カフェウィステリアのワイドショー的アメリカ事

Way to go! アメリカの田舎で余計なことを考えつつ…アメリカの三面記事、ワイドショーネタを拾ってお届け。

慰安婦(コンフォート・ウーマン)とセックス・スレイブ

2007年03月17日 | ワイドショー的アメリカごと
朝日新聞がアメリカのメディアが大々的に批判していると書けば、読売新聞は「軍自ら手を汚していない」点をはっきりさせるべきと書いている。すべて金太郎アメのような日本のメディアにあって、この従軍慰安婦問題についてはポジションの違いがはっきりしていて興味深い。

さて、アメリカのメディアが大々的に批判しているかどうかについていえば、たまたま忙しかったこともあったのかもしれないが、それほどメラメラ気になるほどではなかった。もちろん、議会証言に立った元慰安婦の韓国人女性のコメントなどを挿入しながら、経緯を説明してあるが、それほど感情的な入れ込みはなかった。この手の人権問題に立ち向かうのはタブーのアメリカから見れば、安倍首相の強気に「へ~」という感じかもしれない。

ヨミウリが心配している「軍が自ら手を汚していない」点が大切かどうかについては、心配ご無用でアメリカのメディアもきっちり押さえている。安倍首相が従軍売春宿があって、女が誰かに連れてこられたことを認めながらも軍自ら女狩りはやってないと主張しているという点については、かならず書いてある。だから、首相は1993年のごめんなさいを撤回するのではないかと予想している。ま、ロジカルにはそうなると思われる。

そして、日本のメディアではいまだに慰安婦(コンフォート・ウーマン)であるが、海外ではそれは「Sex Slave」セックス・スレイブ、つまり「日本軍の淫売宿の性奴隷」と報道されていて、フランスのメディアからは「日本は未だに、セックス・スレイブをコンフォート・ウーマンなどと都合の良い呼び方をしている」と皮肉られている。

慰安婦と書けば、軍が自ら手を汚したかどうかが重要な点になるようだが(もちろん理由は不明だが)、セックス・スレイブと書けば、その存在自体が問題であることは明らかだろう。もちろん、植民地時代のアメリカ南部の農家は自らアフリカに行って黒人を奴隷狩りしたりはしなかったが、自ら奴隷狩りをしたかどうかより奴隷として人間を所有したことが問題なのは説明する必要もなかろう。日本軍が淫売宿をつくって毎晩、コンフォート(慰安)してもらっていたのではなく、レイプ(強姦)していたという事実で十分だろう。どのように奴隷を調達したかで、過去の汚点が軽くなったりはしない。もちろん、そのような汚点は日本だけでないだろうが。

さらに、日本にとって「慰安婦」はやたらほじられて嫌な古い過去に過ぎないかもしれないが、「セックス・スレイブ」は途上国などにとっては今尚、現在進行形の問題で国連やNGOでは常にホットな女性問題なのである。なので、慰安婦は過去でも「セックス・スレイブ」になるとそういった今の最も最低の女性に対する犯罪、トラフィキング(人身売買)に直接イメージがリンクしているのである。日本はこういった問題に甘い国と見える。

今は今、過去は過去。正しいことをするのに遅すぎることはない、とよく言われるが、太平洋戦争時の日系アメリカ人の収容はまちがっていたとアメリカ政府は1983年になって正式に認め、賠償金を支払った。もちろん日系人の長年の運動の成果であり、悲惨な人生や失われたものは戻ってこないが、それでも、自由を守るはずのアメリカが自由を奪った過去としてはっきりさせた功績は大きい。一方で、フォード、レーガン、クリントンと日系アメリカ人の収容を過ちとしてはっきりさせたが、それはまた、彼らが、過去の過ちを正すという「正しい事をする」機会(美談)でもあったのだ。

レイプされるのに「強制」はされたかもしれないが、それは軍のフォーマルな強制ではなかった、という安倍首相のこだわりに、いったい彼の政治的な戦略は何か?やはり、1993年のごめんなさいも見直して、急進的コンサバ首相の右派取り込み作戦と見る向きが多い。「いやそういうことではなくて、あれ(ごめんなさい)はあのままで。」となるともうお手上げだが。まあ、とにかくこの問題で安倍首相が、人権ヒロイズム路線で行くのではなさそうである。