おるがない座 2


真赤な男になりな!

さよならDr

2008年03月21日 18時54分00秒 | 時系列で おるがない座
その当時、バスに係る様々な問題に、「変えよう!」と考えた人たちは必ずここに辿り着いたろう。加藤Drバス

けれど、敷居が高くメールなんて送れない。
それでも、”ダメモト”で送ったメールに速効で返事が来た。

「あぁ、結構ヒマなんだ」
何度か送ったメールにも、丁重に返事が届く。

それから、何か月かしてDrの研究室を訪れた…が、その多忙さ、個人的な諸問題、取り巻く環境、期待・非難…Drの周辺は正しく「現場」だった。


彼とは、東京・宮崎・愛知で数回会った。

会う度に、その凄さを知らされる。
彼は、「バスオタク」のアイドルでは無いし、従来のバスの可能性を語る評論家でもない。

けれど、我々は彼に過大な期待を求めたのかもしれない。

魑魅魍魎が蔓延るこの世界。
「夢」が「商売」になる世界…。





せっかく、俺の住む処に来たのに、今回は会えなかった。
きっと、俺の事、心配してくれ「会おう」って言ってくれたのに…。



さよなら、Dr

バスとは…サヨナラです!






遊びに誘ってくれる友達や…




勉強…




ウオーキング…






毎日、毎日…風のように過ぎて行く。


さて、「24」と「LOST」「ER」…10年間見れなかったBVDを、(4本づつ)毎日見ている。


後は、旅行だ!

中国に行こうかな・・・っと。








快晴なり

2008年03月10日 13時41分19秒 | 路線バス ”懺悔帳”
 


兎に角、何も考えない時間を作ろう
明日の事とか、残してきた事とか…




毎日、歩いて季節を感じたり、行きかう人に会釈したり、食べてみたかったラーメン屋に飛び込んだり




そのうち、心の中に何かが芽生えて来るだろう
見えなかったものが見えてくるだろう




忘れていたものを思いだすかもしれない





今は人生の昼休みなんだ



こんな時間を持てるなんて、俺は恵まれている



一日は長い…そしてアッと云う間に終わっちまう




リカバリー完了

2008年03月09日 16時03分25秒 | 路線バス ”懺悔帳”

朝、PCの電源を入れると「ログオンに失敗しました。プロファイルを読み込めません」の文字が…。

再起動しても駄目!原因も分からない…この状態で出来る事は電源を切る事位。

携帯サイトで原因を探り、近くのインターネットカフェで詳細を確かめて、ようやく今、システム復元を終了。

勘弁してくりー!


こんな時は自宅周辺の環境に感謝する。

自宅から歩いて10分内に…

ネットカフェ、医者(歯医者、内科、整骨院、呼吸器科、循環器、耳鼻科etc)、電気量販店、衣料量販店、車両用品・修理チエーン店、カラオケ店、コンビニ、パチンコ、薬局チエーン、回転寿司、フイットネスクラブ、レンタルビデオ、レストラン・喫茶店、居酒屋…

そして極めつけは「ハローワーク」(お世話になります)


さて、一昨日に北海道の姉から電話があった。
「○○(甥っ子)がそちらに遊びに行くからよろしくね!」

何でも派遣社員を辞め、時間が出来たんで旅行するんだと…。
「うちに泊まんの?…かなり悲惨な状況だけど良いの?」
「構わないんじゃないの?」
「なら良いけど」

来るのは一カ月位後だけど、ぼちぼち準備しとかなきゃな。
暇つぶしには丁度いいか!




歩いて行こう 3 )

2008年03月06日 12時14分00秒 | 路線バス ”懺悔帳”
コンタクトが限界(目の細胞の極端な減少)で、以前から言われていたメガネへの転換のために眼科医に行った。

最新のやつで、歪みもかなり無くなっているが値段も8万近い…。

出来上がりは一週間後。

で、眼科医の行き帰り今日もウォーキング。

今日は風も弱く日差しも暖かい。
歩いていると無心になれる。何も考えず、何かが心に浮かびそれが確信に変わるまで慌てず行こう。

失業保険は4ヶ月後だけど…。

歩いて行こう  2)

2008年03月05日 19時08分07秒 | 路線バス ”懺悔帳”
昼間は平気でも、ベッドに付くと不安と苦悶に襲われる。
だから、出来るだけ起きてた。

人間ドックで指摘された2次検査。


「夢」なんて、泡みたいなもんだと思った。

今日、問題の無い事を告げられた。


昔なら「バス再生が続けられる」
間違いなくそう思ったろう。

でも、今回はそうは思わなかった。




何べんも繰り返して申し訳ないが、うちの支部は労働運動を牽引してきた…。
その中で、伝統の如くに言われ続けた事がある。
「会社の為に働いた奴は、結局、裏切られる(会社から…)」

実は俺は、こんな風に去って行く自分を、昔からビジョンとして見ていた。

勿論、残るつもりはなかったし、企業には感謝している(勉強させてもらった)


それでも、やはり言葉は欲しかった。

「いつでも帰っておいで」
「あんた頑張った」
「一生懸命だったね」

違う…また誤解されちまう!


「OK!何処にいても一緒さ。頑張っていこうぜ!」
俺は、そんな言葉を求めてた。
何時でも、一緒だよって言葉。


毎日、2時間歩いてる。
2時間で歩く距離って半端じゃないぜ。

 

堤防が好きだ。
中学生の頃は、堤防で半日位もボーッとしてたな。



横目でにらむ鴨。
風に揺らぐ船。

つくしを探したけど…見つかんねーや。



でも、「つくし」を探す自分…って素晴らしいじゃないか?!


市役所の駐車場に車を停めて、1時間、一生懸命に海に向けて歩いた。
丁度、1時間で河口に到着。
さて、帰んなきゃ…。

帰んなきゃ…。















検査結果

2008年03月05日 10時16分12秒 | 時系列で おるがない座
昨日、今日と病院の精密検査と診断。

思った通りポリープは悪性化するものでなく、切除の必要もないとの事だが、肺気腫はCT.一秒量、一秒率を調べた。

何となく大した病気でない…そんな思いがあったが、ネットで調べたら結構深刻な病気で、何で再出発の今!?と言う思いがあった。

自覚症状も実は以前からあった。
息苦しさや咳・痰…。


で、診察室に呼ばれた結果は…。

「心配する事はないでしょう!軽い気管支炎はありますが、取り立て心配するものではありません。もちろん肺気腫でもありませんよ」


わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーい!
ばんじゃーぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃい!


ありがと!

歩いて行こう

2008年03月01日 12時08分16秒 | 路線バス ”懺悔帳”


大した感慨も無いままに15年間の運転士生活を終えた。
年休の残数を消化すれば、完全に籍を失う事になる。

4日の病院の検査次第だが、ポリープは大丈夫だと思うが人間ドックで「肺気腫」の疑いも指摘された。こちらは自覚症状もあるし間違いはないだろう(親父も肺気腫だったし)
鼻にチューブを突っ込みながらの生活は正直勘弁して欲しい。
これからだって勿論の事、働かなきゃならないし、この年で障害者になり介護生活兼用の仕事などある訳ないもんな…

けれど、組合から身を引いた事で心労は軽減された。
「早く辞めとけば良かったんだよ。そしたら会社を辞める必要もなかったかもしれんぞ」
そんな事を言ってくれる同僚もいる。
「いや、俺は何れにせよ運転士は続けられないんだ」喉元まで言葉は出かかっているが、それは言えなかった。

兎に角、逃げ出したかっただけかもしれない。いや現実には放り投げ状態。
辞めた後の事を考えれば及び腰になるから、何も考えずに白紙に戻る事のみを考えて辞表をだした(正式には検査の結果で休職になるかもしれない)

一日だらだらと過ごしたい…
朝から晩までTVを見ていたい…
行き当たりばったりの列車の旅がしたい…
毎日2時間の散歩をしてみたい…
そして残りの人生を何をやって過ごすかをじっくりと考えたい。


バス・公共交通・移動…
それらを忘れられるのか?
捨てられるのか?

それも含めてゆっくり考えてみたい。

すみませんDr。
3/25は、初めから定めていた自分自身の期限だったんです。
その日まで頑張ろう…確かに残りがあるのですが…。