が始まり
現在は あの教科書でよく見た様な海の中ではなく
すぐヨコに路面電車が走っていたりする場所になっていた↓
赤枠の中が出島。画面右が北。
出島。
1636年、キリスト教の布教活動をしようとするポルトガル人を
収容・管理する目的で作った人工島だった。
その後 ポルトガル人は国外追放され
欧州で唯一 武装の規制、キリスト教の布教活動禁止などの条件に応じたオランダと
以降約200年間に渡り貿易が行われることになる。
1795年フランス革命軍がオランダを占領、オランダはフランスに併合された。
世界各地にあった植民地は全てフランスの支配下に置かれ
フランスと敵対するイギリスがその植民地の接収、襲撃をしていた時代。
オランダが独立を果たすまでの5年間、亡国でありながら
世界中でここ出島とエルミナ要塞(西アフリカ地域最大の奴隷積出し港)にだけ
オランダ国旗が掲げられていたそうです。
そのためオランダ人は日本に対して親しみがある、と聞きましたが
改めて調べていくと一方Wikipediaでは
「ヨーロッパで最も反日感情が強い国」だと書かれていました。
これは二次大戦中の日本が オランダの植民地だったインドネシアを占領し
その後これが 独立への大きな要因となったから だそうですが
1971年に昭和天皇がオランダを訪れた際
一般のオランダ人から卵や魔法瓶を投げつけられたというから
そう単純な問題では....ない気がします。
世界には反日感情を抱いている人が多くいることを
日本人としてもっと知っておくべきだと痛感しました。
カピタン(出島オランダ商館長)の生活の様子が再現された↓カピタン部屋。
このビューローブックケース↑ピジョンホールの真ん中に小さなドアが!
抽き出しの数も多い!むむぅもっと近くで見たい!←立ち入りは禁止
キラキラ(ギラギラ?)したオーラを出して熱心(必死?)に写真を撮っていたためか
「解説しましょうか?」と、係の方が来てくださって案内していただくことになった。
ある日の出来事を再現したこのカピタン部屋は
中央に置かれた金ピカの時計(幕府への献上品)と
本棚の中の本以外、全て骨董品で揃えてあるそうです。
家具は何処から仕入れたのか聞いてみたところ(もちろん)「オランダ」との返答。
このソファも↓(下に続く)
家族の同伴は許されていなかったにも関わらず 一家で赴任し話題になった
ブロンホフ商館長の奥様が座っているこの絵↑(出島HPより拝借)を参考に
より近いモノをアンティーク家具の中から探して購入したそうです。
うわぁ....その仕事、楽しそう!!!
ゲートレッグ↓こうして見ると タタミにも悪くない感じ。
違和感のなさに驚く。
こちらは商館長の引き継ぎの場面を再現していました↓
家具、調度品はもちろんアンティーク。
ワインが入っていたと演出されている瓶が ものすごく不格好で手作り感満載でした。
どの部屋も再現された壁紙が↓とてもキレイ
↑大広間。
ここで再現されているのは キリスト教を禁止している日本で
日本人には分からない様に行われていたクリスマスパーティでした。
(テーブルに並んだ料理の中の一品が
オランダでは決まってクリスマスを意味するものだったそうです)
ここだけ天井がぐっと高くなってました。
当時のカピタン部屋↓こんな感じだったのかな。
資料室で私の好きな波佐見焼きで作られていたコンプラ瓶↓を発見!
お醤油やお酒を入れて輸出していたそうです。
すっごくこれが欲しかった、笑。
こちらも↓発掘された器の破片。か、かわいい!
こんな器 欲しいですっ!
そしてびっくり。
出島 中央から東側にかけての一帯の発掘調査と復元は今現在も続いています。
いや、観光客ですみません。
お仕事ご苦労様です↓
個人的に「出島」は
家具も歴史も長崎観光で一番ヒットした場所でした