「ピンチを跳ね返す力、それは歴史である」と語ったのは、その昔、強かった頃の日本代表バレーボールチームの監督だっただろうか。その場しのぎの付け焼き刃の闘志なんて、本当のピンチの際には何の役にも立たない。
トルシエは日本代表のベースを広げて誰が入っても同じように組織的なプレーのできる「いいチーム」を作った。私はとても満足していた。しかし、ホームの異様な熱気の中、ポルトガル、イタリア、スペインを撃破した韓国と、同じくホームながらトルコにあっさりと負けてしまった日本との違いはどこにあったのだろうか。采配? トルシエは必死になって日本の選手を挑発し、闘争心を植え付けようとしていた。確かに付け焼き刃の熱い感情がピッチに見え隠れすることはあったが、それは結局、正しいやり方だったのだろうか。いつも肝心なところで(「ああ、やっぱり」というため息ともに)やられてしまうのがいつもの我らが日本代表ではなかっただろうか。
バーレーン戦を見ていて、私はまた何度もあきらめかけた。これで決勝が中国とバーレーンだったら、まるでユーロと同じじゃないかとすら考えたりもした。しかし、今までの日本代表だったら考えられないような「精神力」を、初めて、この試合の日本代表から感じることができた。何か大きな忘れていたものを見つけて、はっとさせられたような心地である。
プロ野球の監督が「4番は不動だ」と言って、どんなに不調になってもその選手を4番で使い続けるということがよくある。私は科学者であるし、精神論はむしろ嫌いな方なので、そんな馬鹿げたことがあるかといつも反発を覚えていたのだが、ジーコの選手起用はこれに通じるものなのかもしれない。本物の4番、本物のレギュラーを育てたいとでも思っているのではないか。これで潰れるような選手ならいらないのだと。体力的にも精神的にもタフで、ぜったいにポジションを譲らないという強い自負を持った選手だけで、本当の「負けない」チームを作る。そういう信念を持っているのかもしれない。
私は中村俊輔のような選手は評価しがたいと書いた。でもひょっとしてジーコがあんなふうに中村を使い続けることで、中村は誰にも代え難い日本の精神的支柱になりうる選手に化けるのかもしれない。いや、ジーコはそういう支柱を何本も打ち立てるつもりなのだろうと思わないとやってられない。果たしてW杯に間に合うのか。
とはいえ、このアジアカップの決勝でふがいなく負けるようなら、バーレーン戦の日本は真夏の夜の夢だったと諦めるしかないだろう。もちろんそうならないことを、強く心から願っている。必ず優勝すると信じている。
トルシエは日本代表のベースを広げて誰が入っても同じように組織的なプレーのできる「いいチーム」を作った。私はとても満足していた。しかし、ホームの異様な熱気の中、ポルトガル、イタリア、スペインを撃破した韓国と、同じくホームながらトルコにあっさりと負けてしまった日本との違いはどこにあったのだろうか。采配? トルシエは必死になって日本の選手を挑発し、闘争心を植え付けようとしていた。確かに付け焼き刃の熱い感情がピッチに見え隠れすることはあったが、それは結局、正しいやり方だったのだろうか。いつも肝心なところで(「ああ、やっぱり」というため息ともに)やられてしまうのがいつもの我らが日本代表ではなかっただろうか。
バーレーン戦を見ていて、私はまた何度もあきらめかけた。これで決勝が中国とバーレーンだったら、まるでユーロと同じじゃないかとすら考えたりもした。しかし、今までの日本代表だったら考えられないような「精神力」を、初めて、この試合の日本代表から感じることができた。何か大きな忘れていたものを見つけて、はっとさせられたような心地である。
プロ野球の監督が「4番は不動だ」と言って、どんなに不調になってもその選手を4番で使い続けるということがよくある。私は科学者であるし、精神論はむしろ嫌いな方なので、そんな馬鹿げたことがあるかといつも反発を覚えていたのだが、ジーコの選手起用はこれに通じるものなのかもしれない。本物の4番、本物のレギュラーを育てたいとでも思っているのではないか。これで潰れるような選手ならいらないのだと。体力的にも精神的にもタフで、ぜったいにポジションを譲らないという強い自負を持った選手だけで、本当の「負けない」チームを作る。そういう信念を持っているのかもしれない。
私は中村俊輔のような選手は評価しがたいと書いた。でもひょっとしてジーコがあんなふうに中村を使い続けることで、中村は誰にも代え難い日本の精神的支柱になりうる選手に化けるのかもしれない。いや、ジーコはそういう支柱を何本も打ち立てるつもりなのだろうと思わないとやってられない。果たしてW杯に間に合うのか。
とはいえ、このアジアカップの決勝でふがいなく負けるようなら、バーレーン戦の日本は真夏の夜の夢だったと諦めるしかないだろう。もちろんそうならないことを、強く心から願っている。必ず優勝すると信じている。