最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●依存と愛着(1)

2009-06-02 07:28:03 | Weblog
●依存と愛着



 子どもの依存と、愛着は分けて考える。中には、この二つを混同している人がいる。つまりベ
タベタと親に甘えるのを、依存。全幅に親を信頼し、心を開くのを愛着という。子どもが依存を
もつのは問題だが、愛着をもつのは、大切なこと。



 今、親にさえ心を開かない、あるいは開けない子どもがふえている。簡単な診断方法として
は、抱いてみればよい。心を開いている子どもは、親に抱かれたとき、完全に力を抜いて、体
そのものをべったりと、すりよせてくる。心を開いていない子どもや、開けない子どもは、親に抱
かれたとき、体をこわばらせてしまう。抱く側の印象としては、何かしら丸太を抱いているような
感じになる。



 その抱かれない子どもが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査による
と、四分の一もいるという。原因はいろいろ考えられるが、報告によれば、「抱っこバンドだ」と
言う。



「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒
否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保育研
究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。



報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が3
3%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が2割前後見
られ、調査した6項目の平均で25%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固い」
「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で20%の赤ちゃんから報告されたという。



さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放
されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。
また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を
使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。



 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)2
~3割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不
足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。



 子どもは、生後7、8か月ころから、人見知りする時期に入る。一種の恐怖反応といわれてい
るが、この時期を通して、親への愛着を深める。が、この時期、親から子への愛着が不足する
と、以後、子どもの情緒はきわめて不安定になる。



ホスピタリズムという現象を指摘する学者もいる。いわゆる親の愛情が不足していることが原
因で、独得の症状を示すことをいう。だれにも愛想がよくなる、表情が乏しくなる、知恵の発達
が遅れ気味になる、など。貧乏ゆすりなどの、独得の症状を示すこともあるという。



 一方、冒頭にも書いたように、依存は、この愛着とは区別して考える。依存性があるから、愛
着性があるということにはならない。愛着性があるから、依存性があるということにはならな
い。が、この二つは、よく混同される。そして混同したまま、「子どもが親に依存するのは、大切
なことだ」と言う人がいる。



 しかし子どもが親に依存性をもつことは、好ましいことではない。依存性が強ければ強いほ
ど、自我の発達が遅れる。人格の「核」形成も遅れる。幼児性(年齢に比して、幼い感じがす
る)、退行性(目標や規則、約束が守れない)などの症状が出てくる。



もともと日本人は、親子でも、たがいの依存性がきわめて強い民族である。依存しあうことが、
理想の親子と考えている人もいる。たとえば昔から、日本では、親にベタベタ甘える子どもイコ
ール、かわいい子イコール、よい子と考える。そして独立心が旺盛で、何でも自立して行動する
子どもを、かわいげのない「鬼ッ子」として嫌う。



 こうしたどこかゆがんだ子育て観が、日本独特の子育ての柱になっている。言いかえると、よ
く「日本人は依存型民族だ」と言われるが、そういう民族性の原因は、こうした独特の子育て観
にあるとみてよい。もちろんそれがすべて悪いと言うのではない。



依存型社会は、ある意味で温もりのある社会である。「もちつもたれつの社会」であり、「互い
になれあいの社会」でもある。しかしそれは同時に、世界の常識ではないことも事実で、この日
本を一歩外へ出ると。こうした依存性は、まったく通用しない。それこそ生き馬の目を抜くような
世界が待っている。そういうことも心のどこかで考えながら、日本人も自分たちの子育てを組み
立てる必要があるのではないか。あくまでも一つの意見にすぎないが……。

(02-10-18)

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Hiroshi Hayashi++++++++++.April.06+++++++++++はやし浩司



【ある相談より】



Q:3歳の息子ですが、このところ反抗がひどくて困ります。どう対処したらよいでしょうか。(静
岡県G市・MK)



第一反抗期



 あなたの子どもに、第一反抗期は、あったか? 



外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という※。二~四歳の
第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。



 子どもは、この反抗期をとおして、親に対して、絶対的安心感をもつことができるようになる。
どんなことをしても、またどんなことを言っても許されるのだという安心感である。この安心感
が、親と子どもの間の信頼関係の基本になる。ここでいう「絶対的」というのは、疑いをいだか
ないという意味。



 よく誤解されるが、子どもが親に反抗することは、悪いことではない。悪いのは、子どもがそ
の反抗心を自分の心の中に、おし隠してしまうことである。俗にいう、「いい子ぶる子ども」とい
うのは、それだけ自我の発達※が遅れるのみならず、親も含めて、人と信頼関係が結べない
子どもとみる。



 このタイプの子どもは、自分の心を守るために、さまざまな特殊な行為(問題行動)を繰りか
えすことが知られている。



●異常な依存心……だれかにベタベタに甘える。だれかれなく、愛想がよくなり、こびを売るよ
うになる。しかし心を開けないため、孤独。不安。他人に対して愛想がよくすることにより、身の
まわりに、「自分は愛されている」という環境をつくろうとする。



●引きこもり……人との接触を断ち、自分の世界に閉じこもる。人と接すると、必要以上に気
をつかい、神経疲労を起こしやすい。不登校の原因となることもある。つまり人との関係を断ち
きることによって、身の保全をはかろうとする。



●異常な敵対心……行動が攻撃的になり、自分以外のすべてのものは、「敵」と位置づけて、
排斥したり、否定したりする。非行、集団非行に走るケースも多い。攻撃的に相手を否定する
ことで、自分の優位性を保とうする。



●異常な隷属心……たいていは親に対してだが、その人に異常なまでに隷属する。隷属する
ことによって、身の保全をはかる。このタイプの子どもは、必要以上に相手にへつらったり、ペ
コペコする。



これらの行為は、子どもによって、さまざまに変化する。しかし共通しているのは、信頼関係が
結べないことによる、不安と孤独、焦燥と心配を解消するため、自分の心を守ろうとしている点
である。これを心理学の世界では、「防衛機制」という。



 そこであなたの子どもチェック。



 あなたの子どもは、2~4歳の第1反抗期のとき、あなたという親に対して、好き勝手なことを
し、また言っていたか。あなたは親として、それを許していたか。もしそうなら、それでよし。しか
しもしあなたの子どもが、あなたの前でいい子ぶったり、反抗らしい反抗もしないまま、今に至
っているなら、かなり注意したほうがよい。これから先、ここでいうような問題行動を起こす可能
性は、たいへん高い。あるいはすでにそれは始まっているかもしれない。



 子どもというのは、それぞれの時期に、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして、成長する。反抗
期はまさにそのカラを脱ぐ時期と考えてよい。それぞれの時期にうまくカラを脱げなかった子ど
もは、あるとき、そのカラを一挙に脱ごうとする。たいていは激しい摩擦と、軋轢(あつれき)を
引き起こす。たとえば家庭内暴力を起こす子どもも、こうしたメカニズムで説明できることが多
い。



 だから、子どもが反抗することを、悪いことと決めてかかってはいけない。一応、親としてそれ
をたしなめながらも、「この子は今、自我を形成しているのだ」と思い、一歩、退いた視点で子
どもを見るようにする。

(03―03―03)



※……情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許
さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張
状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不
安定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり
(マイナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。



表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。この
タイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしよう
ね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的
な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。



※……「自我」というのは、要するに、その子どもの「わかりやすさ」をいう。教える側からみる
と、「つかみどころ」ということになる。自我の発達している子どもは、何を考え、何をしたいか
が、外から見ても、たいへんわかりやすい。したいことをし、言いたいことを言う。YES、NOを
はっきりと言う。一方、自我の軟弱な子どもは、それがわからない。何を考えているかすら、わ
からないときがある。どこか仮面をかぶったような感じになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 反抗
 子供の反抗 反抗的な子供 反抗的な子ども 反抗期 反抗期の考え方)





Hiroshi Hayashi++++++++++.April.06+++++++++++はやし浩司 



【子どもの反抗について、Sさんからの相談より】



はやし先生



(前略)



さて、今日のメルマガに、



(以下引用)だから、子どもが反抗することを、悪いことと決めてかかってはいけない。一応、親
としてそれをたしなめながらも、「この子は今、自我を形成しているのだ」と思い、一歩、退いた
視点で子どもを見るようにする。



※……情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許
さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張
状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不
安定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり
(マイナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。(こ
こまで引用)



 うちの場合は反抗期も十分あったのに(今でも喧嘩になると『このくそ婆!』とかいうのです
よ!)。



結局小さい頃のその時期に私がその反抗を押さえつけていた(許してやらなかった)ことに発
端があるわけで、反抗しそこなったことが今マイナス型として現れているなら、この今のマイナ
ス型の時期も自我を形成していると考えていいんでしょうか?



 母親ばかりのせいではない、と自分を慰める一方、どこの家庭もそうでしょうが、母親が子供
にかかわる時間は膨大に多い。そのこどもとの時間を楽しめるときと、楽しめないときがあり、
それも仕方がないと思いながら、、、。



すみません。ここ2,3日ホルモンのバランスが悪いらしく非常に情緒が不安定で(私は周期的
にこういうことがあるのですが)誰とも話したくなく、また、周りのすべてに対し攻撃的になってい
ます。鬱症状というわけです。



友人に話しても、母親はみな多かれ少なかれそういうことがあるようです。

C新聞にも、卵巣機能の低下によるホルモンのバランスの崩れで、二〇代から四〇代の女性
が更年期障害の症状を訴えるケースが多いという記事が出ていました。専門医に相談するべ
しと。



でも実情は、お医者様は男性が多く、その症状を訴えても、『それくらいガマンできないか?』と
か『ジャー薬飲んでみる?』という程度のリアクションで、もう二度と相談するか!という結果に
なるのが常なのです。(私も友人もそうでした)



私も自分を探そうと試みたことはありますが、非常につらいことで、ともすると親を恨んでしまい
そうですので、今はやめました。



とりあえず自分が情緒不安を周期的に持っている、ということだけキモに銘じ、そういう時はな
るべくヒトと接触を持たないように今は心がけています。



++++++++++++++++++



S様へ



 自分の過去をみることは、こわいですね。本当にこわい。自分という人間がわかればわかる
ほど、その周囲のことまで、わかってしまう。「親を恨んでしまいそう」というようなことが書いて
ありましたが、そこまで進む人も少なくありません。



 若いころ、ブラジルのリオデジャネイロへ行ったことがあります。空港から海外沿いにあるリ
オへ向かう途中、はげ山の中に、いわゆる貧民が見えるところがあります。ブラジルは、
貧しい国ですが、そのあたりの人たちは、本当に貧しい。しかし私が、直接、そういう人たちを
見たのは、観光で、どこかの丘に登ったときのことです。四、五人の子どもたちが、どこからと
なく現れました。気がついたら、そこにいたという感じです。(印象に残っているのは、バスから
おりたとき、土手の向こうから、カモシカのように軽い足取りで、ヒョイヒョイと現れたことです。)



 その子どもたちの貧しさといったら、ありませんでした。どこがどうというより、私はそういう子
どもを見ながら、「親は、どうして子どもなんか、つくったのだろう」と思いました。「子どもを育て
る力がないなら、子どもなど、つくるべきではない」と。



 しかしそれは、そのまま私の問題であることに気づきました。私も、戦後直後生まれの、これ
またひどいときに生まれました。しかし「ひどいときだった」とわかったのは、ずっとおとなになっ
てからで、私自身は、まったくそうは思っていませんでした。(当然ですが……。)「ひどい」と
か、「ひどくないか」とかは、比較してみて、はじめてわかることなのですね。



 私もある時期、親をうらみました。とくに私の親は、ことあるごとに、「産んでやった」「育ててや
った」「大学を出してやった」と、私に言いました。たしかにそうかもしれませんが、そういう言葉
の一つ、一つが、私には、たいへんな苦痛でした。で、ある日、とうとう爆発。私が高校生のと
きだったと思います。「いつ、だれが産んでくれと、あんたに頼んだ!」と、母に叫んでしまいま
した。



 で、今から考えてみると、子どもの心を貧しくさせるのは、金銭的な貧しさではなく、心の貧し
さなのですね。私たちの世代は、みんな貧乏でしたが、貧乏を貧乏と思ったことはありませんで
した。靴といっても、ゴム靴。靴下など、はいたことがありません。ですから歩くたびに、キュッキ
ュッと音がしました。蛍光灯など、まだない時代でした。ですから近所の家に、それがついたと
き、みなで、見に行ったこともあります。私が小学三年生のときです。



 貧しいというのは、子どものばあい、ここに書いたように、心の貧しさを言います。……と考え
ていくと、ブラジルで見た、あの子どもたちは、本当に貧しかったのかどうかということになる
と、本当のところは、わからないということになります。身なりこそ、貧しそうでしたが、見た感じ
は、本当に楽しそうでした。



 一方、この日本は、どうかということになります。ものはあふれ、子どもたちは、恵まれた生活
をしています。で、その分、心も豊かになったかどうかということになると、どうもそうではないよ
うな気がします。どこかやるべきことをやらないで、反対に、しなくてもよいようなことばかり、一
生懸命している? そんな感じがします。



 さて、疑問に思っておられることについて、順に考えていきたいと思います。



 乳児期に、全幅の安心感、全幅の信頼関係、全幅の愛情を受けられなかった子どもは、い
わゆる「さらけ出し」ができなくなります。「さらけ出し」というのは、あるがままの自分を、あるが
ままにさらけ出すということです。そのさらけ出しをしても、親や家族は、全幅に受け止めてくれ
る。そういう安心感を、「絶対的安心感」といいます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかな
い」という意味です。

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