最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●映画「インセプション」(Inception)(1)

2010-07-18 10:01:07 | Weblog
【映画『インセプション』を10倍、楽しむ法】

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昨夜遅く、映画『インセプション』を観てきた。
土曜日の夜ということで、かなり混雑していた。

『インセプション』……渡辺謙とレオナルド・
ディカプリオ主演。
『ダークナイト』のクリストファー・ノーラン監督作品。
原題は、『Inception』。
「発端」という意味だが、その中身は、心理学用語を
借りるなら、「無意識的動機」ということになる。

相手(ターゲット)の深層心理の奥の奥まで入り込み、その人の
深層心理を操作する。
それがこの映画の柱になっている。

ただし字幕の翻訳が、荒いというか、省略が多すぎて、
字幕だけを読んでいたのでは、映画の意味はわからない。
私も久しぶりに、字幕のほうを参考程度に抑え、
英語を懸命に聞きながら、映画を観た。

星はもちろん5つ星の、★★★★★。
映画『マトリックス』に匹敵するほど、おもしろかった。
楽しんだ。
同時に、強烈なインパクトを私に与えた。

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●深層心理

 フロイトは人間の心理を、
(1)意識
(2)前意識
(3)無意識の3つに分けた。

 映画『インセプション』を観るときは、無意識を2つに分けて考えるとよい。
(3)の無意識と、(4)深層無意識である。

 仏教でも、意識を(1)末那識(まなしき)と、(2)阿頼那識(あらやしき)の
2つにわける。
末那識というのは、意識の総称。
阿頼那識というのは、現代心理学でいう、「無意識」、あるいはさらにその奥深くに
ある、深層無意識ということになる。

 この中の(3)前意識というのは、「ぼんやりしているときや、夢を見ているとき」に
働いている部分(「心理学のすべて」深堀元文)をいう。
意識を氷山の一角とするなら、その下には膨大な大きさの前意識や無意識、さらには、
深層無意識の世界が広がっている。

●夢の中でまた夢を見る……

 映画『インセプション』は、つぎの段階を経て、夢の中の夢の世界、さらにはそのまた
夢の世界へと入っていく。

(1)現実の世界(飛行機747の世界)
その世界から、つぎの第1の夢の世界に入る。
これを第1夢の世界という。
壮絶なカーチェイスを繰り返す。

(2)その第1夢の世界から、つぎの第2の夢の世界に入る。
これを第2夢の世界という。
どこかのホテルで、これまた壮絶な戦闘行為を繰り返す。

(3)さらにそこでの窮地を逃れるため、ディカプリオたちは、第3の夢の世界に入る。
これを第3夢の世界という。
どこかの雪原に建つ要塞で、さらに壮絶な戦闘行為を繰り返す。

 映画『インセプション』の中では、そこまで断言していないが、私流に勝手に解釈する
と、第1夢の世界は、「前意識」の世界。
第2夢の世界は、「無意識」の世界。
第3夢の世界は、「深層無意識」の世界ということになる。

●字幕

 夢を多人数で共有しながら、特定の人物(ターゲット)の深層無意識の世界まで
入り込み、そこで無意識的動機を作りあげる。
つまりその人物(ターゲット)の意識を作りかえ、自分たちにとって都合のよい人間
に作り変える。

 それがこの映画の「柱(目的)」になっている。
……もっとも、ここまで書いたら、映画のおもしろさが半減すると考える人もいるかも
しれない。
しかしあの映画は、字幕だけを読んでいたら、何がなんだか訳がわからなくなる。
そのためにも、こうした解説は必要かと思う。

映画会社には申し訳ないが、これはほとんど毎週、映画を観ている私の率直な感想。
字幕翻訳した人も、映画の内容を理解しきった上で、翻訳したのだろうか?
そんな疑問もないわけではない(失礼!)。

●伏線

 で、この映画には、重大な伏線がある。
マリオン・コティヤールが演ずる、「コブ(ディカプリオ)」の妻、モルである。
妻、モルは、コブと夢の世界で50年近くの年月を過ごす。
(夢の世界で50年を過ごしても、現実の世界では、その数百分の1の時間しか、
過ぎていない。
だから夢の世界で、老人になっていた2人も、現実の世界では元の若い夫婦にもどる。)

そのためモルは、夢と現実の世界の区別がつかなくなってしまう。
夢の世界のほうを、現実の世界と思いこんでしまう。
現実の世界のほうを、夢の世界と思いこんでしまう。
そのため、現実の世界へ戻ってきたあとも、モルは、そこを現実の世界とわからなく
なってしまう。
モルは、自殺を試み、本当に死んでしまう。
映画の中では、「死ねば、元の世界に戻れる」というルールになっている。

 で、コブ(ディカプリオ)に、殺人の容疑がかけられてしまう。
モルは、夫であるコブにも死んでもらいため、ウソの遺書を残す。
「私は夫に殺されそうです」と。
コブ(ディカプリオ)は、そのためアメリカを出て、世界中を逃げ回る……。

 そのことがトラウマとなって、コブ(ディカプリオ)の見る夢の中には、しばしば
モル(マリオン・コティヤール)が出没する。
コブ(ディカプリオ)の仕事をじゃまする。
映画の中では、「投影」という言葉が出てきた。

●「投影」

 映画の中ではときどき、「投影(reflection)」という言葉が出てきた。
しかし正確には、「投射」のことではないのか?
投射というのは、防衛機制(メカニズム)の一つで、「失敗の原因が自分のほうにあるのに、
他に責任があるように強調すること」
「試験に失敗すると、『教え方や採点法が悪い』と教師を攻撃するのが例」(「臨床心理学・
松原達哉)とある。

 つまりコブ(ディカプリオ)の夢の中に出てくるモル(マリオン・コティヤール)は、
コブの別の心が投射されたシャドウ(影)というわけである。

 犯罪を犯すコブ。
それをよしとしないコブの良心が、コブの仕事をじゃまする。
心理学の世界でも、抑圧され、心の別室に封印された自己を、「シャドウ」(ユング)と
いう。
そのシャドウが、もろもろの場面で、コブの障害となって立ちはだかる……。

 この映画を書いた脚本家は、そういう点でも、かなり心理学に詳しい人物と言ってよい。

●サイトー

 映画といっても、SF映画。
あとはSF映画風に、随所にアレンジが加えられている。
たとえば夢の世界で死ねば、元の世界に戻れるとか。
そのあたりは、あまり深刻に考えないで、映画を楽しめばよい。

 また夢の世界の設計者というのもいる。
多人数が共通した夢を見るため、いわゆる舞台が同じでなければならない。
その「舞台」を設計するのが、その人物である。
それを演じたのが、エレン・ペイジ。
映画の中でも、「設計士」という名前で登場する。
で、目的は何か。
つまりコブが、ターゲットの夢の、そのまた夢の、さらにそのまた夢の中にまで
入って、ターゲットの「無意識的動機」を作る目的は何か。

 そこで登場するのが、渡辺謙。
「サイトー」という名前で登場する。
大企業の会長である。
彼はコブ(ディカプリオ)の犯罪のもみ消しを条件に、コブにターゲットの会社を
解体するように依頼する。
つまりターゲット(ロバート、ライバル企業の跡取り息子)の夢の中に入り込み、
無意識的動機をつくる。
「会社を解体する」という無意識的動機である。
その成功報酬として、コブは、サイトーに妻殺しをもみ消してもらう……。

●エンディングの謎

 最後にみな、(第3夢の世界)→(第2夢の世界)→(第1夢の世界)という段階
を経て、順に死に、最終的には、間一髪のところで(現実の世界)に戻ってくる。

 ターゲットの深層心理の中には、「会社を解体する」という深層心理がしっかりと形成
される。
作戦は成功ということになる。
映画も、ここでハッピーエンドとなる。
コブ(ディカプリオ)は、晴れてふつうの市民として、アメリカ本土に入国する。
……できる。
2人の自分の子どもに出会う。
抱き上げる……。

 が、ここで新たな謎?
テーブルの上のコマは回ったまま……。
その状態で映画は終わる。
そのコマが何を意味するかは、映画を観てからのお楽しみ!

 で、私にも、理解しがたい部分が残った。
それがつぎの部分。

 冒頭と最後のシーンで、コブ(ディカプリオ)は、サイトー(渡辺謙)に会う。
そのときコブは、若い男のまま。
サイトーは、老人になっている。
ということは、そのシーンそのものが、夢の中ということになる。
言うなれば、こういうこと。

 最後の最後で、映画『インセプション』は、私たち観客を再び底なしの謎の世界に、
もう一度、突き落とした。
私たちの脳みそをひっくり返した。
もちろん衝撃と、新たな話題を作るため。

 私はそのトリックにひかかり、今、こうして映画『インセプション』について書いて
いる。
「あのシーンは何だったのか?」と懸命に考えている。

 なおワイフは、こう言っている。
「今度、もう一度、DVDを借りてきて観る」と。
内容的には、つまりそれくらい複雑な映画……というより、字幕の翻訳が悪い。
……悪かった。

 なお類似した映画に、『シャッターアイランド』(同、ディカプリオ主演・前作)が
ある。
こちらは、最初から「そうではないかなあ」と思った、その通りの映画だった。
手品で言えば、トリックがすぐわかった。
が、今回の『インセプション』は、予想できなかった。
それだけにおもしろかった。
一見の価値あり。
どうせ観るなら、ここに書いたことを参考に、劇場で観るとよい。
迫力がちがう!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 インセプション デイカプリオ)

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以前、書いた原稿を添付します。

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●投射

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昔から、『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。
自分が泥棒だから、ほかの泥棒が気になる。

わかる、わかる、その気持ち!

人の物を盗んでいるから、盗まれることを心配する。
自分の心の中に邪悪な心があるから、ほかの人にもあると
思い込む。
それで気になる。
戸締りに厳重になる。

同じように、若い女性を相手に、したい放題のことを
している人がいる。
浮気、不倫、援助交際。
中身は何でもよい。
そういう人ほど、自分の娘の交際にきびしい。
娘の帰宅時刻が少し遅れただけで、大騒ぎする。
「男と遊んでいたのだろ!」と、娘を叱ったりする。

人はだれしも、欠点や弱点をもっている。
その欠点や弱点を気にしているから、他人の
中に同じものを見ると、それが気になる。
あるいは、それに気づきやすい。

こんなことがあった。

20年ほど前のこと。
たいへん勉強の苦手な子ども(中1男子)がいた。
いろいろあった。
私も苦労した。
見た目には、おとなしく、静かな子どもだった。

が、ある日のこと。
その子ども(中学生)を、小学生のクラスで
教えていた。
ふと見ると、その子どもが、
数歳も年下の子どもを、こう言って、いじめていた。

「バカだなあ、お前。こんな問題もできないのか!」と。
言い方が、陰湿だった。
ぞっとするほど陰湿だった。

その子ども(中1男子)のばあい、「抑圧」という
言葉を使って、心の状態を説明できる。
勉強ができないということで、日ごろからそれを
負担に感じていた。
それから生ずる不満を、心の中に別室を作り、
そこへ閉じ込めていた。
それがそのとき爆発した。

が、そのきっかけとなった力が、「投射」という
ことになる。
勉強ができない小学生を見たとき、その小学生の中に
自分の姿を見た。
そこで(勉強ができない)という自分のいやな部分を、
その小学生にぶつけて、その小学生をいじめた。

もうひとつ、こんな例がある。

私の知り合いの中に、病的なほどウソを
つく人がいる。
ウソをウソと思っていない。
その場しのぎのいいかげんなことばかり言う。
そのあとケロッと自分の言ったことを
忘れてしまう。

ある日、その人と話していたときのこと。
私が「先日、あなたはこう言いましたよ」
と指摘すると、突然取り乱して、こう叫んだ。

「どうしたあなたは、そういうウソを
つくのですかア! ウソつき!」と。

この言葉には、呆(あき)れた。
自分ではさんざんウソばかり言っておきながら、
私に向かって、「ウソつき!」は、ない。
『ウソつきほど、他人のウソにきびしい』。
そういうことなら、私にも話がわかる。

これも投射のひとつということになる。

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●投射

 難しい言葉はさておき、自分に似た人を見ると、ほっとするときがある。
反対に、ぞっとするときもある。
そのちがいはと言えば、自分と同じようなよい面をもっている人には、ほっとした安堵感を覚える。
反対に、自分と同じような邪悪な面をもっている人には、イヤ~な嫌悪感を覚える。

 たとえば自分がケチだったとする。
が、そういう人にかぎって、外の世界では、おおらかなフリをする。
ことさら、自分は、ケチでないことを強調する。

 あるいは子どもの世界では、子どもに神経質な親ほど、「私は、子どもにはしたいようにさせています」などと言ったりする。
あるいは家の中で、「勉強しなさい」とガミガミ言う親ほど、「私は子どもに、勉強しなさいと言ったことはありません」などと言ったりする。

 自分の欠点、弱点をよく知っている人ほど、そういう形で、他人の目をごまかす。
そして、同じような欠点、弱点をもっている人を見ると、自分の欠点や弱点を、その人に投げつけて、その人を攻撃する。

「あの人は、ケチ」とか、「あの人は、子どもに神経質すぎる。子どもがかわいそう」とか、など。

 一見複雑に見える人間の心だが、こうして類型化していくと、理解しやすい。
そのために心理学というのがある。
相手が人間だけに、おもしろい。
その一例として、「投射」をあげてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 防衛機制 投射 投影 心の別室 抑圧)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【シャドウ論】

●仮面(ペルソナ)

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ペルソナ(仮面)そのものを、職業にしている人たちがいる。
いわゆる「俳優」という人たちが、それである。

で、あくまでも一説だが、あの渥美清という俳優は、本当は気難し屋で、
人と会うのをあまり好まなかったという(某週刊誌)。
自宅のある場所すら、人には教えなかったという(同誌)。
が、その渥美清が、あの『寅さん』を演じていた。
寅さんを演じていた渥美清は、ペルソナ(仮面)をかぶっていたことになる。

といっても、ペルソナ(仮面)が悪いというのではない。
私たちは、例外なく、みな、仮面をかぶって生きている。
私もそうだし、あなたもそうだ。

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●みな、かぶっている

たとえばショッピングセンターで、深々と頭をさげる女子店員を見て、
「人間的にすばらしい人」と思う人は、まずいない。
顔には美しい笑みを浮かべている。
何か苦情を言ったりしても、おだやかな口調で、「すみません。ただ今、
お調べいたします」などと答えたりする。
彼女たちは、営業用のペルソナ(仮面)をかぶって、それをしている。
同じように、教師だって、医師だって、みな、ペルソナ(仮面)を
かぶっている。

最近では、さらにそれが進化(?)した。
インターネットの登場である。

今、あなたは、私が書いたこの文章を読んでいる。
で、あなたはそれを読みながら、「はやし浩司」のイメージを頭の中で
作りあげている。
心理学の世界では、これを「結晶」と呼んでいる。
そのあなたが作りあげているイメージは、どんなものだろうか。

私にはわからない。
それに結晶といっても、その中身は、みなちがう。
ある人は、「林って、理屈っぽい、気難しい男だな」と思うかもしれない。
また別のある人は、「わかりやすい、単純な男だな」と思うかもしれない。
文章を読む人の、そのときの気分によっても、左右される。

映画なら、まだそこに「像」を見ながら、相手のイメージを頭の中で
作りあげることができる。
しかし文章だけだと、それがさらに極端化する。
それがこわい。

●相手の見えない世界

以前にも書いたが、たとえばメールで、「お前はバカだなあ」と書いたとする。
書いた人は、半ば冗談のつもりで、つまり軽い気持ちでそう書いた。
しかし受け取る側は、そうではない。
そのときの気分で、読む。
たとえば何かのことで、その人の心が緊張状態にあったとする。
だから、それを読んで激怒する。
「何だ、バカとは!」となる。

もっとも小説家といわれる人たちは、こうした結晶を逆手に利用しながら、
読者の心を誘導する。
よい例が、スリラー小説ということになる。
恋愛小説でもよい。

たとえば「A子は、みながうらやむほどの、色白の美人であった」と書いてあったとする。
それぞれの人は、それぞれの美人を空想する。
その美人の姿は、それぞれの人によって、みなちがう。

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